第15話 出会い

 アメリアが初めて王宮を訪れたのは8歳のときだった。他の貴族よりかなり遅いのだが、それはこの歳までアメリアが領地を出た事がなかったからだ。辺境伯がアメリアを溺愛し領地に隠していたためなのだが、国内で絶大な力を持つ辺境伯でなければ許されなかったことだろう。


 そんなアメリアが王都にやってきたのは、ジェラルドとの婚約が正式に決まり顔合わせをするためだった。流石の辺境伯も婚約の場に本人を連れて行かないわけにはいかなかったのだろう。


 アメリアが婚約のための謁見を翌日に控えて、王都の辺境伯邸の自室でくつろいでいると、辺境伯がやってきた。


「これからヴィクトルに会いに行くが、アメリアも一緒に来るかい?」


 10才年上の次兄、ヴィクトルは普段から王都で暮らしている。しばらく会えていなかったアメリアは喜んで辺境伯に付いていくことにした。用意された服はドレスではなく、アメリアのために特注された辺境伯軍の制服であったが、アメリアは特に疑問にも思わなかった。


 騎士団の受付を通り抜けて、高い塀を目指して歩く。白い軍服を着ている人たちに辺境伯が挨拶すると簡単に塀の中に入る事ができた。


 アメリアにも塀の中は王宮だという知識はあったので、キョロキョロと周囲を見学しながら歩く。辺境伯もそんなアメリアを咎めることなく、アメリアの隣をゆっくりと歩いていた。少し歩くと、演習場の一角で大好きなミルクティー色の髪を見つけて、アメリアは走り出す。


「ヴィクトルお兄様!」


 アメリアの声に気づいてヴィクトルが振り返った。近づいていくと一人でいると思っていたヴィクトルの横に、アメリアと同じくらいの年頃の少年が立っていた。


 銀色のふわふわした髪の少年はヴィクトルに何か囁かれた後、黄金色の瞳を輝かせてアメリアに微笑んだ。


「はじめまして、アメリア嬢。私はジェラルド・シャルトリュー。この国の皇太子だよ。よろしくね」


 透き通るような白い肌に黄金色の瞳。アメリアは柔らかく笑うジェラルドの姿に見惚れてしまって、ボーッと見つめた。


(天使みたい……)


「アメリアも挨拶しなさい」


 ヴィクトルに声をかけられて、アメリアは慌てて挨拶を返す。


「ペンブローク辺境伯の娘、アメリア・ペンブロークと申します。よろしくお願い致します、皇太子殿下」


 ジェラルドに会うなら、きれいなドレスで会いたかった。アメリアは令嬢らしく挨拶をしたものの、自分の姿を思い出して少し泣きそうになった。


「皇太子殿下、お久しぶりです。娘との挨拶は済みましたかな?」


 辺境伯がゆったりと歩いてくる。


「娘はこう見えて剣術が得意なんです。殿下、お相手頂けますか?」


 辺境伯が有無を言わせないような笑みを浮かべてジェラルドに言う。ジェラルドは明らかに困っているようだ。ジェラルドはアメリアの婚約者になる相手だ。アメリアは乱暴者だと思われたくない。アメリアはこんなところで剣を持つ気はないと訴えるように辺境伯を睨みつけたが、辺境伯はニコニコと笑ってアメリアの髪を撫でるだけだった。


「辺境伯、私は女性に剣を向けるなんてとてもできないよ」


 ジェラルドはキラキラした笑顔で断りを入れる。アメリアも王子様に剣を向けたくないと心の中で同意した。


「まさか、娘に負けると思ってますか?」


 辺境伯が悪い笑みを浮かべた。


 さすがの天使もまだ8歳の少年だ。辺境伯の挑発に簡単にのってしまって、結局アメリアとジェラルドは戦うことになってしまった。


 木でできた剣をお互いに持って、2人は向き合う。立ち姿だけでアメリアにはジェラルドがかなり鍛えている事が分かった。


「はじめ!」


 ヴィクトルの審判で試合を始める。アメリアは様子を見るために軽く何度か打ち込む。ジェラルドは防戦一方といった様子だ。


(あれ? あんまり強くないかも)


 そう思って打ち込みを強くしてアメリアは気づいた。ジェラルドはアメリアに怪我をさせないように戦っているのだ。アメリアは女の子扱いされて少し嬉しいような、やっぱり悔しいような複雑な気持ちになった。


 結局勝負は長引いたがジェラルドが勝った。接戦だったようにみえて、内容的にはアメリアの完敗だ。


 程よく疲れた2人が並んでベンチに座ると「2人で少し話をしてみたら」とヴィクトルが言って辺境伯を引きずるように連れて行ってしまった。


 侍女がお茶をおいていなくなるとジェラルドとアメリアは2人きりになった。アメリアはキラキラしたジェラルドに何を話せばいいのか緊張してしまって俯いた。


「まさか、俺に負けて落ち込んでるのか? 俺が女に負けるわけないだろ?」


 アメリアは先程までとの口調の違いに驚いて顔を上げる。確かに天使のような顔をしたジェラルドがそこにいた。アメリアはパチパチと瞬きしてみるが見間違いではない。


「普段からあんな喋り方してたら疲れるだろ」


 ジェラルドは冷たく言ってお茶を一口飲んだ。その仕草は先程と同じで天使のように美しい。アメリアはまた見惚れてしまった。


「おい、聞いてるのか? なんか喋れよ、男女」


 アメリアは暴言を聞いて我にかえる。


「男女!?」


「まさか自分の婚約者が男だったとは思わなかった。まぁ、お前には他に相手も見つからないだろうから、どうしてもって言うなら婚約してや……」


 アメリアはジェラルドが言い終わるより前にグーでジェラルドの頬を殴りつける。ジェラルドは突然の事に眼を白黒させていた。


「私だって婚約者がこんな猫っかぶりだなんて思ってなかったわよ。この猫かぶり男!」


「何するんだよ。この暴力女!」


 ジェラルドもアメリアの頭を叩いた。この状況でも手加減をするジェラルドに、アメリアはムッとする。ここでやめるべきだと分かっているのに、アメリアは止まることが出来ずに飛びかかった。そうなるとジェラルドも……


 アメリアも手加減しているのが分かるジェラルド相手に、それ以上殴りつけるような事はしなかったが、しばらくしてヴィクトルが戻って来たときには2人とも泥だらけになってしまっていた。


 アメリアは冷静になってから不敬すぎる自分の態度を思い出して青くなったが、王家から婚約取り消しの話は出なかった。その事に辺境伯はがっかりしていた気がする。


 今思うとあの日のジェラルドとの出会いは、辺境伯が婚約を結ばせないために試みた最後の抵抗だったのかもしれない。


 いろいろと普通とは異なる出会いではあったが、最初に喧嘩をした分仲良くなるのも早かった。



 その後も喧嘩は数えきれないほどしたが……




 昔を思い出しながら走っていたアメリアは、いつの間にか課題に出された距離を走りきっていた。グラウンドには同じように走り終えた者たちが数人座り込んでしまっている。


 アメリアは汗を拭きながら制限時間が来るのを静かに待った。

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