第3話 水曜・お刺身ブルー
いつものように店の奥に置いた丸椅子に腰掛けてギターを爪弾いていると、面倒な客がやって来た。いや、客ですら無い。コイツが魚を買いに来るとは到底思えない。
「ハルさぁん、来ちゃいましたぁ。ウィッセッセェッス!」
「帰れ」
「えええちょっとぉ、冷たいじゃないっすか。せっかく来たのにぃ」
何がせっかく、だ。呼んでないっつーの。大体コイツは、なんでこんなにクネクネしてるんだ。お前はタコか。
「仕事の邪魔だ、帰れ」
「またまた~、仕事とか言ってギター弾いてるじゃないすか。あ、あれっすか。野菜とか果物に音楽聴かせると、美味しく育つとかって言う」
アホか。ここにいる魚が育つわけねーだろ。みんな死んでるっつーの。
「ただのBGMだよ。俺は大声で呼び込みとかやらないから、その代わりにな」
へええ、などとアホ面さらしつつ、チャラ男は店内をキョロキョロ見回している。そういえば、コイツの名前、何だったっけ。
「で、何の用だ」
クネクネがさらに大きくなった。ベルトに付けたチェーンがジャラジャラと音を立てる。両手を後ろで組んでモジモジするのをやめろ、気持ち悪いから。
「なんかぁ、オヤがぁ、これ持ってけって。ハルさんに」
チャラ男は、隠すように持っていた白いビニールの手提げをおずおずと突き出した。包みを受け取るとまた、モジモジクネクネが始まる。いいから止まれ。お前は鰻か。
「筍と山菜のおこわ? とか、そんなんらしいっすけどぉ。俺、ハルさんはそんなの喰わねえって言ったんすけどぉ」
チャラ男は口を窄め、赤くなっている。やっぱ、タコだな。
ビニールの手提げから取り出したタッパーには、サランラップに包まれた美味しそうなおこわが詰められていた。
「お前のかーちゃんが作ったのか」
「そうっす」
「へえ、旨そうじゃん。いただくよ」
「マジっすか。作ったの、うちのくそババアっすよぉ?」
くそババアとか言っているわりには、やけに嬉しそうじゃないか。顔をしかめてるつもりらしいが、口の端がニヤけている。タコ男が恥じらっても可愛くねえ。
「親をクソババア呼ばわりするような馬鹿に用は無い。とっとと帰れ」
わざと突き放すと、途端にシュンとなる。でもあのその……とかなんとかブツブツ言いながら、帰ろうとしない。
「一緒に食うか?」
「……いいんすか」
上目遣いで盗み見るように、こちらを窺ってくる。その上目遣いやめろ、気持ち悪いから。
「今後二度と、くそババアとか言わないと、誓えるなら」
チャラ男は妙に感激した様子で、何度も頷いた。
「二度と、言わないっす。絶っっっ対!」
「よし、じゃあここ座って待ってろ」
今まで座っていたスツールを指し、暖簾の向こう側にある厨房へ………行きかけて振り向くと、スツールに座ったチャラ男が首を伸ばしてあちこち眺め回している。
「おいチャラ男、商品に触るなよ。指一本でも触れたら、叩き出すからな」
そう念を押して暖簾をくぐると、「チャラ男って、何すかぁ……」背中越しに情けない声が聞こえてきた。
☆☆☆☆☆
このチャラ男と出会ったのは、いつだったか。確か、今月の初めぐらいだったろうか。
裏でライブのリハーサル準備をしていると、オラついた怒鳴り声が聞こえてきた。なにやら相当怒っているのか、巻き舌混じりに一方的にがなり立てている。
こういう場所ではまあよくあることなので、さして気にしてはいなかった。女性の半泣きの悲鳴が聞こえるまでは。
さすがに看過できず、ホールへ向かった。
狭いホールの中、客席の片隅で、チャラ男が若い女性の髪を掴みグラグラと頭を揺さぶっていた。
折悪く、ホールには女性スタッフしかおらず、助けたいものの手を出せぬままオロオロしていた。むしろチャラ男は、男性スタッフが居なかったからこそ、そんな暴挙に出たのかもしれなかった。
「てめえ、相変わらず使えねーな。俺に恥かかすなっつってんだろーが」
女性は身を縮めながらも抵抗せず、しゃくり上げながらされるがままになっている。
「おい、やめろ」
俺はチャラ男の手首を掴んだ。無理やり離せば女性の髪まで引っ張ることになってしまうので、絞り上げるように手首を強く握りしめた。
「んだよ、離せや!」
腕を振りほどいたチャラ男は、顔を真っ赤にしながら詰め寄ってきた。動揺したのか、キャンキャンと威勢よく喚くが、睨みつける視線が弱い。そわそわと落ち着きなく上体を揺すり、声が上ずっている。筋力も無さそうだ。
雑魚だな、と思った瞬間、後悔した。魚の皆さん、ごめんなさい。お魚に、雑魚なんていないから! みんな大事なお魚だからね!
「んだてめえ、このロン毛野郎なめてんのかコラ」
こういう輩は、どうしてこうもボキャブラリーが貧弱なのか。魚偏の漢字がいくつ書けるか、いや、読めるかさえも怪しいもんだ。
「何があったか知らんけど、女に暴力は駄目だろ」
全く、こういう輩は、なぜ濁音と巻き舌を多用するのか。盛んにわめき立てているが、何を言っているのか一向に聞き取れない。威嚇しているつもりなのか、しきりに首を上下している。おい、首がもげるぞ。っつーかコレ、鳥だったら求愛のダンスみたいだな……
そんなことを考えていたら、思わず少し笑ってしまった。
途端にチャラ男のボルテージが上がり、更に声が高くなった。しまいにはポケットからバタフライナイフを取り出す始末だ。これ見よがしにスチャラカと振り回し、ニヤニヤと構えてみせる。
……駄目だ。全然、なってない。握り込み、体の角度、足の開きに重心の位置。そして何より、心構え。
俺はおもむろに、ナイフの刃の部分をむんずと握った。あからさまにチャラ男の腰が引け、目が泳ぎだす。ビビりすぎだろ。
「な、な……」
チャラ男の手から、力が抜けた。が、まだナイフを握っている。
「こんなナマクラじゃ、イワシも捌けねーよ。手ぇ離しな」
いくら手入れが疎かだとはいえ、実を言えばこの程度のナイフでも、一応は切れる。こうして握っても手が切れないのは、刃の握り方にコツがあるのだ。ちなみに、小ぶりのイワシなら手開きのみで捌ける。
チャラ男は少しホッとした様子で、手を離した。
俺はナイフの柄を握りなおすと、革ベルトを外し裏側で刃を研ぎ始めた。いわゆる革研ぎの真似事で、やらないよりはマシだというくらいにしか効果はないのだが、目論見通り、チャラ男は釘付けだ。
研ぎながら、厳かに言った。
「お前は、刃物を持つということの意味を、わかっていない。刃物というものは、むやみに人に向けるもんじゃない。ましてや見せびらかすためのものでもない」
尤もらしく目を眇めてフッと息を吹きかけ、指先で研ぎ上がりを確認し、軽く頷く。もちろんこれも、パフォーマンスだ。
「いいか。刃物ってのは、人を守るために持つもんだ。わかったか?」
諭すように言いながら畳んだナイフを差し出すと、チャラ男は瞳を輝かせてそれを押しいただいた。手の中のナイフを見つめ、こちらを見上げる。
その顔にはありありと、「先輩、かっっっけえっす!!!」と書いてあった。単純だ。単純過ぎて空恐ろしい程だ。
チャラ男は一旦放置し、泣いていた女の子に歩み寄る。すでに隅っこの椅子に座らされており、呼び出されたのであろう男性スタッフがすまなそうに会釈してきた。
「ねえ、君。今日、出演するの?」
彼女は俯いたまま、黙って首を振った。
「なら、もう帰っていいよ」
「でも、準備が……」
「準備なんて本来、自分でやるもんだ。コイツのことは気にすんな。こんなアホとは、このまま別れたほうがいい」
「……はい」
チャラ男を振り返り、有無を言わせぬ視線で見据える。
「お前、それでいいな?」
なぜかチャラ男は嬉しそうに、首が折れそうなほどガクガクと何度も頷いた。それを見た彼女は、すぅっと冷めた表情になり、小さな声で「別れます。ありがとうございました」と頭を下げるとバッグを掴み、振り向きもせずに出て行った。
彼女の背中を見送って振り返ると、チャラ男は背中にひっつかんばかりに近づいて佇んでいたので、少しばかり焦ったものだ。
「……お前、ちけーよ」
「すげえかっけえっす! ナイフ詳しいんすか? 俺、・・・って言います!(名前忘れた。)この後弾くんすか? リハ見ててもいいっすか?」
その後、リハーサルを見ていたく感激したチャラ男のギターをチューニングし直してやったり(あまりに音が狂っていてイライラしたのだ)、「男のけじめ」と称して彼女に電話をさせ謝らせたり、「刃物のコレクションを見せてやる」と騙してライブ終わりに家へ連れ帰り、自慢の包丁コレクションを見せながら説教しつつ洗脳し日本刃物信者にしたりで………すっかり手懐けた。
この手のアホは野放しにしていると周囲が迷惑するので、普段からできるだけ捕獲するようにしているのだが、コイツは思った以上にアホだった。懐くとなったら全力で、行く先々に出没しては馴れ馴れしく纏わりついてくる。挙句今日、呼んでもいないのに店にまで押しかけてきたのだった。
☆☆☆☆☆
レンジで温めたおこわを取り分け、厨房の奥で仕込みをしている母に声をかける。ちなみに父は、搬入を終えた足で趣味の釣りに出かけている。毎度のことだ。
「かーちゃん、おこわ戴いた。あっためたから、ここ置いとく」
「何、友達かい?」
「いや、ただの知り合い」
暖簾を抜けて店に戻ると、チャラ男はパッと両手を広げてみせた。
「なんにも触ってないっす!」
よし、食え。と、温めたおこわと刺身の小さな小鉢を載せた盆を差し出す。
「あ、刺身だ。いいんすか」
聞いたくせに返事も待たずに刺身をパクつくと、チャラ男は驚いたように目を見開き、声を上げた。
「美味あい! こんな美味い刺身食ったの、初めてっす!」
「当たり前だ。俺が切ったんだからな」
食べるために殺めたのだから、出来得る限り無駄なくその栄養を摂取し、感謝して美味しくいただかなければ。そのために、新鮮さを保ち、時には適切に熟成させ、なるべく細胞を壊さぬよう素材や調理方法によって切り方も変え工夫するのだ………って、ダメだ。聞いてねえ。まあ、前にも話したし、いいか。
と、かーちゃんが暖簾をくぐり顔を出した。ピアスだらけの金髪男の風貌には全く動じず、にこやかに声をかける。
「こんにちは。美味しいおこわ、ありがとうね。これ、出来立てなの。よかったらどうぞ」
店の名物になっているあら汁を差し出す。
魚屋の奥はちょっとした厨房になっており、その先は裏通りに面したカウンター。そこでは魚介系の惣菜を販売していて、客は自前で持ち込んだ酒を飲みながら肴をつまめるようにもなっているのだ。
顎を突き出し首をすくめるような動作で「あ、あざっす」と椀を受け取ったチャラ男は、こぼさないようバランスを保ちながら、またクネクネし始めた。
「ども。俺、ハルさんの舎弟やってます。お姉さんっすか、めっちゃ美人じゃないっすか」
「舎弟じゃねえ」
「あらま、いい子じゃないの。どうも、ハルウミの母です。ゆっくりしていきなね」
舎弟、とチャラ男が言った瞬間、母に思い切り睨まれた。が、お姉さんと言われた途端、手のひらを返したように朗らかに微笑み、上機嫌になって引っ込んでいった。まったく、我が母ながら……
「ハルさんのかーちゃん、めっちゃキレイっすね。うちのバ……かーちゃんとは大違いっす」
ババアと言いかけてハルに睨まれ、チャラ男は即座に言い直した。誤魔化すようにあら汁に口を付け、熱さに驚いている。
「お前が苦労ばっかかけるからだろ」
そう言うと意外にも、チャラ男は箸を置いてしんみりと肩を落とした。
「そうなんっすよねぇ………」
聞けば、ハルに説教されたその日、チャラ男は興奮状態で家に帰り、母親に一切の顛末を喋り倒したのだとか。筋道立てたわかりやすい話ではなかったが、息子が夢中で話すのを涙を浮かべて何度も頷きながら聞いて、喜んだのだそうだ。
悪い仲間とつるんでは家を空け、口を開けば悪態ばかりだった息子が、(比較的)まともなことを嬉々として話している。それだけで嬉しかったのだろう。
「それ食ったら帰れよ。お母さんによろしく言っといてくれ」
「……むぅ」
あら汁は、そんなに頬張って食うもんじゃねえ。
「ちゃんと『ごちそうさまでした』って伝えろよ?」
チャラ男は目をまん丸にしながら何度も頷き、結局、ハルの分のあら汁まで飲み干した。
満足げに腹をさするチャラ男を駅まで送って行ったのは、チャラ男が心配だったからではない。近隣の店へ突撃して迷惑をかけるのを阻止するためだ。
チャラ男は何を勘違いしたのか、感激した様子で帰って行った。「明日の練習、手伝いに行きます!」と宣言して。
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