第32話 部屋
アメリアは、おでこに誰かのひんやりとした優しい手が触れるのを感じて目を覚ました。
「悪い、起こしたな。具合はどうだ? 何か飲むか?」
ジェラルドの黄金色の瞳が心配そうに揺れている。
アメリアはふかふかのベッドに寝かされているようだ。部屋が明るいので夜が明けたのだろう。深夜に馬車に乗って王宮に向かっていたはずだが、アメリアには、その後の記憶がない。
「ここ、どこ?」
アメリアはぼんやりとしたまま、周囲をゆっくりと見回した。淡いオレンジ色で彩られた部屋は、知らない部屋のはずなのに何だか安心する。
「お前の部屋」
「え?」
ジェラルドを見上げるが明後日の方を向いている。
「どうでもいいだろ」
アメリアにはジェラルドの言動の理由がよく分からない。ただ、頭がぼーっとしていて、ジェラルドの言葉に同意してしまうくらい何かを考えるのが億劫だ。
「お前、過労で倒れたんだ。ここは安全だから安心してゆっくり休め。お前の護衛もちゃんと側にいる」
ジェラルドの言葉は投げやりなのに、アメリアの髪を撫でる手はとても優しい。アメリアは安心して再び眠った。
次に目が覚めたときに、そばにいてくれた侍女の話によると、アメリアが寝ているこの部屋は、どうやら皇太子妃の寝室らしい。隣の部屋は、もちろん皇太子ジェラルドの寝室だ。
様子を見に来たジェラルドは、平然と「何かあったらいつでも隣の部屋に来い」と言ってきた。しかし、アメリアはただの辺境伯令嬢だ。将来、皇太子妃になる予定ではあるが、王族の居住区の、ましてや皇太子妃の部屋を使っていいはずがない。
アメリアはそう思って、ジェラルドに「この部屋を使っていいのか」と何度も確認してしまった。
「いずれお前の部屋になるんだし、問題ないだろ」
そう言ったジェラルドの耳が赤い。つられてアメリアも真っ赤になってしまった。
「「……」」
陛下の許可はあるのかとか、結婚前だからとか、考えなきゃいけない事はあったのに、部屋が心地よくてアメリアは気づかないふりをした。
実際、隣の部屋にジェラルドがいると思うだけで、アメリアは不思議とよく眠れた。
アメリアが皇太子妃の部屋で1週間ほどを過ごし、体調がすっかり良くなった頃には、すべてが解決していた。
「ジェラルド、私、なんの役にも立てなくてごめんね」
「おかげで安心して仕事が出来たよ」
「ちょっと! どういう意味!?」
説明しに来てくれたジェラルドに、アメリアがしょんぼり謝ったら、失礼な事を言われた。そのやり取りは通常通りだが、詰め寄ったアメリアをさりげなくジェラルドが避けるので、なんだか寂しくなる。
今日も2人で並んでソファーに座っているのに、ジェラルドはアメリアに触れようとしない。
不安に思ってジェラルドを見上げるが、アメリアの気持ちを置き去りにしたまま、ジェラルドは淡々と事件の結末を語りだす。
賭博場に関わっていた者たちを拘束したジェラルドたちは、事の発端となった武器も無事に押収したようだ。
皇弟は皇帝陛下の追求に罪を告白した。その中には、アメリアに対する2度の襲撃も含まれていたらしい。
詳細は教えてくれなかったが、皇弟は亡くなり病死として処理されるのだという。国が乱れる事を避けるためにも、皇弟が謀反を起こそうとした事実は隠される。
「これ、アメリアが書いたのか?」
話が一段落して、アメリアが紅茶を入れなおしていると、ジェラルドが机の上に置きっぱなしになっていた資料を引き寄せた。
時間はたっぷりあったので、アメリアが騎士団に所属していた間に気になっていた事をまとめた資料だ。あの頃、ジェラルドに伝えたいとアメリアが思っていた事が書かれている。
「ジェラルドは忙しそうだから、落ち着いたらヴィクトルお兄様に渡そうかと思っていたの」
「見てもいいか?」
「うん」
アメリアが頷くとジェラルドがペラペラと資料をめくる。
「警備騎士団でね、文官みたいな仕事をしていたの。その時に扱っていた報告書を真似して書いてみたんだけど、どうかな?」
「病み上がりなのに無理するなよ」
ジェラルドが心配そうにアメリアの顔を見つめる。いつもなら、頭を撫でてくれるのに、ジェラルドの手は膝の上で固く握られたままだ。
「体調は問題ないわ。私にも出来る事があるならやりたかったの。守られてばっかりじゃ悔しいじゃない。でも、私みたいな素人が感じた事だし、大したこと書けなかったけど……」
「いや、ちゃんと書けてるよ。この警備騎士団側の入口に立っている近衛の制服で王族の不在が分かるっていうのは盲点だった。身内だから油断していたが、入隊試験でも行けてしまうなら改善しないとな。他のもすぐには無理だが検討してみるよ」
「もう全部読んだの?」
アメリアからみると、ジェラルドが資料を開いていたのは一瞬のようだった。
「報告書を読むのはなれてるからな。これ、預かっておくな」
「うん、ジェラルドはやっぱりすごいのね」
アメリアが尊敬の眼差しで見つめると、ジェラルドがちょっと恥ずかしそうに視線をそらした。
「お前も十分すごいよ。これは完全に抜き打ちの監査だ。何年かに一度隠密部隊にやらせてもいいかもしれない。やっぱり辺境伯の娘だな。これからは、もう少しアメリアにもちゃんと話をするように気をつけるから、無茶はするなよ」
アメリアが頷くとジェラルドもホッとした顔をした。
「今後のことだけど、残党の排除にはもう少し時間がかかる。それが落ち着くまではこの部屋から出ないでほしい」
いつもなら不満を口にしてしまいそうな過保護な言葉だが、アメリアはすぐに了承した。過労で倒れて心配をかけてしまったので、ジェラルドが安心出来るように過ごしたいとアメリアも思っている。
「もう、仕事に戻るでしょ?」
「いや、まだ大丈夫だ」
「そうなの?」
あまり長く引き止めるのも良くないと、アメリアは立ち上がろうとしたが再び腰をおろす。
ジェラルドはただ黙って紅茶を飲んでいる。アメリアが名残惜しくてジェラルドを呼び止めることはよくあったが、ジェラルドがこんな行動をとるのは本当に珍しい。それに、アメリアに触れないようにしているのも気になる。側にいたいと思ってくれているみたいなのになぜだろう。
「ジェラルド、あんまり無理しないでね」
皇弟の事をジェラルドが慕っていた事は、アメリアもよく知っている。今回の騒動解決の責任者はジェラルドだ。皇弟の死にも立ち合ったのかもしれない。どんな思いでジェラルドはその事を受け止めたのだろう。
アメリアはジェラルドに話してほしいと思う。でも、ジェラルドがアメリアに弱音を吐きたくないだろう事も想像ができた。
(気づかなければ、強引に聞き出すこともできるのに……)
アメリアは言葉をかける代わりに、隣に座るジェラルドの腕を抱きしめて、大きな手をギュッと握った。
ジェラルドがアメリアの突然の行動にピクッと驚いたように肩を揺らす。
「いつでも甘えていいって言ったじゃない」
アメリアが言うとジェラルドも黙ってアメリアの手を握り返してくれてた。
それからしばらく、アメリアはジェラルドの手から伝わる温もりを感じながら黙って過ごした。ジェラルドの手を握っていると、アメリアはそれだけで安心する事ができる。ジェラルドも同じように感じてくれればいいなと、アメリアは祈るような気持ちでジェラルドに寄り添った。
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