4-5: 森山実重

 狭山さやま 健大たけひろが自由技芸大学での講義を受けているころだった。狭山が顔を出す教院の執務室には、ここの教父、小谷こたに 康永やすひさは、執務室で客を迎えていた。小谷はまだそれでも三十代。客は五十過ぎのようだった。

 応接用の低いテーブルには、ポットと、ティーセット、そして一皿のクッキーが載せられていた。

 年配の男性は、一つクッキーを取り、口に放り込んだ。

「それで、」

 そこで男は急いでお茶を口にした。

「それで、君の見るところ、狭山君というのはどんな人間なのかな?」

「そうですね、」

 小谷はソファーに背を預けたまま答えた。

「地方から出て三年というところですが、実家もしっかりした家ということですね。娘さんのお相手に、不足はないと思いますよ」

 小谷は冗談めかして言った。

「まぁ、最近のことは下宿の女将さんから聞いているでしょうが。直系筋の曾祖々父が同志だったようです」

「百年ちょっと前くらいか。その後、なぜ離脱した?」

「離脱というのはすこし違いますね。曾祖々父と曾祖父が、まぁ目を着けられのが大きく影響しているというところですね」

「またそれか……」

 年配の男性は溜息をついた。

「えぇ。この国に限ったことではありませんが。森山さん、正直なところ状況はどうなんですか?」

「状況もなにもあるものか」

 森山と呼ばれた男――森山もりやま 実重さねしげ――はもう一つクッキーを取った。

「進化論と言ったか? いや、これは進化とは違うのだろうが。なんにせよだ、人間がどれほど適応に長けているのかを、嫌というほど見ているというところだ。君も同じだろう?」

 森山はクッキーをまた口に放り込み、お茶を飲んだ。

「まぁ、それはそうですね。昨日の視察の時もそうだと言えばそうなんでしょうね。しかたがないと言えば、そうなんでしょうけど。普段と違うことを言いましたからね」

 それを聞いた森山は大きく笑った。

「うちでもそうだ」

「それで、教院の本部はどう判断したんですか?」

 小谷は身を乗り出して訊ねた。

「そうだな」

 そう言って森山はしばらく黙っていた。

「言い方はいくつかあるだろうな。諦めたとも言えるし、思い上がりだったと認めたとも言えるし、覚悟を決めたとも言えるだろう」

「科学の開放と、社会への介入ですか?」

「あぁ」

 森山はクッキの入った皿を小谷へと押した。小谷はいくつか取ると掌に収め、一つを口に運んだ。

「どこで間違ったんだろうな?」

 森山はポツリと言った。

「死体を継ぎ接ぎする。そんなのは勝手に書かせ、読ませておけばいい。だが、その次の、人工人間の戯曲を私たちの何代も前の教父たちは恐れた。工業化が始まっていた時代だったこともあったのだろうな」

「それじゃぁ打ち壊しの連中と同じように聞こえますが?」

 そう言って、小谷はもう一つ掌からクッキーを口に入れた。

「それだけなら、そう聞こえるかもな。だが直後に、搾取に対応するために制定された法律が決め手だったな」

「仕事-生活法ですね」

 森山はカップに手を伸ばし、一口飲んでからうなずいた。

 小谷はティーポットから森山のカップにお茶を注いだ。

「世界最高の先進国でできた法律だ。その生活のところは、元はどういう言葉だった?」

「“life”、ですね」

 小谷はそのまま自分のカップから一口飲んだ。

「そう、“life”だ。もちろん当時から、生活のためにというような言いかたはあった。そこに政治が介入してきたことはかまわんさ。だが、どこの国法律でも生活に該当する言葉が使われていた。法律の理念はそうかもしれないがね」

 森山はしばらく黙っていた。

「だが、だとするなら、生命はどこに消えた? 『あなたがたは仕事のために生活を送る存在だ』と各国で言ってしまった。『明日の仕事に備えてもう寝なければ』というように考えるなら、それは結局すべての時間を拘束されているのとどこが違う? それなら、あの戯曲の人工人間と何が違う?」

 森山は小谷を見据えた。

「私たちは、私たち自身の意思で、人生のすべてを神に捧げると決めた。普通はそうではないな? どういう根拠でその人を拘束することが正当化される?」

 小谷は三つめのクッキーを掌から口に入れ、うなずいた。

「もちろん、違いはある。神が私たちに与えたもうた生命、魂、そういうものはあの戯曲の人工人間にはないのかもしれん。すくなくとも前半ではな。だが、この際、これは自由意志の問題とも言ってもいいだろう。古くからの議論だ。トリロジー形成よりも古い議論だ」

 森山は、新たに注がれたお茶を一口飲んだ。

「教院は、政治は、社会は、いったいどこで間違えた? トリロジーの形成過程で、もう間違えていたのか? 日本統括会議の結論はこうだ。ともかくどこかで間違えた。こういう社会が来ないようにするための、二百年の私たちの議論は無駄だったとね。それは本部の結論にもなったよ」

 森山は大きく息をした。

「それでどうするんですか?」

 小谷はまたクッキーを掌から食べると、今度は両の掌を叩いて払うと、カップを取り、一口飲んだ。

 森山は首を横に振った。

「今の社会でできることは限られている。今後千年のための二百年なら、犠牲にする価値はある。昔はそう考えたのだが…… 人間がどれほど適応に長けているのかを見誤った、思い知ったということだろうな。不充分な意思疎通、不充分な教育。そういう条件であっても、そういう条件に適応してしまう。それではあっても、科学技術は、ゆっくりとではあっても発展している」

 森山は部屋の机に目をやった。

「君のところでは解析機関は使っていなのか?」

「えぇ。うちの規模だと手は出ないですね。森山さんのところでは?」

 小谷は、またクッキーをいくつか掴み、ソファーに背を預けた。

「使っているが。あれはいったいどういう物だ? そう、それに電話だ。今までよりも充分な意思疎通を可能に、それともやりやすくするんじゃないか? それに、電話と解析機関を繋げられるそうじゃないか。そうなれば、電信のようなやりかたで、多くの解析機関が繋がることになるんじゃないか?」

「可能ではあるということにはなるんでしょうね」

 森山はそれを聞いてうなずいた。

「タイプライターのような装置にも繋がるんだろう?」

「えぇ。それは…… まぁ、標準的にだと思いますよ」

「だとすれば、いろいろな電信がどんどんタイプされるというのも可能になるかもしれない」

「そうなりますね」

 小谷はクッキーを一つ、掌から口に運んだ。

「そういう使い方なら、一つの部屋に一つ、いや二つか、タイプライターのような装置があれば、時間を気にせずとも通信が可能になるだろう? あれは、社会を変えるぞ」

 森山はもう一口お茶を飲んだ。

「それが教院の結論ですか?」

 森山はうなずいていた。

「人間が適応に長けているというなら、今度は停滞への適応ではなく、変化への適応を期待する。それが結論だ。停滞では、自分自身が何者なのかは外から規定される結果になった。それなら、変化への適応の場合はどうなのか。自分自身で規定するしかなくなるんじゃないか? そう期待している。電話と解析機関という要因も、それを後押しすると期待している。それら自体の変化さえも、それを後押しするだろう。ただ……」

 森山は一旦言葉を区切った。

「ただ、停滞には適応しやすくとも、変化には適応しにくいということも考えられる。今のところ見える不安は、そこだな」

 小谷は背を起こし、お茶を飲んだ。

「どういう社会が来るのでしょう?」

「さてな。教院など不要な社会かもしれん。すくなくとも戒めにがんじがらめになっている社会でないことだけは確かだろう」

「そういう社会の変化に対応できる説教、それができる教父が必要というわけですね?」

 森山は笑った。

「そういうことだ。合格だそうだよ」

 小谷と森山は、それぞれもう一口お茶を飲んだ。


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補: カレル・チャペックの「R.U.R.」 が最大で100年早く出版されているとしています。

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