第17話 水曜・ハルのBlue


『それがしぃ、つい先日まで ”傍ら痛し” を ”片腹痛し” と勘違いして候。カタハライタ~イ☆』



 スマホに向けて右手で呟くと、首を伸ばして襖の向こうの気配を探る。爺さまはまだ、台所から戻らないようだ。

 みるみるうちに、スマホの画面に次々と反応が現れる。


 『出たー、オサムちゃん! ってか、あたしもふつーに片腹痛しだと思ってたし』

 『拙者もカタハライタイでござるぅ~w』

 『カタハライタシとか初めて聞いた気がする、でござる』



 ハルは画面を見下ろしながら、微かに口の端を吊り上げた。よく注意してみなければ、微笑んでいるとわからないくらいに。

 反応は続いているが、スマホを切って後ろのポケットに突っ込む。うちの爺さまはこの電子機器を毛嫌いしており、弄っているのを見ると途端に不機嫌になるのだ。



 目を上げ、ぼんやりと庭を見渡す。爺さま自慢の庭は、朝食後の日課である水撒きを終えた直後なのだろう、よく手入れされた庭木が瑞々しく輝いている。

 子供の頃、厳しいけれど強く優しい爺さまに憧れて、見よう見まねで精一杯竹刀を振るっていた庭だ。爺さまはこの縁側、ちょうどこの場所に座って、幼い孫を叱咤し励ましながら指導してくれたものだった。


 当時、爺さまは剣道から居合道へと進んだ頃で、キリッとした道着に佩剣はいけんしたその姿は幼心に強烈な印象を残したものだった。現在のハルの刃物好きは、ここから始まったのだ。

 剣道自体は早々に辞めてしまったハルだったが(防具の臭いに耐えられなかった)、それでも爺さまは変わらずに可愛がってくれる。配達の帰りに立ち寄れば必ずこの部屋へ通されて、お説教やら世間話やら、時には素振りに付き合わせたりと、なんやかやで引き留めたがるのだ。




 ハタハタと小さな足音が聞こえてきたかと思うと、突然襖が大きく開いた。


「ハルくん? ほんとに?! ちょっとやだ、大きくなって」


 振り返った時にはもう、その女性はハルの目の前で正座していた。なんという身のこなしだろう。瞬間移動でもしたみたいだ。さては相当の手練れか……っていうか、その……

 


「門のとこから見た時どこの剣豪かと思ったわよ。不敵な笑みを浮かべてるし、しかも髪なんか伸ばしちゃってさ。でもよく見るとだいぶ面影あるね。相変わらず綺麗な顔して、何食べたらそんな風に育つのかしら。って、魚よね。当然。うふふ」



「……あの、すみません。えっと……」


 ほんのりと上気した頬で瞳を輝かせ、座ったまま今にもピチピチと飛び跳ねそうなほどの喜び様を呈している女性に気圧されたせいなのか、言葉が出ない……っていうか、あの………



「あ、ごめん。久しぶりだもんね、わからないか。長谷です。長谷麻沙美」





 ☆☆☆☆☆




「……で? その、アサミねーちゃんにスマホ見られて?」


 ハルは沈痛な面持ちで頷く。


「再会した途端に、失恋?」


 大きな溜息をつき、ハルは両手で顔を覆った。

「あまりにもタイプ過ぎて咄嗟に誤魔化せなくてさ……見せてって言われて、そのまま『ハイ!』って……」


「タイプ過ぎてって、その人知ってる人だったんでしょ?」


「ああ、子供の頃はよく遊んでもらってて大好きだった。でもその頃はさぁ……いくら年上とはいえ相手もまだ高校生で、眼中に無かったんだ」



 如何にも無念そうなハルの様子に、3人は思わず半歩ほど身を引いた。


「うわぁ……こいつ、筋金入りだわ」

「なんていうか、ハルくんは昔からハルくんだったんだねぇ」

「三つ子の魂百まで、って言うもんね」


「外見だけじゃないんだ! 経済的にも精神的にも自立していて、話し方、立ち居振る舞い、その他諸々が理想の人。いや、あの人こそ運命の人……だと思ったのに!」



 ノートパソコンを脇に抱えた透が、いつの間にか石の階段を降りてきていた。


「お前の運命の人って、なん人目だよ。でっかい声出して何の話だ? 窃盗犯の手がかりより大事な話か?」


 道行がピョコンと立ち上がり、高々と手を挙げる。


「はい、はーい。地元で動物病院を開業するために戻ってきた昔の知り合いが超タイプに成長していてビビッときたけど、ヤバイ書き込み見られて自爆してブルーになってるハルくんの話でーす」


「ちょっとみっちゃん、そんな身も蓋もない……ね、ハルくん、元気出そう?」



 透は膝を折って頭を抱えているハルを一瞥したが、無言でその横を通り過ぎパソコンの電源を入れた。



「ねえハル、その書き込みってやつ見せなさいよ」

「やだよ」

「どれぐらいヤバいか見てあげるってば。もしかしたら、挽回のチャンスあるかもよ?」


 その言葉に数秒動きを止めたハルだったが、やがて無言でスマホを取り出すと件の画面を表示し、沈痛な面持ちで実智に手渡した。すぐさま4人が画面を覗き込む。



「う……これは………うーん」

「ハルくんがこれを書いてるところを想像すると、ある意味面白い気もするけど……」

「……これ、挽回は無理だろ」


「ねえちょっと、私これやったことないの。見方がわかんない」

 実智が顔をしかめて、道行に助けを求めた。道行がシステムを簡潔に説明する。


「あ、なるほどね。サンキュ…………ああ、これは痛い……ご愁傷さま」


 道行が「チーン」と呟き、花奈に脇腹を小突かれる。



 さらに深くうなだれたハルを一瞥し、スマホを手繰りながら、実智は溜息をついた。


「大体、この『オサムちゃん』って名前は何なのよ」

「……現代のおサムライさんという設定で」


「なんで第一人称が『それがしぃ、』なんだよ」

「言葉遣いも妙にギャルっぽいけど……ちょっと古い感じ?」

「ハルくん、あのさ。ネタでやってるのはわかるけど、それにしてもサム過ぎると思うよ」

「あ、道行ナイス。『サムい』ともかかっての『オサムちゃん』なのか」


 急にクスクスと笑いだした実智が、高々とスマホを掲げる。


「なにこれ、何故か妙にツボにハマってきたんだけど。『切り捨てゴメ~ン☆』とか『ムベなるかな♡」とか。か、『拡散所望』て!」


 キモい、キモすぎると笑いながら、実智はさらに読み上げる。


「『打ち合わせ中、隣の個室で合コンなるものが始まった模様に候。合戦か。皆の者、出逢え出逢え~w 』だって。あんたアホでしょ」


「みのりちゃん、音読はやめてあげて。さすがに可哀相だよ」

「いや花奈、変に庇う方がもっと可哀相な気が……えっと、あのさハルくん、フォロバもリプも一切無しでこのフォロワー数?」

「ああ、その辺は面倒だからやってない」


「それって、結構すごいかも」

「だろ? それでつい、調子に乗ってしまったんだ……」



 苦笑をかみ殺した透が目顔でスマホの返却を促し、実智は渋々といった様子でそれに従った。


「まあ、あれよ。元々が残念イケメンなんだし、今更じゃない。それにほら、世間にはギャップ萌え? とかいうのもあるらしいし……?」


 自分で言いながら無理があると思ったのか、咳払いして流れを変える。

「えっと、『拡散所望』っていうの、ちょっと面白かったよ。うん、あれ私も使おうかな~、なんて」


「……嘘つけ」

「ん?」

「SNSなんかやってないくせに、どこで使うんだよSNS音痴」

「私には必要ないからやってないだけです。何よ、せっかく慰めてあげてるのに」

「うるせえ、リアルデヴィ夫人のくせに」

「ちょっと! 昔のあだ名は今関係ないでしょ?!」


 ハルはおもむろに立ち上がって腕組みをし、クイと顎を上げて実智を見下ろしてみせた。


「『私が上品ぶってるんじゃなくて、あなた方が下品なだけでしょう?』」

「真似しないでよ! それに、そこまで偉そうには言ってないから!」


 いかにも莫迦にしたように小刻みに頭を揺らし、おどけて両目を寄り目にしてみせ、ハルはさらなる反撃を繰り出す。


「『文句があるならベルサイユへいらっしゃ~い』」

「それ、私が言ったんじゃないってば! 尾鰭が付いて広まったやつ! ああムカつく!」


 喉元に伸びた手をサッとかい潜り、ハルはサイドステップで逃げながら囃し立てる。


「そう、そこからデビル伝説は始まったのです。イェ~、デビルデビル。みのデビルぅ」

「なによオサムちゃんのくせに! そこへ直れ! 叩っ斬ってやる」


 滑り台の手摺に立てかけていたハルの木刀を振りまわし、実智はハルを追いかけ始めた。


「イェ~! ってかあれ、前にお前が『似非ザムライ』とか言ったから思いついたネタだからな。ある意味お前にだって責任が無くも無いような有るような」

「どっちよ! いや、どっちだって知らないわよそんなもん! 人のせいにすんな」



 狭い公園中を駆け回る二人をひとしきり眺めていた透が、ぽつりと呟いた。

「ハル、復活したみたいだな」


 花奈が安心したように微笑み、頷く。

「あの二人、ほんと仲良しだよねぇ」


 道行も深く頷き、同意を示した。

「立ち直りの早さはハルくんの長所だよね……って、みのりちゃんのデビル伝説、元はデヴィ夫人ってあだ名がキッカケだったんだね」 


「あ。あたしその現場見た。球技大会の時ね、みのりちゃんバレー部だったから審判やってて。で、試合中にミスして陰湿にいびられてる子を庇って言い合いみたくなったの。その時に言い放ってた」

「球技大会、懐かしいな。まあ、実智なら言いそうだよな。イジメとか毛嫌いしてるから、思いっきり見下した感じでさ」

「それでデヴィ夫人口調かぁ。でもさ、口喧嘩でみのりちゃんと張り合おうなんて、無謀じゃんね」

「うん。あの時、それ見てた2年女子の間でもみのりちゃんファンクラブが出来そうな勢いだったけど、少しだけどアンチ派もいてね。そういう人たちが変なあだ名広めたんだと思う。みのりちゃんは鼻で笑ってたけど」

「実智もなー、敵作りがちだからな。黙ってりゃいいのに、無理なんだろうな」

「えー、でも。悪いコト黙って見過ごすなんて駄目だよ。僕はみのりちゃんに賛成」


「俺だって一応賛成だよ。けど、言い方ってのがあるだろ? 相手を正面きって叩き潰すから反感買うし、そんなもん屁でもねえって態度が余計に相手を煽ることになる。まあ、本人が気にしてないなら別にいいんだけどな。変なあだ名だって本当に嫌がってたなら、ハルもネタになんかしないだろうし」

「だね。ハルくんもみのりちゃんも、むしろちょっと面白がってるよね」




 何周か走ったところで、ハルが息を切らしながら声をかける。

「おいお前ら、呑気に喋ってんじゃねえ。いい加減止めろよ……」


「……ハルくんさぁ、下駄履きでよくあんなに走れるよね」

「みのりちゃんもちょっと苦しそう。そろそろ諦めるかな」

「んじゃそろそろ、本題の防犯ビデオ見るか」



 ゼエゼエ言いながら、それでもまだ走っているふたりを余所に、3人は額を寄せてノートパソコンの画面を覗き込んだ。




 ☆☆☆☆☆





「ちょっと待って。意味がわからない」


 目を大きく見開いたまま、実智は冷たい指先で額に触れた。狼狽えているのか、珍しく不安げな声だ。

「ううん、意味はわかるんだけど……道理がわからない」


 眉をひそめてその端正な顔を歪め、ハルは低い唸り声を上げる。花奈が落ち着かぬ様子でそれぞれの顔を順繰りに窺っている。道行はおもむろに立ち上がり、ふわふわと波打つ髪に両の指を突っ込むと小さく円を描くように歩き回り始めた。


「ううう、なんで? あいつと何度もすれ違ってるのに、誰もそれを憶えてないってどういうこと?!」



 皆の反応を注意深く観察していた透が、確信めいた表情で頷いた。


「みんな、落ち着いて聞いてくれ。道行が今言ったように、俺らの記憶には穴がある。正確には……」



 ひとりひとりの顔を見渡し、突拍子もない事実がしっかりと頭の中に染み渡るよう、声を強める。


「奴の記憶だけが、すっぽりと綺麗に抜け落ちてる。偶然という言葉では済ませられないくらいに」



 

 一同の上に、不気味な沈黙が落ちた。それぞれに浮かぶ表情は異なるものの、皆混乱しているのがわかる。ただし、繰り返し動画を確認しおおよその見当をつけていたであろう、透ひとりを除いて。



「……有り得ない。そんな……だって私たち、注意してた。動画からチェックした人物像……の、特徴を憶えて、外を歩く時もどっかの店に入る時も、周囲に注意を払ってた。でしょ?」


「ああ。身長170センチ前後、少し痩せ型。猫背気味で、長めの前髪で目元を隠してる。服装は特徴薄めのカジュアル路線。黒のナイロンリュック。パトロールの最中だって、すれ違う人間をチェックしてた。な、道行」

「そうだよ。僕、配達の車の中からだって見てたもん。運転に支障がない程度にだけど、注意してたよ」


「でも、憶えてない。実際、奴は俺らの店の前を何度か通ってる。ハルがドラッグストアで買い物中、奴は同じ店内にいた。別の日には、ハルと道行が一緒にパトロールしている時にすれ違ってる。実智は……もしかしたら、中華屋で顔を合わせてるかもしれない。まあ、それはビデオを見る前のことだから、憶えていなくても不思議じゃないけどな」



「ねえ。ねえ、どういうこと?」

 花奈が、堪らずといった様子で声を上げた。明らかに怯えていて、うろうろと歩きまわっていた道行を捉まえ、服の裾をしっかりと握っている。


「この人、前にみっちゃんの歌聞いて涙ぐんでた人だよね? みんな、かなり記憶力いい筈だよね? みっちゃんなんて、一度だけ会った人の顔だって忘れないし。なのに……どうして? 何が起きてるの?」


「実智、どう思う?」

 さっきから考え込んでいる風の実智に、透は声をかけた。



「んん、……いや、有り得ない」

 独り言のようにつぶやいた実智に、視線が集まる。


「実智、言ってみてくれ……ほらお前、物語作るの得意だろ?」


 呆れた様にフッと笑った実智は、肩に掛かる髪を指で梳いた。

「違うよ、私が得意なのは……まあ、それはいいや。いずれにせよ、それは子どもの頃の話で、今は読む専門だし。大体、思いつきでお伽話を作るのとはワケが違うでしょ」


「何でもいいんだ。思いついたことがあるなら、どんなことでも」

「そうだよみのりちゃん、考える上での何か……手がかり? 足がかり? になるかも」

「お願い、みのりちゃん。あたし、このままじゃなんだか怖くって」


 矢継ぎ早に懇願され、実智は左手で右の肘を掴んだ。眉を寄せて目を伏せ、軽く握った右手で顎の先に触れる。根負けした実智は小さくため息をつき、重い口を開いた。




「………記憶が、消されてる」



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