第14話 日曜・来訪者たち


 何か調べようと思ったら、すぐにネットで調べられる時代。便利になったものだとつくづく思う。


 だが、ネットでは辿り着けない情報も、もちろんある。そういう時は専門家や関係者の力を借りることになるが、意外と身近なところにも何かにつけ博学な人はいたりするものだ。

 そういう意味で、古本屋というのは狙い目だ。一概には言えないが、古本屋の店主は読書好きが高じてそれを生業にしている人が多い。また、横のつながりも深く豊富で、古書マニア同志のネットワークを持っている場合もある。そのマニア達は大抵、各々特定の分野に精通している。中には、その特定分野を専門に扱っている古書店まであるのだ。


 墨谷古書堂の老店主に紹介された年配の男性は、やはり古書店の主とのことだった。幸いここからそう遠くない街で小さな店を構えているらしい。



 墨谷古書堂の孫娘、実智さん(店の名前など見ずに入店していたので、彼女が「ただいま~」と店に入って来た時には驚いたものだ)に目的の乗り場まで案内してもらい、バスに乗った。彼女はバスが出発するのを見送ってくれた。手を振ってくれたが、振り返すのは気恥ずかしく、椅子の上で会釈を返すに留めた。


 バスに揺られながら、私は自然と彼女のことを考えていた。



 先日、成り行きで昼食を共にした時と、その数日後にアパートの前で出くわして花をお裾分けしてもらった時た時。そしてたった今、バス停まで並んで歩く間。個人的に話をしたのは、合わせても一時間ちょっとだろうか。

 簡単な自己紹介や世間話ぐらいしかしていないけれど、彼女は気さくで話しやすく、とても聡明な女性だと思う。

 ただ、あの透き通った瞳に正面から見つめられると何もかも、それこそ魂の裏側まで見通されそうで、いささかどぎまぎしてしまい、そしてそんな自分に戸惑ってしまう。彼女に下手な嘘は通じないだろう。私は昔から、まっすぐに向けられる視線に弱いのだ。

 また、あの声もそうだ。彼女の話し声を聞いていると、脳裏に山深くにある源流のせせらぎや小鳥のさえずりが聞こえてきそうな錯覚を覚える。心地よく沁み入り自然と心を開かせてしまう、落ち着きのある不思議な声だ。この人に嘘を吐いてはいけない、この清流を汚すような真似をしてはいけない、そう思わせる。


 彼女と相対して話すのは、とても心地よい体験だ。きめ細やかな心遣いと親切さ。

 ピンと背筋を伸ばし、いつも体重が僅かにつま先にかかっている。まるで、困っている人があればすぐにでも踏み出して手を差し伸べようとする様に。

 いや、それは単に彼女の癖なのかもしれない。あれは何かスポーツをやっていた人間特有の構え……そう、前後左右に繰り返し瞬発力を必要とする、狭い場所での対戦型の競技。おそらく、バドミントンかバレーボール。バスケやテニスではないだろう。重心の置き方が違うしふくらはぎの筋肉のつき方からして………



 思わず元美術教師の職業病が出てしまい、大友は目を閉じた。かつて教え子達に、体の構造を知ることの大切さを繰り返し説き、自らの体を動かして実感させてきた。「闘う美術部」などと揶揄されながらも、そうやって人体の描き方を教えてきたし、それは効果を上げていた筈だ。


「構造を把握し、しっかりとイメージする。そして、自由に描く。キャンバスの中に、世界を創る」

 

 何度このセリフを繰り返しただろう。もちろん、彼にも重ねて言い聞かせた。彼は貪欲にそれを吸収し、才能の翼を広げ………


 大友は片手で目を覆い、思考を無理やり遮断した。彼のことを考えるのは、よそう。今は駄目だ。



 そして。彼女のことも、考えるのはやめなければ……


 彼女がくれた数本のポピーの花は、窓からの光を浴びて今朝も健気に咲いていた。


 その日、大家さんがビニールハウスで栽培している花を買いに来ていた彼女と、アパートの前で偶然出会ったのだ。職場と自宅に花を飾るのだと、彼女は言った。その彼女は私の顔を見るなり、手にした花束から数本を引き抜いて手早くまとめ、わざわざ自動販売機で水を買ってそれを活けてくれた。持っていたハンカチで器用にペットボトルを包んで手渡し、「3日後に水道水と入れ替えてください。今、あなたにはこういうのが必要みたいだから」と微笑んだ。


 連日の調査にもかかわらず成果の出ないことに焦っていた私は、きっと相当酷い顔をしていたのだと思う。

 彼女の言った通り、私には少しの安らぎが必要だった。時折、窓辺に置かれた様々な色の繊細な花を眺めては、私は殺伐とした心を慰めた。その度に彼女の心遣いに感謝し、心が少しだけ柔らかな温かさで包まれるのを感じた。ちょうど、彼女が花瓶代わりの無機質なペットボトルを、ハンカチでそっと包んでくれた様に。


 そんな彼女を利用しようとしていること自体に、どうしても後ろめたさを感じてしまう。だが、必要なのだ。

 彼女には、人の心をくつろがせる所がある。心の内を引き出すことに長けている様に思う。楽しさ心地よさにつられて余計なことを話してしまわないよう、慎重に距離を取ることにしよう。彼女の持つこの町に関する細かな知識はもちろん、そこからの分析や考察力は自分にとって有用だが、その聡明さは逆に危険でもあるのだ。




……考えるのを止めねばと思うと、余計に頭から離れなくなってしまう。そのうえ今日は考えがあちこちふらついて、纏まらないみたいだ。そんな日もある、なんて言ってられない。これから情報収集だ。何か聞けるかもしれない。しっかりと気持ちを切り替えなければ。



 大友は目を閉じ、静かに深呼吸をして、頭の中を真っ白に塗りつぶしていった。



 ★



 バスに揺られること、およそ30分。隣町にある古書店の店主は、話に聞いていた通り、各国の古い伝説や伝承、物語に詳しい人物だった。


「アドラメレク……んー、聞いたことがありますねえ。確か、どっかの神話で聞いた名前だ。えー………ああ、そうだ。アドラメレク、もしくはアドラマリク。神話の中の太陽神の一種で、のちにキリスト教により悪魔と見なされた。え? 最近の話? いやいやお客さん、そりゃぁいくらなんでも……」


 ある都市伝説について知りたいのだと、大友は食い下がった。

 黒の山高帽に黒のコート、黒皮革の眼帯と銀細工のあしらわれた黒檀のステッキ。明確な強い欲望を持つ者の元に現れ、その欲望を叶える。その代償は寿命や魂ではなく、その者の最も大切なものであるという。近年一部で話題になった、アドラメレクと名付けられた悪魔の使いについて。



「ああ………どうりですぐに思い出せた筈だ。それ、何年か前にも聞かれたことがありましたよ。どこぞの探偵さんでしたがね、訪ねて来られて。なんですか、願いを叶える代償ってのがね、ちょっと特殊でね。実はそういう話は、むかーしから世界中にあるんですよ。数は少ないんですが、ほら、特殊なもんでね、文献に残ってたりするんですよ。外国のふるーい言語で書かれてる文献もね、日本語に訳されてる物も結構ありましてね。いやあ実際のところ、日本ってのは、文書マニア国家なんですわ。古今東西何でもかんでも片っ端から翻訳して、残しちまう。そりゃもう、執念すら感じるくらいで……」



 店主の長い話を省略すると、少し前にそれを調べていた探偵が、確かに居たというのだ。大友はその探偵の連絡先を聞き出し、店を後にした。店主の話はほぼ既知の内容だったが、その探偵に話を聞けば、ネットに落ちている以外の新たな情報が手に入るかもしれない。

 悪魔の手先、アドラメレク。もしくは………若くして散った、とある天才画家の情報が。




 ★



 据付のヘッドホンを装着しつま先で軽くリズムを取りながら、CDジャケットに見入っている大学生。

 彼はその背後を通り過ぎがてらポケットから覗いている財布を素早く掠め取り、店内をさりげなくぶらつき死角に潜んだ。万札1枚と数千円を抜き取り、また品物を見ているふりをしながら獲物の側へと戻り、ポケットへ財布を戻す。全額盗らないのがポイントだ。安心しきってるアホな日本人相手とはいえ、全額盗むのはやはり気がひける。それに、盗るのは所持金の数割程度に留めた方が、バレても騒がれにくいのだ。


『CD視聴してるバカ、背中ガラ空きチョロ過ぎw 今日は豪遊~』



(さて………豪遊って言ってもな……)


 スマホをしまいながら、武田猛はCDショップを悠々と後にし、勝手知ったる様子で雑貨屋の前を通りエスカレーターへ向かった。階下へと運ばれながら、すれ違う買い物客を観察し無意識のうちに狙いを定めている。ほとんどの客は自分が被害に遭うことなど想定もせず、非常に無防備だ。


(そういや、最近髪も切ってないし……スーパー銭湯でも行ってのんびりするか)


 背中のリュックの中には、少し前に調達しておいた着替えが数点入っている。古着屋で盗んだTシャツに、スーパーで束になって売っている肌着と靴下が数点。

 庶民の店からは安いものしか盗らない、というのが最近自分に課したルールだ。欲しい物は何だって盗める。どんな高級品だって、店頭に並べてあるものなら、何だって。

 だが、欲しいものなんてもう無い。前はあんなに欲しかったゲーム機や漫画、高級腕時計もおしゃれな洋服も、簡単に手に入るとわかってしまったから。与えられてこなかったから欲しかっただけで、そもそも本当には、そんな物自体にそれほど興味が無かったんだと思う。


 盗むこと自体のスリルにも、とうに飽きてしまった。最近はただ、自分に新たに与えられた能力を愉しんでいただけだ。実際、お高くとまった高級店の店員の眼の前で高額商品を掻っ攫うのは、痛快ではあった。だがその快感も、今はもう味気なく退屈なばかりだ。



 ショッピングモールを後にすると、もののついでみたいに個人経営のしょぼいコンビニへ立ち寄り、おにぎりや惣菜パンの類を幾つか盗んだ。店主は背中を丸めながら小さな画面のテレビを見ていて、顔を上げもしない。他に客も居ないし、もっと大胆に盗めそうだが、いかんせん品揃えが悪かった。盗りたい物が何もない。

 仕方なく、わざと大きな音を立てて冷蔵庫の扉を開け、スポーツ飲料を1本取り出した。顔を伏せたままレジへと向かい、それだけを会計してもらう。


「ありがとうございましたぁ」

 気のなさそうな店主の声にわずかに頷き、店を出る。ドアが閉まる間際にちらりと盗み見たが、店主の視線は既にテレビ画面へと向かっていた。それでいい。僕のことは、見なくていいんだ。誰も……




 ふと目が覚めた時、自分がどこにいるのかわからなかった。仰向けのまま薄暗い室内を見回し、スーパー銭湯の仮眠室であることを把握した。スマホを取り出して時間を確認。もう夕方だった。

 フル充電されたスマホを充電器から外し、起き上がる。他の客の邪魔ぬならぬよう、いや、目立たぬように部屋を出て、休憩所へ向かう。無料の麦茶を飲みながら、さっき調達したおにぎりでも食べるとしよう。


 こんな生活が、もう1年も続いているだろうか。寝床はそこらじゅうにあった。こういった銭湯施設やカプセルホテルやビジネスホテル。ネカフェや漫画喫茶。食事は食い逃げか万引きで済ませる。着替えや日用品も同様だ。何の不自由もない。何だって盗めるし、僕は捕まらない。


 そういえば、そろそろ家に電話する頃合いだろうか。この時間帯、両親は家に居ない。というより、家にいる時間なんて元々ごく僅かなのだ。



 タオルを敷いたバットに並んだグラスを取り、無料の薄い麦茶をポットから注ぐ。グラスを手に空いたテーブルへ向かいながら、スマホで電話をかけた。案の定、留守電が応答したので、途中で電話を切った。これで着信記録だけは残ったから、生存確認は出来る。警察の捜索を防ぐための手段だったが、相手はうちの両親だ。こんなことをしなくとも捜索依頼なんてしないだろう、とは思う。まあ一応、念のためというやつだ。数ヶ月にたった一度の事、大した手間じゃない。



 荷物を隣の椅子に置くと青年は気怠げに腰掛け、スマホを手繰り始めた。小さな画面を見下ろすその目は、その小さな電子機器と同化しているかのように無機質なものだった。


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