第3話 人前では完璧な彼女の日常
昼休みを知らせるチャイムが鳴ると、俺はぐっと伸びをした。
「ようやく今日も半分終わったな……」
教科書を片付けながら、小さく欠伸を噛み殺す。
「おーい、大和君」
と、俺が席を立とうとしたところで、結朱がこっちに歩いてきた。
「おう。昼飯どうする?」
付き合うようになってからは、割と頻繁に彼女と昼食を共にしているので、今日もそのお誘いだろうと思って応じる。
「ごめん。今日ちょっと一緒に食べられないや。先約があって」
が、俺の予想とは裏腹に、結朱は両手を合わせて、そう断ってきた。
ちょっと珍しいな。まあ結朱は友達も多いし、そういうこともあるか。
「ん、了解。じゃあまたあとでな」
「うん、じゃあね」
軽く手を上げて結朱を見送り、俺は購買へ向かうことにした。
購買でパンと飲み物を買ったものの、人の多い学食で食べる気にもならず、俺は校舎内をうろうろしていた。
「どこで食べるかなあ……」
せっかく一人なんだし、普段とは違う場所で食べたい。
そう思って校舎裏まで行くと、不意に話し声が聞こえてきた。
「……だからね、それであの子がうちの彼氏の悪口言ってて」
「あー、それは酷いねー」
女性生徒二人の会話だ。
盗み聞きもよくないと思ったものの、話している女子の片方がよく知っている声だったため、思わず足を止めてしまう。
「そうなると、私も怒るじゃん。そしたら向こうが黙ってぶすっとして」
「それは確かに怒りたくもなるね。で、喧嘩になっちゃったの?」
間違いない。この相槌を打っているほうの女子は結朱だ。
まあ、だからと言って盗み聞きを続ける趣味はない……のだが、俺と二人でいる時とは全く違う結朱の様子に、思わず足を止めてしまう。
「うん……どうしたらいいかな、結朱」
「とりあえず、二人で話すとまたヒートアップしちゃうかもしれないし、私が相手の子とも話してみるよ」
「ほんと? 仲直りできるかな」
「大丈夫だって。私に任せといて」
「結朱……ありがとう」
思わず盗み聞きをしてしまった俺は、話の内容よりも結朱の態度に違和感を覚える。
「……欠片もナルシストっぷりを出さねえな」
あのナルシストでフリーダムな姿はなりを秘め、静かに愚痴を聞いてあげる友人思いな気遣いの人がそこにはいた。
いやまあ、人前ではめっちゃ猫を被るというのは分かっていたことだが、改めて目の当たりにすると、普段とのギャップに驚いてしまう。
「ふう……なんかすっきりしたわ。聞いてくれてありがと、結朱」
「ううん。気にしなくていいよ、別に」
と、俺が呆れ半分感心半分で立ち尽くしていると、結朱たちの話が終わってしまった。
やべ、こっちに来るぞ。
「…………っ!」
俺はヤモリのように校舎の壁にピタリと張り付き、息を殺す。
愚痴を聞いてもらって爽やかな気分らしい女子は、そんな爬虫類めいた陰キャの姿に気付かずに校舎へと戻っていった。
なんとか山は越えたか、と思ったものの……もう一人、目敏い奴が残っている。
「おやー? こんなところで女子の話を盗み聞きなんて、もしや熱心なストーカーさんかな?」
案の定、結朱の目は誤魔化すことができなかったらしく、彼女はにやにやした様子で壁に張り付いた俺を見ていた。
「誰がストーカーだ。お前の最愛の彼氏だわ」
バレてしまった以上は仕方ない。俺は開き直ることにした。
「ほーう。それで、最愛の彼氏君は最愛の彼女が一緒にお昼を食べてくれないから、わざわざここまで追いかけてきちゃったわけ?」
「たまたま通りかかっただけだっつうの。まあ、話聞いたのは悪かったよ」
素直に謝ると、結朱は鷹揚に頷いた。
「うんうん。ちゃんと謝れるのは大和君の長所だよ」
「ああ。猫を被って友達の相談に乗ってる姿なんて、俺に見られるのは恥ずかしいだろうしな。申し訳ない気分で一杯だわ」
「なんでそれを言っちゃうかな!」
途端にちょっと赤くなる結朱である。
普段からナルシストな部分を見せまくってる相手にそこを指摘されるのは、さすがの結朱といえどもダメージがあったらしい。
「まあ気にするな。普段から教室でも違和感あるなって思いながら見守ってるから」
「いいよ、それは言わなくて! ていうかあえて触れてこないでよ!」
そっとフォローという名の追撃をかましてみると、結朱がさらにダメージを受けたようによろめいた。
「ともかく、盗み聞きしてたのは悪かったわ」
「他に謝ってほしい部分が増えたけどね! まあ改めて触れられるのも嫌だからこの話は終わりにするけども!」
そろそろ結朱が茹でタコ寸前まで赤くなってきたので、要求通り話を変えることに。
「で、なんかあったのか? 妙に深刻な雰囲気だったが」
少し心配して訊ねると、彼女はようやく平常心に戻ったのか、普通の表情で首を横に振った。
「たいしたことじゃないよ。友達と喧嘩したって子がいたから、ちょっと仲裁してあげただけ。まあ、放課後までには仲直りさせられるでしょう」
「大変だな。何の得もないだろうに」
「そんなことないよ。周りが楽しいほうが私も居心地いいし、嬉しいもの。骨を折る価値はあるよ」
さらりと、笑顔でそう言ってのける結朱。
……ナルシストなのに本心から周りを想えるっていうのは、こいつの得難い長所である。
「それに陰キャで愛想のない彼氏の相手をするよりはよっぽど簡単だし」
「悪かったな」
そして本心から一言多いのは、こいつの度し難い短所である。
「まあともかく、寂しい思いをさせて申し訳ないけど、もうちょっとだけ待っててね。放課後にはしっかりと解決して、大和君に構ってあげるから」
にこりと楽しそうに言う結朱。
「……そりゃ楽しみっすね」
その様子に毒気を抜かれた俺は、反論する気にもなれず苦笑を浮かべるのだった。
そうして迎えた放課後。
結朱は疲労困憊の様子で自分の机に突っ伏していた。
「おい、大丈夫か?」
思わず声を掛けると、結朱はゆるゆると顔を上げた。
「いやー……想像以上に疲れたよ。あの後、相手の子が意地張っちゃってね……援軍みたいな友達を呼んできて、収めるのに苦労したよ」
「お、お疲れ様」
いつもハイテンションな結朱が、死んだ魚のように濁った目をするとは……よほどの修羅場だったらしい。
「まあでも、ようやく色々と解決して放課後になったし、これで大和君と思いっきり遊べるよ!」
気分を一新するように、結朱は勢いよく立ち上がった。
「おう、今日はさすがに労ってやるわ。お前の好きなことに付き合うぞ」
そう申し出ると、結朱の表情がパッと明るくなる。
「ほんと? じゃあせっかくだから――」
「あ、結朱。ちょっといい?」
と、結朱が何か言いかけた時、背後から声が掛かった。
見れば、隣のクラスの女子が結朱に向かって手を振っている。
「あ、美香ちゃん。どうしたの?」
結朱が訊ねると、美香と呼ばれた子はちょっと気まずそうに話を切り出す。
「いや、ちょっと聞いてほしいことがあってさ……放課後、時間ある?」
あー……これ、また厄介事が持ち込まれるパターンだ。
結朱を一瞥すると、彼女も同じことを察したようで、一瞬だけ硬直する。
「うん、大丈夫だよ」
が、すぐに笑顔を浮かべて、厄介事を受け入れた。
疲れているだろうに、また猫かぶりの八方美人を始める結朱。
「すまん、ちょっと日を改めてくれ。こっちが先約だ」
それを見て、俺は二人の話に割り込んだ。
「や、大和君?」
驚いた様子の結朱に、俺はできる限りむくれた表情を作り、彼女の手を握った。
「放課後は俺に構ってくれるって約束だっただろ? 今日一日ずっと放置されてたんだ、放課後くらいはこっちに付き合ってくれないと困る」
傍から見れば、やきもち焼きで寂しがりな彼氏の台詞。
正直、めちゃくちゃ恥ずかしかったが、効果は覿面だったようで、美香と呼ばれた子は察したように気まずそうな顔をした。
「あ……彼氏と約束あったんだ。ごめん、無茶言っちゃって」
「え、いや……ううん。こっちこそごめんね? 明日また聞くから」
「うん。ありがと、結朱。また明日」
そう言って去っていく少女。
その後ろ姿が教室から消えると、俺は深々と溜め息を吐いて結朱の手を離そうとする。
が、力を抜いた俺の手を、結朱がきゅっと強く握ってきた。
「……なんだよ」
「別に、寂しがりな彼氏にスキンシップをしようと思っただけですよ」
どこかくすぐったそうな顔で答える結朱。
「そうかよ、そりゃありがたいな。じゃ、部室行くか」
「うん……ふふっ、大和君は優しいね。ああいうこと言うキャラじゃないのに無理して」
手をつないだまま、はにかんだように結朱が呟いた。
それに対して、俺は肩を竦める。
「なんのことかな。俺は大好きな結朱ちゃんを独り占めしたかっただけですけど」
「そっか、うん。そういうことにしとこう」
「おう、そういうことにしとけ。今度ああいうことがあったら、また俺のことを使ってうまく逃げるんだな」
「……ん。ありがと」
頷きながら、繋いだ手の指を絡ませてくる結朱。
このまま廊下を歩くのは恥ずかしい気がしたが……まあ、今日くらいはいいだろう。
ほら、やきもち焼きの彼氏としては、また他の奴が結朱を連れていかないようにアピールしないといけないし?
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