第10話 ジャックの家族
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ニキが家に戻り、エリザベスも落ち着きを取り戻してきた。ある日、女の子のサッカーチームの見学に同行してほしいとジャックに頼まれる。ニキはジャックがエリザベスのことに関わろうとしているのがうれしかった。しかしジャックのまわりには、エリザベス以外にも、心の傷を抱えた家族がいた。
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エリザベスは以前よりも表情が豊かになり、よく笑顔を見せるようになった。ジャックと言葉を交わすことも増えてきた。お互いの気持ちをぶつけあったことで、三人の間にあった垣根が取れたのだろうか。それはニキにとってもよいことで、以前より、仕事がやりやすくなった。
「ニキ、今度の土曜日、何か予定はあるかい?」
ある日、ジャックがニキに尋ねた。
「土曜日ですか? いいえ、別に何も……」
「それなら午後は空けておいてくれ。一緒に行ってもらいたいところがあるんだ」
ニキはどきりとする。土曜日にどこかに誘ってくれているの?
「少し前、エリザベスが学校を抜け出したことがあっただろう? そのときついていったという女子サッカーチームの代表と連絡が取れた。
そうしたら毎週土曜日の午後、市営グラウンドで練習しているから、よかったら見に来ないかと誘われたんだ。もしチームに参加することになれば、送り迎えもあるし、保護者が出なければならないこともあると思う。
それで、できればきみにも一緒に行ってほしい」
ニキは心の中で苦笑いした。誘ってくれているのかもと期待するなんて!
けれどもサッカーの見学と聞いて、逆にうれしくなった。ジャックがエリザベスと積極的に関わろうとしている。これまでは心を閉ざしていた姪とどう接していいのかわからず、戸惑っているように見えたけれど、これがきっかけとなって、エリザベスとの距離がさらに縮んだらどんなにいいかしら。
「もちろん一緒に行くわ」
「ありがとう。頼むよ。車は僕が出すし、きみは何も用意する必要はない。ただ一緒に話を聞いてくれればいいから」
ジャックはそう言って二階の自分の部屋へと向かった。
くびを言い渡されたときは彼に対する怒りが爆発したが、エリザベスのためとはいえ、わざわざ迎えにきてくれたことで怒りはやわらいだ。こうしてまた同じ家で暮らすようになると、やはり魅力的な人だ。
話しかけられたり、笑いかけられたりするとき、ときめきを抑えることはできなかった。
土曜日、ニキは朝から落ち着かなかった。せっかくジャックと出かけるのだから、少しはおしゃれをして、きちんとメイクもしていきたい。そんな考えが浮かんだが、自分にこう言い聞かせた。
これはデートじゃないのよ。エリザベスのためのサッカー見学なのだから、ふだん着でいいのよ!
一時少し前に、車が近づいてくる音がした。窓から車回しを見ると、ちょうどジャックが降りてくるところだった。同時に反対側の助手席のドアも開き、黒髪の女性も降りてくる。この家に来た日、ここにいたキャサリンだ。
ニキの胸がざわめく。あのときはかっちりとしたスーツだったが、きょうは丈の短いぴったりしたTシャツにジーンズ姿だ。
前は気づかなかったが、薄手のTシャツを着ていると豊かな胸やくびれたウエストが強調され、女らしさが匂い立つようだ。その色気にニキはどきりとした。
窓から見ているニキに気がつくと、愛想よく笑って手を振ってくれた。
「こんにちは、ニキ、エリザベス」玄関を入ってきたキャサリンが言った。
「キャサリン、こんにちは」
ニキは笑顔で彼女を迎える。彼女はニキのうしろにいるエリザベスにも声をかける。
「あら、きょうはきれいに髪を結ってもらっているのね。すっきりして、とてもいいわ。似合ってるわよ」
エリザベスは、はにかんだように、かすかな笑顔を浮かべた。
「ありがとう」
「きょうはサッカーの見学に行くんでしょう? 楽しみね」
「うん」
彼女はエリザベスの事情も知っているのだろう。目を合わせて根気よく話しかけてくれる。
「ニキは……キャサリンにもう会っていたか?」
ジャックが尋ねる。
「ええ、ここに来た最初の日に一度」
「ああ、そうだったな。あらためて紹介しよう。キャサリンはうちの会社の金庫番だ。無駄遣いがないか常にチェックしている。彼女の目をかいくぐるのは至難の業だ」
キャサリンが軽くジャックをにらんだが、彼は気にせず続けた。
「それでうちの家計の管理も、彼女にやってもらっているんだ。会社とリンクする部分もあるし、隠し財産などつくってないか、国税局並みの厳しい目で審査してくれる」
「個人と会社のお金をきちんと区別していないと、あとで痛い目を見るわ。月に一度、会社のお金が不正に流れていないかどうかチェックしにくるのよ」
「今日もそれで?」
「ええ。午後は三人で出かけるって聞いたから、一人でゆっくり、またジャックが大きなおもちゃを会社のお金で買っていないか調べ上げるつもり」
少なくとも、きょうは彼女は仕事で来ているらしい。それでも個人的に家の経理まで見てもらうなんて、やはり個人的なつながりがあるのかしら。
よけいなことよ。ニキはまた自分を叱る。
仕事に支障のないかぎり、雇い主の交流関係を詮索するようなことをしてはいけない。
「あの、昼食はもうお済みですか? サンドイッチが用意してあるので、よかったらどうぞ」
「あら、うれしいわ。中途半端な時間になってしまって、お昼をどうしようかと思っていたの」
「きみとエリザベスはもう食べたのかい?」
「ええ」
「それなら僕は彼女と少し打ち合わせしながら食べるよ。三十分後くらいに玄関にいてくれるか?」
「わかりました」
きっかり三十分で、ニキは玄関に下りていった。エリザベスもリビングから玄関に出てきた。キャサリンとジャックはまだダイニングルームにいるようだ。ニキはそっとダイニングをのぞいて、はっと息をのんだ。
来たときは明るかったキャサリンが、座ったままうつむいて手で顔をおおっている。ジャックは困ったように、うしろから彼女の肩を抱き、励ますように声をかけている。空気が張りつめ、とても声などかけられない。ニキはそっとその場を離れ、静かに玄関のドアを開けた。
ニキが外に出て五分ほどすると「待たせてすまない」と言いながら、ジャックも外に出てきた。オレンジ色のポロシャツにジーンズ、手には黒い革のジャケットを持っている。袖からはたくましい腕がのぞき、張り切った胸の筋肉もシャツの上から見て取れる。
ニキの息が詰まった。思っていた以上に男らしいたくましさにあふれている。
もしも、彼に抱きしめられたりしたらどんな感じなの?
あらぬ想像をしている自分に気づき、はっとした。だめだめ、今はそんなことを考えている場合じゃないわ。
「どうかしたのか?」
ジャックが不思議そうな顔でたずねる。
「いいえ、なんでもありません。いつでも出かけられます」
ニキはあわてて答えた。
「キャサリンは大丈夫?」
エリザベスが心配そうな顔をして、ジャックに聞いた。ジャックは少し目を見開いたが、すぐに笑顔をつくって姪に向かって答えた。
「ああ、大丈夫だ……ちょっとお腹が痛くなっただけさ」
ジャックの答えにエリザベスは軽く肩をすくめた。
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