第三章: 信仰世界

3-1: 教院: 神聖事項

 教院のミサ堂に入ると、いつもと雰囲気が違っていた。すぐに、それは雰囲気というものではないことに気付いた。説教壇の横に、大きな表具がかけられていた。

 ミサ堂の中ほどまで歩くと、その表具がなんなのかがわかった。15条の戒めが書かれていた。そのまま、右手の席に座った。

 この教院の教父は、教義に厳しい人ではない。だが、そういう表具が掛けられているということは、今日はその限りではないということだろう。前後を見渡すと、かっちりとした教父の服を着ている人がいた。教院の地区本部からでも何か言われ、おまけに監視が来たというところだろう。

「教父もたいへんだな」

 そんな観察をし、思っている間にも、前の席に人が座り、人々がしだいに入って来ていることがわかった。

「狭山さん」

 突然かけられた声に驚き、左を見た。そこには森山さんが屈み、私を覗き込んでいた。

「あれ? 森山さん。ここの教院だったんですか?」

「ちょっと前を失礼しますね」

 そう言って彼女は私の前を通り、右の席に腰を下した。

「ここの教院じゃないですけど。昨夜、父に狭山さんはどういう信仰をお持ちなのかなって聞いたんですよ。そうしたら、なら見てくればいいって。ここの教院だっていうことは大家さんから聞いてましたし」

 積極的な人なんだなと思った。と、同時に、今日はタイミングが悪いとも思った。

 奥の扉が開き、説教壇の上に教父が登った。教父は、右手の人差し指を立て、左右に振った。こういうことがこれまでもなかったわけではない。つまり、「本意ではない」ということだ。だが、そのサインを見て、出席者のざわめきが治まった。監視に来ている教父からすれば、ただ静粛を求めるサインに見えただろう。

「神は嘆いておられます」

 教父は威厳を持って、その一言を言った。

「神聖事項を考えてみましょう」

 そう言って左手を表具に向けた。

「研究の承認基準も甘くなり、興行科学では承認番号を得ていないものすら興行されているしまつです。科学……」

 そこで教父は息を吸った。

「それは至高条項に違反するものです。神の摂理に近付こうなど、あってはならない行為です」

 教父は出席者を見渡した。

「そして解析機関。一部では何でも計算できると言われているそうですね」

 また息を吸った。

「明らかに至高条項に違反する考えであり、そして思い上がりです。あるいは、解析機関は偶像でしょうか。だとしても、偶像条項に違反する。その性能を上げようという行為。承認番号を得ているようですが、人間はどれほど思い上がれば気が済むのでしょう」

 教父は首を横に振った。

「科学には、教院がこれまで以上に関与しなければなりません。どのような研究が正しいのか、それを判断できるのは教院以外に存在しません」

 そこで教父の目を追うと、どうやら監視に来ている教父を見ているようだった。

 普段の教父は、正反対とは行かずとも、科学に対して懐が深いところを見せていた。それが教父の本意であるのかは、それもわからない。

 とは言え、監視は気になるだろう。教院の公式見解から外れず、のみならずより先鋭化した言葉さえ求められる。

 実際のところ、教父はどう思っているのだろう。

「『神は唯一であり、すべてである』この言葉を忘れてはなりません。世界の摂理を明らかにしようなどという、そしてそれを用いて人間を幸福にしようなどという、興行科学、あるいはただの科学の考えは思い上がりです。そのようなことを思うことだけで、充分な罪となります。たとえ皆さんが原罪からは開放されているとしても、今、ここで罪を重ねるなら犠牲となった者を侮辱してしまうことになるでしょう」

 教父は一旦間を取った。

「無知であることこそ人間らしくあるために必要なことです。あるいは、言い換えましょう。天の書トリロジー、そして神の戒めこそが至上の知識なのです」

 教父は、また監視に来ている教父を見た。

「すべてが天の書トリロジーにある。すべての知識が天の書トリロジーにある。それが動かしえない事実であり、真理です」

 教父の顔に苦味が浮かんだようにも見えた。

「現に、あらゆる法律は戒めを根拠としています。これこそ、」

 教父はまた息を吸った。

「これこそ、天の書トリロジーと戒めが、人間の幸せの根拠であることを示す証拠でなく、なんなのでしょう」

 教父はまた右手の人差し指を立て、左右に振った。

「いつものように、一度ここで祈りましょう」

 教父は左右の手を組み、頭を垂れた。

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