第4話 揃って遅刻をするカップル
俺の愛するRPGというゲームには、一つ大きな欠点がある。
それは、面白すぎるゲームを引き当てると、ついつい熱中して時間を忘れてしまうということだ。
たとえ、次の日にどんな予定が入っていようとも。
まあつまり、何が言いたいかというと。
「……完璧に寝坊した」
誰もいない通学路を歩きながら、俺は深々と溜め息を吐いた。
やっちまった……新作のゲームを進めていたら、予想外に面白くて気づけば朝の四時。
仕方ないから徹夜で学校に行こうと思ったものの、気づけば寝落ちしていたという。
「結朱も怒ってるだろうなあ……」
普段、俺と結朱は待ち合わせして登校をしているのだが、それを無断ですっぽかしてしまった。
スマホを確認してみるも、結朱からのメッセージは入っていない。
何も言ってこないとは、相当怒っている可能性がある。謝らなければ。
「朝からしんどいな……」
重い足取りで校門をくぐり、昇降口に向かう。
と、そこで、思いもよらぬ相手と出くわした。
「え?」
「おや?」
上履きを履きながらこっちを見ていたのは、ちょうど今考えていた結朱だった。
「……何やってんだ、結朱。こんな時間に」
「それはこっちの台詞だよ。随分と重役出勤だけども」
会話しながらも俺は、そして恐らくは結朱も、事態を把握した。
これ、お互いに遅刻したパターンだ、と。
「まったく、約束したのに無断で遅刻とか、彼氏としての自覚が足りないんじゃないの?」
「そうだな。約束したのに無断で遅刻する彼女くらい、自覚に欠けた行動だったわ」
朝から無意味な罵り合いをするカップル。あまりにも不毛である。
「で、そっちはなんで遅れたんだよ?」
「いやあ、宿題を忘れそうになっちゃって。ベッドに入ってから思い出して、慌ててやってたら夜中になっちゃったという」
「へえ、自称完璧超人が珍しいポカだな」
「たまにはこういう隙を見せることで、親しみやすさを演出してるんです」
めちゃくちゃ言い訳臭かった。
「そう言う大和君が遅刻した理由は、まあどうせゲームをやりすぎたか、私のことを考えてたらドキドキして眠れなくなったかのどっちかでしょ」
「一〇〇パーセント前者だわ。なんでもう一つの選択肢が出てきたのか不思議でならない」
そんなあほな会話をしながら階段を昇り、誰もいない廊下を歩く。
あんまり普通の声で話してると、授業中の教室にまで聞こえてしまいそうだな。
「……なんか、こう静まり返った廊下で話してると、教室まで声が聞こえちゃいそうだね」
俺と同じことを思ったのか、結朱は声を潜めた。
「そうだな。変に目立つのも嫌だし、少し静かに行くか」
と、俺も声のボリュームを抑えたところで、結朱は何か気になることがあるのか立ち止まった。
「どうした?」
「……ねえ、ちょっと気になったんだけどさ。私たちって付き合ってるじゃん?」
「まあ、そうだな」
今更の確認に困惑しながらも、俺は素直に頷いた。
「そんな私たちが揃って遅刻してきたら、クラスのみんなはどう思うかな?」
言われて、少し考える。
「そりゃまあ……朝から二人でいちゃついてたから遅刻した。もしくは朝帰りで遅刻した、とか」
「だよね!? なんか公序良俗的によくない感じのことしてると思われるよね!?」
「まあ、な」
俺は特に仲のいい相手もいないので、ちょっと噂が立ったくらいじゃビクともしないが、外面命の結朱としては、ちょっと避けたい噂だろう。
「うー……それは嫌だなあ。しかも、授業中に揃って入っていったら絶対目立つよね」
「ああ。ツーアウト満塁で出てきた代打くらい目立つだろうな」
言われて、結朱は小さく唸ってから頷いた。
「よし、休み時間にこっそり入ろう」
「……しょうがないな」
俺一人で先に行ったほうがよかった気もするが、そうすると拗ねられる気がしたので、付き合うことに。どうせ今から行っても一限目は欠席扱いだしな。
「ありがと、大和君。じゃあ、適当に階段の踊り場に――」
結朱がそう言いかけた時、階段のほうから足音が聞こえてきた。
振り向くと、そこにいたのは生活指導の教師。
「結朱、こっち!」
「え」
足音に気づかなかったらしい結朱の手を引き、俺は手近な空き教室に入る。
そしてドアの影、廊下から見えない死角の部分に結朱を押し込めると、自分も彼女に密着するような形で隠れた。
「や、大和君。こんなところで何を……!」
「静かに。すぐそこに教師がいる」
俺が囁くと、結朱も状況を理解したようで、息を殺して廊下を伺った。
階段から響いてきた足音は徐々に大きくなり、こっちに近づいてくる。
「………………っ!」
密着している俺たちに緊張が走った。
気づかれたら問答無用で教室に放り込まれ、注目を集めてしまう。
そうして隠れること数十秒。
幸いにも教師は俺たちに気づくことなく、過ぎ去っていった。
「……行ったみたいだな」
足音が消えたのを確認してから、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「そっか。なら、そろそろ離れるべきだと思うんだけど」
と、結朱に言われて、俺は今の状況に気付く。
教室の隅に結朱を押し込めて、その上から抱き着いている男という完璧アウトな構図だった。
「す、すまん。マジですまん」
状況が状況とはいえ、割と強引な手段を取ってしまったことを謝罪する。
離れてから心臓がドキドキし始める。ああくそ、絶対今顔赤いわ。
「まあ助かったからいいけど、びっくりしたよ。誰もいないからって大和君がいきなり大胆になったのかと」
結朱は取り繕ったかのようなすまし顔をしながら、軽く自分の衣服を整えた。
「ちゃんと理性一〇〇パーセントだったから、そこは安心してほしい」
なるべく誠意を見せようと言ってみたが、結朱は何故か仏頂面になる。
「それはむしろ彼女としては安心できないよ。あんなに密着したんだから、せめて理性は五〇パーセントまで落としなさいよ」
謎の危機感を抱く結朱であった。
ともあれ、本当の危機はまた別のところにあるのだが。
「にしても、サボり防止のために教師が巡回してるんだな。ここにいたらバレるのも時間の問題だぞ」
「なら、文芸部室まで行く? さすがにあの中なら大丈夫でしょ」
確かに、放課後に無断占拠してても見つからない、信頼と実績の部室である。
とはいえ、部室棟はここから遠いし、たどり着くまでもギャンブルなんだよなあ。
「……まあ、ここにいるよりは安全か。しゃーない、行こう」
少し考えたものの、俺は移動するリスクを選んだ。
そうして二人、部室棟を目指して歩き始める。
さっき見回りのルートを確認したおかげで、意外とすいすい進めた。
教室の中にいる生徒や教師に見つからないように気を付けるだけで、安全に進める。
が、そんな状態が長く続くわけもなく、俺たちはある地点で立ち往生をすることに。
「……うわ、階段前で先生たちが立ち話してるじゃん。しばらく終わらなさそうだよ、どうする?」
険しい顔で結朱が言った通り、受け持ちの授業がない先生たちが楽しそうに会話をしていた。
どうやらだいぶ話が弾んでいるらしく、移動する気配がない。
「しばらく待つか?」
「それがいいかも……って、何か聞こえない?」
結朱が振り返ったのに合わせて、俺も耳を澄ませる。
すると、俺たちが来た方向から、また新たに教師たちの話し声が聞こえてきた。
「は、挟み撃ち……! どうしよう、大和君!?」
前門の虎、後門の狼という状況に慌てふためく結朱。
「お、落ち着け。どこか活路がないか探すんだ!」
絶体絶命のピンチに、俺も動揺しながら辺りをきょろきょろと見始めた。
と、そこで廊下の窓が目に入る。
こうなったら、イチかバチか……!
「結朱。あの窓から外に出よう!」
「ここ二階だけど!?」
俺の言葉に、目を剥く結朱。
しかし、俺にもちゃんと勝算はある。
「大丈夫。この辺は腐葉土のおかげで土が盛り上がってるおかげで、実質1,5階くらいの高さだし、地面のクッション性も高い。前に何度か降りてる奴を見たことがある」
「ほ、本当に?」
俺の言葉にも、まだ心配そうな結朱。
とはいえ細かく説明する時間はない。百聞は一見に如かずということで行こう。
「じゃあ俺が先に下に降りて、結朱のことを受け止めてやる。どうだ?」
「それなら、まあ」
結朱はまだ不安そうだったが、状況が状況だけに納得しているようだった。
ということで、俺はさっそく飛び降りることに。
「大和君、気をつけてね」
「ああ」
結朱にうなずきながら、窓枠によじ登って下を見る。
多少は高いが、これでも元バスケ部だ。跳び箱のロイター版を使ってダンクをする遊びで、高さへの耐性は付いている。
「よっ!」
オレは一思いに飛び降り、膝のクッションを使って着地の衝撃を殺した。
やはり柔らかい地面のおかげで、足への衝撃はほとんどない。
「いけるぞ、結朱。受け止めてやるからお前も早く来い」
「う、うん」
結朱は一つ深呼吸を挟んでから、思い切りよく飛び込んできた。
俺は落下位置に入ると、手を伸ばしてキャッチ体勢に入る。
その時だった。
落下している結朱のスカートが風圧でふわりと浮き上がり、白い太ももとその奥の下着が――。
「み、見ないで!」
途中で気付いた結朱が、両手でスカートを押さえる。
が、そのせいで体勢が崩れ、不安定な状態で落ちてきた。
「な、なに!?」
驚きつつも俺は必死に両手を伸ばし、結朱をキャッチする。
「うおっ!?」
「きゃっ!?」
キャッチと同時、二人でバランスを崩し、腐葉土の上に倒れた。
結朱と腐葉土でサンドイッチにされた俺は、少しだけ目を回してしまう。
衝撃の割に痛みが少ないのは、上も下も柔らかいからか。
――それで気付く。
その、なんていうか、俺の顔面を押しつぶしている柔らかいモノの正体に。
「うみゃあ!?」
同時に、結朱が奇声を上げて俺の上から飛び退いた。
見れば、彼女は顔を真っ赤にして自分の胸元を両手で押さえている。
「いや、えと、あの」
俺もしどろもどろになってしまい、言葉が出てこない。
「………………」
「………………」
二人揃って無言。
しばし、気まずい静寂に包まれながら、間を持たせるために制服の汚れを払う。
「……大和君のえっち」
「不可抗力です……」
やがて、頬を膨らませた結朱の言葉と、力のない俺の抗議だけが響いた。
だが、それでも気が晴れないらしく、結朱はじとっとした目でこっちを睨んでくる。
「なんか今日、やたら接触が多い気がするんですけどー。もしや狙ってやってる?」
「やってません。マジで事故です。ちゃんと理性七〇パーセントあるからね、俺」
「今の接触で三割も削れてるじゃん! 大和君のえっち!」
「そりゃ削れるわ! 逆に今ので削れなかったら結朱としても微妙だろ!」
「そうだけど! そうだけどー!」
なんかもう、恥ずかしさと気まずさを誤魔化すために二人で無理矢理テンションを上げている感じになってきた。
「……ん? なんか外がうるさいな」
が、教師が近くにいる状況で騒げば気付かれるのも道理というもので、二階の廊下から不思議そうな声が聞こえてきた。
俺たちは顔を見合わせると、急いで一階の廊下に転がり込む。
「誰もいないな……空耳か?」
釈然としないような声とともに、窓を閉める音が上から聞こえてくる。
目を合わせてほっと息を吐くと、俺たちは気を取り直すことにした。
「……とにかく、全ては部室に着いてから話したほうがよさそうだな」
「そうだね。とにかく安全圏に入らないと落ち着いて話もできない」
俺と結朱は頷き合うと、心を一つにするのだった。
――そうして、俺たちの冒険は続いた。
時に空き教室に入って教師をやり過ごし、時にはカーテンにくるまって気配を消す。
そんな情けなくも過酷な旅路の末、俺たちはとうとう約束の地、文芸部室へと辿り着いたのだった。
「よ、ようやくここまで来られたな……」
「長かったね……毎日通ってるこの道が、こんなに過酷なものだったなんて」
部室に入るなり、俺たちは椅子に座って突っ伏した。もうしばらく動きたくない。
「けど、これでもう安心だね、大和君!」
「おう! ここまでくればもう大丈夫だ!」
RPGで長めのサブイベントをこなした時くらいの達成感を覚えながら、俺と結朱は晴れやかに笑顔を交わした。
いやあ、あとは時間が来るまでここで駄弁っていればいいだけ。
そう、思った時だった。
――キーンコーンカーンコーン。
部室に、一限目の終了を告げるチャイムが鳴り響く。
「………………」
「………………」
俺たちは笑顔のまま硬直した。
さっき以上に居た堪れない空気に包まれる。
そんな重苦しい沈黙の後、今度は俺から口を開いた。
「教室……行こうか」
「うん……」
こうして、俺たちの小さな冒険は徒労に終わったのだった。
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