第5話 金曜・ジューシーピンク
開場して間もないホールはまだ明るく、客の入りもまばらだ。今日は金曜だから、開演する頃にはもっと増えている筈。早めに来たから、テーブルを確保出来て良かった。
花奈はスツールの上で身を捩り、入り口付近を探した。
……みのりちゃん達、まだみたい……早く来ないかな。
「でね、ハナさん。ジブン、ハルさんにめっちゃ怒られてぇ。暴力ったって、殴ったりとかはしてないんすけどぉ」
「うーん……髪をつかんだりっていうのはもう、暴力だと思うよ?」
「マジすか。ハルさんもモリーさんもそう言うんすよね。やっぱそうなんかなぁ」
「ふたりとも、弱いものいじめとか嫌いだから……もちろんあたしもだけど」
「まあ、そうっすよねぇ……なんかジブン、チョーシ乗ってたっつうかぁ、すげえって思われたかったっつうかぁ……」
「ああ、『彼女に対して厳しい俺、カッコいい』みたいな?」
「そうそう、そんなカンジっす」
「うわあ……」
思わず、素の声が出てしまった。最低、とまで思ったが、それはなんとか飲み込むことが出来た。ハルくんに怒られて、今はもう反省してるみたいだし、わざわざ追い打ちをかけることも無いだろう。そもそもあたし、そんな話に興味無いんだけどな……っていうか彼、ハルくんの手伝いに来たとか言ってた気がするんだけど、行かなくていいのかな………
「お待たせ」
頭上から降ってきた威圧的な低音と共に、バーボンのボトルがドン、と音を立てて置かれた。振り向くと、実智が花奈と寺尾に間に割って入るように腕を伸ばし、ボトルを握ったまま仁王立ちで寺尾を睨み下ろしている。
「……どちら様? 邪魔なんだけど」
……わあ、みのりちゃん臨戦態勢だ。これは誤解してるな……
「みのりちゃん、こちら、ハルくんのお友達で、寺尾くん。あたしも昨日初めて会ったの」
あら、と言う顔をして、実智は表情を和らげ、ボトルから手を離した。
「あぁ、ごめん。ナンパかと思ったから。寺尾くん? ごめんなさいね」
殊更にニッコリと微笑んで見せた実智に、さらに気圧された様子で腰を浮かせた寺尾が呟く。
「威圧感、パネエ………つーか、デケェ………」
「寺尾くん、心の声漏れてるみたいよ? まあ、私は気にしないけど」
実智がスツールの低い背もたれに手をかけると、寺尾は弾かれたように立ち上がり花奈の隣の席を譲った。
まあ確かに、今日の実智ちゃんは服装に合わせてメイクもそれなりだけど……寺尾くん、怯みすぎじゃない? それとも、あたしが見慣れただけ?
「姐さん、スンマセン。ここどうぞ」
「ありがとう。でも、ねえさんは止めてもらえる? 私、墨谷実智と言います。あと、そんなにデカくないから。ヒールが高いだけで」
ひょいと踵を上げ、15センチほどはあろうかと思われるゴツいヒールを示すと、寺尾ではなく花奈が喰い付いた。
「みのりちゃん、その靴可愛い! あと、マキシのチュールも」
「でっしょお?! こないだ作ったこのブレスに合わせて買っちゃった」
急に声のトーンが高くなり、石ビーズと細い革紐をぐるぐる巻きにしたブレスレットを見せつけながら、嬉しげにチュールをひらひらさせた。
「中のミニもさ、ビヨーンって伸びて履きやすいの。ほら」
「ちょ、みのりちゃん、足ビヨビヨしないで」
くるぶしまである黒のレース地に透けて見えるのは、同じく黒のタイトスカート。実智は片足を開閉して生地の伸縮性を示すのを止め、スツールに腰掛けた。
「そのニットも可愛い。花奈は鎖骨綺麗だから、やっぱオフショルダー似合うよね」
「んー、肩か腕出してないと、太って見えちゃうからね。ちょっと寒いんだけど我慢してる」
「可愛い……? あれ、武器だ……靴もブレスも爪も、武器だ………」
ブツブツ呟いている寺尾を余所に、実智はバーボンを開ける。
「透は店閉めてからカメラ持って来るって。ハル達の出番には間に合うでしょ……ってわけで、撮影は透に任せて。早速飲みますか」
「うん。あ、氷……」
「ああ、私行ってくる。ドリンクチケットあるし。花奈は? 私と一緒でいい?」
ツカツカとフロアを横切り、バーカウンターでグラスと氷を受け取って戻って来た実智を呆然と見つめながら、あれだけ喋り倒していた寺尾が発したのは、「どんだけ飲むんだ……」「やっぱデケェ。ぜってー180は超えてる……」という呟きだけだった。
静かでいいな、と花奈は思った。
SEが流れ始め、客がざわつく。もうじき、開演だ。
☆☆☆☆☆
昔、私は太っていた。
食べることが大好きで、しかも家は精肉店だったから、売れ残った惣菜の唐揚げやコロッケやメンチカツを毎日の様に食べていて、太るのは必然だった。両親や祖父母、周りの大人たちからも特に注意されなかったし、むしろ「小さい頃はちょっとコロコロしてるぐらいの方が可愛い」という感じで、実際可愛がられていたと思う。
小学校低学年の一時期、少しからかわれたことはあったけど、仲のいい友達やみっちゃんがいつも庇ってくれたし、みのりちゃんやハルくん、透くん達がいじめっ子達を叱ってくれて、それ以来平和な小学生生活を送ることが出来た。私は泣き虫で、いつも周りに頼りっぱなし。一人っ子だったけど、みんなに末っ子みたいに扱われていて、それに甘えきってた。
そんな私が中学へ上がると、状況が一変した。他の小学校から来た生徒も大勢居て、その中には意地悪してくる子もいた。暴力的ないじめは無かったけど、聞こえるように悪口を言ったり、すれ違いざまに嫌な笑い方をしたり。
制服の存在は、私にとって重い枷だった様に思う。体操着の比じゃない、同じ服装の子達が並ぶと、サイズ差は顕著なボリューム感の違いとなって現れるのだ。
もちろん、制服が悪いわけではない。みのりちゃんに付き合ってもらってジョギングしても、喉が乾けば甘いジュースを飲んでしまう、お腹が空けば目の前にあるお惣菜に手を伸ばしてしまう、誘惑に対する私の弱さのせいだ。
みっちゃんもハルくんも相変わらず学校の人気者だったし、みのりちゃんも美人で優等生で人望が厚くモテてたし、透くんは一足先に卒業してたけど、優秀で生徒会長もやってたから先生からも生徒からも一目置かれていたと思う。幼馴染5人の中で私だけが、平凡で取り柄のない、みそっかす。しかもデブ。
直接的な被害は無かったし気しないようにはしていたけど、意地悪な子たちは遠巻きに悪意を向けてくる。普通に接してくれる友達も内心では、学内で目立つ存在の彼らとみそっかすの私を比べているような気がして、卑屈とまではいかない(と思う)が、私はどんどん引っ込み思案になっていった。
みのりちゃんはあたしの憧れだったけど、彼女は彼女で心に痛みを抱えていたのだと知ったのは、つい最近のことだ。当時の私はそれに全く気付かなかったし、みのりちゃん自身も口に出さなかった。彼女のことだ。おそらく、あのことは誰にも言っていないのだと思う。あまりペラペラと人に喋るような内容でもないし。
そのみのりちゃんは今、私の隣でお腹を抱えて笑っている。寺尾くんにワサビをたっぷり仕込んだ唐揚げを食べさせて、楽しそうに声を上げて笑っている。
ライブ終了後、会場に軽食とお酒が運び込まれ、ホールはそのまま出演者と関係者の打ち上げの場となっていた。
何がどうなったのか、寺尾くんはいつの間にかみのりちゃんの足元に正座しており、涙目になりながら唐揚げを飲み込んだ。滲んだ涙をぬぐいながら大きく息を吐くと、「もう一個お願いします!」と叫んだ。周りの人たちが囃し立てる。
「まだ食べるの? ワサビいっぱいだよ?」
クスクス笑いながら、切り込みを入れた唐揚げに大量のワサビを仕込むみのりちゃんは、心底楽しそうだ。昔から何故だか、一部の男子は彼女の前ではこうなってしまう。なんていうか………好んで苛められに行くというか……たしかこの前も、通りすがりの知らないおじさんに「蹴ってください」とか言われてたなぁ………
彼女はまた、そういう人への対応が絶妙に上手い。けんもほろろに冷たくあしらったり丸っきり無視したり。かと思うと、今みたいに相手をしてやったり。
だから、女王様とか黒のかぐや姫とか言われるんだよ。みのりちゃん………
「また一人、信者が増えたか……」
プリッツに刺したワサビ唐揚げを食べさせてもらっている寺尾くんを眺めながら、ウーロンハイを舐めていた透くんが溜め息をついた。
「変態ホイホイ、いや、変態製造機だよな。あいつ……」
「よくストーカーとかされないよね」
「ほんとにヤバそうなのはスルーしてんのか、調教が上手いのか……って、ヤな才能だな」
「まあ、本人たちは楽しそうだし……あっ、蹴られた痛そう」
透くんと小声で話していると、ハルくんとみっちゃんがやって来た。
「精算終わったの?」
「おう」
「どーする? 僕らはもう出てもいいけど……ってあれ、寺尾くん?! 何やってんの?」
驚いた様子のみっちゃんの声に振り向けば、寺尾くんが壁に向かって正座させられ、あろうことか着ていたシャツを頭部にぐるぐる巻きにされている。何あれ、怖い。
「いや、寺尾がね……距離感近いって言ってんのに改めないから、反省していただいております」
「……いくら足に縋りつかれたからって、立ち上がりざまの腹マジ蹴りは正直酷いと思いました」
透くんによる棒読みの報告と感想に、みのりちゃんはひょいと肩を竦めた。
「だって、いきなりだったからビックリしちゃったんだもん。えへ」
「えへ、じゃないし。ビックリしてたわりには狙いすまして蹴ってた気がするんですが。あれも録画しときゃ良かった」
うんうん、確かに。さっきのは蝶野ばりのケンカキックだった。すごいよみのりちゃん、黒のカリスマ……
「甘い顔してるとつけ上がるヤツって、いるのよ。嫌がることをしたら反撃されるってこと、早いうちに刷り込んでおかないと……ほらアタシだって女の子だしぃ、急に抱きつかれたりしたらやっぱり怖いしぃ♪」
「さすが実智、仕事が速いな」
ハルが実智に向かって親指を立てる。実智はグラスを口に運びながら、重々しく頷いた。
「実智ちゃん、教育的指導係だね」
「ちょっと道行、勝手に任命しないでくれる?」
正直あたしは、気が気じゃなかった。だって、心配そうに見てる人もいるし……また怖い人だと誤解されちゃうかも。みのりちゃんに肩を寄せ、耳打ちする。
「ねえねえみのりちゃん、寺尾くん……ちょっと泣いてるっぽくない?」
実智は花奈の頭越しに首を伸ばすと、「あら」と呟いてグラスを手にして立ち上がった。
部屋の隅の壁際で、頭部をシャツでくるまれた寺尾がシャツ越しに目元のあたりを擦っている。近くのテーブルにグラスを置くと、実智は壁に片手をついて優しく声をかけた。
「寺尾? 反省したの?」
「……はい。スンマセンでした」
寺尾が小さく洟を啜った。
「もう、しないね?」
「はい。もうしません」
後頭部で結ばれた袖を解き、ゆっくりとシャツを取ってやると、実智は近くのスツールに腰掛けた。寺尾はご丁寧にも実智に正対する形で正座しなおし、鼻をぐずぐず言わせている。
「なぁに? 寂しくなっちゃったの?」
実智はほとんど猫なで声でそう言うと、手にしたシャツでそっと寺尾の顔を拭いてやった。寺尾は頷くとさらに涙を零し、しゃくり上げ始めた。
「馬鹿ねえ。飲みすぎるからよ? ほら、お水飲みなさい。レモン入れたから、きっと酔いが覚めるよ」
実智がグラスを口元へ運ぶと、寺尾は泣きながらそれを飲んだ……かと思うと、ひどく咽せた。
「ねーさん、酸っぱいっす! これスゲエ酸っぱいっす!」
「あら? レモン入れすぎたかしらね? ごめんなさいねぇ。でもほら、ビタミンCはアルコールの分解を助けるって言うし」
実智はカラカラと笑いながら、寺尾のシャツでゴシゴシと、また顔を拭いてやる。
「容赦ねえ……鬼だな………」
透くんの呟きで、レモンジュースはわざとだと確信した。まあ、初めからそうだろうとは思ってたけど。
心配そうにチラチラと様子を窺っている透くんは放っておいて、あたしはみっちゃんの隣の席に移動した。みのりちゃんの隣の椅子に座りなおした寺尾くんはまだ背中を丸めて泣いてるけど、みのりちゃんのことだもん、上手くやるでしょ。
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