第7話 日曜・来訪者


 初めて降り立ったその町は、故郷の雰囲気に少し似ていた。これといった特徴はないけれど適度な活気と生活感に溢れた、ありふれた郊外の小さな町。日曜の朝とあって、駅前といえども人通りはさほど多くはないようだ。


 この町に、自分の求めるものが本当にあるのか。わからない。わからないが、闇雲に当たってみるしか方法は無いのだ。今までと同様に。


 駅のホームから見えた看板を頼りに、不動産店を探す。まずは拠点を作らなければ。


 改札口の前のパチンコ屋を横目に線路沿いの大通りを渡り、こぢんまりとした商店街の入り口に足を踏み入れる。ほとんど無秩序とも思える程に細い路地が交錯しているが、有り難いことに、目的の店舗はすぐ目の前にあった。

 表に貼ってある間取り図をいくつか眺め、ずっしりとしたガラス戸を押し開ける。



「いらっしゃいませ」


 柔らかく澄んだ声と共に、机に向かっていた若い女性が立ち上がりやって来ると、微笑んだ。20代半ばだろうか、背の高い、涼やかで清楚な雰囲気の綺麗な女性だ。


「この辺りで部屋を探しているんですが」


 彼女はすっと細い手を差し出し、「どうぞ、お掛け下さい」と椅子を示すと、アルカイックスマイルを残しその場を離れた。背中で揺れるまっすぐな黒髪を見送っていると、彼女と入れ替わるように中年の男性がやって来て、カウンターの向こうへ座った。まだ5月の半ばだというのに、早くもじんわりと汗ばんでいる。腹の突き出た見るからに不健康そうなその男が、分厚いメガネの向こうから愛想の良い(つもりだと思われる)笑顔を見せた。


「賃貸物件をお探しで?」



 どうでもいいが、彼にはジョギングの習慣が必要に思える。




 ★★★




 「もうお決めになったんですか?」


 彼女は書類を作りに行った男を見やると、少し目を見開いて僅かに首を傾げた。柔らかな声に、驚きの色が混じっている。


「ええ。そんなにこだわりも無いので……いいお部屋でしたし」


 冷たい緑茶の入ったグラスを差し出しながら、彼女は淡く微笑んだ。ほとんど音を立てず、小さなテーブルの上の茶托にグラスが置かれる。そして、すずらんが活けられた小ぶりなガラス瓶を窓の桟に何気なく移動させた。


「それなら良かった。皆さん、少なくとも2~3か所は内見してから決められるので、少し驚きましたけど」


 周りを見回すと、確かに他の客は担当者と首を突き合わせ、あれこれと熱心に資料を読み込んでいる。私が内見に向かう時にいた客も、まだ間取り図のファイルを取っ替え引っ替え見比べている段階だから、これほど即決する客は珍しいのかもしれない。

 ただ、自分でも言った通り私の希望する条件といえば、「静かで家賃がそれほど高くなく、インターネットが使える」というものぐらいなので、悩む必要が無かったのだ。長く住むつもりも無いし、雨風がしのげて眠れさえすれば充分。もしあれば、マンスリーマンションでも良かったぐらいだ。


「あの辺りでしたら、コンビニや飲食店もいくつかありますし、少し歩けばここより大きな商店街もありますから便利ですね。バスを使えば、ターミナル駅や病院へも近いんです」


 チラ、と横目で担当者の作業進捗を確認しながらテーブルを離れた彼女は、カウンターに備え付けの棚からカラーコピーを一枚取って戻ると、こちらへ向けて差し出した。駅近辺の地図と、商店街の案内図だ。


「駅を中心に、商店街が大小4つ。最近ではシャッター商店街が多いみたいですけど、この辺りはわりと賑やかなんです。専門店や面白いお店もありますから、良かったら散策してみて下さいね」


 言いながら、赤ペンで今まさに契約手続き中の物件へ印をつけてくれた。駅向こうの大きな商店街を抜けて、1、5キロほどの場所にあるアパート。住宅街から少し離れており、畑や車の修理工場が点在するのどかな道を通った先に建っていて、アパートの裏手には花を育てるビニールハウスがいくつか並んでいる。文句なしに静かな場所だ。



 契約書類を持った担当者が、腹を揺らしながらせかせかとした足取りでやって来た。彼女は軽く黙礼すると、再びあのアルカイックスマイルを残し、カウンターの向こうへと戻って行った。




 ★★★



 貰った地図を見ながら、街中を歩き回る。主に、細い裏路地や人目の少ない脇道を中心に……奴の現れそうな場所の特徴は、しっかりと頭に叩き込んである。


 きっとこの辺に、居るはずなんだ。絶対に見つけてみせる。彼の仇を、必ず討ってみせる。それが、私に出来る、唯一のことだ。自分の罪が、それで贖われるとは思っていない。だが。やらずにはいられない。どうしても、この手で奴を消さなければ、私の気が済まないのだ。


 だから、この町にやってきた。あの悪魔の、次の餌食とみられる人間が潜む、この町に。



「大友さん?」


 声をかけられハッとして振り向くと、背の高い女性が立っていた。 


「ああ、さっきの……ええと、墨谷さん。先ほどは、お世話になりました」

「いえ、こちらこそ。ご契約ありがとうございました」


 私が手にしていた地図に目を留め、彼女は顔を綻ばせた。端正な顔立ちが一変、無邪気とも言える印象になる。


「早速探検されてるんですね? 地図がお役に立っているみたいで、よかった」

「ええ、まあ。おかげさまで」


 彼女の言う探検とは少し趣は異なるが、確かにこの地図は役に立ってくれている。


「先ずこの町全体の雰囲気を見てみようと思いまして。商店街やスーパーは後回しにして、少し散歩してみたんです」


 自分の契約したアパートの近くでもない、こんな住宅街の中にいるのを怪しまれたくなくて、咄嗟に言い繕う。不審者として目をつけられると動きづらくなるのは、経験上分かっていた。


「住宅街の中にもいろんな店が散らばっていて、面白い町ですね」

「そうでしょう。古いお店も多いし、住民も古くからの人がたくさん。今時珍しく、住民同士の結びつきも残ってて、住むにはいいところだと思いますよ。実は私の家も、この近所なんです。今からお昼を食べに、家に戻ろうと思ってたんですけど……」


 ああ、もうそんな時間か……言われてみて急に、腹が減ってきた。


「もしお昼がまだでしたら、ご一緒しません? お薦めの中華屋さんがあるんですけど、独りじゃ入りづらくって」


 ちょうどお薦めの店を聞こうと思ったところに、お誘いがきた。願ったり叶ったりだ。地元民で不動産店勤務とあれば、町の細かいことまで聞けるかもしれない。


「ええ、是非。喜んで」



 彼女に促され、並んで歩き出す。ヒールの高いパンプスで背筋を伸ばして歩く彼女の目線は、ちょうど私と同じくらいだ。女性にしては歩幅が大きく、歩くスピードも早い。


「もう、いい匂いがしてるでしょう? ほら、すぐそこの店。『闇月亭』っていうんですけど、ネーミングのセンス同様、味の方もちょっと微妙な店なんです。なんかね、大して美味しくはないんだけど、あ、決してまずい訳じゃないんですよ? 良くも悪くも普通で。でも、時折無性に、不思議と無性に食べたくなる味なんです。で、食べ終わると、『もう、しばらくはいいや……』ってなるの」


 楽しそうに笑う彼女につられ、短くではあったが私も声を上げて笑ってしまった。こんな風に笑ったのは、本当に久しぶりだ。


「酷い言い草でしょう? でも、食べたらきっとわかりますよ。それで評判のお店なんです」

「どんな味か、却って楽しみになってきました」



 そういえば、女性と二人きりで食事をとるのも久しぶりだ。気づいた途端、胃のあたりが微かにざわつく。いかん、目的は情報収集だ。忘れるな………




 ★★★




 『トイレ行くふりして喰い逃げなう☆ 』


 無表情でつぶやき終えると、青年はスマホを胸ポケットへしまった。誰に向けて発信しているのか、自分にもわからない。何のためにやっているのかさえ。ただ、反応の有無を、その数を確認しているだけ。反応の内容は、どうでもいいのかもしれなかった。



(今どき『なう』とか……だっさ)


 自嘲めいて鼻息を漏らし、つまらなそうにポケットへ手を突っ込むと、駅前の繁華街へと足を向ける。一度人混みに混じってしまえば、誰にも見つからない。たった今後にした中華屋の頭の禿げた店員だって、金を払わずに店を出たこの僕を捕まえることなんて出来ない。


 薄暗く茂った樹々の隙間の奥に見えるこぢんまりとした神社を一瞥し、先の角を曲がる。石造りの鳥居の前を通り過ぎ、短い横断歩道を渡れば、「南町商店街」と看板のかかった商店街の入り口だ。


 薄暗い古本屋のガラス扉に、自分の姿が映る。特徴に乏しい無地のコットンシャツに、安物のデニム。くたびれたスニーカー。黒のキャップに、肩からぶら下げたナイロンのリュック。すれ違った次の瞬間には忘れてしまいそうな、存在感の薄い陽炎のような男。それが僕だ。


 日曜の昼過ぎ、それなりに賑わっている商店街を歩く。すれ違う人々、和菓子屋のショーケースの向こうに立っている店員、店先でハタキを振るっている薬剤師、乾物屋の奥で置物みたいに座っている婆さん………誰も、僕を見ない。誰も、僕を、見ない。

 いつもそうだ。昔から、そうだった。これからも、きっと、ずっと。


 気楽でいいじゃないか。僕の、この盗みの技術があれば、働かなくても生きていける。欲しいものは何だって盗める。服も食べ物も、現金だって。あちこちから少しずつちょろまかして、ヤバくなったら別の街へ。友達なんていらない。奴らが何をしてくれる? 何をしてくれた? 教師も親戚も、親だって……


 いつものループに陥りそうになって、急いで遮断する。考えたって無駄なことだ。過去は捨てた。親のつけた名前さえ。


 今の僕は、武田猛。自分でつけた名前だ。まあ、名乗る機会なんてほとんど無いし、たまにカプセルホテルに泊まる時かSNSのアカウント名ぐらいでしか使ってないけど。



 それにしても、退屈な町だ。小さな店はたくさんあるけど、遊ぶところがほとんど無い。しょぼいゲームセンターもどきがあるくらいか。まあ、そういうしょぼい町の方が盗みもやりやすいのは事実だ。もうしばらくは、ここで稼がせてもらおう。そうだな………とりあえず、本屋で立ち読みに夢中になってる客あたりから小銭でもいただくとするか。

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