第8話 Day12-1

 day12     


 一


「それでは、行ってきます」


「うん、いってらっしゃい」


 レーシャに手を振って家を出る。

 今日は用事があって彼女に留守を頼むことになった。正直なところ、これから会う相手には会いたくない。あの人と会う時には必ず厄介事を持ち込まれるからだ。

 だが、面会を拒絶する訳にもいかない。あの人は私の上司で、家族でもあるのだから。渋々……本当に渋々、私は出かけるのだった。


 列車に乗り、私が向かったのは一番街。

 ここには他地区からの来訪者用の大使館が置かれている。一番街の駅に降り立つと、そこはやはり白ばかり……なのだが、他の区画と比べれば近代的な技術が多少は見られる。というのも、この地区は精神的な負担を抱えた患者が住むことはなく、主に政府関係者向けの居住区だからだ。

 大使館の前の警備員に許可証を見せ、中へと入る。

 そして廊下を真っ直ぐ進み、三番目の角を右に曲がり、応接室に入る。


「やあスプリング。あなたにしては早いですね」


 座っていたのは、いい歳して黒い髪に紅いメッシュを入れた痛い男。ぼろきれの様な紺色のコートを羽織り、特に意味もなくつば付きの帽子を被っている。懐には何の意味も成さない止まった懐中時計。いかにも奇人といった風貌を持つ男。これでも一応、政府の八人の最高管理者の内の一人なのだけれど。

 私は彼の向かいに座り、溜息をつく。


「はあ……お父さん、急に呼びつけないでくれませんか。こっちも暇じゃないのです」


 男の名をロストフィルズという。父親代わりだった先生が亡くなり、私を引き取った……いわば二番目の父親だ。私の遺伝子を形成し、親権を政府に譲渡した夫婦については、親だとは思っていない。


「いや、僕だって暇じゃありませんよ。まあほら、今回の件はあなたの患者にも関わる話題もあることですし。さて……二つ話があります。医務に関する事と、研究に関する事。どちらが聞きたいですか?」


「医務の話からで」


 彼の口から医務の話が出るのは珍しい。世界に蔓延る奇病に関して、彼は『そうなるべくしてなった』との意見を貫き、世界から奇病は消えることはなく、また医療費も無駄な経費だと主張しているのだが。


 干渉医の存在についても肯定的ではない。頭ごなしに否定している訳では無いが、治療不可能な奇病に向き合う必要はないと主張している。そんな彼が何故、娘である私に干渉医となる事を許可したのかは不明だ。まあ、私が干渉医を辞めるなんてことになったら、実質的に私は死ぬので。身体的にではなく、精神的に死んでしまう。

 干渉医であることが私の生きがいであり、使命だ。逃げたくとも逃げられぬ、使命だ。そんな私の夢を認めてくれている点に関しては、彼は良き親だと言えるだろう。あくまでその一点だけなのだが。


「君の患者……レーシャ・ナーレ・エイルケア・ブラック。彼女の母親から連絡が来てですね。娘に会いたいと言うのですよ」


「それはまた……なぜ」


「なぜでしょうねえ。急に娘の顔でも見たくなったんでしょうか? とにかく娘と会わせてくれの一点張りで……【安寧地区】の患者には一切の外部との接触は認められませんから、困りましたよね」


 傲慢だ。私はそう思った。

 娘を【安寧地区】に収容することを決めたのは親だろう。もしかしたら、記憶を全て失った後も会えなくなって……二度と娘には会えなくなるかもしれない。それを了解した上で親は承諾し、この地区へと送ったはずだ。

 一度は見放した子の顔をもう一度拝みたいなどと……そんなことを言われたら、私は怒る。レーシャは、怒る事すら出来ないのだ。何故なら彼女はもう母親の存在など忘れているのだから。


「お父さんは、そんな言い分が認められると思いますか?」


「いいや、我が儘……ですよねえ。ただ、私も親であるからこそ、分かってしまうのですよ。子供の顔を無性に拝みたくなる気持ちが。事実、私もその衝動に駆られてここに居るわけで」


「お父さんの気持ちはどうでもいいです。私からすれば、レーシャの母親の言い分は納得できないものです。それに、あの娘はもう……親の事も、故郷の事も忘れていますから」


 彼女の『廃忘病』が真っ先に消去したのは故郷にまつわる記憶。つまり、早く忘れてしまいたい記憶の中に親の記憶もあるということだ。

 レーシャの母親が娘を大切に想っているかどうかは定かではないが、少なくともレーシャは母親を好きではなかったということ。

 私が『廃忘病』に罹ったら、産みの親が自分を政府に引き渡したということを真っ先に忘れるだろう。先生の事は最終ステージまで覚えているに違いない。ロストフィルズは……うーん。早めに忘れるかもしれないし、長く覚えているかもしれない。


「そういえば、レーシャの父親は生きていらっしゃるのですか?」


「いえ、父親は一般人でしたから二十年で亡くなりました。お母様は【沈静地区】管理所の中枢補完人ですので、寿命が十五年追加されています」


 この世界では、普通の人に定められた寿命は二十年。社会的地位がある人ほど寿命が長くなる。

 有能な遺伝子の選別とも言えるだろう。干渉医も寿命がかなり長く追加されるので人気の職業ではあるが、試験が厳しく人数自体は少ない。目の前に座るロストフィルズは最高権力者なので、半永久的な寿命を持つ。私でも彼が何年生きているのかは知らない。そして、どのような経歴を持っているのかも公開されていない。


 ただし、レーシャの様に特殊な病を患った場合、最終ステージ到達後に生存する事が出来れば寿命が更に二十年追加される。『廃忘病』は命に影響がない病なので、確実に追加の人生が約束されている。記憶を真っ新に書き換えて、本当の意味で新たな人生を歩み始めることが許可されているのだ。

 一部の患者は追加の人生を諦めて、寿命を終了させる者も居る。例えば、視覚を失ってしまう奇病や、身体が機能しなくなってしまう奇病など。そんな状態で二十年の寿命を追加されても嬉しくない、という人も存在する。


「ふむふむ……では、お母様には諦めていただこうかな。なんとなく、あなたの答えに予想はついていましたが」


「ちょっと待ってください」


 話を締めようとするロストフィルズに、私は待ったをかける。

 少しだけ迷ったが、やはり収まらない気持ちがあった。


「私に……レーシャのお母さんと、話をさせてくれませんか」


「ええ、いいでしょう。ではそのように手配しておきます」


 彼は即答して私の願いを了承した。この返答もまた、彼の想定内だったのだろうか。やはり腹の内が読めない人だ。

 私は母親との面会場を『カフェ・ユリフィドール』に指定する。あまり長くレーシャの傍から離れる訳にもいかないので、向こうからこちらへと来てもらう。もちろん、患者と外部地区の人間との接触は禁止なのでレーシャには留守番していてもらう。少し心配だが、まだ初期ステージなので留守番くらいなら問題ない。


「それと……お父さん。もう一つ良いですか?」


「何でしょう?」


「なぜ一介の医療事務に、あなたが首を突っ込むのですか? あなたは奇病を撲滅する事は断固として不可能だという姿勢を貫いています。そして、『干渉医』という存在にも肯定的ではありません。なのに、どうしてこんな話を持ち掛けてきたのですか? なぜわざわざ【安寧地区】に尋ねて来たのですか?」


 彼が受け持つ政府での仕事といえば、専らが次元分析、及び創世構成の追求と、かなり複雑かつ哲学に近い科学。根っからの科学者気質で、人の心に関する奇病に関心を示さない筈の彼がなぜ。興味の無い干渉医の仕事の用件など、使者にでも伝えさせれば良いだろう。

 私の仕事をサポートすることで、仕事を早めに片付けさせ、研究に手を回させる為か。或いは、レーシャの遺伝子に何かしらの適正が見つかって、記憶を無くした後にスカウト腹積もりでもあるのか。眼前の男は仮にも最高管理者の一人。『干渉医』の仕事という些事に構っている時間もないはずだ。


「はあ……たしかに仰る通り、私は『干渉医』の存在は不要だと思っていて、微塵の興味もありません。医療費の無駄ですし、いくら患者の心に向き合ったとしても利益は出ませんし。しかしスプリング。あなたは何か勘違いをしている」


「勘違い?」


「父親が娘の仕事を助けるのに、何か理由が必要でしょうか? こう見えて、あなたの仕事には定期的にチェックを入れているのですよ。まあ、あなたは俗に言う天才ですから……心配は不要かもしれませんが」


 ──そうか。

 私はたしかに、勘違いをしていた。

 どこか無意識の内に、私はロストフィルズを研究に明け暮れる機構のように断じていた。ある意味ではその通りかもしれないけれど。

 でも、私に心を教えてくれた人が……心を持っていないわけがない。曲がりなりにも、父親。だから、父親としての心を持っていて、娘の私を心配している……当然のことか。


 一般的な家庭では、子供を産んだ親は数年後に寿命で亡くなってしまう。だから、殆どの人は親の愛情を知らずに育ってしまう。そんな社会の歪さを、私は今この瞬間に実感した。立派な親を持つ私は果報者だ。


「いえ、すみません。変な質問をしましたね」


「ええ、あなたはいつも変な質問ばかりします。それに答えるのも父の務めですがね」


「では、この話はここまでにして。二つ目の話を聞かせて下さい」


 私はなんだか恥ずかしくなって、話題を逸らした。視界の端で体温の上昇を告げる通知が過った。見て見ぬふりをする。

 彼は鞄から何かを取り出す。それは……


「これ、追加の研究データです。機密情報なので、紙で。解析終了次第、私の方に暗号で結果を送ってくださいね」


 どっさりとした、紙の束。

 いや、訂正しよう。彼に人の心はない。畜生行政。

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