2-5: 夕食

 映画が終り、市電で下宿の近くへと戻って来た。

 森山さんと映画の感想を話してはいたものの、すこしばかり上の空で、キノトロープの終り頃に森山さんと話したことを考えてもいた。

 暗くなりかけている中、早めの昼食を食べた洋食屋に着き、入った。予約のことを伝えると、奥のテーブルに通された。

「ね? すこし違うでしょう?」

 大きめのテーブル二つが小さめのテーブルに替わり、またそれぞれのテーブルも斜めに置かれていた。レストランとはいかないが、すこし気のきいたビストロくらいの雰囲気にはなっていると思う。

 森山さんはカーディガンを脱ぎ、席からあたりを見渡していた。

「本当。ちょっと変わっているだけなのに。でも、カウンターはどうしても残っちゃいますね」

 それを聞いて、つい笑ってしまった。

「えぇ。夜もカウンターは使えるんですが、どっちかと言うと飲む人の席になってますね」

 森山さんはカウンターをもう一度見た。

「あぁ。そうか」

 そんな話をしているところにウェイターがメニューを二冊持って来た。

「どうします?」

「えぇと…… 昼間の雰囲気で考えていたんで、どれがいいのか……」

「森山さん、ワインは大丈夫ですか?」

「え? はい」

「そうか……」

 ここで格好をつけて注文するのもいいとは思うが。「今日のスペシャリテ・コース」のビーフ・シチューが目に止った。

「あの、昼間のクリーム・シチューとすこしかぶりますけど、ビーフ・シチューはお好きですか?」

「あ、好きです」

 森山さんもメニューに気付いたようだった。

「それじゃぁ、今日のスペシャリテ・コースを二人分。それとハウス・ワインの赤をデカンタで」

 ウェイターにそう伝えた。

「グラスは二つでよろしいですね?」

 ウェイターは、二人からメニューを受け取りながら訊ねた。

「えぇ。二つでお願いします」

「かしこまりました」

 ウェイターは一礼し、奥へと下がって行った。

 森山さんはウェイターを目で追っていた。その時、カウンターの客の一人が、何かを床に落とした。それを見たのだろう。森山さんは眉をひそめた。

「あれですか?」

 私はその客を指差した。

「えぇ。ちょっと行儀が…… あ、でもそう言えば聞いたことがありますね」

「えぇと、どんなことですか?」

「どこでしたっけ? 忘れましたけど。西洋の居酒屋みたいなところだと、あぁやってフライの尻尾とかを床に落とすのが、むしろ作法だって」

「そうそう。営業してしばらく経つころには床が汚れているのが、美味しい店の証拠だって」

「こちらのお店は、そっちの流れのお店なんですか?」

 私がこの街に来て、この店に来るようになったころを思い出してみた。

「いや、そういうわけじゃないと思いますよ。ただ、客でそういう人がいて、蘊蓄を言って、それで一時期床が結構汚れてたときはありましたね。シェフがそれを見て、いいかげんにしろって言ってましたから」

 森山さんはちいさく笑った。

「でも、そういうお店もいいかもしれませんね」

「飲むことの割合が大きくなりますが、今度行ってみますか?」

「あ、いいですね。そういうお店も見てみたいです」

 彼女の答えを聞いて、とまどった。何か考えがあって言ったことではなかったのだが、誘ったことになったじゃないか。どうしよう。

 そんなことを考えていると、ウェイターがデカンタとグラス二つ、そして前菜を持って来た。

「また…… また今度、お誘いしますね」

 最初の一杯ずつはウェイターがグラスに注いでくれた。

「今日はありがとうございました。楽しんでもらえたらよかったんですが」

 グラスに手を伸ばして言った。

「楽しかったです。私、変なことを言ったじゃないですか。あぁいうところがあるので、すこし変り者って思われているみたいで。私こそ狭山さんが楽しかったらいいなぁって思ってました」

「楽しかったですよ」

 そう答えて笑った。楽しかったどころではない。森山さん以外の人は考えられない。それくらいに思っていた。

 食事をし、すこし飲み、他愛のないこと、大須賀おおすが 奈央利なおりの熱愛のことなどを話した。


 食事を終え、洋食屋を出た。もう暗くなっていた。

「あの、暗いですし、送りましょうか?」

「あ…… いえ、お店で電話を貸していただければ、家の者が来ますので」

「それじゃぁ、ちょっと戻りますか」

 もう一度店の玄関をくぐった。彼女は受け付けになにやら話し、受け付けから受話器を受け取った。

「……市の、はい、……町の、森山を。はい」

 彼女はおそらくは家に電話をかけていた。

 受話器を受け付けに戻すとき、受け付けとなにやら話していた。

「あの、迎えが来るまでいてはどうかって勧められたんですけど」

「あぁ、それがいいですね」

 私は受け付けにうなずいた。受け付けは、カウンターの、他の客から一つ席を空けたところを勧めてくれた。

 森山さんは一度着たカーディガンを脱ぎ、また他愛のない話をした。好きな作家は誰だとか、どの作品のどこが好きだとか。

 そんな話をしていると玄関が開いた。森山さんはそちらを見て言った。

「あぁ。迎えが来ちゃいました」

 すこし残念そうに聞こえたように思った。

「そうですか。じゃぁ安心ですね。あ、あの、また今度、うちの大家さんをとおしてご連絡しますので」

「はい。楽しみに待ってますね」

 彼女はカーディガンを取ると、迎えの男性と店を出て行った。その男性は、私に会釈をした。私も会釈を返した。もしかして、森山さんはお嬢さんなんじゃないかと思った。

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