第16話 雪遊びをするカップル

「寒い! さすがに寒い!」


 いつも通りの文芸部室。

 あまりにもひんやりした室内で、結朱が悲鳴のような声を上げた。


「そりゃまあ、外がこれだしな」


 ちらりと窓の外を一瞥すると、広がっていたのは一面の銀世界。

 この冬初の積雪である。


「うぅ……こたつも片付けちゃったし、ろくな暖房器具がないからね。さすがにこんな冷蔵庫みたいな空間でゲームをするのは無理だよ。大和君がぎゅっと抱き締めてくれたりしたら話は変わるけど」


「そりゃ事実上の不可能だな。よし、今日は解散するか」


 言うなり、俺はくるりと踵を返した。

 途端、結朱が俺の服をがしっと掴んでくる。


「ちょいちょいちょい、諦めるの早くない? もうちょっと私と一緒にいる時間を名残惜しんでほしいんだけど!」


「大好きな結朱ちゃんに風邪を引かせるわけにはいかないだろ? 俺の愛だと思ってくれ」


「そっか、愛なら仕方ないね! やだもう、大和君ったら私のこと好きすぎない?」


 満面の笑みで頷く結朱。

 ナルシストをスルーするための黄金パターンである。


「でもさ、せっかくなら今日は外で遊ばない? 動けば暖かくなるし、雪でテンション上がってるし!」


「小学生か」


 意外とわんぱくさを失っていない結朱であった。


 インドア派の俺としては、寒い日はこたつでレベル上げと相場が決まっているのだが、どうせ一度は遊んでおかないと、雪が溶けるまでねだられるのは見えている。


 被害を減らすには、雪が綺麗な今のうちに付き合うことが肝要だろう。


「しょうがないな……少しだけだぞ」


「わーい。じゃ、行こうか」


 マフラーを巻いた結朱は、元気よく文芸部室の外に出ていった。


 そのまま、俺たちは雪が積もる中庭に出る。


 さすがに高校生にもなって雪遊びをするようなわんぱく小僧どもは俺たちしかいないらしく、小さな雪原は貸し切り状態となっていた。


「さっむいなあ……おい結朱、雪遊びって言っても何をす――ぷわぁっ!?」


 言葉の途中で、俺の顔面に雪の塊が飛んできた。


「あはははは! 変な声!」


 見れば、はしゃぐ結朱の手には雪玉が握られている。


「お前、いきなり何しやがる」


 じろっと睨むも、彼女は悪びれる様子もなく胸を張った。


「見ての通り、雪合戦ですけども」


「それはそれでいいとして、合図くらいしろや」


「甘いね! 合戦に合図などないのだー! 常在戦場と心得て?」


 ……ほう。面白いことを言ってくれる。


 俺もすぐにその場で雪玉を作ると、いきなり結朱に向かって投げつけた。


「おっと、お見通しだよ!」


 結朱はさっと身を躱すと、俺の雪玉を避けていく。


「まだまだ!」


 俺は即座にもう一度雪玉を作り、クイックモーションで投げていった。


「よっ、ほっ! ふっふっふ、その程度の雪玉じゃ運動神経まで完璧な私を捉えることはできないよ!」


 結朱はテンポよく雪玉を避けると、やがて裏庭に生えていた柳の木の裏に身を隠した。


「安全圏確保! どう、攻撃できないでしょ? 私の完璧な戦略を見せつけちゃったかな!」


 一方的に攻撃を決められる砦を見つけ、結朱は上機嫌に自慢してきた。


 が、それも計算の内。


 むしろ、彼女がそこに逃げ込むよう、俺が雪玉を投げて退路を誘導したのだ。


「悪いが、こっちも司令塔ポイントガードなんでな。戦略の勝負で負けるわけにはいかないんだわ」


 言うなり、俺は雪玉を思いっきり投げた。


 結朱にではなく――彼女の上にある柳の枝に。


 ぽすん、と軽い音を立てて当たる雪玉と、しなる枝。

 すると、その衝撃が呼び水になったか、枝の上に積もっていた雪が真下に滑り落ちていった。


「うみゃあああ!?」


 瞬間、結朱の間抜けな悲鳴が響くのだった。


「冷たい! すっごい冷たい! 服の中に雪入った!」


 柳の下は危険地帯と見たか、じたばたと雪を払いながら出てくる結朱。


「続けるかー?」

「降参!」


 割とダメージが大きかったのか、結朱は即座に白旗を揚げた。


「うぅ……そういえば、大和君って陰湿な手段で相手を嵌めることには定評のある人間だったっけ。相手が悪かったよ」


「評価が酷い」


 今まさに罠を仕掛けて勝った手前、あんまり否定はできないが、人間性がだいぶアレな評価だった。


「ともかく、対戦系はよくないね。ここからは協力プレイで楽しもう」


「いいけど、何するんだ?」


「んー……雪だるま!」


「また力仕事だな」


 絶対、俺が大変になるパターンだ。


「いやー、私ちゃんと雪だるま作ったことなかったんだよね。ほら、やろう」


 言うなり、結朱は小さな雪玉を転がし始めた。


「しょうがないな」


 雪合戦よりは平和かと判断した俺は、素直に結朱の手伝いをすることに。


「ふっふっふ、大きい雪だるまにするよー!」


 結朱は鼻歌交じりに雪玉を大きくしていく。


 中庭に積もった雪を全て巻き取る勢いでローリングしていったものの、やはりというか、途中であまりに重くなりすぎて、進まなくなってしまった。


「うぐ……雪ってこんなに重くなるんだね」


 自分の身長と同じくらいの雪玉を押しながら、結朱は呻いた。


「そりゃまあな。綿で出来てるわけでもあるまいし」


 二人がかりで押しているものの、全く進む気配はない。


 これ以上は無理だと判断した俺が手を離すと、結朱も諦めて溜め息を吐いた。


「仕方ない、これで完成!」


 言うなり、結朱は雪合戦で使うくらいのサイズの雪玉を作ると、ちょこんと巨大な雪玉の上に載せた。


「ちっさ!?」


 上下のサイズ比、実に1対1000くらいだ。


 あまりの不格好さに呆れる俺とは対照的に、結朱は満足げに頷いていた。


「うむ。羨ましいくらいの小顔だね!」


「身体とのバランスおかしいだろ。どんだけ厚着してる設定なんだ、こいつ」


「テーマは『着太りの向こう側』です」


「どんなテーマだ」


 苦笑しながら、俺は雪だるまを改めて見つめる。


「けど、このくらい大きかったら、このままかまくらに出来そうだな」


 ふと思いついたことを、俺はなんとなく呟いた。


「お、いいね。かまくらは結構作ったことあるよ。懐かしいなあ、幼稚園の頃に作ってはみんなで遊んでたっけ」


 昔を思っているのか、遠い目をする結朱。


「そうなのか。俺は作ったことないんだが、どういう遊びをするもんなんだ?」


「幼稚園の頃だったし、私たちはおままごとをやってたね。かまくらを家にして、みんなで役割決めて」


「ふむ」


 確かに家っぽさがあるから、ままごととは相性はいいのかもしれない。


「で、最後は旦那さんの浮気がバレて、怒った奥さんがかまくらを崩して旦那さんを生き埋めにするっていう」


「何その遊び!?」


 微笑ましい遊びだと思ってたのに、意外すぎるサスペンス味が出てきたんだけど。


「というわけで、かまくらを作ろうか」


「嫌だよ! その話を聞いた後では賛成できないわ!」


 ちょっとした死亡フラグが立っていた。かまくら、怖い。


 怯える俺に、結朱は苦笑を浮かべてみせた。


「もう。大丈夫だって、昔のおままごとの話だし。今は埋めたりしないよ……浮気さえしてなければ」


「言葉の最後にちょっとしたヤンデレの素質見せるのやめてくれませんかね!」


 開いてはいけない扉を見てしまった気がした。ここの鍵は永久に開けないようにしよう。


「とにかく、平和に遊ぶだけだから大丈夫。あ、ちょうどよく雪かき用のスコップがあるし、作ってみようよ」


 除雪用に置いたものなのか、あるいは誰かの片付け忘れか、都合良く中庭にスコップが放置されていた。


 結朱は小走りでそれを取りに行くと、俺に片方を渡してくる。


「かまくらの基本は、固めて、掘ってだからね。案じるより産むが易し、とりあえずやってみよう!」


 言いながら、結朱は慣れた手つきで雪玉の外側に雪をかけて、形を均していた。


「了解」


 俺としても、かまくらを作るのは初めてなので、少し楽しみな面はある。


 結朱の指示の下、雪を固めては慎重に掘り出し、固めては掘り出し……と繰り返すこと数十分。


「うん、このくらいでいいかな。完成!」


 達成感に満ちた結朱の宣言。

 目の前には、見事なかまくらが出来ていた。


「おお、ちょっと感動するな」


「でしょ? 憧れのマイホームだよ。よかったね、今のうちに喜びを噛みしめたほうがいいぞ」


「おい、なんか『どうせ大和君は、大人になってもマイホームを買うほど稼げないだろうし』みたいな注釈が聞こえるんだが」


「気のせい気のせい」


 じろっと睨む俺を、結朱はさらりと流した。


「しかし、ずっと雪触ってて冷えたな。何か温かい飲み物でも買ってくるか」


 俺がかじかんだ手で財布を出すと、結朱が手を上げた。


「あ、私のもお願い」


「分かった。何が飲みたいんだ?」


 訊ねると、結朱は少し考えてから口を開いた。


「んー……せっかくだし、大和君に任せるよ。これを機に彼女を喜ばせるセンスを磨いて?」


「よし、任せろ。じゃあ醤油でいいな?」


「いいわけないんだけど! 逆になんでそれが通ると思ったの!?」


「結構動いたし、塩分を補給したほうがいいかなって」


「致死量になるほどの補給はいらないよ! もっと甘いものでお願いします!」


「よし、任せろ。じゃあ砂糖醤油でいいな?」


「何も分かってないよね! そんな甘塩っぱさもいらないの! もっと温かくて甘い感じのやつでお願いします!」


「そんな醤油あったっけな……」


「醤油から離れなさいよ! もういい、私も行く!」


 どうやら俺のセンスは落第を食らったらしい。残念。






 自販機で飲み物を買ってきた俺たちは、それをカイロ代わりにポケットに入れると、いよいよかまくらに突入することにした。


「思ったより狭いな」


「ね。昔は何人かで入っても余裕だったのになあ」


 俺と結朱は、思ったよりもスペースのなかったかまくら内部で、身を寄せ合うようにして座っていた。


「けど、かまくら内って意外と暖かいんだな」


 ちょっと驚きである。


 雪に包まれた空間だから、さぞや寒いに違いないと思っていたが、風が入らない分、外よりも暖かいくらいだった。


「そうだね。ま、こうして寄り添ってるからっていうのもあるだろうけど」


 確かに、肩に触れる結朱の温もりも大きな要因だろう。


「ま、ここは冷たいままだけど」


 と言うなり、結朱はいきなり自分の指を俺の首に当ててきた。

 氷のような冷たさに、俺は反射的に背筋を伸ばす。


「うおっ!? お前、いきなりなんてことしやがる」


 亀のように首を竦めてガードすると、指を離した結朱が悪戯っぽく笑った。


「いや、しもやけになっちゃいそうだったし」


「なら自分の首元に入れろ」


「えー、大和君のほうが体温高いし。あとスキンシップがあったほうが大和君も嬉しいかと思って」


「なんだ、その間違った気遣い」


 俺は白い目で結朱を見た後、溜め息を吐いて彼女の手を握った。

 冷たい結朱の手が、俺の体温でじんわりと温められていくのが分かる。


「こっちで我慢しろ」


「……ん」


 結朱も割と満足そうに頷いた。

 と、そこで俺は気付く。


「ていうか、せっかく温かい飲み物を買ったんだから、それで暖を取ればいいのでは」


 そこでようやく、ポケットに入っている飲み物に思い至る。

 だが、結朱は何故か頬を膨らませた。

「大和君、無粋。そんなの分かった上で大和君に温めてもらいたかったのに」


 まるで合理性のない結朱の言葉。


「……確かに」


 が、俺は反論することなく、結朱の手をきゅっと握る。


 なんとなく照れ臭くなった俺が視線を外に移すと、不意に白い粒が地上に降りてくるのが見えた。


「あ、また降り始めた」


「本当だ。明日も積もりそうだね」


 そのまま、俺たちはぼんやりと景色を眺める。

 夕日に照らされ、茜色の輝きを纏ったまま地上に降る雪。


「わあ……綺麗だね」


「そうだな」


 感嘆の言葉を漏らす結朱に、俺は素直に頷いた。


 が、何故かそこで彼女は悪戯っぽい表情を浮かべる。


「そこは『君のほうが綺麗だよ』って言う場面じゃないの?」


「……君のほうが綺麗だよ」


「うんうん。知ってるけどね!」


「まあ、俺の褒め言葉も負けないくらい綺麗事だったけどな」


「どういう意味さ!」


 睨む結朱をさらっと流して景色を眺める俺である。


「まったく大和君は、どんな時でもムードがないね。この辺、来年また一緒に雪を見る時までの課題にしよう」


「善処します」


 ぷくっと頬を膨らませる結朱に、俺は苦笑で言葉を返した。

 そして、再び景色を見ながら、さっきの言葉を噛みしめる。


 ……来年、か。


 期間限定の偽物カップルから始まった俺たちが、当たり前のように未来に想いを馳せている。


 それはなんだかとても奇跡的で、尊いことのような気がした。


「なあ、結朱」


「なに?」


「……いや、なんでもない」


 反射的に気持ちを伝えようと思ったが、やめた。

 なんとなく、言葉にすると安っぽくなる気がしたから。


「むぅ……気になるじゃん」


 気になる区切り方をしてしまったからか、結朱は唇を尖らせた。


「なに。ただ来年も雪が降るといいなって思っただけさ」


 不満そうな結朱に、半分だけ気持ちを伝えた。


「そうだね。楽しみ」


 繋いだ手に、結朱が少しだけ力を入れてくる。


 ――言葉にしなかった半分も共有できている。


 何の根拠もなく、俺はそんな確信を覚えた。


 それから、俺たちは日が沈むまで茜色の雪を眺めるのだった。



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