第2話

― 1週間後 ―


 シャルト王国の南端に位置するペンブローク辺境伯領の中心には、優美さとは無縁の無骨な城が建っている。かつては、隣り合う国との争いにより、戦場と化すことも多かったこのお城には、あちこちに当時の厳しい戦いを想起させるキズ跡が今も残されていた。そんなお城の中庭で、今日も模擬戦が行われている。


 少しでも剣を握った事のある者であれば、警戒してしまうような男たちが模擬戦を囲むように集まっているが、流れる空気は穏やかで優しい。我が子を見つめるように、あるいは憧れのまなざしで男たちは模擬戦を見守っていた。


 その視線の先にいる人物は、ミルクティー色の艷やかな髪を後ろで三つ編みにし、クリクリと大きな紫色の瞳をきりりと引き締めて剣を構えている。スラリとした美しい立ち姿は一見すると貴公子のようではあるが、ペンブローク辺境伯の長女、アメリア・ペンブローク辺境伯令嬢である。





「お嬢様、攻めて来ないのでしたら、こちらから行かせて頂きますよ」


 アメリアに対峙する男は構えも取らずにいるが、アメリアは攻め入る隙をみつけることができない。男から軽く殺気が放たれるだけで、アメリアの背中に嫌な汗が流れ落ちた。


「フウ隊長、そんな殺気を放ったらお嬢様から攻めるなんて出来ないですよ」


 見学していた黒髪の青年が無表情でヤジを飛ばす。


「お嬢様、加勢しようか?」


 隣に座る赤髪の青年が警戒心を抱かせない柔らかい微笑みを浮かべ、短剣をクルクルと回していた。


 アメリアは2人の言葉には反応せずにわざと殺気を立てているフウを睨みつけた。このまま時間を浪費すれば、殺気に飲まれてしまうだけだ。アメリアはそう判断して地面を蹴って走り出す。 


 得意の短剣を2つ放って隙を狙うが、なんの予備動作もなくフウに軽々と避けられてしまう。アメリアは完全にお手上げの状況だったが、どこからか飛んできた3つ目の短剣をフウが避けきれずに剣で払った瞬間に間合いをつめた。


(ちょっとずるいけど、いけるかも!)


 アメリアが長剣を振るおうとした次の瞬間、視界が反転し目の前に剣が突きつけられていた。


「ここまでにしましょう、お嬢様。いつもお伝えしておりますが、相手と実力差がある場合には時間をかけてはいけません。お嬢様の人懐っこい笑みは最大の武器です。剣を握った事もないだろうと相手が油断しているうちに終わらせるようにして下さい」


 フウは剣を鞘に戻す。汗一つかいていないのがちょっとだけ悔しい。アメリアは立ち上がれなくて、肩で息をしながら空を見上げた。ペンブローク辺境伯領は、今日も雲一つない青空が広がっている。 


 ビュン ビュン ビュン


 平和を切り裂くような小さい音が3つしてアメリアは慌てて身体を起こす。


「トビ、短剣はお返しします」


 アメリアが音のした方に視線を向けると、赤髪の青年、トビの足元に短剣がきれいに3つ並んで刺さっていた。先程、トビがアメリアに加勢したため、フウが投げつけたのだろう。


「ハンデは必要でしょ、隊長。実際にお嬢様が隊長レベルの人間に襲われたとしても、俺がなんとかするからお嬢様が戦う必要なんてないしね」


 トビは何もなかったかのように爽やかな笑顔で足元に深く刺さった短剣を引き抜いている。アメリアがその様子をぼんやり眺めていると目の前に手が差し出された。


「お嬢様、今日は城下に行くご予定でしたよね。そろそろ参りましょうか?」


「うん、ありがとう、クロ」


 黒髪の青年、クロに手を借りてアメリアは立ち上がる。アメリアが服についた砂をはらっていると、模擬戦を見守っていた男たちが集まってきて、次々と労いの言葉をかけてくれる。アメリアが一人一人にお礼を言うと、皆、笑顔でそれぞれの訓練に戻っていった。


「フウ先生。今日もありがとうございました」


 アメリアはトビに説教を続けているフウを呼び止めてお礼を言う。トビを睨みつけていたフウは、表情を緩めてアメリアの方に向き直った。


「どんなに訓練をしても、まずは逃げる事が重要です。その事は忘れないでくださいね」


「はい、先生!」


 アメリアの返事にフウは静かに頷く。結局、兄たちとは違いアメリアは辺境伯軍の戦力とは考えられていない。それは悔しいことだが、認められるほどの実力がないのも事実だ。


(もっと、鍛えないとね)


 アメリアはフウに辞去の挨拶をすると自分の部屋に向かって歩き出す。そんなアメリアのあとをクロとトビがいつものようについてきた。


「お嬢様、どうぞ」


「ありがとう」


 アメリアはトビから先程の短剣を2本受け取ると、それぞれズボンの隠しポケットに戻した。 


「トビ、まだ話が終わってませんよ」


 背中から殺気だったフウの声が追いかけてくる。アメリアは自分に向かっていない殺気なのに背筋が凍りつきそうになった。模擬戦でアメリアに向けられたフウの殺気は、かなり手加減されたものだったのだろう。


「俺にはお嬢様を守る大切な仕事があるので、失礼しまーす」


 トビは殺気をまともに受けてもヘラヘラと笑っている。アメリアは残された隊員たちがフウに八つ当たりされないよう祈りながらその場を後にした。

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