三週目

第15話 月曜・疑惑の二人


 墨谷古書堂の二階は、書庫になっている。店の奥の小上がり、そのまた奥には小さな洗面所とトイレ。その隣の狭い階段を上ると、小さな踊り場の先に鍵付きの扉。鍵といっても、簡素な南京錠が一つあるだけ。その扉の向こうには、この店自慢の古い専門書や希少価値のある古本など、店頭には出さない本が所狭しと並ぶ。部屋の中には、天井までびっしり詰まった本棚がいくつもあり、その隅っこに小さな書きもの机がひとつ。北側になるその机の上方に、換気のための小さな窓。


 実智は書きもの机に手をつき、小窓を開けた。涼しく優しい風が入ってくる。窓の外には、道を隔てて神社の鳥居と背の高い樹々を目にすることが出来る。

 実智は窓に背を向けると、書きもの机の縁に浅く腰掛け、腕組みをした。立ち尽くす透を、硬い表情でじっと見つめる。


「それって、どういう意味かしら。私の勘違いじゃなければ……大友さんを疑ってるように、聞こえるんだけど?」


 普段より一段低くなった実智の声に、透は少し怯んだ。このトーンとこの目つきは、マジのやつだ。怒っているわけじゃない。ただ、返答によってはただじゃおかない。それ相応の覚悟があるのならば、拝聴しますけれど? ……という態勢だ。


 正直、こんな反応をされるとは思っていなかった。

 表に現す態度としては冷静なのだが、内側は非常に感情的だ。ろくに話も聞かぬうちから、ほんの数日前に出会って数回言葉を交わしただけの彼を、実智は反射的に庇おうとした。少なくとも実智は今、彼の側に立っている。普段の実智からしてみれば、ちょっと信じ難いことだ。

 皆んなしてからかうようなことを言ってしまったけれど、実智は案外、本気なのだろうか。嘘だろう? ちょっと前に出会ったばかりの男だぞ? 単なる不動産屋の一顧客だぞ? おそらく10歳前後は年上だぞ?



「いや……はっきり疑っているわけじゃないんだ。ただ、今言った通り、映像を見る限り彼の動きがどうにも不自然で気になる、ってだけで」

「脇道に出たり入ったりするのが、そんなに不自然かしら。引っ越して来たばかりだもの、街中を探検するのなんてよくある事じゃない?」


 確かに、言葉だけならばその通りだ。でも……


「とにかく一旦、映像を見てくれ。脇道を散策とかそういうレベルじゃない。限られた映像の中じゃ、ほとんど神出鬼没ってレベルに見える。彼は多分……街じゅうを縦横無尽に歩き回ってる。特に店に入るわけでもなく、憑かれたようにぐるぐるぐるぐる……」


 ノートPCを開き、編集した映像を再生する。あちらの脇道へ消えてはこちらの角から現れる、という行動の繰り返し。映像と見比べながら町内の地図を指で示すと、穴だらけではあるものの、彼の歩き回ったルートがおおよそ見て取れた。



「………」


 実智は難しい顔のまま、映像と地図を覗き込んでいる。しばらく考えて、認めたくなさそうに呟いた。


「……人気の少ない道。裏通りとか、狭い路地を選んで歩いてるわね」

「だろ? 俺は何も、それだけで彼を窃盗犯だなんて思わない。でも、何をしてるのか気にならないか?」

「……ウォーキングってわけでもなさそうだし、ね」


 少し不愉快そうに、実智は笑った。いや、嗤ったというべきか。

 透の心が、ズキンと痛む。実智の想い人(?)に対してそんな笑い方をさせてしまったことに、申し訳ないような気分になって、急いで言葉を継ぎキーボードを叩いた。


「他にももう一人、気になる人物がいるんだ。ちょっと待って……んー……これ、この男」

「……こっちは割と若そうね」

「ああ。地元民じゃなくて複数回映っている人物は何人かいたけど、この彼だけ、身元が分からない。道行の地元ネットワークを以ってしても、顔見知りすら浮かんでこないんだ」


 彼はいつも、独りで映っていた。その画像を素に、SNS等で募れば情報入手は容易いかもしれないが、それだとネット上に映像が残ってしまう。なので、プリントアウトした写真を手に、道行が自力で聞いて回ってくれたのだ。


「もうちょっと、顔がはっきり映ってればいいんだけど……まあ、粗い画像とはいえ、見知った人間なら判別出来そうよね。全身画像もあるし。パピ子にも聞いてみるわ。あいつ、下手したら道行より顔が広いし」



 実智は顔を上げ、背を伸ばした。流石というべきか、もうすっかり客観的な態度に戻っている。


「動画を長時間見つめてるのって、思ったより疲れるわね。透も疲れたでしょ」


 労ってくれるのは、さっきの非難めいた態度のお詫びなのかもしれない。透は肩を竦めて見せた。


「別に、趣味だし。俺は慣れてるから」

「さすが、記録担当」


 フッと微笑んだ後、実智はまた真顔に戻った。


「記録といえば、最近の被害は?」

「引き続きリストアップしてる。それと念のため、近所の質屋やリサイクルショップ、ネットオークションに盗品が持ち込まれてないか確認中」


「なるほど、質屋か。でも、このリストを見る限り………あ、これ。犯人は男だわ」


 実智の確信に満ちた発言に、思わず「えっ」と声が出た。そりゃ確かに、さっき見せた映像は二人とも男性だったけれども、だからってそう断定するには早すぎないか?



 その時、開けた窓から道行の声が聞こえた。


「みのりちゃん、みのりちゃーん! 先に行ってるよ~」





 ☆☆☆☆☆



 

 古書店2階の小窓が全開の時は、実智がそこに居るということだ。爺ちゃんが店番をしている間、実智が暇な時には大抵、換気を兼ねて窓を開け放ちそこで読書しているのだ。加えて今日は、商店街を守ろう大作戦の会議の日だ。

 実智の返事を確認することもなく、生鮮組3人は道を渡り、習慣的に神社へ参拝すると裏の林を抜けて小さな公園へと石の階段を降りて行く。ハルの片手にはいつの間にか、フェンスに立てかけてあった鉄芯入りの木刀が当然のように握られている。



「もう、かーちゃんが息巻いててさ。『このアタシの目と鼻の先でそんなこと!』って。お客さんに申し訳ないから店畳むとまで言い出してて、宥めるのに苦労したわ」


 一足遅れで到着した透と実智に、ハルがうんざり顔で状況説明を始めた。高柳鮮魚店の奥に併設された裏通りに面するカウンター席で、昨夜、お客さんの尻ポケットから現金が擦られたというのだ。ポケットの現金は飲食代のお釣りとして渡したばかりもので、複数の客もその場面を見ていたので勘違いではない。釣りをポケットにしまってから帰るまでの三十分ほどの間に、盗まれたのだ。


「なんで昨日のうちに連絡寄越さなかったんだよ」

「……えっとぉ、野暮用でござるぅ……」

「ハルくん、また朝帰りだ」

「サイテー。遊び人」

「ちょ、花奈。そんな軽蔑の眼差しを……だってお呼びがかかるんだから、しょうがないだろ? あれだよ、なんつーの? 愛の素浪人的な?」


「ハルの夜遊びなんて、今に始まったことじゃ無いでしょ。それより確か、あの場所にはカメラ無いのよね……せっかくの接近遭遇だったかもしれないのに」

「おい実智、スルーなの? 今俺、割といいフレーズ出したよ? 愛の素浪人って、なんか良くない? 真実の愛を求め流離う俺」


 ハルの戯言を「うるさい」の一言で黙らせると、実智は透と見合わせて頷いた。


「後でその時間帯のビデオをチェックしとく」透はリストを取り出すと、一番下の欄に情報を書き加えた。



「で? さっきの続き。なんで犯人は男だって断定出来る?」


 透の言葉に、ふざけていた生鮮組3人も注目する。


「それよ、そのリスト。道行が気づいた通り、盗まれた物はほぼ生活必需品ばかり」


 遊具の上で器用にバランスを保っている道行が、得意げにピースサインを掲げた。


「それで思ったの。犯人が女なら、間違いなく化粧品を盗んでるでしょうけど、このリストにはそれが無い。あとはデオドラント系や香水も」

「なるほど。生活必需品ばかり盗むと言う傾向に添えば、確かにな」


 納得の面持ちで頷く透の隣で、道行は感心したように「ホントだー」と呟いている。


「あとね、透がさっき言ってた、質屋とかリサイクルショップへの持ち込み確認。あれは外していいと思う。この犯人、転売目的の盗みはしてない」

「根拠は?」


「アクセサリー類の被害が無いから。小さくて手に入れやすい割に高価だし、換金しやすいのに」

「……そうか。腕時計や家電なんかと違って型番だのシリアルナンバーだのが無いから、転売しても盗品とはバレにくい。なのに、それが盗まれていない」


「犯人は男って説に異論は無いけど……そもそもさあ」


 木刀を両肩に担いでストレッチしながら、ハルが呑気な声を上げる。


「現金盗むんだから、転売とか換金とか必要無くね?」

「う……それは、確かに」


「黙れ遊び人。だいたいあんたがフラフラしてないでさっさと報告してれば、透だって余計な回り道しなくて済んだのよ」

「いや、いいんだ実智。ハルの言う通りだ……確か、この騒ぎの初期の頃、現金の被害がいくらか出てたはず。なのにここ最近、現金が盗られた話が出ていなかったから、意識から除外してしまってたみたいだ」


 透は数枚にわたるリストを逆に手繰り、古いページに該当箇所を指し示した。確かに、少額の被害が数件記載されている。




「んー……」


 道行はおもむろに立ち上がった。ぐらぐら揺れる遊具を跨ぐ格好でペダルの上でバランスを取り、難しい顔で腕組みをする。「みっちゃん、危ないよ」と花奈が心配そうに声をかけるのを他所に、眉を寄せて考え込んでいる様子だ。



「どうした道行」

「……わかんない。わかるんだけど、わかんない………えーっとぉ……」


「気になることがあるなら、とりあえず言ってみな。まとまってなくてもいいから」

「うん、喋ってるうちに考えがまとまることもあるしね」


 なおもぐらぐらと揺れながら、道行は言葉を探すように話し始めた。


「僕、配達やお得意先廻りでさ、校区にして3区分ぐらいは余裕で行くじゃん? でもさ、住宅街では盗難被害聞かないんだよね。現金盗めるなら、人目の多い繁華街より住宅街の方が取りやすいんじゃないかと思うんだ……」


 一旦口を噤んだもののまだ言葉を探している道行の様子を見ながら、実智達が慎重に合いの手を入れる。


「えっと、犯人は住居侵入や強盗はしない。店頭での窃盗とスリ専門、ってことかしら」

「しかも一件あたりを少額に抑えてる。現金も商品も、高額は盗まない」

「盗むにしても、一応遠慮してるのかなぁ?」


「遠慮……」

 花奈の言葉に反応し、道行が再び口を開いた。


「遠慮、少額……最小限………分散……分散、そうか」


 顔を上げ、遊具から飛び降りる。


「移動してる。その人、あちこちの商店街ごとに数日かけて少しずつ荒らしては、別の街に。で、またここへ戻って来たんだ。透くん、ちょっとそのリスト見せて。ハルくん、木刀、いい?」


 道行は透から受け取ったリストを見ながら、ハルの木刀で地面に線を引き簡単な地図を描き始めた。


「取られた時間ははっきりわからないけど、日付だけで大まかに見ていくとね……最初の週に被害が出たのが、この辺り」


 南町駅前商店街を含む一帯を、丸で囲む。


「で、ポスターとか貼って、被害減ったね~って言ってたあたりでは、被害の中心はこの辺に移った」


 同じ地元だけれど、駅前から少し離れた場所にある商店街の外れや、大手スーパーなどを囲む。


「しばらく町内での被害は無くなったかと思ったら……また、町外れのコンビニで一件。で、昨日、ハルくん家の店でスリ被害。ね? こう……移動して、戻ってきてる。なんでだろう。どうせなら、一度にガッツリ盗んでおいてしばらく潜伏した方が、見つかりにくいよね」

「確かに……ターゲットとしての店の種類を変えたんだと思ってたけど、単に地域を移動してたってことか。にしても、理由は何かしら?」


「なんか、あれみたいだね。ほら、熊とか鹿が山から降りてきて畑が被害にあいました、みたいなニュース」

「お、花奈。それ案外、核心ついてるかもしれないぞ」


 ハルが人差し指を立て、したり顔で頷く。


「調達してんじゃね? 必要な分を、必要なところで。俺だって、部屋にギターと機材置ききれないから、あちこちに分散して置いてるもん」

「あちこち、って?」

「んー……いわゆる、別宅? 必要になる度に取りに行って、またそこに置いてくる」


「うわぁ……寺尾くんに散々お説教してたくせに……」

 花奈が小声で呟き、実智が無言で白い目を向ける。


「ハルの素行は置いといて、着眼点はいいかもしれない。実は一瞬、クレプトマニアってのも考えたんだけど、盗んでる物の一貫性から見てその可能性は低い気がするし」


「クレプ、と……?」

「クレプトマニア。いわゆる窃盗症だな。女性に多い症状と言われてるが、男性にも無いわけじゃない。目の前にある物を衝動的に盗んでしまうことを繰り返す精神疾患なんだけど……今回の件では除外して良さそうだな」


 透の補足に頷き、実智は続けた。


「移動しながら少しずつ盗む意味は………大量に持って置けないから?……持ち歩けない、置き場が無い、保管出来ない………定住、してない?」


「それだ。流浪の盗人さすらいのぬすっと、か……」




「にゃあぁぁ」

「いててっ」


 公園を囲む樹々の隙間から白猫が顔を覗かせたかと思うと、金網のてっぺんから音もなく飛び降りた。一目散に花奈の元へ駆け寄り、膝に飛び乗る。


「リーダー、お散歩してたのね。おかえり」


 近くの入り口から、ふらりと人影が現れた。手の甲を引っ掻かれたらしく、片手で傷を摩りながらおずおずと踏み入ってきた男性が、「どうも」と軽い会釈を寄越した。



「……大友さん」


 他の者は気づかなかったが、実智は透が即座に警戒したのを感じた。若干カチンと来たが、もちろん顔には出さない。生鮮組3人は興味津々で密やかに目配せを交わし合っている。


「こんにちは、墨谷さん。昨日はありがとうございました。みなさん、どうも。その猫に連れて来られちゃいまして。その子が大きな声で鳴いて、進んでは振り向き、また進んでは振り向き……という感じで。ついて来いって意味かなと思って暇つぶしに追いかけてみたら、ここに。小さいけど、落ち着いた良い公園ですね」


 周りを見回し、石垣の向こうを透かし見たりしながらにこやかに話しかけてくる。


「ああ、神社の先のカーブをぐるっと下って、ちょうど裏手になるんですね。なるほど………ああ、失礼。私、最近こちらに越して参りました、大友と申します。墨谷さんには引越しの際にお世話になりまして」


 改めて一礼する大友に、興味を抑えきれない様子の道行が口を挟む。


「こちらこそ、みのりちゃんがお世話になってます。僕たち、みのりちゃんの幼馴染で、商店街仲間なんです」

「ああ、そうでしたか。お話の邪魔をしてしまったみたいで、すみません」


「お気遣いなく。ただの雑談ですから」

「商店街の防犯について話してたところです。みのりちゃん、賢いし優しいしすごく頼りになるから」


 軽く去なそうとした透の言葉を遮り、アピールのつもりなのだろう、道行が意気込んで実智を褒めたてる。実智の恋路を本気で応援しているらしい。

 当の実智はといえば、わずかに顔を逸らし、密かに嘆息している。「ちょっと道行、勘弁してよ」とでも言いたげな様子だ。


「防犯。ああそういえば、言ってましたね。窃盗被害が増えているとか。何かわかりましたか」

「いえ、残念ながら、まだ何も」


 実智に変わって透が答え、さりげなく移動しながら先ほど道行が地面に描いた地図を足で消した。




 ☆☆☆☆☆




「透、さっきの何だよ」


 大友が立ち去ると、ハルが怪訝な表情で振り返った。


「何って?」

「ちょっと態度おかしかったろ。あれ、例の実智の……」


「ねえ。あの人、別にそういうんじゃないから」


 実智の抗議を無視し、ハルは改めて透に向き直った。透は目を合わせず、足元の消し残した地図を見下ろしている。



「何で黙ってんだ? お前があんな態度取るなんて変だ。なんかあんだろ」

「そうだよ、透くん。出来ることがあれば手伝うとまで言ってくれたのに、失礼ギリギリって感じだったよ。良い人じゃん」

「うん。リーダーが連れてきたぐらいだもん、あたしも悪い人じゃないと思う……」


 かつて花奈が見つけ、5人がかりで世話したおかげですっかり大きく育った白猫が、花奈の膝の上で喉を鳴らした。





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