第7話 Day7-3

 三


 私は水の中に居る。

 いや……実際は、青い液晶に囲まれているのだ。育った環境は、電子の海だった。膨大な世界……いや、大地区のデータを学習して、機構となる為の環境だ。

 私が天才なのには理由がある。そうなるように『育てられた』。


 ところで世界は今、危機に瀕している。何の危機だろうか?

 滅亡の危機ではない。心が死ぬ危機だ。

 度重なる文明の発展・高度化。その果てに在ったのは、異文明との争い。数多の世界が潰し合い、科学が入り混じり、果てには魔術なんてモノも流入して。それから数百年が経った。そして我々の『世界』が誕生した。


 これまで『異世界』と呼ばれていた領域は、全てを管轄する組織により『大地区』と再命名され、全ての地区が一つにまとめ上げられた。もちろん反抗する大地区もあったが、圧倒的に高度な文明を持つ中央地区に敵いはしなかった。

 圧政は反乱を生み、破滅を呼ぶ。その破滅への過程をいずれの世界……いや、大地区も歴史から教わっていた為に、彼らは和解し、一つの共同世界を創り出したのだった。

 だが、問題は絶えない。直接的な破滅を逃れようとすれば、次に迫るは間接的な破滅の魔の手。未だに続いている未制圧の他地区との戦争の影響で、各地区の物資は貧しくなっていき、人々の心は荒んでいった。

 要するに、数多の世界が戦争しているのだ。世界は一つに纏まりつつあるが、まだまだ制圧は完了していない。星の数ほど世界は存在するのだから。


 そして、今から百年ほど前のこと。

 あらゆる地区で奇病が爆発的に流行り始めた。日毎に人格が入れ替わる者、液晶を見ると発狂する者、人を人と認識できなくなる者、記憶を徐々に欠落させていく者……個人によって症状は千変万化。

 原因は不明。治療法も不明。政府は焦りに焦り、とある存在を作った。


 ──『干渉医』。奇病を発症した人間の治療を目的とするのではなく、患者の心と向き合うことを目的とした医者。最初に上がった効果は微々たるもので、奇病の急増で揺れた社会の混乱を収めるには至らなかった。しかし、時間というものは大体の混迷を解消させていくもので。時が経つにつれ、奇病のパターンが分類されてきた。『干渉医』もまたパターン分けされた奇病を学習し、その影響力を次第に大きくしていき、今では社会に必要な職業の一つとなっている。

 別に干渉医の存在が世界を救う訳ではない。奇病に関しての専門的な知識を持つカウンセラーのようなもの。治療法は相変わらず見つかっていないし、患者は増え続ける一方だ。先の見えない絶望の未来に、世界は今も戦慄して立ち止まっている。


 世界は確実に破滅へと向かっている。他の大地区を巻き込みながら、人々の心を殺しながら、緩やかに。世界から心が消える時にはもう、この身は役割を捨てて灰になっているだろうけど。

 寧ろそれで良いのかもしれない。世界の結末なんて見たくはない。悲痛が溢れつつも、優しさが残存する世界が死んでいくのを見るのは辛いから。


 私は、生まれた時から『干渉医』となることを義務付けられていた。

 母親と父親の遺伝子が優れている。ただそれだけの理由で私は政府から親権を買収され、『干渉医』となるように教育を施された。液晶に囲まれ、知能を改良され、あらゆる状況に対応できるように。


 私の寿命が八年程経過したある日のこと。先生……親代わりの人に、こんな質問をした。


『先生、分からないことがあります』


『はい、スプリング。何でしょうか』


『人の心はどのように計測すれば良いのですか?』


 ──叩かれた。

 皮下の神経が害され、痛覚の信号処理が行われる。口語的に言い換えると……頬に、焼けるような痛みが走った。先生の手が私の顔の左側面に迫り、致命傷を与えない程度の威力を持つ物理攻撃を加えた。ただそれだけ。

 でも……その時の私には、先生の心が計測できなかった。

 なぜ質問に対して物理的な攻撃が返ってきたのか。なぜ言葉を以てしての質問に言葉で答えてくれなかったのか。なぜ先生は泣きそうな表情筋を作っていたのか。なぜ先生はそれ以降話しかけてくれなくなったのか。なぜ先生はその数日後に自ら生命活動を終了させたのか。

 なぜ、なぜ、なぜ──


『……ああ』


 先生の遺影の前で、涙を流した時。

 私ははじめて知ったのだ。人の心が測れないということを。

 私ははじめて覚えたのだ。悲しみという感情を。

 私ははじめて考えたのだ。先生にとって、私が如何なる存在であったのかを。


 人の心。其はどうしようもなく、救い難い。

 だからこそ、私は……


『如何なる道であろうとも、夢を諦めないこと。あなたが夢見る理想がその道に横たわっているのなら、必ず辿り着きなさい』


 私は、この宿命に縛られて生きている。


 四


 タイマーで設定した時刻に、覚醒する。

 嫌な夢を見た。昔の事はよく夢に見るのに、最近の事はあまり夢に見ないのは何故だろう。別に最近の出来事が嫌という訳でもないのに。いや、多すぎる仕事は嫌なのだけれど。脳への定着具合が影響しているのだろうか? 最近は良い夢を見る道具に頼り切りだったから、悪夢を見るなんて久しぶりだ。

 薄明がカーテンの隙間から射し込んでいる。そろそろ夕食を作らないと。


 一階に降り、電気を点ける。

 ……いや、なぜ電気がついていないのだろう。レーシャはここに居た筈だ。部屋へ戻ったのだろうか。でも、ソファの上には裁縫道具が置いてある。シルクの布に針が突き刺さったまま放置してある。

 二階へ再び上り、レーシャの部屋を覗いてみるも、殺風景な日当たりの悪い部屋が佇むのみ。

 慌てて玄関へ行き、靴箱を確認する。彼女の靴がない。

 胸騒ぎがして、家の外へ出る。雪についた足跡を辿り、駆ける。足跡は坂の下ではなく、家の西側へと続いていた。

 そこには──


「……あ」


「ん……デート」


 レーシャが居た。屈みこんで何かをしている。

 降り積もる雪の中、彼女はフードを被って家の近くにある木の根元を見つめていた。


「何をしているのですか? 家の中に居ないので慌てましたよ」


「花を見てた」


「花?」


 今の季節は見ての通り冬。

 しかし、紫色の花がこの家の前の坂道に咲いていた記憶がある。彼女の視線の先には、その紫色の花が咲いていた。

 花弁をそっと撫でながら、彼女は言葉を紡ぐ。


「このビオラの花はね、少しの雪までなら耐えられるけど……たくさん雪が積もると耐えきれないの。だから定期的に雪を払いながら……日に当てないと。もうちょっと枯れてるけどね」


「なるほど。レーシャはそのお花のお世話をしていたのですね」


「……世話じゃないよ。『生かしてる』の。本当ならもう死んでる」


 花はくたびれていて、あと少しで枯れ切ってしまいそう。

 彼女はそんな花の環境を必死に整えて、命を長らえさせていた。まるで、【安寧地区】で終わりまで養われる彼女のようだった。こんなことを干渉医である私が言っては、色々と問題があるかもしれないが。


「生かすのも立派なお世話だと思いますよ。親が子供を育てるように、何かを教えるように。親がいなければ、子供は生きていけませんから」


「そっか。じゃあ、私もデートにお世話されてるんだね」


「……いつまでも外に居ると、寒いですよ。早めに家に入ってくださいね」


「うん」


 レーシャは雪を払うのに夢中になっていた。

 あのままでは風邪を引いてしまうかもしれないが、彼女の行動を止める権利は私にはない。彼女の心がそうしたいと言っているのだから、それを尊重しなければならない。

 私は暖かい家の中へ戻り、夕食を作り始めた。

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