第2話 Day1-2

 夕食を作りたいと思います。


「何を作りましょうか……」


 気が付けば窓からはオレンジ色の光が射し込み、夕刻になっていた。

 レーシャは手持ち無沙汰に家をぐるぐると回っている。私は初日特有のデータ整理を無心で行っていたので、あまり彼女と話してあげられなかった。畜生行政。


「レーシャ、好きな食べ物とか、嫌いな食べ物はありますか?」


 窓から橙色に染まった雪を見つめていた彼女は、急に話しかけられてビクリとしてから返事をした。


「好きな食べ物? ……りんご」


「なるほど、りんごですか。夕食には関係ないですが……明日買いましょうね。嫌いな食べ物は?」


「うーん……うーん……苦いもの。あとはレーションかな」


「ああ、レーションは私も嫌いです」


 ただ単に栄養を補給する為だけの食べ物。人工的な味付けは一部の人には人気だが、私は好きじゃない。

 未制圧の他地区の制圧戦から食料が不足し、政府が強引に作り出した食べ物という歴史も好きではない。まあ、忙しくて十分な時間が取れない時にはお世話になっているけど。


「では、夕食はオムレツで良いですか? 冷蔵庫に用意されていた食材だと、それくらいしか作れるものがありませんが……それとも外食に行きますか?」


「ううん、オムレツが良い。私も手伝うよ」


 そう言って、彼女は張り切ってキッチンへと向かった。

 手慣れた様子で調理器具を準備する彼女を見る限り、料理は得意なのだろう。趣味を患者に行わせることは、心の安定に繋がる。この【安寧地区】に収容される以前、彼女の趣味であっただろう料理という行為を発見できたことは、私にとっても大きなメリットだ。

 フライパンとベラを取り出したレーシャを見て、私は冷蔵庫から卵とバター、ラックから塩コショウを取り出す。

 次に私が卵を溶き始めたのを確認した彼女は、並行してフライパンに火をかけ、バターを溶かし始めた。そして、私はそのフライパンに卵を流し込む。

 阿吽の呼吸、というやつだろうか?

 何も言葉を発することがないのに、着実に料理が進んでいる。二人が的確に役割分担できている分、一人でやるよりもずっと早い。


 そうして淡々と料理を進めていると、彼女がふと口を開いた。

 ほとんどオムレツが完成しかけ、私が形を整えていた時のことだ。


「……葡萄酒がない」


「葡萄酒……?」


 夕飯の際にはお酒を飲む習慣でもあるのだろうか。

 精神的な負担を抱えた患者さんがお酒を飲みたがるのは珍しくはないが。


「……まあ、トマトソースだけでいいか」


 そう言われて、私はようやく彼女が言いたい事に得心がいった。

 料理に趣向を凝らす人の中には、ソースに葡萄酒を使う人もいる。別にお酒を飲みたい訳ではなく、ソース作りに使おうと思っていたのだ。

 私は明日の買い物リストに葡萄酒を付け加えるのだった。


 完成したオムレツにパンやサラダを添えて、今日の夕食が完成。

 こうしてまともに料理をすることは、一部の地区では贅沢で、時間とエネルギーの無駄だとすら言われている。でも、私はこの瞬間が好きだ。きっとレーシャもそうなのだろう。


「いただきます」


 食卓に座ると、彼女はそう言った。

 私はその言葉にひどく驚かされる。『いただきます』……そんな言葉はもうずっと聞いていなかった。元来は食材に感謝を込める言葉だったと記憶しているが、既に辞書からも削除されている筈の言葉。今日日聞かない単語を前に、私は少し固まってしまったが、彼女に合わせて。


「……いただきます」


 そっと呟いた。


 四


 美味しい食事を済ませ、入浴を終えた後。

 すっかり夜の帳が辺りを支配し、寝る時間になった。遠くにある街のオレンジの光と、雪の青い輝きが積み重なって雪明りを生み出している。少し遠くの空がピンク色になった様子を、レーシャは物珍しそうに見つめていた。


「雪を見るのは初めてですか?」


「一回だけ……他地区に行った時に見たことがあるけど、あんな空は見たことがない。夜なのに明るいのって、不思議……」


 カルテのデータには、彼女は【沈静地区】出身だと記載されていた。かなり遠方の地区で私も行ったことはないが、たしかあの地区は気候の乱れがない区域だったはず。雪も、雨も、嵐もない静かな地区。お空が平和なのは良いことだが、年中晴れというのも如何なものだろうか。


「私の故郷はね……いつも晴れているらしい、、、の。草木や花が咲き乱れていて、私も植物の名前をよく覚えていた」


 ──『らしい』。

 故郷を伝聞で語るあたり、『廃忘病』の症状は彼女の故郷の記憶を消し去っているらしい。

 『廃忘病』は忘れたい記憶から順に消去していく。最終的には忘れたくない記憶までも全て消し去ってしまうけれど。

 真っ先に故郷の記憶を忘れているということは、彼女にとって苦い記憶が故郷にはあったということ。私は彼女について触れてはならない話題として、故郷の話題を追加した。


「……レーシャ、そろそろ寝る時間ですよ。夜更かしは良くないです」


 ここ【安寧地区】では七時間以上の睡眠を取ることが許可されている。人間が本来持つ睡眠習慣に従い、適切な睡眠時間を取ることが出来るのだ。

 外部の一般地区では、原則として睡眠時間は二時間程度。それくらい短い睡眠時間でも、十分な体力が確保できるように『福祉』が整えられているからだ。体力は回復しても、心的な疲労は回復しないということを政府の上層部は分かっていないが故の『ありがたい福祉』だ。


「うん……おやすみ、デート」


「はい、おやすみなさい」


 彼女が二階の部屋へ戻ったのを確認して、私もリビングの電気を消して二階の自室へ上がる。

 デスクの電灯を点けて、席に座る。私はまだ寝る時間ではない。まだまだデータの処理や、専門外の研究が残っている。医者なのにパラダイム変化や虚数領域の分析を政府から押し付けられているのだ。畜生行政。

 嫌々ながらも私はデータを処理し続け、夜は更けていった。

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