第3話 Day2-1

day2                            


 一


 翌朝、私はアラームと共に目を覚ます。

 遺伝子に組み込まれたタイムキーパーが規定時刻を告げ、睡眠を終了させたのだ。窓の外を見たところ、今日は雪が降っていないようだ。私は一階に降りて、レーシャが起きる前に暖房で部屋を暖め、朝食を作り始める。


 ……それにしても、部屋が暖まるのが遅い。この地区は、精神衛生の観点から旧い時代の文明技術が使われていることが多い。あまり物理的現象から乖離し過ぎる文明の機器が周囲にあると、精神を乱す患者が居るためだという。暖房は一般地区に設置されているような空間拡張変温技術ではなく、温風を生成することによって少しずつ暖めていくタイプのようだ。一部の大地区で何百年か前に使われていた技術らしい。


 部屋がようやく暖まったころ、レーシャが寝ぼけまなこで一階に降りてきた。


「……パンのにおいがする」


「朝ごはんです。スープとサラダを付けた簡易的なものですが。今日は午前中に買い物に行こうと思いますが、大丈夫ですか?」


「うん。今日は天気もいいみたい……」


 彼女は窓から空を見上げる。ただ、少し声のトーンが下がったのが気になった。天気が良いことは、普通の価値観からすれば喜ばしいことのはずなのに。いや、私の様な人間が普通の価値観なんて語ることは出来まい。

 椅子に座った彼女にホットココアを出し、少し後に朝食を出した。


「そういえば、買い物ってどこに行くの?」


「まずはこの家のすぐ近くにある八番街に行こうと思っています」


 八番街なら徒歩で行ける範囲内だ。徒歩十五分といったところか。【安寧地区】の地図は昨夜頭に叩き込んだので、大体は把握している。


「そっか。ねえデート……手芸道具って売ってるかな?」


「シュゲイ、ですか?」


「私の趣味の一つだから、暇な時にしようと思って」


 料理や手芸を趣味とするなど、レーシャはとても家庭的で、古い趣味を持つ女の子のようだ。私もそんなに可愛らしい趣味を持っていれば、多少は周囲の人間と関わるきっかけが出来ただろうか。

 私の趣味はもちろん実験。可愛さの欠片もない。


「もしかしたら、手芸道具は四番街まで行かないと見つからないかもです。そうですね……予定を変更して今日は四番街までお出かけしますか」


「うん……!」


 彼女は華やかに笑い、はじめての外出に胸を高鳴らせているようだった。


 二


 列車を降りて、四番街に出る。

 私たちが列車に乗った七番街と違い、店が多く見られる。一応、この【安寧地区】の首都のような扱いになるのだろうか。ここには患者と共に暮らしている『干渉医』の知己も多く住んでいる。

 人通りの多い通りにレーシャは少し緊張した面持ちで、私の後ろをついてきた。


 私たちが訪れたのは、街角にある小さな手芸店。

 中に入ると、心地よい鈴の音と共に、合成繊維特有の揮発性物質の匂い……つまり、石油のような匂いがした。


「いらっしゃいませ~」


 カウンターに座っていた桜色の髪の女性の店員が私たちに応対する。

 彼女はゆったりとした足取りでやって来て、私の顔をまじまじと見つめた。


「えっと……手芸道具を買いに来たのですが」


「はい、手芸道具ですねー。たしかあっちの売り場に……あれ? こっちだったかな?」


 彼女はふらふらと視線を漂わせては店内を動き回る。その最中で、私の後ろに控えていたレーシャの存在に気が付いたようだ。

 レーシャは店員の視線に射抜かれると、それから逃れるようにして彼女と反対の位置に回り込む。そんな彼女を店員が追いかけ、なぜか私を中心にぐるぐる回る応酬が続いた。


「あの、手芸道具……」


「あ、そうでしたね。売り場はたぶんあちらです。ごゆっくりどうぞ~」


 彼女は右の売り場を指し示し、再びカウンターに戻る。

 レーシャは店員から受けた謎の追跡に怯えながらも、売り場へと向かって行った。とりあえず、この店の店員が変な人だと記憶し、私は彼女の後を追った。


 レーシャは手芸用品を一通り見て回った後、必要な道具を選び取る。私は手芸に関してはまったくの無知なので、『この生地かわいいですね』などと当たり障りのない会話をしていた。ただ、手芸用品を選別している彼女の瞳は真剣そのもので、生返事しか返ってこなかった。

 レジカウンターへ選んだ商品を持って行き、私は代金を支払う。まあ、国から支給されたお金だけど。


「お買い上げありがとうございますー。最近この街に越して来られたんですか?」


「ええ、つい昨日。家は七番街にあるんですが、列車に乗ってきました」


「あらあら。それじゃあ、このお店をご贔屓にしてもらえるよう……この生地もおまけしちゃいますねー」


 そう言って彼女は買い物袋におまけの生地を入れてくれた。変な人だが、優しい人でもあるようだ。しかしレーシャは依然として彼女を怖がり、私の後ろに隠れていた。

 店員は座ったまま私の後ろに隠れる彼女を覗き込む。またしても私の周囲をぐるぐる回ると思われたレーシャだが、彼女は逃げることなく店員に会釈した。


「あなた、手芸が得意なんですねー」


「……え?」


「道具の選び方を見てれば分かりますよー。よく裁縫をなされるんですねー」


「あ、ありがとうございます……」


 店員に褒められた彼女はたじたじになって小さく返事をする。

 ただ、最初にここへ来た時のような警戒心は無くなったようで、その後は店員と普通に会話を楽しんでいた。私には手芸の用語が多すぎて未知の言語に聞こえたけれど、レーシャが楽しいならそれで良い。

 店員は店の出口までやって来て、ひらひらと手を振りながら私たちを見送った。


「よかったらまた来てくださいねー」


「……はい、また来ます」


 レーシャは微笑んで彼女に返事をする。この地区でも彼女に仲のいい人ができるのは喜ばしいことだ。この調子で友達をたくさん作ってほしい……私はそう思ったものの、彼女が抱えている病を思い出し、すぐにその想いを掻き消すのだった。もしかしたら、彼女が人と距離を作りたがる理由は、彼女自身の病に起因するのかもしれない。          


 時刻を確認する。ちょうど正午で、お腹が空く時間になっていた。

 どこかで外食しよう……私はそう考え、視界の隅で近場の飲食店をサーチする。店の多い七番街なので、飲食店はたくさん見つかった。ふと昨日レーシャが好きな食べ物は林檎と言っていたことを思い出し、林檎と関連する料理がありそうな店を探す。

 すると、見つけた。『カフェ・ユリフィドール』。

 ランチの他に、各種フルーツのデザートやスムージーを扱っているお店らしい。ちょうど歩いて五分ほどの位置にあったので、昼食はそこで取ることにした。

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