4-2: コーディング

 午後になり、私は五冊の書類を開いていた。

 経理から来た、あちらで使っている解析機関のコーディングの仕事だった。竹下さんと私が多少算譜を作れるので、ちょっとしたことなら、こういう仕事が回ってくることもある。

 一冊は経理からの仕様書、一冊は竹下さんがチャールズ言語で書いた算譜、一冊はチャールズ言語の解説書、一冊は竹下さんが書いたチャールズ言語からバベッジ言語に私が翻訳しているノート、最後の一冊はバベッジ言語の解説書だった。

 翻訳はところどころだけひとまず行ない、経理からの仕様書と竹下さんのチャールズ言語の算譜はおよそのところは頭に入った。

 仕様書をパラパラと眺めていた時だった。竹下さんの算譜のロジックがおかしいのではないかと思えた。竹下さんの算譜を確認すると、やはりおかしい。単純な誤りというわけではなかった。すくなくとも書き間違いという誤りではなかった。

 私は仕様書と算譜を持って、竹下さんの席へと向かった。

「失礼します。あの、竹下さん、ここなんですが……」

 仕様書と算譜を両手に持ち、どうしたものかと考えた。

「ここに置けよ」

 竹下さんは、机の上を空けた。そこに私は書類を置いた。

「ここなんですが……」

 両方の書類を両手で指差した。

「竹下さんの算譜だと、仕様と違うんじゃないかと思うんですが」

「はぁ?」

 竹下さんは座ったまま見上げてきた。

「なに? 俺の算譜が間違ってるっての?」

「え…… 間違ってるかどうか判断がつかなかったので、確認してもらおうかと思って」

「間違っていない」

 竹下さんは私を見上げたまま答えた。

「あ、いや、でも」

「間違っていない」

 竹下さんはもう一度言った。

「仮に間違ってるとしたってな、そんなのを俺に聞いてどうする? お前が直しとけよ。ちょっとした間違い程度だろ? そんなことで一々聞いてくるな」

「いえ…… 細かいことではなさそうなので、確認をお願いしたいと思って」

「お前、本当にわかってないのな」

 私は一度資料に落とした顔を竹下さんに向けた。

「間違ってたとしてだ。なんだ、お前の言い方は? 尊敬条項!」

「え?」

 突然言われた言葉に、間抜けな顔と声を返してしまった。

「尊敬条項! 言ってみろ!」

「はい。あなたは、労苦を与えるものを敬わなければならない」

「そうだ。お前の言い方は、敬わなければならないってのに照らしてどうなんだ?」

 どう答えればいいのかわからず、黙っているしかなかった。

「それも、どうだ。同僚の前で」

 そういうことか。

「申し訳ありませんでした。別室に来ていただいて確認していただかなければいけませんでした」

 私は深く頭を下げた。

「そういうことじゃないんだよなぁ」

 竹下さんは机を指で叩きながら応えた。

「万が一、俺の算譜が間違っていたとしよう。そうしたら、お前は静かに直しとけばいいんだよ」

「あ…… 申し訳ありませんでした」

 竹下さんは顎で、もう行けと示した。

 自分の席に戻りながら考えた。そうすると、竹下さんの算譜手順には無駄が多い。いままでも多少ならそういうところも直していた。もっとやっていいということだろうか。たぶん、そうだろう。

 私は、自分のノートに新たにチャールズ言語の算譜を書き、そこからバベッジ言語への翻訳を行なった。


「お疲れさま」

 何人かのそういう声を聞いてから、私は刻印機から手を外し、背伸びをした。

 刻印機から最後の刻印版を外し、その余白に竹下さんの名前と私の名前を書いた。

 刻印版を揃え、急いで経理に向かった。

「すみません」

 経理のドアの向こうにはまだ明りがあった。そう言いながらドアを開けた。

「おぉ、狭山君」

 経理課長がまだ残っていた。

「金曜の会議、まずったなぁ」

 そう言いながら、経理課長は、こっちへと私を呼んだ。

「君が入ってるって知ってたなら、君に合わせた素直な試算にしといたんだが」

「いえ、それは…… まぁいいんですが。それより頼まれてた算譜ですが、刻印してきましたので」

 私は刻印版の束を経理課長に差し出した。経理課長は最後の刻印版を確認した。

「ふぅん」

 経理課長は刻印版の下の方を見て、そういう声を出した。

 その一枚をまた束に戻し、両手の親指と人差し指で挟み、目の前に持って行った。

「薄いね」

 そう言って、私に目を向けた。

「大丈夫?」

「初版なので、ミスはあると思いますが」

「そういうことじゃなくてね…… えぇと竹下君か、彼が書いた算譜からの翻訳だと、もっと厚くなると思うんだけど」

「それは…… あの…… 竹下さんも勉強なさっているので、それが反映されたんだと思います」

「ふぅん」

 経理課長は刻印版と私に交互に目を向けた。

「まぁそういうことにしておくか。ごくろうさま。試験してみて、結果を、うーん、早ければ明日伝えるから」

「はい。よろしくお願いします」

 私は一礼して部屋を出た。

 すこし急がないと、自由技芸大学の算術の講義に遅れそうだ。


――――――

補:

 ここに出てくる「刻印機」は、穿孔をするだけとかというものではなく、すこし複雑なものです。その点については、刻印版と、ここでの刻印機と、バベッジ言語と、チャールズ言語について補足が必要になります。


 まず、チャールズ言語ですが、いわゆる高級言語です。

 バベッジ言語は、アセンブリ言語です。

 さて、ここでバベッジ言語から刻印機による穿孔への流れにおいて、ここにある刻印機は、ただ穿孔をするというものではありません。刻印機にはアセンブリ言語のニーモニックなどを打ち込むものとします。ここでちょっとトリックを入れます。この刻印機は、エニグマ暗号機のような、ある種の機構を持っているものとします。その機構により、あくまで例えばですが「ADD ACC 1」(アキュムレータの値に1を足す)とかなんとかとキーを打つと、その機構によってアセンブルされ生の穿孔の列が作られ、穿孔するというようなものを想定しています。実際に可能かどうかはわかりませんが、雰囲気としてはそんなものと思ってください。


 またバベッジ言語、チャールズ言語という、若干意味不明なのは、BCPLとB言語、そしてC言語に、Charles Babbageのそれぞれの頭文字が当たることからのオマージュ的ななにかと思っていただければと思います。ただし、BCPLとB言語はいわゆるアセンブリ言語ではなく、高級言語です。チャールズ言語もなんとなくの雰囲気としては、C言語よりもPascal的な擬似コードのようなものと思っていただければと思います。


 さらに補足です。

 バベッジ言語が、エイダ・キングによって示された(あるいは翻訳された)コードとどのような関係にあるかは、「不明」としておきます。これは刻印版(あるいは、カード)の規格そのものの変化なども想定できるためと思っていただければと思います。

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