第19話 Day36-1

 day36                


 一


 結局、ユリフィさんとドールさんには事前に話を通しておく事にした。二人にはレーシャが『廃忘病』であることを伝え、レーシャの名を呼ばない様にお願いしたのだ。ここが【安寧地区】だけあって、彼らは理解があって助かった。

 四番街へと赴き、『カフェ・ユリフィドール』の扉を開ける。心地よい鈴の音がカランカランと鳴って、中から人々の話し声が聞こえてくる。そして、仄かに甘い匂いが漂った。


「あら、二人ともいらっしゃい!」


 カウンターでコップに水を注いでいたユリフィさんが私達に視線を向けた。

 彼女はにこやかに笑い、私達を以前座ったカウンター席へと通す。


「お久しぶりです」


 レーシャがこの店へ訪れるのは一ヶ月振りとなる。私は彼女の母親と会う際に訪れたが……その時はあまり夫妻とも話さなかった。

 彼女はユリフィさんと仲睦まじい様子で話し、二人の会話に違和感はなかった。まだ【安寧地区】で出会った人との記憶は欠落していないようで一安心だ。

 メニューを見て、二人で注文する品を決める。レーシャが忘れている料理の名前があったので、彼女が苦手な料理を注文しないように教えながら。彼女が好きな食べ物、苦手な食べ物は殆ど記録している。それも私の仕事だ。


 しばし悩んだが、ランチセットのパスタを注文した。もちろん、パスタを食べ終えれば果物を使ったデザートは食べる。


「やっぱりこのお店の料理はおいしいね」


「そうですね。ドールさんの料理の腕は見習いたいものです」


 『カフェ・ユリフィドール』では、ユリフィさんが接客を担当し、ドールさんが調理をしている。ドールさんは基本奥に籠っていて、話す機会が少ないのだ。


「あらあら、旦那に伝えておくわね。きっと喜ぶわよ? あの人、料理の腕を褒められるのが好きなんだから」


「へえ……そうなんだ。私も料理を褒められると嬉しいかも」


「うんうん、そうでしょう? 私があの人と出会ったきっかけも料理でね……」


 そうしてユリフィさんの話を聞きながら、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。



 デザートを食べている最中の事。一件の連絡があった。ロストフィルズからだ。この【安寧地区】では通信の類が制限されている。管理者権限を使ってまで連絡の通信を送ってきたということは、大切な要件なのだろう。


「すみません、ちょっと席を外しますね」


「はーい」


 幸せそうに林檎のデザートを食べるレーシャに一声掛け、一旦店の奥にある無人のエリアへ行く。そして、ロストフィルズからの通信を開始した。


「はい、スプリングデートです」


『ああ、スプリング。仕事中にすみません。どうしても今、連絡が必要でして』


「分かっています。それで、ご用件は?」


『前にお渡ししたデータの……六十一番ですね。アレのデータを今すぐに転送していただきたいのですが。暗号化などはしなくて良いので、今すぐに』


 何かしらの事由によって必要になったのだろう。あのデータは別にそこまで機密性の高い内容ではなかったので、ネットワークに乗せて送信しても問題ないだろう。


「分かりました。ただ、確認と承認に時間が五分ほど掛かりますので、少々お待ちください」


『はい、待っていますよ。それでは』


 そして私は通信を切り、すぐにデータを探す。読み込み、不備が無いことを確認した上で、ロストフィルズに送信。

 一連の作業が終わったのは計算通り五分後のことだった。レーシャを待たせてしまった。ユリフィさんという話し相手が居るので退屈はしてないとは思うが、すぐに戻ろう。


「あれ……すみません。レーシャは?」


 席に戻った時、そこにレーシャの姿は無かった。

 カウンターで仕事をしていたユリフィさんが私の質問に答える。


「レーシャちゃんなら、役人の人について行ったわ。『デートには先に帰るように伝えておいて』って言い残して」


「え……?」


 それは……あり得ない。

 【安寧地区】においては、政府の役人であろうとも許可なき者は患者に干渉することは禁止されている。それに、干渉医の許諾なく患者を連れ出す事など考えられない。


「そ、その人は本当に政府の役人だったのですか?」


「ええ、管理者の許可証を持っていたわ。念の為に読み込みしてみたけど……間違いなく本物の許可証だったわ。デートさんの知り合いだと思ったんだけど……違うの?」


「いえ……すみません。会計、これでお願いします。これで失礼します」


 会計を一方的に済ませ、私は即座に外へと駆け出す。


 ……何が起こっている?

 誰がレーシャを連れ出した?なぜレーシャは素直について行った?記憶を失っているとはいえ、彼女はそう易々と誰かを信用する人間ではない。警戒心と論理性のステータスは高く、感受性も高い。彼女を連れ去った役人とやらが、少しでも不審な点を持つ人物であれば、良からぬものを察知するだろう。

 残念ながら、彼女にGPSは付いていないので、場所を特定することは出来ない。まだそこまで遠くへは行っていない筈だ。

 どうすれば良い?とにかく、まだ遠くへは行っていないはずだ。探さないと。


 闇雲に走っている内に、手芸店へと辿り着いた。

 この店の店員はレーシャの知己だ。もしかしたら姿を見ているかもしれない。


「いらっしゃいませ~」


 桜色の髪を持つ店員は相変わらず間延びした声で私を迎え入れた。

 しかし、今は彼女の緩慢な調子に合わせている暇はない。


「すみません、レーシャを見ませんでしたか?」


「ああ、あの白い娘ですか? さっき駅の方面に歩いて行きましたよ。誰かと話しながら歩いていた気がしますけど……」


「その相手はどんな人でしたか?」


「うーーん。すみません、覚えてませんね~」


「……っ。ありがとうございました……!」


 再び私は四番街を駆け出す。レーシャが駅へと向かったことは分かったが、それは同時にこの四番街を離れることを意味する。無数にある街の中から、特定の一人を探すのは容易ではない。どうにか手がかりを見つけないと……!


 私は考える。考える。考える。

 レーシャが容易に人を信じてついて行くとは考え難い。それに、管理者の証明書を役人は持っていたという。管理者の証明書は特殊な製法で作られている為、偽装できるとも考え難い。


 考える。天才として育てられた頭を使え。無駄にある知性で考える。

 直前、直後に何か変わったことは無かったか? そもそも、何の為にレーシャは連れて行かれた?


「…………」


 私の頭に一つの可能性が過った。

 考えれば考えるほど、否定したいその可能性が現実味を帯びていく。

 ……レーシャではない。私が追うべきは──

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