第四章: 信仰世界・自由技芸世界2
4-1: Neither 信仰世界 nor 自由技芸世界
月曜になり、私は出社し、事務的な仕事を片付けていた。
手帳を見て、そろそろ会議の時間だと確認し、これまでの会議の資料を机の上でまとめていた。
竹下さんはと思い、部屋の中を見回したが、見当らない。
「あれ? 竹下さんは?」
隣りの机の同僚に訊ねた。
「竹下さんなら会議に行ったぞ」
時間を間違えていたかと思い、机の上の資料を抱えると、急いで会議室へと向かった。
ドアのノックし、開いた。そこには先日の会議のメンバーが揃っていた。
「すみません。時間を間違えていたようで」
「何の用だ?」
竹下さんが言った。
「ですから、会議の時間を間違えていたようなので。すみません」
「竹下君、」
部長が話しはじめた。
「言っていなかったのかね?」
「言ったはずなんですが、」
竹下さんは懐から手帳を取り出した。
「うん、伝えたはずだ」
そう言い、その手帳を隣のメンバーに見せていた。そのメンバーも、手帳を見てうなずいていた。
「竹下君、もし言ってなかったとしたら、偽証条項にすら違反することになるが。誓って本当なのだろうね?」
部長は笑みを浮かべて言った。
「もちろん、誓って」
竹下さんの横顔も笑みを浮かべていた。
「今日はもういいから、戻りなさい」
笑みを浮かべたまま部長が言った。
「そうですか」
私はドアを閉めきることもなく、歩き始めた。後の会議室からは大きな笑い声が聞こえた。
「あぁいうのはね、」
部長の声が響いた。
「きちんと躾けるに限るよ」
「おっしゃるとおり、」
課長の声も響いた。
「工業専門学校で人間を理解できないまま来てますからねぇ」
「それに、自由技芸大学に通うっていうんですから、」
竹下さんの声が聞こえた。
「何を考えているんだか」
大きな笑い声が響いた。
「高校という、人格形成において重要な時期を無駄にしてますし、」
課長の声が聞こえた。
「あるいはその時期を社会で過していないっていうのが、やはりですね」
「まぁ、だいたい大学に進もうっていうのがね、」
竹下さんの声が聞こえた。
「何様だと思っているのか」
そこでまた大きな笑い声が響いた。
私はポトポトと廊下を歩きながら考えた。工業が人間の役に立つと考えた、いや思ったのがよくなかったのか。今からでも自由技芸を身につけようと考えた、いや思ったのがよくなかったのか。
昨日の説教を思い出した。教父の考え、教院の考えのどちらであろうと、実際に自由技芸と思われ、教えられているものは、それらとは違う。どこでズレが生じるのだろう。
私が通う教院の先代の説教、それは今の教父よりは穏やかではあったものの、世間からすればかなりリベラルではあったと思う。工業専門学校に通おうと思ったのは、先代の説教の影響がなかったということはありえない。先代の教父、あるいは正統の教院の教えと、教えらえる自由技芸との間に違和感を感じた。たぶん、それが工業専門学校に進もうと考えた発端だったように思う。
そう思い出すと、中学の時点で、教院の教えと教えられている自由技芸とはズレがあったように思う。ならば、おそらくは小学校の時点でもズレてはいただろう。
そう思い、さらに思い出そうとした。
「そう言えば、」
と、読書感想文に思いあたった。まだ先代の説教をうまく理解できていなかっただろう時期だ。こう書けば高評価になると考え書いた。あれは教院の、あるいは先代のいう自由技芸に沿ったものだっただろうか。おそらくは違っただろう。それなら、もっと遡らなければならない。だが、思い出せるのはそのあたりまでだった。おぼろげな記憶はある。だが、それを確認する方法はない。
教院の正統の教えが妥当なものとは思わない。だが、妥当ではなくとも、自由技芸として教えられているものと、すくなくともどちらがマシかと考えると、教院での正統の教えのほうがましだろうと思う。たとえ、それが未来を閉じているものだとしても。
「もしかしたら、」
と思った。それが結局は問題の起点なのではないだろうか。竹下さんがさっき言ったとおり、自由技芸大学への進学者はすくない。とてもすくないと言っていいだろう。高校への進学者も少ない。高校で三つほどの授業を取れば、教員資格が取れたはずだった。自由技芸大学の教員にも、同じ資格でなれたはずだった。成績優秀くらいの条件はあったと思うが。
「だが、」
とも思う。なにをできるというのだろう。仮に本来あるはずの信仰、そして自由技芸から違うものが世に広がっていたとしても、この社会の中で生きていくしかない。
昨日の監視の教父、あるいは教院の正統の教えにも、なんらかの正当性はあるように思う。すくなくとも、今の自由技芸に対しての警告は発っしているのだろう。
「神の摂理に近付こうなど、あってはならない行為です」
昨日の教父の説教を思い出した。それは、人間としてより賢くあろうとすることまでは禁じていないのではないだろうか。監視の教父がどう判断したのかはわからない。教院の正統の教えがどうなのかはわからない。
教父が森山さんに話した人為的進化は、おそらくやりすぎだろうとは思う。だが、天の書トリロジーと戒めをいじくりまわし、自由技芸をいじくりまわす、そういう知恵、それとも知識を人間は持っている。
そして人間としてより賢くあろうとする方向、つまり自由技芸は、そのありかたと教院の教えとの間で歪められているのかもしれない。
「今の人間の限界を超えなければ、人間であることという条件すら満たせない。それが問題なんです」
昨日の教父の言葉を思い出した。だが、それとともに無力感もわいた。先代も、あの教父も、あまりに無力だと思う。二人を――あるいはもっといるのだろうが――支えているのは何なのだろう。それは教院の正統とは異なるものの、やはり信仰なのだろうか。
そんなことを考え、私の机に着いた。
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