2-3: ティー・タイム

 小講堂から門まで、また芸を披露していた。森山さんは時に立ち止まり、それを眺めていた。

 門を出て、すこし行ったところにある喫茶店に入った。大丈夫。「親のない子」の上映までにはまだ時間がある。

 私はコーヒーを、森山さんは紅茶をまた頼んだ。

「どうでした?」

 おそらく良い返事は返ってこないだろうと思いつつも、訊ねた。

「良かったですよ」

 その言葉に安心した。

「その…… 奇妙な方々を見せられるよりはずっと」

 安心は真っ直ぐに落胆に変った。その感想そのものにはもちろん同意するが。「良かったですよ」の基準がそうだということに落胆した。やはり面白くなかったのだろう。

「技術の発達も必要だと思います。でも、それよりも大切なことが置き去りにされるような世界にはなって欲しくないと思います」

 森山さんはカップを手にした。

「興行科学が、そういう世界を作ると思いますか?」

 私もカップを取った。

「よくは知りませんが…… 解析機関なんて恐ろしいと思います。心を持たないモノが考えるだなんて……」

「いや、解析機関は考えているわけではなくて……」

「でも…… 計算をするのでしょう? 私、解析機関に算譜を運ぶ仕事をしてます。ほんのすこしだけですけど、勉強もしました」

 それは確かにそのとおりだ。私も森山さんもカップを置いた。

「それは…… 算譜に書かれたとおりに計算しているだけで……」

「それでも、もう計算師の仕事を奪っていますわ。心を持たない機械が、人間から仕事を奪っています。今日の一つめは、そういうモノなのでしょう?」

「確かにそうですが……」

 だが、計算師も長いこと手回し計算機を使ってきた。そう言いそうになり、口を開いたまま、私の言葉は途切れた。

「誤解しないでいただきたいのですが、私も、計算師が手回し計算機を使っていたことは知っています」

「だったらなんで……」

「何なのかしら。解析機関は手回し計算機とはまったく違うモノに思えるのです」

「確かに違いますね。算譜というモノの存在がそれを示しています」

 森山さんはまたカップを取った。

「私の気持をもっと素直に言うなら、解析機関よりも、その算譜というモノが怖いのかも」

 私もまたカップを取った。森山さんの指摘は、考えたことがなかった。だが、確かにそうなのかもしれない。算譜にはいったいどこまで刻印できるのだろう?

「森山さんは、どこまで算譜に書けると思いますか?」

 彼女は首を横に振った。

「それを考えるのも、恐しいのです。心は算譜に書けるのでしょうか? 算譜に心は必要なのでしょうか? 喜んだり悲しんだり解析機関はできるのでしょうか? 解析機関にそういう心は必要なのでしょうか? それとも、解析機関が心を持ったとしても、それは人間の心と同じものなのでしょうか?」

 森山さんは一気に畳みかけてきた。私はカップを取り、一口飲んだ。

「それは……」

「それだけじゃありません。三つめの興行科学、あれも恐しいと思います」

 その指摘に、先程と似た安心を感じた。安心という言葉は適切ではないかもしれない。

「もしあのような技術が組み合わさって、世界中の解析機関が繋がったら、どうなるのでしょう?」

 私が感じたのは安心ではなかった。理解できる人がいたという、希望に似たものだった。

「私もそういうことを考え、いや感じました」

 彼女はしばらく答えなかった。彼女の目は何を言っているのだろう。彼女も私と同じように、安心か、それとも希望に似たものを感じているのだろうか。それとも、私も興行科学者と同類だと思っているのだろうか。

 彼女は紅茶を一口飲み、そしてカップを置いた。

「ね? 恐しいと思いませんか?」

 彼女は軽く柔らかい笑みを浮かべていた。その笑みを見て、私はすこし落ち着いた。だが、工業や興行科学について、どこまで話していいのだろう。

「もし興行科学が行き着くところまで行ったら、恐しいのかもしれません」

「えぇ。ですから人間には信仰と、人間らしい心が必要だと思うんです」

「『まだ大丈夫だ』という言葉では、森山さんは納得しないのですね?」

「もちろん納得しませんよ。『まだ』ということは、『いつか』があるのかもしれませんから」

 彼女は、私には不釣り合いなのかもしれない。「いつか」を想像でき、その上で信仰と人間らしい心に重きを置いている。いや、「私には」というのは適切ではないのかもしれない。誰か、彼女に釣り合う人間はいるのだろうか。

 何時間か前に会ったばかりだが、その時に感じた「心の強そうな顔立ち」という印象は間違ってもいなかったし、的外れでもなかったのだろう。

 もし、彼女のような人がそばにいて、私が人間としてのありかたを間違えそうになった時に手を取ってくれたなら。

 いや、理屈はいい。ただ、彼女を好きになった。これ以上ないほどに好きになった。

 私は、彼女を凝視していることに気付き、店の時計を探した。

「そ、そろそろ映画に行きませんか?」

「そうですね。ちょっと話し過ぎたかも。変人だなんて思わないでくださいね」

 二人してカップの残りを飲み干した。

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