第17話 Day33-1

 day33               


 一


 三日後、スイートから連絡があった。フロストさんの目が見えなくなり、【安寧地区】から退居する時が来たらしい。

 私はレーシャに伝えるべきか悩んだが、彼女とフロストさんが一緒に出掛けていた事を思い出し、そのままの事実を彼女に伝えた。彼女は関心があるのか無いのか分からない声色で返事をして、淡々と事実を聞き届ける。最後にフロストさんに会いに行くか聞いたが、会わなくてもいいとのことだ。


 最近、彼女はぼんやりしている場面が多く見られる。『廃忘病』の症状に起因するものだろうか。

 そろそろ本格的に物事を忘れていく頃だ。今まで以上に注意して観察しなければならない。彼女の日課となっている散歩にも、同行する必要があるかもしれない。


 残りの期間は約一月。私はちゃんと彼女の心に向き合えているのだろうか。

 診療にあたる時はいつもそんな漠然とした不安が襲ってくる。患者と向き合うのが干渉医の仕事。その役目を果たせているのか……分からない。過去の患者の中には、私の行いのせいで泣かせてしまった人もいるし、自殺してしまった人もいる。そんな私がなぜ一級干渉医として扱われているのだろう。レーシャが悲しい思いをすることが、私は怖い。


 だが、私は歩みを止めない。干渉医という道を歩む為だけに私は育てられ、そして使命を背負わされたのだから。

 彼女は今も二階で何かをして暇を潰していることだろう。共に居てあげるべきなのか、そっとしておくべきなのか……それすらも分からない。本当に干渉医は掴みどころのない職業だと思う。


「はあ……」


 机に置かれたロストフィルズの書類を見ながら、溜息をつく。


『干渉医という存在にはね、実質的な価値が無いんです。奇病は『世界という怪物』が生んだ闇であって……消すことは出来ない。治すことも出来ない病を抱える人間に、寄り添う価値がありますか? 労働力を割く余裕がありますか? 僕にはあなた方……干渉医が何の為に存在しているのか分からない。』


 父親の言葉が頭の中で木霊する。

 正論だ。何も反論する余地はない。でも、


『ですが、それでも……あなたが干渉医の道を進むのなら、覚えておきなさい。如何なる道であろうとも、夢を諦めないこと。あなたが夢見る理想がその道に横たわっているのなら、必ず辿り着きなさい』


 私の生涯を定めてしまった父の言霊。

 私は干渉医という職に意味があると思う。

 だって、自分が奇病を抱えてしまったら……不安になる。その時に支えてくれる誰かが居てくれたら、私は嬉しい。それだけの意味が。

 論理的な根拠なんて要らない。奇病を持つ人を世界が切り捨てるのは簡単だ。でも、私の理想は患者を切り捨てる道の先には無い。全ての人の心を安寧に導くことは不可能だろうけれど、できるだけ多くの人の心が安寧の内にありますように。それが私の……妥協した理想だ。


 ──これ以上、私が『人の心を助ける道を歩めているのか』について考えるのは止めよう。

 そうしなければ、私は……自分を自分で壊してしまうことになる。

 私は今も、理想を追い続けている。


 二


 消失、消失、消失。

 忘却、忘却、忘却。

 ──喪失。

 白いシルクの布に、金色の糸を通す。

 その度、何かが喪われていく感覚が襲ってくる。針で布に穴を開ける度に、私の記憶にも穴が開いていく。新しい金の色がシルクに加わる度、私の記憶は空白に侵食されていく。


 でも、手は止まらない。紡ぎ、紡ぐ。

 もうすぐハンカチが出来る。これをデートに贈ろうと思う。この地区で作った物は外部には持ち出せないから……あんまり意味はないかもしれない。でも、私にとっては大きな意味があるのだ。

 生まれ変わる私が唯一遺せる物。全てを喪ってでも、遺したい物。


「……ふふ」


 誰かが、笑っていた。

 笑っていた。


 ──私の声だった。


 私はどうして笑っているのだろう。糸を通すのが気持ちいい。喪うのが気持ちいい。デートが喜んでくれる瞬間を想像するのが気持ちいい。


「……あは」


 私の声が聞こえる。

 でも、私って……


「私って、誰だっけ?」


 光なき部屋で、私は一人呟いた。

 ……まあ、どうでもいいか。


 

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