第19話 金曜・ピンクの淑女
何故、あたしだけが憶えていたんだろう。
透くんから録画を見せてもらった時、すぐにわかった。みっちゃんの歌を聴いて涙ぐんでいた、あの人だって。
顔は見てない。確か、見てないと思う。でも、目の前を通り過ぎた時に、指先で涙を拭う仕草をしたのは見えた。
それに、あの雰囲気。辛い、苦しい、助けて。体から発する、無音の救援信号。それに気づいて、あたしは彼を目で追ったんだと思う。
でもなぜ、あたしだけが彼を憶えていられたんだろう。その理由も、明日の作戦が成功したらわかるのかな。
「どうだろうねぇ」
古書店のレジカウンターに寄りかかると、実智が人差し指で前髪を払った。
「そもそも、犯人がライブ見に来てくれなきゃ決行すら出来ないしね」
「だよねえ」
「奴の行動範囲、分かってる限りにはチラシばら撒いたし」
「みっちゃんが拡散しまくったし」
「うん。出来ることはやったと思うんだけど、確実性という意味ではちょっと弱い気がするよね」
そう言えば透くん、結構費用かかったって言ってた。GPSのレンタル料とか、印刷物の経費とか。出来ることなら、明日犯人を捕まえるか、せめて確定だけでも出来ればいいな。
「まあ、穴だらけの作戦だけどさ、とりあえず全力でやってみよ。失敗したところで、誰かの迷惑になるわけじゃないし」
「迷惑どころか、みんな喜ぶよ! みっちゃんの歌、いつもの路上ライブより本格的な演奏で聴けるんだし! ギタ-2本と、ベースにカホン(※箱型の打楽器)だよ? アコースティックとはいえ、迫力満点だもん! ……あ、もちろん作戦成功するのが一番だけど」
慌てて付け足すと、みのりちゃんは「ハイハイ」みたいな感じで笑った。いけない、いけない。明日は路上ライブより、作戦の方が大事なんだから。
「あたし、頑張るから。ちゃんと見張って、見つける。それで……あ、やだ。緊張してきた」
みのりちゃん、どうしよう……と顔を上げた瞬間、古書店のガラス扉が開いた。音はしなかったけれど、微かに風が入り込んだのに気付いたのか、みのりちゃんが素早く姿勢を正して振りかえる。
「いらっしゃいま…せ」
……みのりちゃんの噂の想い人(?)、大友さんだ!
腰掛けていた小上がりから即座に飛び降り、みのりちゃんの後ろをすり抜けてカウンターの向こうへ。
「じゃあ、みのりちゃん、あたし透くんのとこ行ってくるから。ほら、明日の作戦のことで、打ち合わせとかいろいろ、ね?」
アセアセと「ちょっ、花奈、待て」とか囁いてるみのりちゃんを無視してドアへ向かい、大友さんに愛想よく会釈する。
「先日はどうも」
「百々瀬さん。どうも、こんばんは」
「あのあたし、もう出なきゃいけないんです。せっかくの金曜の夜なのに、みのりちゃんお留守番してなきゃなんで、良かったらゆっくりしてって下さいね」
「ああ、恐れ入ります。どうぞお気をつけて」
大友さんの肩越しにみのりちゃんの恐ろしい顔が見えてるけど、あたしはにっこり笑顔で手を振った。
「じゃあね、みのりちゃん。また後で。大友さん、失礼します」
再び会釈して大友さんの横をすり抜けた時、胃袋の底から背中にかけて微かにざわめいた……と気がついた時にはもう、外へ出ていた。「あの、先日お借りしたハンカチを……」「まぁ、別に良かったのに」という会話が聞こえて思わず振り返る。ガラスの扉越しに「ご主人は、また病院へお見舞いですか?」「ええ、そうなんです」と漏れ聞こえたが、扉が閉まると何も聞こえなくなった。
たぶん2、3秒くらい。あたしは大友さんの背中とみのりちゃんの様子を見ていたけど、うん。心配ない。みのりちゃん、平気な顔してるつもりだろうけど、なんだか嬉しそうだもん。ちょっとテンション上がってるの、バレバレだもん。
……可愛いし面白いから、透くんに報告しちゃおうっと♪
☆☆☆☆☆
「……それは是非、見に行きたいな」
「ダメだよ、邪魔しちゃ」
「せめて監視カメラを逆向きに」
「するわけないでしょ。あれは店内から通路側を録画するために取り付けてあるんだから」
透くんったら、あたしの報告を聞いてノリノリだ。まあ、あたしも、当然食いつくだろうなと思いながら話したわけだけど。
「ねえねえ、透くんは、まだあの人のこと、疑ってるの?」
「いや、うん……疑ってる、とまでは……言わない、けど」
透くんにしては、はっきりしない。言葉をやけに濁してる。
「たしかにあの人、みのりちゃんよりずっと年上だし、まだ会ったばっかりだし? 心配なのはわかるけど」
ハルくんのお兄さん、凪一くんがだいぶ前に独立して以来、ずっとあたしたちの長男役をやってきてくれたのは、透くんだ。みのりちゃんはすごくしっかり者だけど、今まで恋バナ的な話はあまり聞いたことが無かったから、心配なんだろうな。
「でもあの人、いい人そうだよ?」
「花奈……お前にとっちゃ、大抵の人はみんな『いい人そう』だろ」
……うっ。反論出来ません。前にそれで騙されたわけだし。
「でもでも、みのりちゃんが。みのりちゃんは、あたしと違って人を見る目あるし。あのチャラチャラしてた寺尾くんだって、頑張ってお仕事続けてるでしょ? 明日のライブだって、二つ返事で手伝いに来てくれるし」
「うーん、でもなあ。チャラ男の件はともかく、あの、街中を異常にウロウロしてる理由がわからんからなぁ」
「ボケモン探しかも」
「スマホ握ってなかったろ」
……だよね。あの人スマホゲームとかやらなそうだし、無理あるよね。
「しょっちゅう出歩いてて、仕事も不明だし。花奈、なんか聞いてるか?」
「ううん。顧客の個人情報は明かせない、の一点張り。かといって、いきなり本人に聞くのは流石に、ね」
「賃貸に入れてるんだから、無収入ではないんだろうが……いや! 止めよう」
急に話を止め、透くんは口元を拭うような仕草をしてメガネに触れた。これって、気まずかったり動揺してる時の癖だ。
「あんまり首突っ込むと、お節介するなって怒られるし、さらに秘密主義になる」
「たしかに。みのりちゃん、自分のことについてはガード堅いもんね」
……さすが透くん、よくわかってる。みのりちゃんは、自分のことを人に相談することは滅多にない。何かあったとしても大体、事後報告みたいな形でサラッと話してくれるだけなのだ。
「ここはひとつ、実智の人間観察眼を信じて」
「うん。静かに見守る方向で」
「でも、恋は盲目とも言うしなぁ……」
「透くん! みのりちゃんは大丈夫! 静かに応援!」
「……おう。だな。よし」
あたしたちは団結を固め、頷き合った。
「ところで、恋は盲目といえば……アマネさんって、どんな人?」
「ウエッッホ!! ゲホッ! オホゴホッ!!」
透くんは、非常にわかりやすく動揺を示した。酷く咽せて、顔を真っ赤にして涙目になっている。かわいそうなので、丸めた背中を拳で軽く叩いてあげた。
「あー、なんかごめん。みっちゃんからちょっと聞いたんだけど、触れちゃいけないやつだった?」
「待っ……て、咳……ゴホゴホッ、止めるから……っ」
タートルネックを伸ばして、喉仏のあたりを親指と曲げた人差し指でグッと掴む。わあ、痛そう……えええ、大丈夫? 死んじゃわない?
「………ッはああああ。よし、止まった。ああ、苦しかった」
「ごめん……」
「いや、大丈夫。昔から扁桃腺弱くてさ、すぐ咳き込むんだ。知ってるだろ? ……ああ、サンキュ」
レジの下に置いてあるペットボトルのお水を差し出すと、透くんは一気にゴクゴクとお水を飲み、大きく息を吐いた。漸く呼吸が整ったみたい。
「周さんは、なんでもないよ。絵本の方の担当編集者で、大学時代のOBだったってだけ」
……でも、夢に見て寝言言うくらいなんだから、好きなんじゃないの? 少なくとも、気になってるとか……って聞きたかったけど、今は我慢しよう。また咳き込んだら可哀想。
「ほんと、なんでもないから。まだ……あ、いや」
……透くん、動揺しすぎて自滅してます………もういいから。そうそう、お水飲んで。
透くんの窮地を救ったのは、一本の電話だった。
あたしたちが気にかけている案件の幾つかが、まとめて答えを持ってきたのだ。
「もしもし透? 私たちが探してる犯人の、名前が分かった。大友さんが教えてくれたの」
☆☆☆☆☆
「はあ? ちょっと待て、どういう」
透くんは素っ頓狂な声でそう言って、すぐにスマホをスピーカー通話に切り替えた。いつもよりほんの少し人工的な、みのりちゃんの声が流れ出す。
「大友さん、あの犯人を追いかけてこの町に来てたの。でも、知ってるのはSNS上での名前だけ。で、私たちとは別路線で探してたんだって」
「ちょっと待ってくれ、話の筋が掴めない」
「うん、これからそっち行くから。今、店閉めてるところ。大友さんは資料を取りに帰ってて、そっちで合流する。花奈もいるんだよね?」
「はぁい、居るよ!」
……とりあえず返事はしたけど、急展開すぎて全然意味わかんない。なにこれ、どういうこと? 混乱するあたしを置いてけぼりに、話は進んでく。
「ハルと道行は、まだ?」
「えっと、うん。まだスタジオだけど、もうすぐ終わる予定」
「じゃあ悪いけど、花奈、集合かけて。あ、チャラ男は抜きで」
「わかった」
「透、映像揃ってるかな。あ、あと、集合はそっちでOK?」
「あー、商店街事務所の方で。うるさくなると上に迷惑だからな」
「分かった。店は、いいの?」
「この時間だ、どうせ客なんか来ねえよ。そっちもだろ?」
少し間が開いて、みのりちゃんが笑ったのがわかった。声は聞こえなかったけど、なんとなく。
「まあね。ちょっと早いけど、いいでしょ。大友さんには私が連絡しとく」
☆☆☆☆☆
「ご主人は、また病院へお見舞いですか?」
「ええ、そうなんです。もうじき退院なので心配が無くなったせいか、祖父も気が楽になったみたいで。最近は、お見舞い帰りにあちこち寄り道してるんです。今頃どこかで一杯ひっかけてるんじゃないかしら」
実智は平静を装いながら、笑ってみせた。
「この前の件ですか? 電話かけてみましょうか?」
「いえいえ、おかげさまでいろいろ話を聞くことが出来ました。今日伺ったのは、あの……あちこちに貼ってあるポスターが気になって。あれに載ってるの、森井さんと高柳さんですよね?」
ああ……と、実智は頷いた。ちょっと暗号めいた意味深なキャッチコピーを添えたライブ告知のポスター。もちろん犯人を刺激するために、皆で協議を重ねて決めたコピーだ。
『WANTED!! 盗んだココロ、返せ』
わざと粗く潰してざらりとした感触に仕上げた、道行とハルのツーショットと街の風景写真を数点。それをアスファルトにばら撒いた画像に、縁取りを施したショッキングピンクの太文字で上記のキャッチコピーが斜めに横たわっている。その下に、ライブの開催日時と場所を書いたメモ紙をピンで留めたようなデザイン。
ものの数時間で作った割に、かなり目立つポスターが出来上がった。副業とはいえ、流石は絵本作家。透の面目躍如といったところだ。
「明日、商店街の無料ライブをやるんです。あのコピー、古い歌謡曲の一節で」
「知ってます。女性二人組のユニットですよね?」
「そうそう! 森井が昔の歌謡曲に詳しくて。今回の計画にピッタリだって」
「計画? そういえばさっき、百々瀬さんが『作戦』とか言ってたみたいだけど、そのことかな」
「あ……ええ、まあ」
☆☆☆☆☆
「っていうわけで、何やかんやでライブの目的とその後の作戦をざっと話したら、大友さんも彼の方の事情を話してくれて……」
「待て。どこまで話した?」
「ざっくりと大枠だけよ。頭おかしいと思われちゃうだろうから、記憶の消失云々とかまでは言ってない」
たぶん、あたしのせいだ。あたしは慌てて手を挙げた。弁明しなきゃ。
「透くん、みのりちゃんを責めないで。さっき大友さんの前で、あたしがうっかり『計画』だの『作戦』だのって言っちゃったから……ごめん」
「いや、別に怒ってるわけじゃない。大友さんが来る前に、どこまで打ち明けるかをすり合わせておこうと思っただけだから。で、大友さんの事情っていうのは?」
みのりちゃんが「それは」と言いかけたところで、カラカラとアルミサッシが開く音がして控えめな声が聞こえた。
「すみません、大友です。こちらでよろしいでしょうか……」
透くんがいくつもの映像を見せながら、大友さんにこれまでの経緯や犯人を特定した過程を話す間、大友さんは盗品のリストや被害にあった区域の地図、映像などを真剣な表情で見比べていた。
どうやら、この人が本気で犯人を追っていたらしいことは、その様子からわかった。
でも、なんで? まだ詳しい話は聞けてないけど、犯人と直接知り合いでもないみたいだし……
それにしても、二人の間で、ものすごいスピードで話が進んでる。頭のいい人同士の会話って、迫力あるなあ。お互いの理解が早くて、階段を2段3段飛ばしで駆け上がってるみたい。
既に知っている話の筈なのに初耳みたいな錯覚に陥りかけて不安になってしまい、助けを求めてみのりちゃんを見上げると……みのりちゃんは、ものすごく集中していた。会話している二人を見るでもなく、平凡な事務机の角をぼうっと眺めているだけみたいだけど、そうじゃない。話の内容と、多分、大友さんの様子を観てるんだ。だからあたしは、邪魔にならないように、息を潜めた。静かに、静かに………あ、みっちゃんの足音!
「ただいまー! 遅くなってごめーん」
バシャーン! と派手な音を立てて、サッシが開く。あまりの勢いに、反動で扉がちょっと戻った。みっちゃんの後ろから入ってきたハルくんが冷静に、閉まりかけた扉に滑りこみ、静かに閉める。
「なになに、何の話? 犯人の名前が判明って、どういうこと?」
「落ち着け道行、近所迷惑だ」
「……えっと要するに、むかし大友さんのお知り合いが詐欺師に騙されて酷い目にあって、その同じ詐欺師に万引き犯「武田猛」くんも現在進行形で騙され中で、だから大友さんは武田猛くんに会って注意してあげたい、ってこと?」
あたしの大雑把なまとめ方に戸惑ったのか、大友さんは少し言葉に詰まったみたいだったけど、とりあえず頷いてくれた。
「詐欺師……まあ、そんなところです。もちろん、彼の犯した窃盗という罪に対しても、きちんと償わせるつもりです。責任を持って警察まで同行し、更生を望むのであればそれも見守りたいと、思っています」
「更生。見ず知らずの他人に、そこまで?」
「ええ……元、が付くとはいえ、一応教師の端くれですから」
透くんにそう答えると、大友さんは顔を少し伏せて、微笑んだ。なんだろう。口元は笑ってるのに、なんだか悲しそう。
そのあと、大友さんはどうやって犯人の名前を見つけたのかを説明してくれた。
元々は、ネット上であるキーワードを調べ尽くしている時に、犯人を偶然見つけた。彼は、自分の犯罪を自慢するようにSNS上でつぶやき続けていたのだ。彼のつぶやきを追い続け、その文面やアップした写真の数々を分析して、この街に辿り着いたのだ、と。
「遡ると、彼の最初のつぶやきは、こう始まっていました。『ある人に、特別な力を貰った。これで誰も僕を見つけられないし、誰も僕を罰することは出来ない。僕は、真の自由を手に入れた』」
「なんだよ、厨二病ってやつか」
「ええ、反応はそういうものばかりでしたね。でも、彼はそれを意に介さなかった。一度も返信することなく、淡々と窃盗の報告を綴っていました。これが、そのつぶやきをプリントアウトしたものです」
みのりちゃんが真っ先に手を伸ばし、紙の束を受け取って読み始める。紙面をありえない速さで流し読みして(これで内容が分かっちゃうなんて!)、隣に座っている透くんにそれを手渡し、また次のページに目を通す。透くんも、みのりちゃんほどじゃないけど素早く読み進め、紙を差し出した。みっちゃんもハルくんも、ちらっと眺めただけで手を出そうとしないので、あたしがそれを受け取る。あとでゆっくり読もうっと。
「この街に来てからの内容は、私たちが調べた盗品リストとほぼ一致するわね」
「ああ。大まかだけど日付も合ってる。この『鼻の下伸ばした酔っ払いオヤジ、チョロい。?千円ゲット』っての、お前の店の客だな。ハル」
透くんが指し示したところを見て、ハルくんが顔をしかめて頷いた。片膝に乗せた足首が小刻みに揺れ始めた。ハルくんちのおばさんの店で起きた、現金盗難。ハルくん、かなりイラついてる。
「こっちの『トイレ行くふりして喰い逃げなう☆ 』ってのは……おそらく、闇月亭。実智と、その……」
「そうね」
みのりちゃんが、やけに急き込んだ様子で同意した。素早い仕草で前髪を斜めに流す。みのりちゃん、前髪ちっとも乱れてないよ。焦ってるぅ……
「あの、大友さん。失礼ですが……貴方と実智がこの店で食事した時、店内に犯人がいた可能性があるんです。憶えていらっしゃいませんか?」
大友さんは驚いたみたいだったけど、手元の画像を見直して、「残念ながら」と首を振った。仕方ないよ。顔を知らなかったんだもの。でもあたしたちは、思わず密かに目を見交わした。
ここにも、犯人の顔を覚えてない人が、ひとり……
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