第16話 火曜・実智の暗黒


 昨日は大変だった。大友さんが立ち去った後、ハルに問い詰められた透が、大友さんに対して抱いている疑惑について白状したのだ。


「でもあの人、最近他所から越してきただろ。それに、窃盗の始まりと時期も合う」

 透の一言に、一同は黙り込んだ。


 「本人に直接聞く」と息巻く道行を「顧客を失うから止めて」と押しとどめ、「みのりちゃんが選んだ人を、リーダー(猫)が連れてきた人を、疑うのか」と詰る花奈を宥め、「サスライの怪盗」だの「仮面の怪人」だのと妙な通り名を付けたがるハルに膝蹴りを入れ………そのおかげかどうか知らないが、また例の夢をみた。




「はぁぁぁぁ……」


「おっ、どうした墨谷ちゃん。内臓全部吐き出しそうなため息ついて。ほら、フルーツケーキ食べるかい?」


 溢れるほど芍薬を活けた花瓶の水を入れ替えて戻ってきた私に、自分のデスクの引き出しから個包装されたパウンドケーキを取り出し押し付けてきたのは、営業の坂上さんだ。この人はどうも、例えの言葉選びに難があるし、婦女子は例外無く甘い物が大好きであるが故に糖分を摂取すれば全ての悩みが解消されると思い込んでいる節がある。が、根は良い人だ。お腹出てるけど。


「恋の悩みか? それならおじさん、相談に乗るよ?」

「そんなんじゃないです……いや、ある意味そうかな」


 ギッ、と椅子を鳴らし、営業担当は好奇心を顕わに身を乗り出した。口の端でニヤついているのが若干腹立たしいが、根は、良い人だ。髪は薄いけど。

 なので私は、冷ややかな視線を送りつつほんのり釘を刺すに留めた。


「誰も彼も、人の顔見れば色恋について話したがるんですよね。どうしたもんですかね。うっかりため息の一つもつけやしない」


 案の定、この営業マンはあたふたと追加のお菓子を献上してきた。


「いやいや、そういう訳じゃないんだけどね?」


……なら、どういう訳よ。


「うちのカミさんがさ、墨谷ちゃんのレシピのファンでさ。ほら、商店街のホームページの。うちの会社のコが書いてるんだと教えたらそりゃもう喜んで。『やっぱり旬の食べ物は美味しいわね~』なんつってさ、今までは特売大好きで旬とか気にしたことも無かったのにさ。で、何やかやと君の話題になるわけ。俺としてはね、上手い夕飯が食えるし夫婦の会話も増えて有難いしで、つい……ね?」


「ね? って言われても」


 思わず吹き出してしまったのを見て安心したのか、妻子を養うため汗を日々流す善き父親はお菓子を献上し続ける手をやっと止めた。デスク上には、小さなお菓子の塚が出来上がっている。私は最初に貰ったドライフルーツたっぷりのパウンドケーキを一つ頂戴し、後は全て返却した。彼はいそいそと、お菓子を自分の引き出しにしまいこんだ。一体どれだけ溜め込んでいるのやら。


 どっしりとした重さのあるケーキを指先で小さく摘み取り、欠片を口の中へ放り込むと、フルーツとバターの香りが広がる。     

 私だってそりゃ、美味しいスイーツは好きなのだ。ただそれを「あるべき女子の姿」として見られるのに違和感を覚えてしまう。違和感、というより反発心に近いかもしれない。私は元々、「こうあるべき」とか「男のくせに、女のくせに」とかいう決めつけが大嫌いだ。なので、「恋愛ごときに一喜一憂しちゃうよね、だって女の子だもん」みたいな話の流れになるとつい、イラっとしてしまう。人生、イロコイ以外にだって悩みはたくさんあるのだ。くたばれ、恋愛至上主義。


 若干八つ当たり気味な事は自覚していたので、意識して嬉し気な表情を作り「これ、おいしいです」と微笑んだ。坂上さんは明らかにホッとした様子を見せたので、私は彼の思い込みを助長してしまったのかもしれない。


「ところで墨谷ちゃん。今週のレシピは何?」

「トマトと新玉ねぎと春ピーマン、カレイのエンガワのマリネ。ガーリックとレモンを効かせたドレッシングとエンガワの脂がいい感じで野菜に絡みます。ピーマンの苦味がアクセント」

「おおおお美味そう」

「ビールに合いますよ。2時間ぐらい馴染ませると更に美味しい」

「そりゃ、カミさんに電話しなきゃだな~」


 ホクホク顔の坂上さんが外出すると、店には私ひとりとなった。

 ゴージャスな芍薬の存在感ばかりが際立ち、急にシンとなった室内はさっきより広く感じられる。パウンドケーキの小さなビニール袋を丸めるクシャクシャという音がやけに響いて、なんだかもの寂しい。

 その寂しさは、今朝みた夢の印象によく似ていた。



 場面は同窓会だろう。夢というのは不思議で、その場面の設定や背景がなんとなくわかるものだ。

 人混みの向こうに、彼を見つける。中学生の頃に私が傷付けてしまった、例の彼。あの頃のまま制服姿だったが、それを疑問には思わない。私は彼に謝りたくて、人混みをすり抜け近づこうとする。


 今更だけど、あの時はごめんなさい。うん、気にしてないのはわかってる。君はそんな何年もの間、他人を恨んだり憎んだりしないする人じゃないって、知ってるもの。私が一方的に気にしていただけ。君に酷いことをしてしまったこと、ずっと謝りたかったの……


 人混みを掻き分けるようにして進んでも、彼との距離はちっとも縮まらない。


 ずっと後悔してた。私が君にしたこと、素直な気持ちを話せなかったこと、謝れなかったこと。あれからずっと、何度も夢にみた。謝りたいのに、何故かいつも出来ないの。もう10年以上経つのに、おかしいよね。もちろん、君に未練があるとかそういうんじゃないんだ。ただ……あまりに長い間、後悔と罪悪感を持ち続けてたからかな。君は、特別なの。思い出の中で、君は私にとって特別な人になってしまったんだ……



 言いたいことは、何年も前から決まっていた。言葉と想いは胸に溢れかえっているのに、いつまで経っても距離は縮まらない。この手はこの声は、彼には届かない……




 目が覚めた時には、泣いていた。いつもそうだ。

 少しずつシチュエーションを違えては、繰り返し見る同じ夢。時には目が合っても逸らされたり、遠くから呼びかけても無視されたりと細かな違いはあるけれど、結局いつも話せない。そして、悲しみと後悔にくれて涙を流しながら目を覚ます。

 この悲しい夢は、いつまで続くんだろう。早く終わって欲しいと願う一方、終わって欲しくないようにも思う。たとえ彼に直接謝って許されても、この夢は終わらないのかもしれない。いや、終わらせてはいけないと、思っているような気もする。



 子供の頃から、他人が私に何を求めているのかを的確に理解していた。どんな態度をとれば相手が喜ぶのか、納得するのか。国語のテストによくある、「この時の作者の気持ちを答えなさい」みたいな問題を、考える間もなくスラスラと解けるみたいに。

 おかげでいつも、さまざまな相談を持ちかけられた。私はその度に、相手が欲しがっている言葉と、言うべき事、指摘されたくないであろう事を自在に使い分けて答え、周囲の信用を得てきた。「頼れる委員長」として振舞ってきた。そりゃそうだ。求めている言葉を適切なタイミングで与えてくれ、尚且つ解決に導いてくれる、そんな存在。頼られないわけがない。


 彼らは気付いていなかった。欲しい言葉も本当の解決方法も、全部彼ら自身の中にあることに。私はそれを読み取って答えているにすぎないことに。

 私が答えを生み出したんじゃない。彼らの頭の中を整理整頓してパッケージングし、小綺麗なリボンなりラベルなりを付けて返却しただけなのだ。なのに彼らは、私を聡明だと褒め称えた。  

 今になって思えば、当時の私は人間関係の実験をしていたのかもしれない。私は飢えたペットに餌をやるように、彼らの欲する耳障りの良い言葉を与えては彼らを喜ばせ、手懐けた。時に辛辣な声色や態度を織り交ぜては反応を観察、対応し、相手を籠絡することもあった。人気者になるなんて、簡単だった。

 誰も正しい道筋や耳の痛い真実なんて求めてはいないことを、私は知っていた。


 当時の私は、そんな自分に酔っていたかもしれない。少なくとも、周囲の人間をある意味でコントロールすることを、愉しんでいた。優等生の仮面を被った、小賢しく憎たらしい小娘。それが本当の私だった。



 でも、あの時。何故か彼に対してだけ、それが全く出来なかった。自分の気持ちを制御出来ず、思うままを、いや、思ってもいないことまでも、彼に全てぶつけてしまった。何故だろう、彼にだけ。


 確かにあの頃は、両親の関係が急激に変化したり環境が激変したりという状況ではあったけれど、それは言い訳にならない。自身の状況がどうであれ、他人をひどく傷つけたという事実は変わらない。しかも私は、前述の特技を悪用さえしたかもしれない。姑息にも致命傷は外しつつ、どうしたら要領よく効率的に相手を傷つけられるか、私には充分わかっていた筈だ。

 彼に何を言ったのか、未だにはっきりと思い出せない。でも、私がはっきりとした自覚を持って残酷で卑怯なことをしたというのは事実だ。その事実は、一生背負っていくべきなのだ。一生夢にみて、泣きながら目覚めるべきなのだ。


 せめて傲慢な人間にならないよう、そして他人を赦せる人間に成れるように。




 彼のその後については、うっすらとは知っている。当時、勝手に色々吹き込んでくる奴らがいたのだ。その筆頭は、おそらく道行よりさらに顔が広いであろう、そう、パピ子だった。


 別れて、私が引っ越した翌年には一年後輩の女子と付き合いだしたこと。その後輩女子はパピ子と同じ剣道部で、元々彼に憧れていたことまで聞かされた。

 反射的に「心底どうでもいい」と返しはしたものの、心の片隅では(ほんの、ほんの片隅では)少しだけ裏切られた気がしたのだから、我ながら理不尽すぎて始末に負えない。「何よ、結局誰でもいいんじゃない」と思ってしまうとか、その当時でさえもかなり悪質だとわかっていたので、もちろん誰にも言っていない。ああ、そうだ。ひた隠しにしてるけど、私はゴミ屑のような人間だ。


 その後彼は寮制の高校へ進学し地元を離れたそうだが、その後の事については話題にも上らなかった。

 何せ一度、「心底どうでもいい」とまで突っぱねてしまった以上、私が話題にしないうちはパピ子からは何も言ってこないだろう。そもそも彼女は、私があの時のことを未だにウジウジと気に病んでいるなんて、知りもしないのだから。その境遇と持ち前のコミュニケーション能力で異様なほど顔の広いパピ子のことだ、何か知ってるのかもしれないし、調べる気になればすぐにわかるのだろうけれど。

 あの乱暴な言葉遣いからは想像がつき難いが、パピ子はここら一帯の地主の長女だ。駅から少し離れた場所、祖父母の家がある住宅街の端から向こう側一帯は、代々彼ら一族が所有している土地で……って、今はパピ子の事はどうでもいい。



 彼のその後のことを考える時、私はいつも別のことに気を取られがちになってしまう。おそらく、無意識にそこから逃げようとしているのだろう。

 以前にも似たようなことはあった。SNS上でなら連絡がつくかも、と思い立ち、名前を検索しとうとパソコンを起動したものの、いざパソコンの前に座った瞬間に目的を忘れ、全く関係ないネットニュースを次々に読み漁っていたり……

 結局、なんだかんだと自分に言い訳をしながら数ヶ月ほど先延ばしにした挙句、恐る恐る検索したが、それらしいヒットは無かった。残念に思う気持ちよりもずっと、安堵感の方が大きくて……その事実に、あの時はひどく落ち込んだものだ。


 私は結局のところ、偽善者なのだ。片方では申し訳ない謝りたいと言いつつも、もう片方では会うのが怖い。検索にしてもフルネームでさらっと検索しただけで、踏み込んで探すことまではしなかった。

 今更謝ったところで、当時の仕打ちが消えて無くなるわけじゃない。自分が赦されたいだけではないのか、楽になりたいだけじゃないのか。逆に今蒸し返す方が、彼にとって迷惑なんじゃないか。第一、合わせる顔がない………などと言い訳ばかり連ねて後悔の中にしゃがみ込んでいる、弱く醜い人間なのだ。


 いつだったか、花奈に言ったことがある。


「あのクズ野郎はウンコまみれで首まで肥溜めに浸かってるクソ馬鹿野郎なの」


 あれは紛れもなく、私のことだ。花奈を騙したあのクズ野郎と大して変わらない、肥溜めから這い出す勇気すら持たない私自身を思いながら言った言葉だ。

 他人に対しては偉そうに説教するくせに自分のことになると何も出来ない正論ババア、名づけて妖怪正論ババア。キラキラなんて、全然してない。いつも自分を強く見せるために高いヒール履いて背筋伸ばしてふんぞり返ったフリしてるだけの、臆病な卑怯者。剥げかけの金メッキで必死に取り繕って、澄ました顔で………ふふっ。


 そこまで考えて、思わず吹き出してしまう。淡い金ラメのショールを纏った妖怪砂かけババアの映像が突然浮かんだのだ。砂の代わりにキラキラした正論を投げつけるのだろう。



 ふと机の上を見ると、抜けた髪の毛がたくさん落ちている。また、やってしまった。思考が負のスパイラルに陥ると、無意識に髪を抜いてしまう癖があるのだ。プツプツと、一本ずつ。


……「自分で髪を抜くのはライトな自傷行為」なんて説を聞いたことがあるけど、本当かしら。どっちにしろ、髪の数十本で済めばお安いものだ。毛量の豊富さにかけては両親の折り紙付きだもの。いろいろ破綻してる両親ではあるけれど、この点では遺伝に感謝だわ。




「さて」


 実智は意識して大きな声を上げ、勢いをつけて立ち上がった。机の上と、膝に付いていた抜け毛をくるくると纏め、反故紙に包んでくずかごに投げ入れる。


……そうよ。クズはクズなりにでも、生きていかなきゃいけないんだから。



「そろそろ」


 パンパンと手を叩き空想上の埃を払うと、両腕を大きく振って腰を左右に捻る。コキ、と小さな音が鳴った。


……強がりだろうがメッキだろうが、遠目に見てちゃんと綺麗なら御の字じゃない。まがい物でも、ずっと頑張ってたらいつか本物になるかもしれないじゃない。肥溜めから抜け出せないなら、そのままめくるめく進化を遂げてトイレの女神様にでもなってやろうじゃないのよ平伏して敬い奉りやがれクソったれ神格化上等じゃ見とけこらああああああ!!!



 空中に二発、見よう見まねの正拳突きを放つ。


………よっしゃ、勢いついた。やっぱ、落ち込んだ時は脳内で暴言吐くに限る。意味不明の暴言をいくら吐いたところで何も解決するわけじゃないけど、とりあえず奮い立つわ。私のウジウジも大友さんのことも、ひとまずは脇に置いて、と。




 最後に、大きな音を立てて左の掌に右手の拳を打ち付ける。


「仕事しますか!」




………気安く神格化とか思っちゃったことについては、帰りに神社に寄ってお詫びしてこよう……



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