3-3: 教院: 加害事項、欲望事項
「加害事項は、最近の誤解が少ないように思われ、しかしながら誤解が多きい事項でしょう。自らを殺めてはならない。人を殺めてはならない。姦淫をしてはならない。どれも自明であるように思えます」
教父は軽く咳払いをした。
「自らを殺めてはならない。労役事項により、どのような労苦を与えられようとも、それは神聖事項の至高条項により無謬性が保証され、分け与えられているものです。それらから逃れようとすることなど、認められるものではありません。また同時に、逃れようとするような状況に陥ることも禁止しています。そのような状況に陥るということは、尊敬条項を遵守していないことを意味するからです。分け与えられた無謬性を信じる限り、自傷条項に反することはありえないのですから」
教父は一度表具を見た。
「人を殺めてはならない。至高条項により無謬性が保証されている限り、殺めなければ何事をも許される。ただし、その他の事項に反しない限りですが。もし、尊敬条項に基づいて目下の者になにかを命じたとしましょう。基本的に、目上の者は無謬性が保証され、分け与えられています。ですが、常に分け与えられているわけではありません。目上の者は自身の無謬性をつねに自問しなければなりません。神に分け与えられた無謬性に沿っているかと」
教父は息を吸った。
「姦淫をしてはならない。それは加害であり、欲望事項にも反します。また労役事項の尊敬条項にも、つまり夫に対する敬いにも反します」
教父は水を飲んだ。
「このところ、加害事項は、その言葉どおりとして解釈される場合がすくなくないと聞きます。直接自傷しなければいい。直接人を殺めなければいい。直接姦淫しなければいい。神は慈悲深く、また同時に厳しくもあり、そのため直接の加害のみを罪とするわけではありません」
教父はもう一口水を飲んだ。
「言うなら、加害事項に至って、神は人間の自由意思を試しておられます。今、ここで罪を重ねるか、それとも重ねないか。その自由を神は人間に与えておられます」
息を吸って教父は言った。
「それでは、一度ここで祈りましょう」
教父は左右の手を組み、頭を垂れた。
教父が今、実際に何を考え、祈っているのかはわからない。実際にこれまでの説教を悔いているのかもしれないし、あるいは今日の説教を教父自身の神に悔いているのかもしれない。
「神は皆さんの心の中におられます」
以前、教父はそう言ったことがある。もし、その言葉どおりなら、神は唯一ではないということだろうか。それとも、根っこは繋っており、やはり神は唯一なのだろうか。
いつもの教父の説教と、今日の説教を比べてみると、普段の説教がいかに厳しいものであるのかがわかるように思えた。外から、「その行ないは善である」、あるいは「その行ないは悪である」と助言するものが存在しないのだとしたら。そう考えると恐ろしくもある。それは神に限らない。教父が今日言ったとおり法でも同じだ。
教父はどう考えているのだろう。神は不要だと考えているのだろうか。
もしそうだとしたら、監視の教父が来ているのは、普段の説教だけが問題ではないのかもしれない。
「では、欲望事項に移りましょう」
組んでいた手を解き、顔を上げ、教父は言った。
「これは、自由技芸に関することでもあります。自由技芸の書術、弁術を考えてみましょう。いずれも、いかに相手に印象付けるかが述べられているかと思います。えぇと……」
教父は席を見渡し、私と目が合った。
「狭山さん、自由技芸大学に通っておいででしたね。この点についてはどうでしょうか」
「まだ始まったばかりではありますが、おっしゃるとおりかと思います」
私は立ち上がって答えた。
「自由技芸大学では、天の書トリロジーや戒めを遵守することを第一としているでしょうか」
教父が訊ねてきた。
「たとえば、言い回しはどうでしょう」
「配慮しているように思います」
「では、たとえば、至高条項にある『すべて』というような言葉はどのように扱っていますか?」
先日の書術を思い出した。
「『すべて』という言葉は、誠意条項に反する可能性があるので、避けるようにと指導されています」
教父はうなずいた。
「でしょうね」
また教父はうなずいた。
「ですが、それは偽証条項に違反はしないでしょうか。言い回しによって神の目を欺ける。そういうものではないでしょうか」
教父は右手で、座るように示した。私はそれに従って席についた。
「欲望事項は、加害事項ほど目に見えるものではありません。すくなくとも強欲条項と誠意条項は、それを口に出さない限りわからないものでしょう。ですが、神は欲望事項も見ておられます。あるいは、」
教父はまた咳払いをした。
「尊敬条項に反しないように、また窃盗条項、強欲条項に反しないように、皆さんから目上の者に何か意見する場合、その意見を目上の者に差し出すように言われているかと思います。ですが、それは目上の者が尊敬条項や強欲条項に反する思いを持っていることを前提としています。そして目上の者にとっては、目下の者がそのように振る舞うことが当然と思っているということでもあります」
教父はまた一口水を飲んだ。
「しかし、神は見ておられます。尊敬条項はもちろん守らなければなりません。しかし、それは欲望事項をどのような形であっても正当化する理由にはなりません。誰しも神の前では等しいのです」
「それでは、いま一度、ここで祈りましょう」
教父は左右の手を組み、頭を垂れた。
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