フリークス (Freaks)
宮沢弘
第一章: 信仰世界・自由技芸世界1
1-1: 朝: ゴシップ
街の喧騒で目が覚めた。豆腐売り、魚売り、牛乳配達、新聞配達。それぞれが売り声をあげて、下宿の横の小道を歩いていった。
私は寝間着のまま部屋のドアを開け、廊下から階下の玄関に向かった。玄関の郵便受けに入れられていた新聞を取り、食堂へと歩いた。
「タケちゃん、おはよう」
食堂の台所から大家さんが声をかけてきた。
「おはようございます」
「今日は大学かい?」
「午前中は仕事で、午後から大学ですね」
答えながら椅子に座り、新聞を広げた。
2051年 10月 20日(金)
新聞の頭には今日の日付があった。金曜日ということは、「書術」と「弁術」の講義だ。
目に入ったのは、女優「
「ほいよ」
大家が朝食を乗せた盆を持って来た。
「熱愛ってのはうらやましいもんだねぇ」
新聞を覗き込み、そう言った。
「大家さんだって言ってたじゃないですか。旦那さんと熱愛だったって」
「いやだねぇ、」
大家は右手を触りながら答えた。
「あたしが言ったこと憶えてるのかい? そうだねぇ。その女優さんに比べればたいしたたぁないさ」
話を聞きながら、私は新聞を横に置き、箸を取った。
「まだね、あのころってなぁ見合いが普通だったからねぇ。見合いじゃなかったってだけさね」
「だけど、熱愛だったんでしょ?」
飯を口に運び、味噌汁で流しこんでから言った。
「あははは。まぁ、そうだったねぇ。でもやっぱり、その女優さんとは比べものにゃならないさ」
「普段の生活から派手な人ですからねぇ」
「そうそう。こっちの熱愛なんてのは、つつましやかなもんさ」
干物をほじくり、沢庵をかじり、飯を頬張り、味噌汁で流しこんだ。
「タケちゃんもその女優のフアンだったのかい?」
「ん〜、フアンってほどじゃないですけど。まぁ好みではありましたね」
「新聞にも書いてあるけどさ、『親のない子』の興行はどうなるのかねぇ?」
「いやぁ、どうなんですかね。でも、また観にいかないとなぁ」
「そん時ぁ、恋人と一緒じゃないとねぇ。このニュースで焼けてしょうがないだろ?」
「ん〜、まぁ相手がいればそうしたいんですけどね。まぁ、なかなか」
私は箸を置き、お茶に手を伸ばした。
「いつも言ってるじゃないかい。恋愛して、結婚して、そういうのが幸せってもんさ。いっそ、紹介してやろうか?」
「観に行くだけってのが条件なら、お願いしようかな。そのあとはわからないけど」
「まかせときな。善は急げだね。明日の土曜の午後がいいかねぇ? そういうことで一人呼んどいてやるよ」
私は湯呑みを食卓に戻した。
「明日は休みなんですよ。なんなら、興行科学を見に行こうかと思ってて」
「あぁ、そりゃいいね。なら明日の10時ごろでどうだい?」
「いいですよ。楽しみにしてます。ごちそうさま」
私は新聞を取って立ち上がり、食堂から出た。
そのまま洗面所に行き、鏡の下に新聞を置くと、顔を洗い歯を磨いた。
「よう」
別の住人が一人入って来ると、挨拶をしてきた。
「おう」
それだけ私は答えた。
「それ、読んだか?」
「おう」
私は口をすすぐと答えた。
「すげぇよな。相手ってのは富豪だろ? 住む世界が違うねぇ」
「そうだな。大女優と富豪だもんな」
「それに、ほらこないだ不倫疑惑もあったろ?」
「あったな」
「それでもこの熱愛だろ? 住む世界が違うと価値観も違うのかね?」
「お前、不倫とか、そのあたりの道徳とか、そういうこと大家さんに言うなよ」
「は?」
そいつはキョトンとした顔を向けていた。
「大家さん、見合い相手がいたのに恋愛結婚したんだよ」
「そうなのか!?」
「あぁ」
「大家さん、やるなぁ。当時だとかなりいろいろ言われたんじゃないのか?」
「だから、それを大家さんに言うなってこと」
「なるほどね。恋愛だったってのは聞いてたけど。へ〜」
「絶対言うなよ。俺が言ったなんてことも含めて絶対にだぞ。前にそこに触れた奴がいてな、どうなったと思う?」
「どうなった?」
「追い出された。帰ってきたとたん、大家さんが乗り込んで、荷物を窓から放り出した。そいつは朝飯のときに大家さんに言ったんだけどな。一日かけて大家さんを爆発させたらしい」
そいつは大笑いしていた。
「冗談だと思うなら言ってみろよ。お前の持ち物、貰えるものは貰ってやるから」
「まじ?」
「まじ」
私は新聞を取り懐に入れると、手を振り、袖の中で腕を組んだ。
「じゃぁな。仕事だ」
「お、おぉ」
私は部屋に戻ると、着替え、そして下宿を後にした。
澄んだ空にすこしばかりの雲が浮かんでいた。
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