1-4: 午後: 自由技芸世界 〜書術〜
昼飯を摂ってから、都下第一自由技芸大学の教室へと向かった。正直、すこしばかりへこんでいた。
まずは書術基礎の講義だった。午前の会議のようなことを繰り返さないようにと思いながら席に着いた。十数人の出席者がいた。週に何回かある講義でもあり、高校でも習うことということもあり、そちらで単位を取っていれば履修する必要のない講義だからだろう。
中学から工業専門学校に進んだ私はこれを履修する必要があった。この講義に限った話ではないが。他の履修者も私と同じか、それとも高校で充分な成績を取れなかった人だろう。
自由技芸大学の書術の講義は工業専門学校での作文術の講義とは違うものだ。作文術は、手引書や手順書を書くためのものであり、味気ない文章を書くためのものだった。
書術はそうではなかった。どれほど効果的に伝えるか。どれほど重要な文書であるのかを読み手に印象づけるか。それが第一の目的だった。作文術で習った味気ない文章とは異なり、印象と味わいが重要だった。
書き手が人間であり、読み手も人間である以上、書術にそれより重要な事柄などありようはずもなかった。
どれほど重要な作文であっても、読み手の印象に残らなければ意味がない。専門学校での作文術が実社会ではなぜこれほど意味のないものと考えらえているのか、それを認識できる講義だった。専門学校を出た人間にしか通じない、無味乾燥な文章。そんなものに意味はない。
センセーショナルに。とにかくセンセーショナルに。それが、その文章の正当性と重要性を訴える。人間の心に響く文章。それが、その文章の正当性と重要性を訴える。
「工業専門学校を出ている人には異質に思えるかもしれません」
教授が言った。
「ですが工業専門学校において、研究を政府に承認してもらうためにも、このような書術が必要であり、重要であり、正統なのです」
なるほどと思う。
「工業専門学校を出た人が書く手順書がどれほど無味乾燥なのか。必要なことが伝わればいいという非人間的な文章。読んでも、どこが重要なのかもわからず、要点を得ない」
そこで教授は板書を始めた。
| 企画書
| 新製品の紹介書
| セルロイド製の解析機関の刻印版。
| 良い点: 紙よりも強い
| 弱点: 燃えやすい
「これについて、書いてみよう。できた人から持って来るように」
教授はそう言い、課題を出した。
私は鉛筆を持ち考えた。
| 「セルロイド製刻印版」
|
| これまでの紙製の刻印版は厚紙を用いてはいるものの、どうしても何
| 回もの使用によってヘタれや、曲り、その他の汚損のおそれがありまし
| た。
|
| 当社の新製品、セルロイド製の刻印版は紙よりも強く、そのために紙
| 製の刻印版よりも薄くすることが可能であるとともに、汚損にも強いも
| のとなっています。
|
| ただし、注意点として、紙製のものよりも熱に弱い傾向があります。
| 保管および使用に際しては、この点に注意していただく必要があります。
|
| この点にのみ注意していただければ、より快適に解析機関をご利用で
| きるでしょう。ぜひ、当社のセルロイド製刻印版のご活用をご検討くだ
| さい。
これだけをノートに書き、教授のところへと持って行った。教授は一瞥すると、首を横に振った。
「まぁ、悪くはない。だが良くもない」
「はい」
「君は工業専門学校からの進学かな?」
「えぇ、そうです」
「なるほどね。そういう文章だ。いいかね? まず強調すべきことがらは何だね?」
「紙よりも強いという点でしょうか?」
私は黒板を見て答えた。
「そのとおり。だとしたら、紙の刻印版をもっとおとしめなければならない。それに、ここだ」
教授は「熱に弱い傾向」という箇所を指差した。
「こんなことを書く必要がなぜあるのか説明してみたまえ」
「えぇと、」
私はすこしばかり考えた。
「刻印しながら煙草を吸うとか、刻印版の上に熱いコーヒーの入ったカップを置くとか、そういうことはありえると思うので」
「そういうことはありえるだろうね」
そこで教授はまた首を振った。
「だが、私が言っているのは、なぜそんなことを書く必要があるのかということだ。わかるかね?」
「はぁ」
私は生返事を返した。
「いいかね? 君はこれを売らなければならない。だとしたら、どう書くべきかね? そこを考えてもう一度書いてきなさい」
そう言い、教授はノートを私に戻した。
売らなければならないなら、良い面、悪い面の双方を提示するべきだろうと思う。そうでなければ、採用するかどうか決められない。
だが、と思った。まず採用させなければならない。だとしたら良い印象を、それも強く伝えなければならない。まだ工業専門学校での作文術の悪い面が残っているようだ。
私は席に戻り、新たな文面を書いた。
| 「セルロイド製刻印版」
|
| 画期的新製品、セルロイド製刻印版。
|
| 厚紙の刻印版は繰り返しての使用によりヘタれ、汚損を避けられま
| せんでした。
|
| 当社の新製品、セルロイド製刻印版にはそのような弱点はありませ
| ん。強く、薄く、汚れにも強いものとなっています。
|
| 厚紙の刻印版の保管場所に頭を悩ませている方にも朗報です。セル
| ロイド製刻印版は厚紙よりも薄く、保管場所の問題も解決します。
|
| 欠点のない次世代の刻印版、当社のセルロイド製刻印版をぜひご検
| 討ください。
ノートを持って、再び教授の所へと行った。
教授は先に書いたものと見比べた。
「うん。よくなっている」
そう言ってうなずいていた。
「だが、もっと強く訴えられないものかね? この『強く、薄く、汚れにも強い』というあたりはまだ理屈っぽいね。いいかね? 文章に理屈なんてものは必要ないという真実をきちんと理解しなければならない。わかるかね?」
私はうなずいた。
「よし。すこし助言をしよう。神の戒めを思い出しなさい。簡潔かつ明確。あれこそが規範だ。なら、もう一度書き直してきたまえ」
私はノートを受け取ると、また席に戻った。
さて、どうすれば良い文章になるのだろう。セルロイド製刻印版を印象づける。それが目的だ。私は鉛筆を持った。
| 「セルロイド製刻印版」
|
| 厚紙の刻印版はもはや過去のもの。
|
| 刻印版についての悩みをすべて解決する画期的新製品、セルロイド
| 製刻印版。
|
| 新世代の技術で解析機関に関する悩みをすべて解決しましょう。
そこで考えた。そうか。研究承認番号をこれまで書いていなかった。それじゃぁ、製品の正当性を訴えられない。承認番号は知らないが。とりあえず付け足しておこう。
| 【研究承認番号: 123456】
そうして三度教授のところへと行った。
教授は一瞥して言った。
「うんうん。いいね。簡潔かつ印象的。研究承認番号を付けたのも評価に値する。これ一つだけで、印象がまったく違うからね。必要だと政府に認められたという箔付けになる。だが、『すべて解決しましょう』の『すべて』はいただけないな。誠意条項に反するかもしれない。反していないとしても、反していると言われるかもしれない」
そう言い、「すべて」の箇所に打ち消し線を引き、冒頭にチェックマークをつけ、教授自身のノートに評価を書いた。
工業専門学校の作文術はなんだったのかと思う。あんなのは、普通には必要のない、あるいは普通とは反する作文術だ。工業専門学校出身者が低く見られるのもあたりまえだと思う。
教授に貰ったチェックマークを見て、すこしにやけているのに気付いた。
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