第12話 Day16-3
四
……眠れない。
夜中、私はベッドの上でひたすらに瞳を閉じていた。暗闇がただ視界を覆いつくすばかり。だが、なかなか眠気が襲ってこない。カフェインを取った覚えはないのにな。しっかり睡眠を取らないとデートに怒られてしまう。
「…………」
もどかしい……睡眠剤があれば良いのに。健康によくないという観点から、この地区では睡眠導入の補助道具は使用を禁止されている。眠れなくて睡眠時間が削られる方が健康に良くないと思うよ。
この部屋は日当たりが悪いので、一切明かりがない。真っ暗な闇が、かえって私の心を落ち着かせるのだ。落ち着いているのにも関わらず眠れないとはどういうことなのだろうか。先程からずっとシーツと衣服の擦れる音だけを聞いて、瞼が作る黒い視界を見続けている。時折目を開けては、底知れぬ暗闇を見つめるのだ。昔は暗闇に潜んでいるらしい幽霊が怖かったものだが、今は怖くない。むしろ居るなら会ってみたいものだ。
幼少の砌、私は大人しい子供だった。今でもうるさい人間ではないと思うけど。瞳を閉じながら、昔の事を思い出す。もう故郷の事も、家族の事も、なんにも覚えていないのに……本当に幼い頃の出来事は少しだけ記憶に残っているのだ。人の顔、住んでいた場所、読んだ本。全て覚えてはいないが、記憶の断片が時折脳裏に過る。
そうして想いを巡らせている内に、一つの光景が浮かんできた。
光だ。白と金色の光が紫紺の色の中で綺麗に輝いていた。あれは……そう、私が四歳だったか、五歳だったかの頃。一人で丘の上に登ったのだ。そんな状況に至るまでの経緯と、それを終えての顛末は覚えていないが。
丘の上で見た光景は、夜空にたくさんの星々が散らばっている光景だった。私の故郷は曇ることが無かったらしいから、その影響で星空がいつも輝いて見えたのだろう。その光景はあまりにも美しくて、幼心に憧憬を抱いたものだ。陽の光は嫌いだが、星々や月の灯りは好きだったなあ。まあ、その夜の光も太陽の光を反射しているというのが皮肉な話だけど。
大地区によって空の景色は異なる。多くの地区では水面を反射する青空があって、時には曇って、そして夜になれば陽光を失ってしまう。大体の地区では雨が降ったり、雪が降ったり、すごく強い風が吹いたり、雷が落ちたり。ごく少数の一部の地区では粘液が降ったり、石が降ったり、暗闇が降ったり。まだまだ見たことの無い空模様は無数にある。
……そういえば、この【安寧地区】の空ではどんな星が見えるのだろう。時折見上げることがあるが、大抵は雪が降っていて明るい空が見えるだけだ。でも、ごくまれに晴れる時があるらしくて、その時には夜空を見上げてみたいな。
ふと、私は思い立つ。ベッドからするりと抜け出すと、凍えるような寒さが身を襲った。
無性に夜空が見たくなったのだ。どうせいつも通り、雪が降っている明るい空で、目新しい光景は見えないのだろうけど、眠れないから。それに、ベッドから出て寒さを味わってしまった所為で、余計に目が覚めてしまった。
身を縮めながら、自室のドアを開く。私は西側の日当たりが悪い部屋で、デートの部屋は中央の部屋。中央のドアの隙間から明かりは漏れていない。流石に眠っているようだ。時折、夜中に目を覚まして部屋を出る日があるが、深更に及んで仕事をしている事がある。デートは偉い人だけど、大変な人でもあるのだ。だからこそ、私の好奇心による行動なんかで彼女を起こす訳にはいかない。
足音を殺して私が目指すのは、東側の部屋。私の部屋とは対照的に、あの部屋は日当たりが良い。昼間ならば死んでも居座りたくないような部屋だが、夜はあそこで寝るのも良いかもしれない。でも、朝日に照らされた状態で目を覚ましてしまうのか。それは最悪な起き方だなあ。日陰で、じっとりとした部屋で目を覚ましたい。そう考えると、やっぱり眠るのも西側の部屋でいいやと思った。
東側の部屋へ入ると、雪明かりが室内を照らし出していた。家具はほとんど置かれておらず、棚が一つと、テーブルが一つ。
私は窓に歩み寄り、空を眺める。
「あれは……」
明るい桃色の夜空に一つ、光が瞬いていた。
エメラルド色の、大きな光だ。はじめて見るこの地区の星だ。どうしてあの星だけが見えるのだろう。数多ある星の中で、あの星だけが自己主張をして夜空を占領している。雪すらも押しのけて、まるで晴れの夜空に輝くように居座っている。分厚い雪雲を貫いて、地上まで光を届けているのだろうか。
その星を眺めていると、とある景色がフラッシュバックする。そう、あの丘で見た夜空だ。丘で見た星は金色の星だったが、どちらも負けず劣らず綺麗な光を湛えている。私が幼少期に見たあの星の名前は、ケリュテュア。あと何万年後かに爆発してしまうらしい。
星にも終わりがある。ずっと、ずっと続くかと思われるこの大地も、やがて死んでしまう。まあ、そうなれば政府の指示の下に別の大地区へ避難するだけなのだけれど。
終わらないモノなんて存在するのだろうか。エメラルドの星を見ながら、私は考える。
宇宙だとか、神様だとか、運命だとか、パラレルワールドだとか。こう言う規模が大きすぎることや観測不可能なことを考えると、自分の事がちっぽけに思えて、全てがどうでも良くなると言う人が居る。
──私は違った。
測り知れぬモノに想いを馳せる時、私はそれに触れたいと思うのだ。見たい、知りたいのではなく、触れたい。この手で、身体で感じたい。温もりは持っているのかな。触れたらどんな反応が返ってくるのかな。
幽霊も、妖怪も、カミサマも。この手で触れてみたい。それが運命だとか、世界だとか。実体のないモノであっても、私は感じてみたい。触れてどうしたいのか……自分でも分からないけど、とにかく触れてみたい。私みたいな歪んだ人間が、カミサマに触れることなんて許されないと思う。でも、きっと未知のモノを前にした時──私は衝動を抑えきれないだろう。
好奇心は猫を殺す。どこの地区のことわざだっけ。
きっと、あのエメラルドの星もいつかは終わりを迎えてしまう。あんなに光り輝いて、自己を主張しているのに。
そう考えるとなんだか虚しい気持ちになってきて、私は目を逸らした。逸らした先には、仄暗い闇。
「……おやすみなさい」
その言葉は誰に告げたものなのか。
自分でも分からなかった。
ようやく襲って来た眠気に気付き、私は夜闇を縫って自分の部屋へ戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます