第11話 Day16-2

 二


 『カフェ・ユリフィドール』の閉店後、後片付けの時間にドールは妻に語り掛ける。


「そういえば、今日はデートさんが来ていたな。レーシャさんとは一緒じゃなかったみたいだが……」


「レーシャちゃんの母親と会っていたわよ。娘に似て、とても綺麗な人だったわ」


「へえ、母親か。珍しいな」


 レーシャの年齢で親が生きていることは珍しい。通常の人間は二十年が定命なので、地位の高い親を持つ者しか、十代以降に親の顔を拝むことは出来ないのだ。

 ユリフィドール夫妻もまた、あと三年程で寿命を迎えることになっている。この世界の人間は、短すぎる寿命を当然のように受け入れていた。


「ユリフィ、そのボトル取ってくれ」


「はーい」


 料理に使う醤油を容器に移し、保存する。いつも通りの、何気ない日常。夫妻はこうして一日を終え、寿命を終えるその時まで、こうして過ごし続けていく気でいた。


「あなたは、ご両親のことを覚えてる? 私はね……少しだけ覚えているわ。外で追いかけっこをした記憶があるの」


「俺は覚えてないかな……物心ついた時には、養成所に居た」


「そう……でも、養成所の人たちがあなたにとっては家族だものね。そのおかげで私とも出会えた訳だし、良い事ね!」


「はは、そうだな」


 元『干渉医』ドール・アトラトは妻の言葉に笑いながら返事をした。

 彼が育ったのは『干渉医』の養成所だった。スプリングデートと同じく、干渉医となる為に育てられ、才覚を形成された人物。

 今は干渉医を引退し、こうして【安寧地区】でカフェを経営している。かつての医務でユリフィに出会い、結ばれて干渉医を引退したのだ。


「私の『孤心病』もあなたが治してくれて、家族になってくれて。私は幸せだわ」


 『孤心病』は、自分を愛してくれる人が存在しない限り、常に自分が孤独だと苛まれる奇病である。干渉医であるドールは彼女の心と向き合い続け、結婚を決めた。


「そうだな、俺も幸せだ。もしも俺が君に出会わなかったら……どうなっていたんだろうな。今も干渉医を続けてたのかな」


「きっとそうよ。でも、私と出会うのが最良の道だったと思うの!」


「ま、そうだな。俺の本心では干渉医を辞めたがっていたし……」


 彼は銀色のレードルに映る自分の顔を見つめながら呟いた。


「あら、どうして?」


「いや、心が病みそうだったんだ。色々な患者と向き合っていたが……どの患者も後ろ向きな気持ちでな。俺の心までも闇に侵食されそうだった。君みたいに元気な人と出会えて、俺が愛してやらないと……って思うと同時に、俺も救われた気がしたんだ」


「そう……やっぱり干渉医って大変なのね」


「そうだな。デートさんは凄いと思うよ」


 ふと、彼が紡いだ言葉の意味がユリフィには分からなかった。干渉医の話と、スプリングデートの話が繋がっていないと思ったのだ。何の脈略もなく出てきたデートの名に、彼女は首を傾げる。


「どうしてデートさんの名前が出てくるの?」


「ああ、話してなかったな。彼女は干渉医なんだよ。レーシャさんは患者だろうな。俺と同期で……と言っても、彼女は俺のことなんて知らないだろうが。養成所内でも屈指の天才として、常に成績トップを取り続けていたのがデートさんだ。他人に関心を抱いてなくて、俺の顔なんて知りもしないだろうから、こっちが一方的に知っていただけだ」


「へえ……! デートさんって干渉医だったのね! なんだか親近感が湧いたわ!」


 ドールの脳裏に、黒髪の少女の姿は鮮烈に焼き付いていた。どれほど努力しても届かない存在。養成所内で、唯一超えられないと悟った人。彼女を見た時、彼は一級の干渉医となることを諦めた。一級干渉医とは、あのような怪物がなるものだと。そう悟った。

 管理者のコネで入ったとか、彼女には心が無いだとか、自分の父を自殺に追いやっただとか……彼女に関しては、嫉妬から来るくだらない噂が流れていたものだ。彼女自身はそんな噂を歯牙にもかけず、嫉妬する干渉医の卵たちを押しのけて行ったが。

ドールには、嫉妬する気すらも起こらなかったのだ。世界を変えるような人間を、自分とは住む世界が違うような人間を見て、ただ感心した。


 今はそれで良かったと、そう思っている。

 無駄に彼女の天才に執心して、干渉医の道を突き進んでいれば……ユリフィと出会うことは出来なかった。干渉医に許される長寿からもリタイアして、彼は妻と共にこの世界から消えていくことを選んだのだ。彼らは幸福であった。

この世には幸福であることを許されぬ者がごまんと居る。もしも彼が干渉医の道を進んでいたとして、幸福な生は享受できていないと断言できた。


「よし、片付けも終わりね! 今日も良い一日だったわ」


「よし……一階の電気消すぞ。明日も早いからな」


 穏やかに、幸福に。彼らはこの世界から欠け落ちていく。 


 三


 『カフェ・ユリフィドール』を出て、四番街の通りへ出る。

 これでアイリスさんとの話は終わりだ。彼女はもうレーシャに会えない事を受け止め、故郷に帰ろうとしていた。辛い現実を突き付けてしまったが、これもレーシャの為だ。


「今日はありがとうございました。娘をよろしくお願いします」


「はい。お任せください」


 駅の方面まで歩き彼女を見送る。その中途のことだった。

 通りかかったのは、手芸店。私がレーシャと初めて四番街へ訪れ、入った店だった。

 店の扉が開き、そこから一人の少女が顔を出した。隣を歩くアイリスさんと同じ白い髪に、翡翠の瞳。彼女と目が合った。


「……アイリスさん。ここで待っていて下さい。絶対に彼女に話しかけないように」


 アイリスさんはどうして良いのか分からず立ち止まっていたが、私は彼女に忠告する。患者と外部の人間の接触は禁止されている。彼女はおずおずと頷き、一歩引き下がる。

 私はレーシャの元へと歩み寄り、何事もなかったかのように言葉を投げかけた。


「レーシャ、ここに来ていたのですね」


「うん、糸が欲しくなったから。後ろの人は仕事の人?」


「ええ……そうですよ。私はまだ仕事があるのでこの街に残りますが……一人でもちゃんと帰れますね?」


「ふふっ……デートは心配症だね。一人で来れたんだから、帰りも大丈夫だよ。それじゃあね」


 彼女は手をひらひらと振って、駅の方角へ歩いて行った。手芸店で買った袋を、髪と共に揺らしながら。

 アイリスさんは次第に小さくなっていく彼女の背を黙って見つめている。

 そして彼女の姿が見えなくなってから、茫然として呟いた。


「あの子があんなに笑っているところ……久々に見ました。数年前からすっかり笑わなくなっていて……やはり先生に預けて正解だったのですね」


 彼女は寂しそうに、そして嬉しそうに呟いた。

 私には掛ける言葉が見つからない。何と言ってよいのか煩悶としている間に、彼女は告げる。


「ごめんなさい、先生。きっとあの子が『廃忘病』を患ってしまったのには、私にも原因があるのでしょう。どうかお願いします……あの子を幸せに導いてあげて下さい。私には出来なかったことですから」


「……分かっています。必ず役目を果たします」


 重い役目を背負っている。今までの医務、成功もあれば失敗もあった。私は人を幸せにする権利と、不幸にする権利を同時に持っている。選ぶことは出来ないけれど、幸せにする確率を上げる為の努力は出来る。

 失敗は許されない。不幸にしてきた患者がどれほど悲惨な道を歩むことになったのかを知っているから。そして、私が本当の意味で失敗を認めた時……私の心も無事では済まない。道を、夢を、諦める訳にはいかないのだ。


「それでは、私は娘とは別の道で帰ります」


「はい、お疲れ様でした」


 私はアイリスさんを見送り、帰路につく。

 一つの確固たる決意が、私の想いに宿った。


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