第12話 彼女を看病する彼氏

「おーい、結朱。生きてるかー? 頼まれてたもの買ってきたぞ」


 昼休み。


 購買部で買い物を済ませてから保健室にやってきた俺は、ベッドで寝ているだろう彼女に声をかける。


 カーテンをそっと開けてベッドを見ると、頭に冷却シートを貼った結朱と目が合った。


「うぅ……苦労を掛けるねえ、大和君。私がこんな身体なばっかりに」


「それは言わない約束だぞ」


 時代劇みたいなやりとりをしつつ、俺はベッド脇にあるパイプ椅子に座った。


「けど、まさか風邪引くとはなあ……」


 こほこほと咳をしながら、恨めしそうに呟く結朱。


 今朝、一緒に登校した時点では少し顔が赤いくらいだったが、三限目が終わる頃には完全ノックダウン。こうして保健室に運ばれたのである。


「可愛くて完璧な結朱ちゃんも体調管理に失敗することがあるんだな。で、食欲はあるか?」


 俺はレジ袋の中から、彼女に頼まれて買ってきたゼリーを取り出す。


「あんまりない……けど食べなきゃ薬飲めないし」


 のそのそと上半身を起こす結朱。やはりだるそうだ。


「一人で食べられるか?」


「食べられるけど、超甘えたい気分です」


 めっちゃストレートに食べさせてほしいと要求してきたな。

 普段だったら断るところだが、さすがに病人相手にそこまで厳しくはできない。


「しょうがないな……ほら」


 俺はゼリーをプラスティックのスプーンで一口掬うと、彼女の口元に運んだ。


「あむ……大和君が素直に甘やかしてくれるとは珍しい」


「病人に塩対応するほど鬼じゃねえよ」


「役得だね。もうちょい風邪を長引かせてもいいかも」


 熱が出ているというのに、ちょっと嬉しそうな結朱である。呑気な奴め。


「馬鹿なこと言うな。ほら、ゆっくりでいいから食べろ」


 俺は結朱の体調に配慮しつつ、彼女がゼリーを食べ終えるまで食事介助を続けた。


「薬、これでいいのか? ていうか、保健室で薬って出していいんだっけ」


 俺はテーブルに置いてあった薬を見て小首を傾げる。

 いかに半分が優しさで出来ている薬とはいえ、保健室で出していいものなのだろうか。


 ていうか、そもそも今日は養護教諭が休みということなのに、どこから処方されたものなのか。


「それは友達が置いてってくれたやつだし……」


 なるほど。女子はなんていうか、毎月来るアレのためにこの手の薬を常備しているらしいし、これもそうなのだろう。


「じゃ、これ飲んで大人しくしてろ」


「ん……」


 ミネラルウォーターで薬を飲むと、結朱はベッドに横になった。


 こうして大人しく眠っているだけだと、本当に非の打ち所がない美少女なんだがなあ。


「大和君」


「な、なんだ?」


 微妙に失礼なことを考えていた時に名前を呼ばれて、ちょっとドキッとしてしまった。


「手、つないで」


 布団の中からぴょこっと自分の手を出して、可愛らしい要求をしてきた。


「ああ」


 俺が手を握ってやると、結朱はすぐに指を絡めるような形に握り直し、満足そうに微笑した。


「ちょっと元気出たかも」


「……そりゃよかった」


 風邪で弱っているからだろうか、起きていても普段より妙に可愛くなっている。


「ま、昼休みが終わるまではこうしててやるさ」


 俺らしからぬサービス精神を見せてそう告げると、何故か結朱は寂しそうな表情を浮かべた。


「昼休みが終わるまでかあ……今日は保健の先生もいないし、お母さんが迎えに来てくれるまで一人ぼっち……寂しい……」


 病気の時は心が弱くなるものなのか、結朱はめちゃくちゃへこんでいた。


「つっても、授業サボるわけにもいかないしな……」


 いや、授業を一つサボるくらいは別に構わないんだけど、一応は付き合っている二人が授業をサボって保健室にいたとなると、よからぬ噂が流れかねない。


 そうなると、一番ダメージを受けるのは世間体を気にする結朱である。


「じゃあ、大和君がいるうちにもうちょっと元気を充電させてほしい」


 ベッドに寝たまま、上目遣いでこっちを見てくる結朱。


「俺にできることなら構わないけど……どうしろと?」


 弱っているせいか、今日の結朱は妙に庇護欲を誘ってくる。


「ぎゅっとして。五分くらい」


 バッと両手を広げてハグを要求してくる結朱。


「それはちょっと……結朱は寝てるし、体勢的に無理だろ」


 ただのハグなら恥ずかしさを堪えて受けてあげたい気持ちもあるけど、さすがにこのままベッドにのしかかるのは色んな意味でアウトだ。


「そっかぁ……じゃ、私が起きるね」


 と、俺の拒絶を受けて結朱が上半身を起こそうとする。


「いやいや、冷えるだろ。寝ておけって」


 俺は慌てて結朱の肩を押してベッドに寝かしつける。


「むー……俺にできることなら構わないって言ったのに」


 嘘を責めるように唇を尖らせる結朱。


「確かに言ったけどさ……さすがにこれは」


 抵抗する俺に、結朱はしばらくじとっとした目を向けたかと思うと、何か思いついたように明るい表情に変わった。


「そうだ。なら大和君が布団の中に入ってきたらいいんじゃない?」


「いやそれ添い寝じゃ……」


 もっととんでもない提案が出てきて、俺は思わず戦慄した。


「それなら私もベッドから出ないし、体勢的にも無理じゃない。完璧!」


 完璧じゃねえよ。なにぶっ飛んだことを平気で言ってるんだ。


「お前……さては熱で正気じゃないな?」


 心が弱っている上、思考力も落ちているらしい。


「これも駄目なの? 大和君にできることなら構わないって言ったのに……悲しい……すごく悲しい……」


 俺の逡巡を受けて、結朱はしゅんとしてしまった。


 病人にこんな顔をされてしまうと、いくら俺でも良心の呵責に苛まれてしまう。


「ぐ……うぬぬ……」


 いったい、俺はどうするべきか……!

 このまま逃げて結朱を悲しませるのか、それとも受けて羞恥+色々な感情に耐えるべきか……!


 熟考の末、俺は半ば諦観の念を込めて溜め息を吐く。


「分かった……や、やるよ」


「ほんとっ?」


 さっきまでの悲しそうな表情はどこへやら、結朱は嬉しそうに笑った。


「ああ……本当だ」


 どう転んでもメンタルに大ダメージなら、せめて結朱が満足するほうを選ぼうという判断である。


「じゃ、来て」


 結朱が自分のベッドの隣をぽんぽんと手で叩いて催促してくる。


「頑張れ、俺の理性……!」


 俺は深呼吸を一つすると、覚悟を決めてベッドの中に潜り込む。

 結朱の体温で暖まった布団に包まれると、一気に心臓が跳ね上がった。


 ま、まだこのくらいなら大丈夫。俺の理性は耐えてる。


「大和くーん……えへへ」


 そう安心したのも束の間、結朱が猫なで声で名前を呼びながら、俺の腕の中にすっぽりと入ってきた。


 女子特有の柔らかい感触、ふわりと漂う甘い香り。風邪で火照った体温。

 全てが俺の理性を溶かしにかかってきた。


「このまま五分だからねー……」


 俺の葛藤には気付かないのか、結朱は呑気に安心しきった様子で抱きついてきていた。


 やばい、この状態で五分はやばい、保たない。


「大和君、すごい心臓ドキドキしてるー」


 楽しそうにくすくすと胸元で笑う結朱。


「う……」


 なんかもう彼女の言動全てが爆弾のようで、いつ理性が消滅してもおかしくない気分だった。


 思わず、助けを求めるように時計を見る。


「あと四分……!」


 一分間が信じられないほど長かった。


 視線を下に向けると、俺にくっついた結朱の姿が見える。

 無防備な表情と、信じられないくらい白い首筋、鎖骨、寝苦しいのか少し緩めた胸元。


 助けて、マジで誰か助けて。


 俺を助けてっていうか、もう俺から結朱を助けてみたいな気分である。


「や、やっぱりもう無理……!」


 理性の限界を悟った俺は、慌ててベッドから出ていこうとする。


「だめー。まだ三分あるし……」


 が、結朱は俺の逃亡を阻止するべく、背中に手を回してぎゅっと回してきた。

 薬のせいか、どこか意識が曖昧になっているようで、力加減に手加減がない。


 密着度が更に上昇する。


「うぐぐぐぐ……!」


 俺は自分の太ももを全力でつねり、痛みで理性を保とうとする。


 この世にカップ麺を待っている間以上に長い三分間があろうとは……!


 頼む! 誰でもいいからこの状況を破ってくれ!


 ――そう、心から願った時だった。


「失礼しまーす。結朱、起きてるー?」


 神か、あるいは悪魔が願いを聞き届けてくれたようで、誰かが保健室に入ってきた。


 声からして、恐らくは小谷。


 ちょうどいい、彼女に頼んで結朱を引き離してもらっ――


「――いや、この状況を見られたらまずくね?」


 すっと、血の気が引いた。

 再び、俺は慌ててベッドから抜け出ようとする。


「だめー……まだあと二分……」


 半ば寝息を立てながらも、僅かに残った意識で俺を抱き枕にし続ける結朱。


「おい、今はまずいんだって……!」


 小声で諭すが、半分入眠状態の結朱には通用しない。


「ん? 声が聞こえるけど……起きてる? 開けるよ、結朱」


 そうこうしているうちに、小谷がベッドを仕切るカーテンを開けてしまった。


 途端、俺と目が合う。


「……え」

「ど、どうも」


 きょとんとした小谷に、俺は無意味な愛想笑いを浮かべて会釈をしてしまう。


「………………」

「………………」

「………………」

「………………」


 めちゃくちゃ痛い沈黙。


 やがて、小谷は無表情のままそっとカーテンを閉めて踵を返した。


「待って待って! 誤解だから! マジで誤解だから!」


 俺は結朱に拘束されたまま、必死で呼びかける。


「いや、別にカップルだしそういうこともあるだろうから……うん、私は見なかった」


 ものすごく気まずそうな小谷の声。


「俺たちを気遣う心があるなら、せめて話だけでも聞いてください!」


 そんな俺の叫びは届かず、保健室のドアがパタンと閉まった。


「これでごふーん……えへへ、ありがと、大和君」


 結朱が俺の身体から離れる。

 が、俺にはもはや起き上がる気力はなかった。


「あー……俺も風邪引いて休みてえ」


 そんな現実逃避の言葉が、保健室に虚しく響いた。

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