第13話 忍び寄る影
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ジャックは家族の心をほぐしてくれたニキに、感謝と愛情を伝える。ニキもそれを受け入れ、お互いを求めあう。しかしニキの元に、彼女の過去に関わった人物から突然、電話がかかってきた。
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イサベルがニューメキシコの自宅に戻り、ニキがフェレイラ家で働き始めてちょうど三か月が過ぎた。
「ナニーの勤続月数新記録だな。おめでとう! ニキ」
エドワードがおどけてニキに言った。
「まだたった三か月よ。一年はここで働かせてもらおうと思っているのに」
「きみならきっと大丈夫さ。エリザベスもすっかり落ち着いて、いい感じじゃないか」
「ええ、そうね。彼女が楽しそうに過ごしているのが、何よりうれしいわ」
それは本当だった。もう以前のようにちょっと目を離すとどこかへ行ってしまうこともない。エリザベスの笑顔を見るたびに、ニキは幸せな気分になる。このままこの家で働いて、彼女の成長を見ていられたどんなに幸福だろう。ジャックと二人で……。
ニキはそんな考えを抑えつける。雇われている身であれば、いつか別れがやってくるわ。そのときつらくなるから、あまり親密になってはいけないとわかっているのに。
そんなある日、エリザベスが寝たら仕事部屋に来てほしいとジャックから言われた。
ジャックの仕事部屋は二階の奥にある。ふだんここまで来ることはめったにない。部屋に入るとき、まるで面接を受けたときのように緊張した。
部屋は広々としていて、そこにどっしりとしたデスク、片側の壁にデスクと同じ素材でできた本棚がしつらえられている。そしてその前には読書用なのか、すわり心地のよさそうなアンティーク風のレザーソファが置いてあった。むだなものはほとんどない。それでいてほっとするような安心感がある。
「もう仕事は終わっている時間なのにすまない」
ジャックが切り出した。
「いいえ。大丈夫です」
ニキは動揺を悟られないよう、努めて冷静な声を出す。そうすると話し方までビジネスモードになってしまう。
「このところエリザベスはすっかり落ち着いている。これもきみのおかげだと感謝しているよ」
かすかにほほえんだジャックの顔を見て、またニキの心臓は跳ね上がった。やはり彼の前で平然としているなんて無理だ。
「エリザベスはサッカーの練習も熱心に通っている。それで今は前より仕事に余裕があるかい?」
ニキははっとした。エリザベスと一緒にいられるのがうれしくて、あっという間に毎日が過ぎていくが、ナーサリーやサッカーに行っているあいだは時間に余裕がある。
もしかしてジャックは、もうナニーは必要ないと思っているの?
あるいはパートタイムにしようとしているとか……。そんなことになったら、また大学に行く計画が変わってしまう。
しかしジャックの口から、思ってもみない言葉が飛び出した。
「これはきみしだいだが、もし時間があるようなら、キャサリンのアシスタントを頼めないだろうか。彼女は月に一度来てくれているが、ここは業者の出入りも多いし、会社とリンクしている部分もある。彼女だけでは手が足りなくなりつつあるんだ。個人の家にしては動く金額も大きいから、ビジネスの基礎を知るにはいいと思う。もちろんナニーの分の給料とは別に報酬を払う」
「本当ですか?」
思わず驚きの声が出た。想像したのとはまったく逆のことだ。
「やります。ぜひやらせてください。一生懸命、働きます」
ジャックはニキのきらきら輝く瞳を見て、目を細めた。
ああ、彼女はなんて魅力的な顔をするのだろう。エリザベスはどんどん大きくなり、いずれナニーは必要としなくなるかもしれない。しかしそうなったとしても、彼女を手放したくはない。
「僕としても、そうしてほしい。エリザベスはきみがいるからこそ、落ち着いていられる。きみがいなくなったら、また元に戻ってしまうかもしれない」
そしていったん言葉を切り、こう続けた。
「それに……このあいだ、キャサリンと話をしてくれたんだろう?」
「え?」
「母がまだいたときだ。象と子供たちが遊んでいる間に」
「ああ、あのときの」
「彼女がロバートの死にひどくショックを受けていることも聞いたと思うが……表面的にはふつうに生活していても、あれ以来、僕らにも心を閉ざしていた。僕もあれこれ言ったけど、なかなか心を開いてくれなかった。でもあのとき、きみが何も聞かずにそばにいてくれたことで、少し話をしたいという気になったと言っていたよ」
「そんな……私はじっと話を聞いていただけなのに」
「それがよかったんだ。どうもフェレイラの人間は、自分の気持ちを他人に押しつけてしまう傾向があるんだな。黙って話を聞くということが、なかなかできない」
ニキはちょっとおかしくなった。そういう性格は、きっとイサベルもキャサリンも同じなのだろう。
「僕からすると、きみは魔法使いみたいだ。エリザベスもきみが来て変わった。かたくなだったキャサリンの心にも、すきまを開けてくれた。きっときみには、人を素直にする何かがあるんだと思う」
ジャックは両手でニキの手を取ると、ぎゅっと握りしめた。
「ジャック……」
「本当に感謝している。だから、このままこここにいてほしい」
まるで恋を語るようなジャックの言葉が、美しい音楽のように聞こえる。
「ええ、もちろん。私もずっとここにいたいわ」
それは心の底からの言葉だった。
「よかった」
ジャックはニキの目を見つめてささやく。その視線をはずすことができないままでいると、ぐいっと体を引き寄せられた。彼の唇が近づいてきてニキの唇にふれる。引き締まった唇の感触に息が詰まって、まともに立っていられない。私はいまジャック・フェレイラとキスをしている……。
「ジャック」
吐息交じりにそうささやかれて、ジャックの心の中で何かがはじけた。腕に力をこめてニキを抱きしめると、さらに深く口づけた。
いきなりの激しい口づけにニキは頭の芯がしびれて何も考えられなくなり、すがりつくように彼の背に腕を回した。彼の唇が頬に、そして喉元へとおりてくる。首の横をやわらかく濡れた唇でくすぐられ、ニキの背筋を電流が走り抜けた。息が荒くなり、足はふるえてくずおれそうになる。ジャックのたくましい腕に支えられ、二人してもつれるようにしてレザーソファに倒れこんだ。
ジャックはキスをしながら彼女のTシャツの中に手を入れて、ブラジャーの上から胸のふくらみをまさぐると、ニキは甘いうめきをもらした。拒まれてはいない。そう確信すると、さらに彼の欲望はつのった。
性急なキスにニキはくらくらしたままだった。ソファの上で彼と抱き合っているうちに、ゆったりとしたギャザースカートのすそが太ももまで上がってきてしまった。そこからジャックの手がしのびこむ。その指が腿の間にすべりこんだ瞬間、体がびくりとこわばった。
「ニキ、きみが欲しいんだ……」
ジャックがしぼり出すような声でささやく。
「ええ、いいわ」
頭に霞がかかったような状態のまま、耳元に声をおとすと彼の情熱は勢いを増した。腰のあたりをさまよっていた手がショーツにかかる。ニキは体をよじって彼の手の動きに合わせた。下着が取りさられた下腹部に、彼のたかぶりが押し付けられる。ごくりと息をのむと、ニキは覚悟を決めた。
ジャックの手は熱く強引にニキを支配していった。ゆっくりとした動きながら、ニキの全身からつぎつぎに快感を引き出して行く。もうだめ。ニキは半ば気を失いそうになったところで、突き上げてくる彼の情熱を受け止めた。そして、さらなる高みへと追いやられて行った。
ジャックはニキに限界まで快感を味わわせ、やがてついに二人は同時に果てた。そのあとは、しばらくそのままで二人は声もなく抱き合っていたが、やがてジャックが体を起こした。
「ニキ」
名前を呼ばれてそっと頬をなでられ、ニキははっと我にかえった。急に恥ずかしさがこみあげる。この部屋に来たときはそんなつもりはなかったのに、彼の情熱と自らの欲望に押し流されてしまった。
ニキはすばやく身づくろいをすると、戸惑った顔をしているジャックを尻目に、「おやすみなさい」とだけ告げて部屋を出た。
自分の部屋に戻ってからも、しばらくは甘い余韻と罪悪感が心の中で入り交じり、冷静に考えることができなかった。けれども少し時間がたつと気持ちも変わってきた。
彼は私を愛していると言ってくれたわけではない。でも私は彼が欲しかった。彼に抱きしめられたとき、心が喜びに震えた。決して恥ずべきことではないわ。
ようやく気持ちが落ち着き、ニキは座っていたベッドから立ち上がった。そのときテーブルの上に置かれた携帯電話が点滅していることに気がついた。着信ありの表示だ。たしかめてみると知らない番号からだった。ニキはじっとその番号を見つめていたが、意を決してその番号宛てに発信した。
呼び出し音が鳴るまでの時間がもどかしく、かけたことを後悔しそうになる。しかしコール二回で相手が出た。
「もしもし……」
「ニキ! よかった。連絡が取れて」
男性が出て、いきなり名前を呼びかけられた。用心して名前を言わなかったのに。相手はこの番号がニキのものだと知ってかけてきたのだ。
「あなたは……」
「まさか忘れちゃいないだろう? アーノルド・ホイーラーだよ」
「アーノルド!」
「ちょっと前に、タブロイド紙に出てたな。ジャック・フェレイラと写真に撮られるなんてやるじゃないか」
「あなたには関係ないでしょう!」
ニキは返事も聞かずに電話を切った。
父を亡くしたとき、私にはもう何の利用価値もないと言い放った男! 私が人生で一番つらい時期を迎えていたときに……。もう彼のような男に関わりたくはない。ニキは大きく息を吸って冷静になろうと務める。
けれどいったいなぜ彼は電話をかけてきたのだろう?
利用価値のあるものにしか近づかない人なのに。ニキは唇をかんで心臓の鼓動が静まるのを待った。
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