第2話 火曜・腹黒ブラック


 ひと気のない、小さな不動産屋の店内に、ノートPCのタイプ音が軽快に響く。


 南町駅前商店街のホームページの更新。まずは自社のコーナー「今週の新着物件」、次に「今日のお買い得情報」と「おすすめレシピ」の更新を終え、次はトピックの入力だ。


 内容はもちろん、盗難事件多発について。

 このトピックが、常にHPの各ページの最上部に表示される。商店街のみならず、近隣住民に対しても注意を喚起する目的だ。



 電話が鳴った。


「お電話ありがとうございます。南町不動産でございます……」


 墨谷実智はよそ行きの声で会話を終え、受話器を置く。



 5年ほど勤めた建築不動産会社の総務の仕事を退職し、こちらへ戻ってきたのが昨年末。


 前の職場で、嫉妬から理不尽な嫌がらせを受け続けうんざりしていたところに、ちょうど祖母が事故にあった。自転車との接触事故だった。

 前職を辞したことについては全く後悔していないが、祖母の不幸を渡りに船と利用したみたいで、少し引け目を感じているのも事実だ。


 現在は、勤めていた会社の伝手で紹介された地元の不動産店でアルバイトとして勤めながら、入院した祖母の世話と祖父の古書店の店番、家事全般を受け持っている。

 おかげで完全な休日はほとんど無いけれど、少しでも祖父母の助けになれる現在の状況は、後ろめたさを薄めてくれるという意味でも、実智にとってありがたいと言えるものだった。



 机の上の付箋を取りあげ、担当者に電話があった旨、メモを残す。

 にわかには信じがたいことだが、地元密着型の古く小さな不動産店においては、IT化の波など全く関係ない。実智がノートPCを持ち込むまでは、パソコンさえ無かった。電話とFAX、そしてメモ。昭和の時代にタイムスリップでもしたんじゃないかという気になる。


 床を蹴って椅子を転がし、座ったまま担当者のデスクまで移動する。デスク上の電話機に蛍光ピンクの付箋を貼り付け、また椅子ごと自分のデスクへ。

 客が居るときには、さすがにこんな横着は出来ない。普段の火曜なら、社員が内見などで出払っている間も、資料を眺めながら待っている客が数組居たりするのに。今日は珍しく来客が少ないみたいだ。


 暇を持て余してポットに手を伸ばしかけたところで、ふと動きが止まった。



『あんたみたいな事務方は、おとなしくお茶汲みでもやってなさいよ』


 前の職場の先輩社員が吐き捨てた、今時おじいちゃん社員ですら口にしないレベルの嫌味が唐突に蘇る。



 インテリアプランナーという肩書きの社員だったその先輩には、顧客層やターゲットを全く顧みずに自分の好みを押し通そうとする傾向があった。


 実智が入社した年の歓迎会の席でのことだ。設計部に配属された同期の「家を設計する際にはまず、その家にはどんな人が住むのかを出来るだけ詳細にイメージする」という旨の発言に、彼女が過剰反応したのを思い出す。「設計屋には芸術はわからない」とかなんとか喚き倒し、上司数名に引き摺られるように退出されられた顛末は、社内での悪しき伝説となっている。


「あのセンスで芸術語られてもねえ……」

 そう苦笑いしていた上司の言葉の意味を知ったのは、その歓迎会から間もなくのことだった。


 ある時、雑談の中での冗談で、部署違いである実智が内装や家具を選ぶことになった。カタログから適当に選んだところその評判がすこぶる良く、先輩の提案したスタイルを押しのけてまるっと採用されてしまったのだ。

 それ以来、彼女に目をつけられ、事あるごとに粘着されるようになった。


 いつからか当然のように内装選びを任されるようになった頃に、先の「お茶汲み」云々の嫌味を言われ、ついうっかり口答えしたのが運の尽き。

 それ以来、有る事無い事そこらじゅうに触れ回り、大騒ぎを演じてくれた。彼女の話を信じたものはほとんど居なかった筈だ(と思いたい)が、あまりにも低レベルな罵詈雑言に、腹がたつどころか却って哀れを催してしまったほどだった。



 と、自分では思っていたのだが………こんな風に長い時間一人きりで過ごしていると、投げつけられた言葉、悪意のかけらの数々が、ふとした拍子に思い出される。

 もしかしたら私は、案外傷ついていたのかもしれない。少なくとも今、お茶を飲む気が失せてしまうくらいには。


 気分を変えようと、実智は背後のキャビネットから物件案内資料のファイルを取り出し、ページをめくった。もともと、こういった間取りを眺めるのが大好きで入った業界だ。

 実智にとって家というのは、幸せな家族の象徴そのものだった。間取り図を眺めながら、様々な部屋の様子や家具の配置、そこでの生活を思い描く。


(そういえばあの人、まだあの少女趣味なアメリカンカントリー風のインテリアにこだわってるのかしら……)


 そう思った瞬間、フッと小さな笑いが漏れた。



……ああ、いけないいけない。いくらいけ好かない相手だからって、嘲笑うみたいなこと。相手と同じ土俵まで降りてどうするのよ……って、やっぱり私、あの人のことナチュラルに見下してる? まずいな、だから腹黒とか言われちゃうのよね。大体昔から、お高くとまってるだの偉そうだの黒かぐやだのと言われがちなんだから。気をつけなきゃ………



 お馴染みの微かな痛みが、胸を刺す。思わず目を伏せ、頭の中でぐるぐると考えていると、お気楽な着信音とともにスマホの画面が明るくなった。


「みのりちゃん、ひとり百面相、怪しいよ~」


……花奈からのメッセージだ。うん? 見られてる?


 顔を上げると、ガラス壁に貼られた間取り図の隙間から室内を覗き込んでいる花奈と目が合った。

手招きすると、何故か背を屈めてガラス扉を押し開け忍び足で入って来る。


「お邪魔しまぁす。お仕事中、大丈夫なの?」

「うん。今誰も居ないし、少しならね」


「あ、すずらんだ。かわいい」

 花奈はカウンターの上の一輪挿しに目を留めた。


「でしょ。好きで毎年買うんだけど、今年は知り合いのとこで安く買えたの。で、張り切っていっぱい買ったから、仕事場にも飾っちゃった。もう少ししたら芍薬も出るから、それも楽しみなんだ」

「みのりちゃんって、意外とお花好きだよね」

「意外って何よ。そういえば花奈、今日はスタジオじゃなかった?」

「そうだったんだけど、無くなった」


 ハルが所属しているバンドに、道行とともに代打出演を頼まれていたのだが、本来のキーボードの子が出られることになったために、花奈の練習は取りやめになったのだという。


「みっちゃんは予定通り出るんだけどね」

「あ~、道行はメインボーカルもコーラスも上手いからねえ」

「しかも踊れるしね。みっちゃんが出ると、すごく盛り上がるから」

「お調子者の本領発揮だ」

「本人は、エンターティナーだと申しておりますが」


 実智は紙コップにティーバッグを放り込むと、先ほど手を止めたポットからお湯を入れて花奈に手渡す。ついでに自分の分も。両者とも、砂糖やミルクは使わない。



「そういえば、アレ。なんなのよ、南町ファイブって」


 花奈がフッと吹き出した。クスクス笑いながら成り行きを説明する。


「……まったく、あいつは。花奈、あんなのと結婚して大丈夫?」

「うふふ、どうなんだろうね。でもあたし、結婚とかみっちゃん以外には考えられないし。もう、しょうがないよね」


 小さく肩をすくめ、嬉しそうに照れ笑いする。


「はぁぁぁ、聞いて損した。はいはい、相変わらずラブラブで良かったこと」

「おかげさまで。でね、あのさ、今晩おうち行っていい?」

「もちろん。今日は店番無いし。今日は何作る? 私はイヤリングがいい。ホールレスピアス」

「オッケー。あたしは……みのりちゃんに任せる。食材は私が買ってくから」


 一見噛み合っていないようだが、これは、手先の器用な花奈と料理の上手い実智が互いの得意分野を教え合うという、特殊な女子会なのだ。料理をたくさん作って、それをツマミに、手芸をしながら延々と酒を飲む。これがまた、殊の外楽しい。

 実智同様、花奈も一度はここを離れて進学就職し、舞い戻って来たクチだ。そのせいもあって、再会以来、子供の頃の様によく遊ぶようになっていた。



 実智は、しばし考えを巡らせた。

 HPの「おすすめレシピ」コーナーの参考にと何度もアドバイスをもらいに行ってるから、おばちゃん達の得意分野はわかってる。その辺は、実の母親と義母予定のふたりに直接教わったほうがいいだろう。あと、道行も作らなそうな料理は……と。


「じゃあ………そうだな、牛肉のトマト煮込みサフラン風味とか、どう? あと、旬のアサリと春キャベツのバジルオイルパスタ。簡単だよ」

「わあ、美味しそう! みっちゃんもハーブ料理好きだから、喜ぶと思う」


 瞳を輝かせて拍手する花奈に、買い足すべき食材を幾つか指示する。花奈は素早く、スマホのメモにそれを打ち込んだ。



「よし、メモった。みのりちゃん料理上手だし、いい奥さんになりそうだよね」


「あー……私はそういうの、当分無いかな。そもそも出会いが無いし」



 会話の流れが怪しくなってきた。社員さん、早く帰ってこないかな……


「みのりちゃん綺麗なのに、もったいないよ。合コンとか、行ってみたらいいのに」

「えええ、めんどくさいって。知らない人とお酒飲んでも楽しくないし、こう……グイグイ出会いに行くカンジ? ああいうの私、すごい苦手で。それなら部屋に籠って本読んでた方が楽しい」


「みのりちゃん、読書好きだもんね……」


 なんでちょっと引いてるのよ。別にいいじゃない、本の虫だって。読書の魅力って、文章の内容はもちろんだけど、それだけじゃない。あの、文字と知識と創造が部屋中にみっしりと詰まっている空間で、ページをめくる度にかすかに香る紙の匂い。指先をくすぐる紙の感触。紙の擦れる、密やかな音。何時間だって、その中に埋没していられる。電子書籍も悪くないけど、紙の本を指でめくって読み進める悦びって、特別なんだもの。



 心の中でそんな反論をしていると、花奈が、少し俯いて黙り込んだ。嫌な、予感……


「ねえ、みのりちゃん。もしかして、まだあのこと、引きずってる?」


……やっぱり、来たか。そりゃまあ、そうなるよね。酔っ払って変なこと話しちゃった私が悪いんだ。花奈は純粋ですごく優しい子だから、心配しないわけが無いのに。


「そういうわけじゃないよ、大丈夫。ただ、あんまりさ……恋愛に気持ちが向かないってだけで。転職でバタバタしたし、今は特にそういう時期なのかも。まあ、私のことは心配しないで。それなりに楽しくやってるからさ。ははは」


 いかにも寒々しい、乾いた笑いだった。

 花奈の表情が、「余計な口出ししちゃってゴメン」みたいな、申し訳なさそうな顔になっている。ああ、気を使わせちゃったな……



「とにかく、私は明日休みだから、今日はいっぱい飲むよ! 秘蔵のワインと焼酎が、私たちを待っている!」


 花奈も空気を読んだらしく、いつもの明るい表情に戻ってくれた。ありがたい。


「いいね! じゃああたし、うちからチーズとハム持ってく。余ってたら唐揚げも」

「おう! ナイス!」


 両手を挙げ、互いにパチーンと手を合わせた。



「じゃあ、夜に、また。お邪魔しました」

「うん、またね~」


 店の前まで出て花奈の細い背中を見送ると、実智は一つに結っていた髪を解き、もう一度結び直した。毛先が揃っているか確認し前髪を整えると、スッパリと気持ちを切り替えた。



 さあ、お仕事お仕事。って言っても暇だし、読書でも……って勤務中は流石にマズイわね。宅建の勉強でもしようっと……



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