第7話 交錯①
(大きな目を丸くしていたな……)
自分の顔に自信のない楓は、思わず彼女へと声をかけてしまったことを思い出す。
『あの……、僕の顔に何か?』
そう声をかけると綾乃は、飛び上がるようにして急いで紙カバーをかけていた。
(髪を切ったのは失敗だったかな……)
そう思った楓は短くなった髪の毛をつまんでみた。鏡の中の自分は少し悲しそうな顔をしていた。今まで隠していたいた前髪がなくなってしまい、その表情が嫌と言うほどよく見えるのだった。
数日後。
天野楓は先日の沓名綾乃の様子が気になり、再び大型書店へと訪れていた。
「いらっしゃいませ」
聞きなれた心地よい声が響く。今日も綾乃は出勤している様子だ。それを確認できた楓は少し安堵の息を漏らす。
きょろきょろと周りを見渡し、新刊の場所へと向かう。
すると、後ろからまるで自分について来るかのような綾乃の存在に気付いた。
(何か、話したいのかな……?)
まさかな、そんなことを思いながらも、楓は足を止めた。そして適当な本を見ていると、
「いらっしゃいませ! 何かお探しでしょうかっ?」
綾乃の声に驚いた楓は一瞬目を丸くする。
(自分に、声をかけている……?)
何が起きているのか分からない楓は、声をかけてきた綾乃をはからずともじっくり観察してしまう。
彼女は髪を切ってコンタクトレンズにしているその可愛らしい顔を俯かせ、きゅっとエプロンの裾を握っていた。きっと、相当の勇気を振り絞って声をかけてきてくれたのだろう。
そう思うと楓は、自然と綾乃への愛しさが込み上げて来るのだった。
営業目的で声をかけられているのだとしても、それでも嬉しい。
楓は込み上げて来る笑顔を抑えることもせず、綾乃へと返事をしていた。
「沓名さんの、おススメの本を教えてください」
「え?」
今度は綾乃が虚を突かれる番だったようだ。驚きを隠すことなく、きょとんとしている綾乃の顔が、ますます愛しいと感じていしまう楓だ。楓は綾乃を怖がらせないよう、つとめて優しい声音で繰り返しゆっくりとした口調で言う。
「沓名さんの、おススメです」
その声を聞いた綾乃は、ほっとしたような表情となり、肩の力を抜いていた。そして、少し微笑むと、
「では……」
そう言って歴史小説が並ぶコーナーへと足を向ける。楓は黙ってその後ろをゆっくりとついて歩いた。
そして長くはない時間、しかし楓にとってはとても幸せな時間、二人で歩いていると、綾乃がふと足を止めた。
「この歴史小説なんて、どうでしょうか……? 映画化も決まっていますが、何より主人公の家族への愛が感動的に描かれています」
おずおずといった様子で本を紹介してくれた綾乃に、楓は少し驚いていた。
可愛らしい綾乃にして意外にも歴史小説の家族愛などが描かれている作品が好きなのか、と。
自分との趣味が合いそうだなぁ、と。
楓はそんなことを思うと自然と笑顔になっていた。
「じゃあ、それを買います」
気付くとそう答えていた。そもそも綾乃が薦めてくれた本である。楓には断る理由が全く無かった。
綾乃は少し気恥ずかしそうにしながら、その本を持ってレジへと向かう。楓はその綾乃の後ろ姿を追っていく。
接客中、綾乃は可愛らしいその顔を少し赤らめながらも丁寧に紙カバーをかけてくれた。そんな綾乃の様子に、そして何よりも、綾乃から声を掛けて貰えたことに、楓は胸を熱くさせながら、その本を小脇に抱えて帰宅するのだった。
翌日の休日。
楓はわくわくしながら自室で昨日綾乃から紹介された本を読み始めていた。このわくわくは単なる新しい物語へのわくわくとは少し違っている。外見以外何も知らない綾乃を知るきっかけになるかもしれない、そう考えるとどうしてもわくわくして来るのだった。
数時間が経過し、その本を読破した楓は最初のわくわくとは違いほっこりした気持ちになっていた。
時代に翻弄されながらも、必死に家族を守ろうとする主人公の姿にはらはらしつつも、最後は丸く収まる。そう言ったストーリーだった。
(沓名さんはこういう本が好きなのかな……)
なんだか自分との趣味があいそうだ。
(そう言えばこの本、映画化が決まっていると言っていたかな?)
楓はそんなことを漠然と考えていた。
もし映画化するのであれば、それは綾乃と一緒に観にいきたい。しかし、どうやって誘おうか。悶々とする楓は、とにかく綾乃のいる大型書店へと向かうことを決めるのだった。
昨日の今日と言うこともあり、もしかしたら綾乃はいないかもしれない。しかし
(昨日は沓名さんから話しかけて貰った。きっと相当な勇気が要ったことだろう。だから今度は自分から話しかけるんだ)
そう意気込んで大型書店へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
店に入った楓を無機質な、しかし聞き覚えのある声が迎えてくれる。楓はほっと胸を撫で下ろしていた。
しかし困ったことに、今日は綾乃がレジから出てくる様子がなかった。
(レジで接客して貰う時に声をかけようか。いやでもそれだと後ろのお客さんに迷惑がかかるしな……)
そんなことを思案しながら手持ち無沙汰な様子で楓は、とりあえずいつもの新書のコーナーへと足を向ける。その間、レジでの綾乃の様子を盗み見ると、綾乃は何やら書き物をしている様子だった。
そして、幸か不幸か、今レジへと本や文房具を持ってくる客はいないようだ。楓は意を決して、適当な新書を手に綾乃の待つレジへと向かう。本をレジへと持っていくのに、これほどまでに緊張したことはない。月並みな表現になるが、口から心臓が飛び出してしまいそうだ。
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