第10話 水曜・高柳晴海の暇な一日
実智が作ってくれたブレスレットは、イメージしていた通りだった。黒レザーにシルバービーズと昔使っていたシルバーリングを編み込んだ、ゴツめのデザイン。早速装着する。
「おおお、いい感じ。こないだのオーディションの収録、これ着けてくわ」
「え、結果もう出たの?」
「おう。ま、結果聞くまでもなくわかってたけどな。演奏力はともかく、ルックスは間違いなく俺が一番良かったから」
実智が小さく吹き出し、苦笑する。
「相変わらずナルシストだな」
「自己を客観視してると言ってくれ。だいたい今時の音楽番組で生演奏なんか滅多に無いんだ、ほぼアテ振りだから。よーく見てみたらわかるよ。音と指が合ってないし、アンプの電源が入ってないことも多い。ドラムなんてマイクすら立ってないこともある。要するに、腕よりテレビ映りってこと」
ブレスレットを外し、「高柳鮮魚店」とプリントされた防水エプロンのポケットにしまう。さすがに店先でこのゴツいブレスは着けられない。
「そういうの、自分で言うんだ。腕より見た目で選ばれるのって、どうなの? やっぱ悔しい?」
「いや……俺べつに、ギターそんなに好きってわけじゃないし、っていうか音楽自体それほど好きでもないからどうでもいいかな。天職はあくまで魚屋。あっちはただの小銭稼ぎでござる」
実智は驚いているみたいだが、今のは本音だ。世の中には上手い奴がうじゃうじゃいる。実際の演奏は、そういうプロに任せときゃいい。実際、プロデビューしてるバンドなんかでも、演奏は影武者なんてザラな話だ。俺はこの恵まれたルックスを活かせるうちに、テキトーに稼いでおこうと思っている。
「ほら俺、イケメンだからモテるけど、年上しか興味無いじゃん? だから、アイドルとか売り出し中の若いシンガーなんかのバックに需要あるんだよ。安全だから」
これは、知り合いの音楽番組関係者に面と向かって言われた実話だ。この人からオーディション無しの指名で仕事を貰ったことも何度かある。向こうもこっちの考えを承知しているので、互いにメリットのある、いい仕事仲間だ。
「まさかの角度からの需要。え、でもアンタ、そもそも何でギター弾いてんの? 好きでもないのに、って、あれか。『ギター弾いてる俺カッコイイ』って」
「惜しい。ギター弾いてる俺、最高にカッコイイ。こんなにカッコイイのに弾かないのは寧ろ罪。この俺が人前に立たないとか勿体ない。あり得ない。人類の宝の損失」
「もういいです」
「試しにちょっと練習したら割と弾けたし。俺、天才」
「もういいってば。あまりの自画自賛に胸焼けしてきた」
「えー、嘘ぉ」
「とは言えその揺るぎない自己肯定感は、正直羨ましくもあるけど」
「だろ? 実智も遠慮せず、もっと俺を賞賛して良いのだよ」
「断る。ってかアンタ、黙ってれば確かにイケメンだけど、喋るとドン引きだし」
「えー、何それぇ。心外でござるぅ」
とは言ったが、流石に俺だって誰の前でも本音を言うわけじゃない。その辺の使い分けぐらい出来る。大人ですもの。
「そういう意味では、変にデビューなんてしない方がいいね。本性がバレない」
「失礼な、バレて困る本性なんて無いぞ。年上好き・ナルシスト・刃物オタクぐらいだし」
「いや属性多すぎでしょ。キャラてんこ盛りじゃん」
「個性的でいいだろ。そういうお前だって、腹黒・毒舌・威丈高……」
「語呂の良さは評価するけど、それただの悪口だから」
まあそれもポーズだけどな、実智の場合。本人はバレてないつもりだろうが、仲のいい奴らはみんな承知してる事だ。一見、他人を突き放してるふりをしているが、こいつはかなりの世話焼きだ。困っている人を見過ごせない。チャラ男の事だって……あ。
「そういやチャラ男、やっぱ1日でへばったらしいよ。今日は休ませたってさ」
「まあ、最初はね。ある程度仕方ないよね」
「でも、髪切るのは嫌だって死守してるって。俺みたく三つ編みにしたいんだと」
「あははは、随分懐かれたねえ」
「だから、『俺のは三つ編みじゃない、フィッシュボーンだ』って言っといた」
「え、そこじゃなくない? 返すの、そこじゃなくない? 頑張れ、とか言ってあげないの?」
……ほら、やっぱり世話焼きだ。
「俺が言わなくたって、凪一に任せときゃへーきへーき」
「そりゃそうだろうけど……」
「心配なら、お前が言ってやりゃいいじゃん。電話なりメールなり」
「やだ。私は敬語をまともに使えない人間に個人情報は渡さない。ってか、そもそもそれほど心配してない」
……そうでもなかった。前言撤回。
「あ! もうこんな時間。ブレス渡しに来ただけなのに、無駄話しちゃったじゃないよ」
「人のせいにすんなよ。濡れ衣でござるぅ」
「何なの、こないだからちょくちょく出るその口調」
キモ、とでも言いたげな顔だったが、実智は答えを待たずおもむろに暖簾に首を突っ込んだ。
……おばちゃーん、今から駅行くけど、なんか用事あるぅ? ……(んー、えみちゃんにぬか漬け頼んでおいてくれる? あとで取りに行くからってー、いつもありがとねー) ……わかったー、ついでだから平気だよー………
厨房で仕込みをしている母との会話を終えると、実智は「じゃね」と言い置いて足早に店を出て行った。大学生で寮暮らしをしている妹の誕生日祝いをしに、東京の実家に帰るのだと。実智の両親ともに多忙な仕事人間だが、基本的に仲の良い家族だ。相変わらず。あ、おじさん達によろしくって言うの忘れたな……
お、スマホの着信音。実智からだ。
「さっき言い忘れた。凪一くんにお礼言っといてね」
「了解。おじさんとおばさんによろしく伝えて。あと、香里に誕生日おめでとうって」
親指を立てたスタンプだけが返ってきた。
☆☆☆☆☆
遠くから、綺麗なハミングが近づいて来る。道行は今日もご機嫌らしい。
「ハルくーん、これさっき頼まれたぬか漬け~」
「おう、わざわざ持ってきてくれたのか。悪いな」
「ううん、パトロールの途中だから、ついでだよ~」
歌うような道行の声が聞こえたのか、母が厨房から出てきた。店のレジから出した小銭を渡す。
「道行くん、わざわざありがとうね。店でえみちゃんのぬか漬け出してみたら、評判良くって」
「毎度~。母さん喜びます。うちもね、ここで食べて、店まで買いに来てくれるお客さんもいるんだよ」
「あら良かった。道行くん、なんか持ってく?」
パトロール中だからと断り敬礼すると、道行は鼻歌と言うにはボリュームの大きすぎる声で歌いながら出て行った。相も変わらずよく通る、ハリのあるいい声だ。歌って踊れるナイスな八百屋、森井道行。
……
………
…………ふむ。暇だ。包丁も完璧に砥いだし作業場もピカピカ。客が来なければ、もうやる事も無い。指慣らしでもしとくか。アップになった時、指と音がずれてたらダサいしな……
☆☆☆☆☆
着信音に驚き、ビクッとして目が覚めた。自らの奏でるギターの音が心地良すぎて、ついうたた寝してしまったみたいだ。
Tシャツの肩口で口元を拭いながら抱えていたギターを脇に置き、スマホを手繰る。包丁の取り扱いと魚の目利きを学ぶためだけに通った調理学校時代の同級、早瀬からのメールだ……なになに、仕事の一環で、包丁の製作所を見学………その帰りに日本刀の特別展示会を鑑賞、だと?! なんと羨ましい!! 俺が刀好きなのを知っていての、この所業。おのれ早瀬、許すまじ。
たしか早瀬は卒業後、寿司店に就職し修行中のはず。よし、返信……
『てめえは永遠にキュウリでも巻いてろカッパはげ』
『ハゲじゃねえし。おしゃれボウズだし』
ハゲだろうがボウズだろうが知らん。奇跡のキューティクルヘヤーを誇る俺には関係無いことだ。いいから早く写メを送れ。俺の刀写真フォルダを満たすべく…………ヤロウ、自撮りを送ってきやがった。お前のツラはいいんだよ!
『今すぐ腹を切れ。そう、そこの刀で』
『いやん、イケズぅ』
もういい。無視だ。いくら暇だとはいえ、コイツに付き合ってるほど暇じゃない。このおちゃらけた性格で、ちゃんと板前修業出来ているんだろうか。ちょっと想像出来ない。そういやコイツ、包丁研ぎが下手くそだったな。授業の時はよく代わりに砥いでやったっけ。
俺は調理に興味が無く調理実習は手抜きしまくり、包丁ばかり扱いたがるので異端児呼ばわりだった。特に研ぎは真面目に練習した。刃物を取り扱う以上、手入れは大切だからな。ああ、いつかは手に入れたいオリジナル包丁。白鋼青鋼スゥエーデン、霞本焼き墨流し、ダマスカスああ憧れの十六層。いやいやいや、駄目だ。うっかり製作所見学なんかに行ったら、絶対に買ってしまう。いや、大枚はたいて特注してしまう。実物を見たら欲しくなるから、ただでさえ包丁専門店には寄り付かぬよう自重しているぐらいなのだ。落ち着け、落ち着くのだ。今はまだ、手持ちの包丁で我慢我慢。もっと研ぎや捌きを練習して、一人前になった暁には見事な包丁を入手しエクスカリバーもしくは斬鉄剣と名付けよう………
「ハルくん? 目がトリップ気味だけど大丈夫?」
ハッと我に帰ると、道行が恐る恐るといった様子でこちらを窺っていた。
「お、おう。ちょっと考え事を……」
「もしかして、こないだ振られた子持ち未亡人の看護師さんのこと?」
失敬な。振られたんじゃない、今はまだ恋愛どころじゃないからと相手にされなかっただけだ。
「それ、ばっちり振られてんじゃん。じゃあアレでしょ。また日本刀を仕込んだオリジナルギターを作りたいとか。実智ちゃんに『銃刀法違反』の一言で撃沈されて、凹んでたもんね」
「うぅ、嫌な思い出が。あいつ、俺の数年に渡る夢の構想を2秒で終わらせやがった……奴は男のロマンをわかってない」
仕込みギター、外見のデザインや材質まで考えてあったのに。絶対重くなるはずだからと、鉄芯入りの木刀で素振りして日頃から体を鍛えていたのに……そうやってお前は笑うけどさ。
「あはは。ハルくんのロマンは僕もちょっとわかんないけど」
「えー嘘ぉ。じゃあ、お前のロマンは何よ」
んー……と道行は首を傾げた。そして、少し照れたように、へへ、と笑った。
「ひろーい場所で歌、歌ってみたい。かなぁ」
「広いって、東京ドームとか?」
ふるふると首を振るも、眉根を寄せ言い淀む。
「そういうんじゃなくて、こう……バーっと見晴らしのいい感じの……」
「屋外か」
「うん」
「広いったら、北海道でフェスとか?」
「いや、う~ん………モンゴル、とか?」
「モッ?!」
「モンゴル。見渡す限りの大草原で、だーれもいないとこで、思いっきり声出して歌ってみたい」
「………」
道行のロマンは思いのほか、壮大だった。
「それロマンっつーか、野望? ってか、なんで誰もいないとこで?」
「だって、人に聞いて欲しいわけじゃなくて、歌いたいだけだから。気持ちよさそうじゃん」
想像してみると、確かに気持ち良さそうだ。
青く広い空の下、腰の高さまで伸びた草がそよぎ、見渡す限りどこまでも続く。目を閉じた道行が全身に声を響かせ歌い、澄んだ歌声が風に乗って運ばれてゆく。その声は、見えないほど遠くで草を食んでいる馬の耳にまで届くかもしれない。馬はピクリと耳を震わせ、顔を上げてじっと聴き入るだろう。たてがみを風になびかせながら………
「……おぉ………」
「ねえハルくん、顔やばいよ。またなんか考えてるでしょ」
はっ、いかんいかん。馬の傍で草の中に寝転がって流れる雲を眺めていた俺が不意に起き上がり、おもむろに裸馬へと跨り腰の日本刀を捌いて颯爽と馬を駆り走り出すところまでを想像してしまった。ああ、カッコ良かった。
「なんでもないなんでもない。それより道行、パトロールは?」
「一応、一周してきたけど、特に異常なしって感じ」
店番は母親に任せ、俺はさらなるパトロールに出ることにした。どうにも暇すぎて、脳が妄想に走ってしまう。ついでに透んとこにも寄ってみるか……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます