第20話 無色の棘
いよいよ、作戦決行の日。
ハルと道行は、すでにライブの準備中。こっちも準備は万端。各自、持ち物と役回りを確認する。
「花奈、目印は?」
照明を落とした薄暗い店の中、緊張した面持ちの花奈がお手製のリボンを掲げて見せてくれた。両サイドにキラキラ光るラインが入った、かなり目立つピンク色のリボン。小さなかぎ針が取り付けてあり、皮膚に刺さらない程度、洋服に素早く引っ掛けられるように細工されている。
「花奈が奴に声をかけたら、すぐに実智が奴を振り向かせる。その隙に、それをくっつけて離れるだけだ。大丈夫。もし上手く付けられなくても問題は無いから、あまり緊張しなくていい」
「わかってる。これは、ただの目印」
その通り。さて、次は実智だ。
「GPSの動作確認は」
「オッケー。ストレッチも完了。いつでも走れる。威圧のオーラも、ほらこの通り」
「みのりちゃん、オーラ出すの早すぎ。怖すぎたら近づく前に逃げられちゃうよ」
花奈の的確なツッコミに、実智は腕組みを解いた。取り繕うように肩の髪を払い、明後日の方を見ながらアキレス腱を伸ばす。珍しく、ストレッチジーンズとハイカットのスニーカーを履いている。全身をモノトーンでコーディネートしている上に、手首には黒革の石付きブレスレットをぐるぐる巻きにしているので、映画に出てくる女アサシンの様に見える。
「かなり気合い入ってんな」
「もちろん。この日のために散々走り込んだもの。絶対に逃さない」
不敵な笑みに、犯人に対して若干の同情を覚えなくもない。とはいえもちろん、手加減はしないが。
それはそうと、あの公園でのハルとの追いかけっこを「走り込み」と呼ぶのは、どうなんだろう。ひとりでジョギングするのが退屈だからといって、連日公園で鬼ごっこを繰り広げていても、走力の向上にはなるのだろうか。まあ、今回のミッション自体が鬼ごっこみたいなもの……と、言えなくもないか。
「それにしても、『武田 猛』なんてふざけた名前よね。ほんと、ぬすっと猛々しいったらないわ」
「ああ。おそらくそこから付けた偽名なんだろうな」
武田 猛。昨晩教えられたばかりの、犯人の名前だ。
初めての投稿から2年近く、つぶやき続けていた内容を思い返す。窃盗行為を自慢し、のみならず、盗んだ店や品物を馬鹿にするような発言の数々。
大友が調べ上げたそのつぶやきを読み、最も怒りを露わにしたのは、道行だった。古くからの友人たちの店も多数被害に遭っているし、何より、曲がったことが許せない性分なのだ。
「捕まえたら、ギッタギタにしてやるんだから」
「ギッタギタって。ジャイアンかよ」
「あはは。それはタケシ違いだね」
花奈の朗らかな笑い声が、場を和ませてくれる。ただでさえ道行の暴走が心配な中、花奈のこういうおっとりとした空気感が非常にありがたい。
「実智、お前はハルと道行を抑えてくれ。特に道行はかなり頭に血が上ってる状態だからな」
「えー……ギッタギタ禁止か。じゃあせめて、精神的に追い詰めて締め上げて鼻水垂らしながら号泣して地べたに這いつくばって壊れて砂を喰らうまで…」
「やめてみのりちゃん、怖いから。みのりちゃんが言うと冗談に聞こえないから」
……上手く餌に食いついてくれればいいんだが。
あの後、怒りを行動力に変換しSNSの鬼と化した道行が武田猛のアカウントを猛追し、本人曰く、奴のアカウントのタイムラインに引っかかる様、ライブ告知をばら撒きまくってくれた。
道行のアカウントは本名で、プロフィール画像には自身の写真を使っているし、武田は道行のライブを一度見ている。花奈の言葉を信じるなら、そのライブでかなり心を動かされた様子だ。
加えて、今回のライブのタイトルが「WANTED」。窃盗犯の身としては、気になるタイトルだろう。
告知に気付きさえすれば、武田猛がライブを見にくる可能性はかなり高まったと思う。
「でもね、あたし……」
頭の中で計画を再確認していると、花奈の心許な気な声で思考が中断された。
「あの人、そんなに悪い人じゃないような気がするんだよね」
「……花奈、あんた……」
焦った様子で、花奈が両手を振る。
「えっと、違うの。もちろん窃盗は悪いことだよ。それはそうなんだけど。本当にわるい人が、通りすがりに歌を聴いて涙流したりするのかなぁ。そりゃ、みっちゃんの歌は最高の最高に素敵だけど……それに……あの、なんか……」
体の両脇でしきりに腕を動かしているのは、話したいことがあるのに言葉が出てこないもどかしさの表れなのだろう。実智も同様の判断をしたらしく、眼鏡の並んだカウンターに腰を預け、話を聞く体勢を取った。
「そういえば花奈、前にも言ってたわね。辛そうだか悲しそうだった、みたいな事」
「そう! そうなの」
目を大きく見開き、強く頷く。腕の振りは止まり、親指を握り込む形で拳を握っているが、表情は少し不安げだ。
「ああいう顔っていうか、雰囲気? よく見るんだ。子供が泣くのを必死でこらえてる時。あとね……ちょっと、昔のあたしみたいで」
思わず目を逸らししてしまった。あの頃の花奈は、酷く傷ついて辛そうだった。いや、傷つくどころの騒ぎじゃない。思い出すだけでもこちらが苦しくなるくらい、身も心も擦り切れてボロボロで粉々に壊れてしまいそうだった。
「あのつぶやきなんかもね、一晩かけてゆっくり読んだんだけど……みっちゃんが怒るのも当然だとも思うんだけど、なんか、強がってるっていうか……上手く言えないけど………何度も読んでるうちに、泣き叫んでるみたいにね、思えてきて……」
「わかったよ。私たちで助けるってことね」
実智が勢いをつけて起き上がると、申し訳なさそうな顔の花奈の真正面に立ち、両手を腰に置いた。全く、どこのイケメンだ。変身直前のヒーローかよ。けど……
「花奈がそう言うなら、まぁ仕方ないな」
「ね。呼ばれてないけどしゃしゃり出るわよ。お節介の妖怪正論ババア再登場よ、まったく」
「変なこと言ってごめんね。でも、みっちゃんすごく怒ってるし、それも心配で」
道行の怒りを宥めつつ、犯人に対しては、糾弾制裁ではなく反省を促す方向へ導くよう努める。そして、粛々と該当機関に引き渡す。
最初からそのつもりではあったのだが、捕まえてからの流れをもう一度明確にしたことで、花奈の表情も明るくなり、安心した様子だ。
「で、大友さんは? どのタイミングで合流するの?」
憂いの晴れた花奈のあっけらかんとした問いに言葉を詰まらせたのは、今度は実智の方だった。
「それは……」
「まず、俺らでの事情聴取が先だな。失われた記憶の謎を解明したい」
「あたし思うんだけど、特殊能力じゃないかなあ。ほら、忍法隠れ身の術とか石ころ帽子的な」
「漫画じゃないんだから。あるわけないだろ」
「でもでも、透くんだって一瞬ですごい計画立てちゃう能力あるし、みのりちゃんなんて人の心が読めちゃうし。特殊能力なんて言ったって、そこまで特殊でも無いような……あれ? 自分で言ってて意味がわかんなくなってきた」
特殊能力は特殊だけどそこまで特殊じゃなくって……などとブツブツ言い始めた花奈だったが、急に振り向いて実智に同意を求める。
「ね? みのりちゃん」
「えっ? …… ああごめん、聞いてる聞いてる。あのさ、私は人の心が読めるんじゃなくて、相手の反応見て対応してるだけだから。特殊能力なんて大層なものは持ち合わせてない。インチキ占い師みたいなもんよ」
「えー、そうかなあ」
「透のは特殊能力かもね。一瞬で筋書きを組み立てる能力、プロの作家は流石だと思ったわ」
……今の実智の言葉が、心の中のあるポイントに突き刺さった。普段は巧妙に、幾重にも隠してあるその場所に。鋭く深い痛みが熱を持ってじわじわと広がり、苛立ちに取って代わる。もうすぐライブが、俺たちの作戦が始まる。そんなこと気にしてる場合じゃないのはわかってる。だが……
「お前が言うなよ」
つい、声に棘が混じる。二人は虚をつかれた様子だが、俺だって同じだ。なんだって、こんな急に。こんな時に。今まで押さえつけてきた気持ちが、急激に膨れ上がる。蓋をして気づかないふりをしてきた苛立ち……いや。実智に対する、羨望やコンプレックスが。最悪だ。自分でも訳がわからない。本当に、なんだってこんな時に。
「お前の方が、才能あるじゃないか。すげえ面白いストーリー、いくつも作ってたじゃないか。ちょっと話しただけで、ポンポンポンポン……俺なんかには思いもつかないような展開を、いくつもいくつも。なのに」
「え、ちょっと何」
「何度も書けって、書いてくれって、俺は言った。そうだよな。なのにお前はいつも、笑うだけだ。そうやって、人をおだてるだけおだてて、自分の力は隠したまま笑ってんだ。一瞬で筋書きを組み立てる? 俺が? 冗談じゃない。今回のことだって、発案したのは俺だ。確かにそうだよ。でもお前が」
腕時計のアラームが、鳴った。静まり返った店内の空気は張り詰めていて、目の前のふたりは、呼吸は疎か瞬きさえも潜めている。俺は俯き、心底おのれを呪いながら、アラームを止めた。
店の外の賑わいが、シャッターの隙間から忍び込んでくる。ライブ会場である中央広場には、かなり人が集まっているみたいだ。
「……ごめん。なんでもない」
「透」
「気にしないでくれ。ただちょっと……自分で思ってた以上に、気が高ぶってるみたいだ」
……マジで、サイアクだ。なあ周さん、こんな時どうしたらいい? あなたに実智を会わせたかった。実智の才能を、見せたかったのに。俺はその機会を、こんなバカみたいな形で潰してしまった。
「みのりちゃん! さあ、行くよ! 透くんも、ほら! ライブ始まる前にスタンバイするんでしょ?」
またしても場の空気を救ってくれたのは、花奈だった。何かを言いかけた実智に、花奈が小さく首を振って留めるのが、視界の端に見えた。
「ライブ始まったら、人混みで動けなくなっちゃう。他の話は後。急いで!」
既に扉に手をかけ、もう一方の手で手招きを繰り返す花奈に、実智が頷き返す。
「オッケー。でもちょっと待って、一つだけ」
実智が一歩近づき、声のトーンを落とした。
「さっき言いかけたんだけど、大友さんのこと。あの人、嘘ついてる」
「えっ?」思わず、花奈と声を揃えて聞き返した。
「少なくとも、事情の全部を話してはいないと思う。私たちが、全てを話していないのと同じ。何か、隠してる」
「……確かか?」
実智は硬い表情で頷いて、ぎこちなく微笑んで見せた。
「特殊能力じゃないけどね。たぶんすごく慎重に、何か隠してる。昨日の様子で、そう感じた。だから連絡するのは、様子を見ながら決めるのがいいと思う」
「わかった。そうしよう。信用しすぎない様に注意だな……実智、お前の勘を、信じる」
最後の言葉は必要無かったが、敢えて付け足した。詫びにもならないが、変に突っかかってしまったことへの罪滅ぼしのつもりだった。
実智はいつもの調子に戻って、強気に笑った。
「行こう」
まず店を出たのは、実智だった。集まり始めた人々の間をすり抜け、ステージとなるスペースの脇にさりげなく潜む手筈になっている。
少しして、花奈がシャッターをくぐって出て行った。実智が出てからの数分間、花奈は手の中にリボンを握り込み、口の中で計画を復唱していて、先ほどの俺の失態について触れることは無かった。
そして、俺の番。店のシャッターに貼り付けたポスターの上に、「ライブ観に行ってます」と書いたメモ書きを添えて、準備完了。
出陣だ。
☆☆☆☆☆
ライブ会場となるのは、商店街中ほどに設けられた円形の広場だ。広場の中心には、太い筒状の花壇に季節の花が彩りを添えており、その花壇をぐるりと囲む形でベンチが取り付けられている。
眼鏡店からは目と鼻の先なので、すぐに状況を把握出来た。集まった観客たちは、商店街の店先で買ったのであろう焼き鳥や唐揚げ、カップに入ったフルーツや飲み物などを手に手に、愉しげに囁きあっている。
ステージ横にある和菓子店の柱の陰に隠れる形で実智が立っており、和菓子屋の店主とカウンター越しに喋りながら観客や花奈の様子を観察している。
花奈はあちこちに居る知り合いに愛想よく挨拶しながら、人混みを掻き分け目当ての人物を探している。
やがて、商店街事務所からメンバーが出てきた。拍手と歓声が湧き起こり、口笛を吹く者も居た。楽器を肩にかけつつ、片手を上げて歓声に応じながら適当な場所に陣取る。伸ばしかけの髪を無理やり編み込みにしてもらったチャラ男は特にご機嫌で、ハルにちょっかいを出していなされている。
「ハルさん、ほら、見て見て。さっき、ハルさんちのおかーちゃんにやってもらいました。お揃いっす」
「違うけどな」
「ほぼ一緒っす」
「全然違うけどな。いいから始めるぞ」
「ウス」
スマホやビデオカメラを掲げた手が何本も伸びあがる中、ハルがギターを掻き鳴らした。チャラ男のギターとバンドメンバーのベースがそれに続き、カホンの音が響く。ライブが、始まった。
☆☆☆☆☆
立て続けに4曲を演奏し、道行が水を飲んでMCを始めようとした時、花奈が動いた。目立たぬように背を屈めて観客の間をすり抜け、人混みがまばらな辺りを目指して進んでいる。実智もそれに気付き、花奈の目的地を見定めてさりげなく移動を始めた。俺はステージから離れ、スマホを耳に当てたまま動線を確保。
花奈の胸ポケットに忍ばせたスマホからの、小さな声が聞こえてきた。
「あのぉ、すみません。お兄さん、この前もここのライブ見に来てくれてましたよね? 先週の金曜日だったかな」
「えっ、あ、あの」
どぎまぎした様子の声が、スマホから微かに伝わる。無理もない。今日の花奈は、襟ぐりの深く開いたカットソーに薄手のニットカーディガン、ふんわりと揺れる短めのフレアスカートという、フェミニンの限りを尽くしたような装いだ。おまけに店を出る直前に、「気合」と称して口紅的な何かを塗り直すという念の入れよう。
「かっこいいバンドでしょ、歌も上手いし。あたしも大ファンなんです。メンバーはあたしの知り合いでぇ……」
「ねえ、あんた」
実智のドスの効いた声が割って入る。少し背伸びしてその方向を見ると、ひょろっとした青年の肩をガッチリ捕まえている実智が見えた。そのままグイと腕を引き、青年を振り向かせる。その隙に、花奈が青年のリュックの端に素早くリボンを取り付け、その場を離れると人混みに紛れ込んだ。
「透くん、オッケー。みのりちゃんの方も上手くいったと思う」
「了解。一旦電話切るぞ」
花奈の囁き声に答えて電話を切り、次の操作をしながら彼らの方へ向かう。
「あんたが、武田猛?」
そう聞こえたかと思うと、青年が実智の腕を振り払って逃げるのが見えた。よし、案の定実智が立っている駅方向とは反対側へ走り出した。すかさず実智が後を追う。
「ハル! 道行!」
ステージに向かって声をかけると、二人はすぐさま楽器を下ろした。
「あ! みんなごめーん、ちょっとだけ外すけど、すぐ戻ってくるから!」
「チャラ男、あと頼んだ」
「ラジャー」
観客達がブーイングをする暇もなく、ハルと道行は身軽に人混みをすり抜け駆け出した。観客がポカンとした表情で二人の背中を目で追う中、寺尾が声を張り上げる。
「ハイ、ちゅうもーく! 留守を任されたんでぇ、次の曲演りまーす! モリーさんとハルさんすぐ戻るから、みんな帰らないでねー」
あいつ、妙なところ肝が座ってるな。そう思いながら、スマホの画面を確認する。よし、動作は順調だ。
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