3-5: 教院: 教父と森山晶子

 教父は背を起こした。

「皆さん、今日は…… その、ありがとうございました」

 こちらに軽く一礼し、背を向けると、奥の扉向い始めた。

「森山さん、行きましょう」

 私は立ち上がり、森山さんを見た。森山さんも立ち上がった。二人で教父を追いかけた。

 教父が出たあとの扉を開け、背中を見ながら、執務室の前へと着いた。

 ノックには簡単な応えが返ってきた。ドアを開けると、教父は窓の前にある椅子に深々と座り、正直に言えば先ほどまでの威厳はなく、だらけていた。

 そりゃぁ、疲れもしただろうとは思う。

「教父さま、こちらは森山晶子さんといいまして…… その、すこしお話ししたいと」

 教父は机の前にある応接セットを掌で示した。

「あ〜。話すこと、ないよ」

 森山さんは私の脇をつつき、私の顔を覗き込んでいた。

 私は首を横に振った。

「いつもは、こんなんじゃないんですよ。さっきの説教とも違いますけど。いや、むしろさっきの方がいつもに近いですよ。内容はともかく」

 私と森山さんはソファーに腰を下した。

「その、普段の説教について伺いたいのですが」

 森山さんが私の右から教父に言った。

「それは、狭山さやまさんから聞けば充分だと思うけどなぁ」

「森山さん、これもいつもとは違いますからね」

 そう補った。

「森山さん? えぇと、森山もりやま 晶子あきこさんでしたっけ?」

 教父は椅子から身を起こし、机に肘を置いた。

「あれ? あの森山晶子さん?」

「えぇ。そうだと思いますが」

「狭山さんとはどういう関係?」

 私は森山さんを見た。森山さんも私を見ていた。

「それは、これからというか……」

 森山さんがちいさな声で答えた。

 教父は私に目を移した。

「えぇと。それって、私の話しだいってこと?」

「それだけというわけでは…… ありませんが。大きな比率と思っていただければ」

「そうか、」

 教父は立ち上がり、向いのソファーへとやって来た。

「じゃぁ真面目に答えないといけないな。それで聞きたいことというのは?」

 さっきのだらけきった雰囲気はなくなっていた。それに、直接ではないものの森山さんを知っているようだった。

 もしかしたら森山さんはお嬢さんなんじゃないかと思ったが、実際にそうなのだろうか。

「お聞きしたいのは、四つあります」

「どうぞ」

 教父は掌を森山さんに向けた。

「神は唯一であり、すべてである。至高条項ですが、これについてはどうお考えですか?」

「難しい質問から始まったなぁ。うーん、素直なとこ、たぶん二つめの質問からしてもらう方が答えやすいと思いますよ」

「では二つめから始めますね。科学の発達については、どうお考えですか?」

「あぁ、うん。その質問からなら。でも、それくらいなら狭山さんから聞いているんじゃないの?」

「教父さまの口からお聞きしたいんです」

 教父は深呼吸をしてから答え始めた。

「まず、今の私たちには神がどういう存在なのかわかりようもない。存在するのかしないのかも含めてね。これを言えば、一つめの質問にも答えられる。わからない。より正確には、まだわからない」

「それでは三つめの質問です」

 森山さんは教父を凝視めていた。

「解析機関などについてはどうお考えですか?」

「それは…… 四つめの質問なんじゃないかな?」

 森山さんが息を飲むのが聞こえた。

「では、改めて三つめの質問です。科学が発達すれば、何もかもが理屈である世界にはなりませんか? 神の恩寵、人間の心、そういうとても大切なものを置き去りにした世界に」

 教父は執務室の窓から外を眺めた。

「よく聞く質問だなぁ。それはわかって聞いているんでしょ?」

 森山さんはちいさくうなずいた。

「だよね。科学と技術が進歩しても、それらに対しての主体は人間ですよね」

 森山さんはまたうなずいた。

「そうすると、人間の…… なんて言えばいいかな…… 質? そういうものが変わらないかぎり、いつまでも人間の心が大切だという人はいなくならないだろうなぁ」

「どういうことですか?」

「そうだなぁ。黙示録級の戦争が起きたとしましょう。あぁ、先日読んだフィクションにそういうのがあったからですが。きっと人間は、科学技術は悪だと言うでしょう。だが、そうじゃない。それは人間がそれを扱うに値する能力を持っていなかったというだけだと思います」

 教父は壁の本棚に目をやった。

「あるいは、これも先日読んだフィクションですが。ある人、Aさんとしましょう。そのAさんがあることがらについての一部を同僚のBさんに、また別の一部をやはり同僚のCさんに話したとしましょう」

「それは、誠意条項に違反するのでは?」

「しますかね? Aさんは話すことは話している。BさんとCさんはその一部を知っているだけだ。Aさんは偽ろうとしているわけじゃない」

「では、尊敬条項については?」

「なるほど、そこには違反するかもしれない。だとしても、BさんとCさんが情報を擦り合わせれば、Aさんが話したことについては全体がわかる」

 森山さんはすこし考えているようだった。

「そのおっしゃりようは、人間もまた神のごとくあらねばならないというように聞こえますが」

「俗に言う神にかな。別に唯一であるとか、すべてであるとかと言っているわけじゃない。ただ、知りうることについてはなにもかも知りたいと思わなければならないだろうし、そうしなければならないだろうというだけですよ。それは科学についても同じでしょう」

 教父はちいさく舌打ちをした。

「人間であること、人間らしい心が大切なこと。逆にお聞きしましょう。森山さんは、それらはどういうものだと思いますか?」

「それは…… 戒めを理解できること、戒めに従うこと、そして他人を思いやること、ではないでしょうか」

「他人を思いやることですか? では、さきほどのAさん、BさんとCさんの場合はどうなりますか?」

「人間には限界があります」

「ならば、他人を思いやることにしても、それを条件に挙げておきながら、無視していいということですか?」

「無視ではなく、限界が……」

 言いかけた森山さんを、教父は掌を向けて制した。

「そう、その限界が問題なんです。今の人間の限界を超えなければ、人間であることという条件すら満たせない。それが問題なんです」

「科学の発展がその役に立つと?」

「かもしれませんね。あるいは、まだ科学としてはあやしいものの、進化論を人為的に行なうとか」

「本気でおっしゃっていますか?」

「あぁ、皆そう言いますね。結構本気ですよ。だが、それをやるにしても科学が追い付いていない。じゃぁ四つめの質問をどうぞ」

 森山さんは口を固く閉じていた。

「四つめの質問、解析機関についてでしたか?」

 教父は促した。

「えぇ。解析機関はどこまでできるのでしょう?」

「あれそのものではないにしても、どこまでもというのが答えでしょうね」

「解析機関に人間の心は宿るのでしょうか?」

 教父は右手の人差し指を額に当てた。

「必要かどうかはともかく、宿らせることはできるでしょう」

「どうやってですか? 算譜のカードにどうやってですか?」

「森山さんの見たもの聞いたもの、それらに対する反応や考えをすべて算譜に記録したとしましょう。統計が必要にはなるでしょうが。そうやれば、森山さんを算譜に転写できる……」

「でも、算譜は算譜です」

「かもしれない。おそらくは人間全体のそのようなことがらを処理する方が現実的というか、やりやすいでしょうが。あるいは人間の脳は空白の石版だというなら、解析機関に人間らしさを持たせられない理由はなくなる。どっちにしろ、人間がどうにかしてやっているんだ。他の媒体でできない理由というのは見当らないように思いますね」

 教父はしばらく森山さんを見ていた。

「あなたが、あの森山さんなら……」

 森山さんは隣で微笑んでいた。

「正直に言えば、父の言っていることを理解できているとは思えません。ですが、同じお考えの方がいらっしゃることがわかったのは…… よかったと思います」

 森山さんは座ったまま深くお辞儀をした。私にはよくわからない話ではあったが、私もお辞儀をした。

 ソファーから立ち、ドアに向かおうとしたとき、上着の袖を捕まれた。教父が顔を寄せてきていた。

「ありゃぁ、かなりの才人か、それとも奸物かんぶつだぜ。親父さん譲りだろうな。気をつけなよ」

 教父がそう耳打ちしてきた。

 私は振り向き、教父を見た。だが、教父は手を振り、出ていくよう促しているだけだった。

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