第4話 羽化②

 その後、1人でコンタクトレンズを付けたり外したりを練習する。ソフトコンタクトレンズのため、外すときに自分の目に指を入れることになる。それがなかなか慣れなかったが、なんとか外すことも出来るようになった綾乃は、眼科に併設されているコンタクトレンズの店で1dayのコンタクトレンズを90日分購入することになったのだった。


「うんうん、綾乃、可愛い~」


 店を後にした綾乃と咲希は、先ほどから咲希が綾乃の顔を見てはそう言うのだった。その度に紅潮する顔を綾乃は隠さずにはいられなかった。


「昼食を食べたら、最後の仕上げといきましょうか」


 咲希は綾乃に軽くウィンクをする。

 綾乃は最後の仕上げがどういうものなのか全く予想がつかずに首をかしげている。そんな綾乃にはお構いなしに、咲希の運転でチェーン店の喫茶店へと入っていった。

 2人はそこでランチを注文する。昼食を終えた咲希はしきりに時間を気にしているようだった。綾乃が昼食を終えると、咲希は、


「いい時間になったわね」


 と言って伝票を持って外へと出てしまう。

 綾乃は着慣れないワンピースをひらつかせながら咲希の後を追う。自分の分のお金を払おうと財布を出す綾乃に、咲希は奢るわと言って綾乃に財布を出させなかった。




 そして喫茶店のすぐ向かいにあった美容院へと足を向ける。


「いらっしゃいませ~」


 明るい店内では、明るい笑顔のスタッフが綾乃たちを迎えてくれる。


「こんにちは、予約していた石川です」


 咲希がスタッフと対応しているとき、綾乃はきょろきょろと店内を見ていた。アンティーク調の鏡がいくつも並べられており、その前には真っ白な椅子が置いてあった。向こうに見えるのは洗髪するための台だろう。

 美容院へは行かない綾乃が物珍しそうに店内を見回していた時、突然女性スタッフから声がかけられた。


「こんにちは」

「あ……、こんにちは」


 綾乃は釣られて挨拶を返す。


「どうぞ、こちらへ」


 綾乃は何が始まるのか分からないまま、案内された席へと座る。

 女性スタッフは終始にこやかに綾乃の接客をする。


「石川さんと同じ書店でお勤めなんですってね~」


 そう言いながらも手元は見事なまでに動いている。綾乃のセミロングの髪をときながら、毛先を整えていく。そして最後に、


「前髪、作りますね~」


 そう言って美容師は前へと回って綾乃の前髪を切っていく。綾乃は咄嗟に目に髪が入らないように視線を下へと向ける。


「はい、出来ましたよ~」


 今まで伸びっぱなしだった髪が綺麗に整えられていた。前髪も眉の辺りでばっさりと切られている。広がる視界に綾乃は目をぱちくりさせている。


「綾乃~! いいじゃん、いいじゃん! 全然印象、違うよ!」


 傍にはいつの間にか咲希の姿があった。


「石川先輩、これは……?」

「行き着けの美容院で、髪の毛をセットしてもらったところよ」


 咲希はどうだ! と言わんばかりに胸を張る。


「自分でのセットも手軽に出来ますよ」


 そこへ綾乃を担当してくれた女性スタッフが言う。家での手入れの仕方を聞いて、会計を済ませる。もう外はいい時間だ。薄暗く、すぐに日は落ちてしまいそうだった。

 全身のイメチェンを果たした綾乃の姿をまじまじと見ていると、咲希は嬉しそうに言う。


「最後はれんに会って、夜ご飯を食べましょう」


 明るく弾んだ声でそう言う。連とは咲希の彼氏で杉浦連すぎうられんと言う。男の人との食事に少し身構えてしまう綾乃だったが、連とは何度も会っているので、少しは気が楽か、と思いなおす。

 夜になると作業着姿の連が綾乃たちと合流した。


「あれ?」


 そこで連は綾乃の姿に一驚いっきょうきっすることとなった。


「綾乃ちゃん、だよね……?」


 連は驚きを隠せないまま、言葉をつむぐ。綾乃はこくりと頷いた。


「か、可愛い~! どうしちゃったのっ?」

「イメチェンよ! どうやら大成功のようね」


 興奮する連に咲希が説明する。

 どうやら今日1日かけた綾乃のイメチェンは大成功となったようだ。連はいまだに信じられないと言う様子で綾乃をまじまじと見つめている。


「いやぁ、変われば変わるもんだな」


 そのまま3人はイタリアンのレストランへと入っていった。


「綾乃のイメチェン成功を祝して!」

「乾杯~!」


 3人はソフトドリンクで乾杯をする。そして各々おのおの好きなものを頼んだ。


「今回は私と連のおごりだから、たくさん食べてね!」


 咲希の言葉に綾乃はでも、と言いかけて、今朝注意されたことを思い出した。


「あ、ありがとう……」


 そして言葉を換えて2人に感謝の意を伝える。


「しっかし、本当に驚いたよ! 綾乃ちゃん、めちゃくちゃ可愛い顔、してたんだね!」


 連はさっぱりした綾乃の顔を見ながら言う。綾乃は照れてしまい、どうしていいか分からなかった。




 こうして怒涛の1日を終えた綾乃は、ぐったりと疲れを感じながら咲希に送ってもらうのだった。仕事をしていた方がまだ疲れないかもしれない、そう感じながら、綾乃はコンタクトレンズを外してシャワーを浴び、眠りにつくのだった。

 翌日の職場にて。

 綾乃は同僚たちに囲まれることになっていた。


「沓名さん、どうしたのっ?」

「髪の毛さっぱりじゃん!」

「コンタクトにしたのっ?」

「石川咲希プロデュース! ニュー沓名綾乃ちゃんよ!」


 咲希が胸を張って答える。同僚はいいなぁ~、と感嘆のため息を漏らしていた。綾乃はと言うと、好奇の目に晒されながら、少し居心地の悪い気分になっていた。

 やはりコンタクトではなくメガネで出勤したら良かったかな? と内心思いながら、その日の職務をまっとうしていく。

 そうしているうちに、メガネのない違和感や視界の広さに慣れていくのだった。


「いらっしゃいませ」


 レジに客がやってくる。綾乃は硬い表情のままレジに立った。持ち込まれたのは1冊の自己啓発本だった。人付き合いがうまく行く方法、と本の帯には書かれている。綾乃はその本に少し興味を持つのだった。


「カバーはお付けしますか?」

「お願いします」


 客の声に聞き覚えがあり思わず顔を上げる。そこには天野楓の姿があった。相変わらず前髪で顔の表情までは分からない。メガネがきらりと光っている。


(あ、天野さんだ……)


 綾乃はカバーを手際よくつけていく。いつもの自分ではない、視界がしっかりしている状況で、少し気恥ずかしさを感じるのだった。


「ありがとうございました」


 綾乃はぺこりとお辞儀をする。すると天野楓もしっかりと会釈えしゃくをしてくれ、そのまま店内を後にするのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る