4-3: 算術
自由技芸大学の正門から小走りで教室へと向かった。ちょうど教授もドアに着こうかというところだった。教授も気づいたのか、ドアの前で立ち止まり、私を見てからドアに掌を向けた。
「私より後に入ると、遅刻になるよ」
すこし声を張り上げ、教授が言った。
私は数歩をさらに急ぎ、一礼し、教室へと入った。
私がノートを開いたときに、教授は話し始めた。
「さて、簡単な話から始めよう。これはすでにやっているはずのことだが」
教授は黒板に蓮根のようなものを描いた。
「これを回転式拳銃の弾倉だとしよう。6発装弾できるとしてだ」
教授は穴の一つバツを書いた。
「ここにだけ、装弾されているとしよう。その上で、この場所がどこかわからないようにしたとしよう」
教授は教室を見渡した。
「まぁ、知っているとおりのゲームだが。この場合、頭に当てなくていい。弾が出るかどうかだけが問題だからね」
教授は黒板に顔を戻した。
「この場合、弾が出る確率は、言うまでもなく1/6だ」
そこで教授はもう一つの穴に斜線を引いた。
「一回試して、弾は出なかったとしよう」
教授はまた教室に顔を向けた。
「弾倉をもう一度回すことはなしとして、次に引き金を引いた時に、弾が出る確率は?」
そこで教授と目が合った。教授はうなずいた。
「たしか、やはり1/6だったように思いますが」
とりあえずそこだけを思い出して答えた。
「その計算はどうだったかな?」
どうだっただろう。
「えぇと。まず、最初に引き金を引く前は、弾が出る確率は1/6です」
教授はうなずいていた。
「それで、弾が出なかったということは、5/6だったわけで、」
やはり教授はうなずいていた。
「それで今度は残り5発のうちの1発なので1/5となり、」
まだ教授は黒板に向かった。
「5/6 X 1/5となり」
教授はその式を黒板に書いた。上の5と下の5を消した。
「そう、やはり次に引き金を引く時も、やはり1/6だ」
また教室を向いて言った。
「だが、おかしいと感じるだろう。一発はもう確定しているんだ。残りの5発が問題なんじゃないだろうか」
そこで教授はしばらく待った。
「よし、じゃぁ、やはり1/6だと考える人、手を挙げてみよう」
教室の反応が薄かったからか、教授はそう言った。
私は手を挙げ、そして教室の中のあちこちに目をやった。ほぼ全員が手を挙げていた。
「手を挙げなかった人もいるな」
教授は楽しそうに言った。
「これは、手を挙げても挙げなくても正解だ。1/6だとも言えるし、そうではないとも言える」
教授は私を指差した。
「やはり6発装弾できるとして、1発は弾がでる。ここまでは同じだ。では、もう1発分、最初から弾が入っていないことを周囲の人が知っているとしよう。おまけで、その場所だったら引き金も引けないとしよう。この場合、弾が出る確率は?」
「結局弾が出るのは1発なので、もう1発分は確実に弾が出ないとわかっていても、やはり1/6かと」
「でも、そのもう1発の箇所だとしたら、引き金を引くこともできないよ?」
「引き金を引けるかどうかも、引こうとしてわかるのでは?」
「おっと、確かにそうだ。だが、1/6で確実に弾が出ないことはわかっている。そこのところはどう思うかね?」
1発は弾が出ないことがわかっており、その場合引き金も引けない。だとすれば1/5なのか? だが、引き金を引こうとするときまでは、弾が出るのあくまで6発のどれかだ。
「おいおい、君、すでに自分で答えを言っているのに、ここで悩むのかね?」
そう言い、教授は黒板を叩いた。
「まぁ、悩むのもしかたがないか」
教授は5/6 X 1/5の全体に下線を引いた。
「これを全体として見えば、1/6だ。これはもちろん正しい」
教授は5/6の部分に下線を引いた。
「これはすでに起きたことだ。するとその後は1/5だ。これももちろん正しい。ただし、すでに起きたことの内容によってという条件が付くがね」
教授は黒板に向かった。
「条件。そう条件というのが重要だ。このような問題を条件込みで考える場合、それを条件付確率と呼ぶ」
教授は条件付確率と黒板に書いた。
「さて、これまではただの確率であっても正確な予測をするのは難しかった。こういう例でなければ、そもそも全体がどういうものなのかを予測するのも難しいからね」
教授は教室にというか、私に顔を向けた。
「それに、例えばだが英語で “a”の後に続く文字の確率はなどとなったら、アルファベットの単独での出現確率を数えるよりも大変だろうということは想像がつくだろう」
26文字としても、26文字に続くもう26文字ということになれば、単純に組合せが増える。そう思い、私はうなずいた。
「だが、それも解析機関によって容易にはなっている。それはまた後で触れるが。1/6と1/5という違いをもたらしたのは何だろうか?」
教授はまだ私を見ていた。
「5/6…… ですか?」
「そのとおり! では、その5/6は何なのだろうか? あるいは1/6ではなかったということは何なのかと訊いてもいい」
しばらく教授は私を見ていたが、他の面々にも目をやった。
「正確な、すくなくともまだ正確な言い方ではないが、これが情報だ。あることがらが起きたとき、それがどれほどのことがらを知らせるか。それが情報だ」
そこで教授は上着のポケットから刻印版を取り出した。
「君たちの中には、これの枚数が情報だと思っている人もいるだろう。だが、それは違う」
「教授、」
私は手を挙げた。それを見て教授はうなずいた。
「今の場合、6発装弾できるということを知っていないと、5/6とかも出てこないように思いますが」
「そのとおり! まったくそのとおり! だから、どれだけの情報があるのか、どれだけの情報が伝わったのかを計算するのは、場合によっては事実上不可能だ。これからの科学の発展によってそこもなんとか方策はできるだろうがね」
その後は退屈な講義だった。教授が黒板に書き出した引用から、アルファベット二文字の並びの確率を求めるだけだった。
だが、解析機関が、私が思っていたものとは何か別のものなのではないかとは思えた。
――――――――
補:
5/6は情報ですが、「情報量」ではありません。
1/6で弾が出ることがわかっている場合、「弾がでなかった」ことはむしろありえることです。よりありえることが起きた場合、起きにくいことが起きた時よりも「情報量」は小さくなります。
というのは、「おこりやすい」ことはわかっていたので、そのとおりのことが起きただけだからです。
情報的には2を底とする対数を使うのですが、大小を比べるので底はなんでもいいとします。
それがある電卓にはlogとかlnと書いてあるボタンがあると思います。それを使います。次の例は、10を底とする対数です。
-log(5/6) = 0.0792
-log(1/6) = 0.7782
となるはずです。2を底にした場合が通常の情報量なのですが、大小だけを見てください。
1/6の方の値が大きくなってます。起こりにくいことが起きた場合の方が情報が多いというのは、そんな感じのことです。
試してみる場合、-log(1/6)のように、logの結果に-1 をかけるのを忘れないでください。
なお、2を底とした対数の場合
-log(5/6) = 0.26303
-log(1/6) = 2.58496
となります。これはそのまま0.26bitの情報、あるいは2.58bitの情報となります。
コンピュータなどで、整数のbit数の考え方に慣れている方も多いかと思いますが。
情報は整数、あるいは自然数の値をとるとはかぎりません。
ちょっと確認してみました。googleの検索窓で、次のように入力してみてください。
-log_2(1/6)
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