第5話 下校デートをするカップル


「ねえ大和君。そういえば私たちって、下校デートをしたことがないよね」


 放課後。


 HR終了の挨拶が終わるなり、結朱が俺の席に来てそう言った。


「まあ、言われてみればそうだな」


 基本的に放課後は文芸部室に直行し、帰宅時は特に寄り道もしないというのが俺たちの定番である。


 何か用事がある時ならいざ知らず、デートという名目で放課後に出かけたことはない。


「というわけで、今日は下校デートをすることにしましょう!」


「まあいいけど」


 普段、文芸部室で俺の趣味に付き合ってもらっている手前、結朱のやりたいことに反対するつもりもない。


 俺たちは下校の支度を整えると速やかに学校を出て、通学路を歩いた。


「やっぱり放課後に制服を着てデートって、定番の青春イベントだよね。あ、手繋ごうか」


 結朱は相当乗り気らしく、鼻歌交じりに手を繋いでくる。


 多少照れ臭いが、周囲へのカップルアピールのために繋ぐことも多いので、最近はこういうことにも慣れてきた。


「あ、大和君は腕を組んだほうが嬉しかった?」


「嫌だよ、暑苦しい」


 露骨にからかってくる結朱を、さらりと受け流す。

 秋とはいえ、まだまだ残暑が厳しい中でくっつきたくないというのも本音だが。


「分かった。じゃあ寒くなったらくっついてあげるね?」


「残念だが俺は防寒対策を怠らない男だ。厚着するから冬でも一人で平気だわ」


「ほう、なら私がくっついて、もっと暑くなれば脱ぐしかないね。そして脱いで寒くなれば、更に私にくっつかざるを得なくなるのでは? これは私への依存待ったなしだよ」


「なにその悪質な北風と太陽」


 バイトとはいえ、恐ろしい女と付き合ってしまったものである。


 そんな話をしていると、繁華街に辿り着く。


「さて、ノープランでここまで来てしまったけど、大和君は普段なにして遊んでる?」


「基本、ゲーム屋行ってゲーム見てるかな」


 素直に答えると、結朱は難しい表情をした。


「それじゃデートって感じにはならないね……大和君に女の子を楽しませるためのプランがあるわけがないし、私が決めるしかないか」


「おい、その俺を傷つけるワンクッションいらなかっただろ。私が決めるとだけ言えばよかったじゃねえか」


 いやまあ事実だから反論のしようもないんだけども。


「というわけで、あそこに行くのはどう?」


 そう言って結朱が指差したのは、繁華街の中でも一際目立つ大型デパート。


「いいけど、俺はあんまり入ったことないなあ。結朱はよく行くのか?」


「たまにね。亜妃と一緒に洋服とか買いに来るよ」


 なら、変に迷ったりぐだぐだになったりする心配はなさそうだな。


 俺たちは繁華街を少し歩き、デパートの中に入る。

 真っ先に目に入ったのは化粧品売り場。


「なんで化粧品売り場って、だいたい店の出入り口にあるんだろうなあ」


 独特の匂いに顔をしかめながら呟くと、結朱はリップクリームのコーナーで足を止めながらこっちを見た。


「化粧品の匂いが建物に籠もらないようにするためなんだってさ。あ、このリップ可愛い。どう?」


 結朱が手に取った色つきリップクリームを俺に見せてくる。


 と言っても、そんなもの見せられても俺にリップクリームの善し悪しなど分かるはずもなく。


「ああ、いいんじゃね」


「なんか適当じゃない?」


 心にもない台詞だったことがあっさりバレたようで、結朱がじとっとした目で俺を見つめてくる。


「ほら、結朱は何付けても似合うから。俺に聞かれても全部可愛いとしか答えられないわ」


「確かに。今のは私の質問と可愛さが悪かったかもしれない」


 俺のしょうもない言い訳に深々と頷く結朱。極度のナルシストが相手だとこういう時に楽でいい。


「じゃあ聞き方を変えるね。大和君はどういうのが好き?」


 善し悪しじゃなくて好みを聞いてきたか。それだと答えざるを得んな。


「そうだなあ。じゃあ、これなんかいいんじゃね?」


 売り場をざっと見回した俺は、なんとなく琴線に触れた商品を指差す。


「へー、これかあ。大和君、こういうのが……好み……」


 楽しげに俺の指したリップクリームを覗き込んだ結朱の言葉が、途中で止まる。


 なんだと思って俺も再びリップクリームを見てみると、さっきはよく見ていなかった商品POPが目に入った。


『潤いの唇。思わずキスしたくなる鮮やかさ』


 ……おい、ちょっと待て。


 俺もしかして今、遠回しにキス狙ってる感じになってる?


 思わずキスしたくなる鮮やかさを、結朱の唇に与えそうになっちゃってない!?


「えと、これがいいの……?」


 結朱が、ぎこちない手つきで俺が選んだリップクリームを掴む。


 ここで頷いてしまえば、本当に結朱が思わずキスしたくなる唇になってしまうかもしれない。


「い、いや、隣のやつだな、うん」


 それに危機感を覚えた俺は、めちゃくちゃ無理があると分かっていながら、隣にあった普通のリップクリームを手に取った。


「こ、これか、うん。確かにいい色だね、買おうかな。あはは」


 結朱も絶対俺の嘘が分かっているのに、乾いた笑いで乗ってくれた。


「お、おう。似合うと思うぞ。あはは」


 俺も空笑いで返す。


「じゃ、これレジ持っていくね…………いくじなし」


 結朱が何か呟いたような気がしたが、断じて俺には聞こえなかった。






 しばらくデパートを回った後、結朱が服を見たいと言ったため、俺たちは洋服売り場がある五階にやってきた。


「うわ、見るからに高そうだな」


 目の前に広がるのは、まるで普段使いできなさそうな高級感溢れる服の数々。


 普通の高校生が着てたら浮きそうな品々だ。


「もうちょっと奥にリーズナブルなものもあるから、目的はそっち」


 と言う結朱に先導され、奥へと向かう。

 その途中、女性下着売り場が立ちふさがってきた。


「……おい、ここ通るのか?」


「うん。ここが一番近道だからね。ま、隅っこをさっと通り過ぎるだけだし、私も一緒にいるんだからそう固くならず」


 無茶なことを言いながら、ぐいぐい俺の手を引っ張っていく結朱。


「お、おい」


 縮こまり、周囲の目を気にしながら歩く俺。


 と、あまりにもキョロキョロしすぎていたせいか、店員さんとバッチリ目が合ってしまった。


「いらっしゃいませ。お客様、何かお探しでしょうか?」


 しかも、最悪なことに声を掛けられてしまった。


 もうこうなれば俺にできることはない。結朱に対応を任せよう。


「あ、見てるだけなので」


 さすがに慣れてるのか、結朱はさらりと受け流して歩き出す。

 その姿に頼もしさを覚えながら歩いていると、下着コーナーを抜ける直前、彼女の足が止まった。


「やば、よりによってこんな時に……」


 すっと青くなって下着コーナーの先を見る結朱。


「どうしたんだ?」


 何かトラブルかと思って彼女の視線を追うと、その先にあったのはさっき言っていたリーズナブルな洋服コーナー。


 別に、何の変哲も――。


「げ」


 首を傾げそうになる寸前、俺も気付いた。


 洋服コーナーにいる、少し派手な見た目の少女。

 結朱と俺のクラスメイトである、小谷亜妃こたにあきだ……!


「ま、まずいぞこれ」


 結朱と二人、さっとマネキンの陰に隠れながら俺は渋面を浮かべた。


 女性下着コーナーからカップルが出てくるとか、もう完全によからぬ誤解を招く。


 もっと具体的に言うと、『脱がすための下着』を俺が結朱のために見繕ってたというエピソードが爆誕してしまう……!


「ど、どうしよう、大和君」


 結朱も最悪の事態が頭をよぎったのか、ものすごく狼狽した様子で俺を見上げてくる。


「どうするも何も、なるべく音を立てないように引き返すしかないだろ……!」


 小声でそう打ち合わせ、そっと踵を返した、その時だった。


「いやー、ここトイレ遠すぎ。ごめんねー、亜妃。待たせちゃって」


 俺たちが今まさに向かおうとした方向から、他の女子の声が聞こえてきた。


 どうやら、小谷は友達連れでここに来ていたらしい。


 慌てて、俺たちはまたマネキンの陰に隠れる。


「う、と、友達と一緒だったとは」


 苦々しい表情を浮かべる結朱。


 それとは裏腹に、朗らかな表情をした小谷がこっちに近づいてくる。


「ううん、別にいいし。それよりせっかくだから下着も見る?」


 やばい。完全に俺たちの目の前で合流した。


 しかも、俺たちが下着コーナーから抜け出そうとすると、必ず向こうの視界に入るような位置取りをされている。


「あ、やばい。どんどん近づいてきてる……!」


 焦燥感溢れる結朱の声が示す通り、小谷たちは少しずつこっちに歩いてきていた。


 当然、俺と結朱も彼女たちから少しずつ距離を離そうとするのだが、そのせいでどんどん下着売り場の奥に追いやられている。


 この先にはもうレジと試着室しかない。


「くっ……こうなったらこれしかない。結朱、とりあえずこれを持て」


 俺は近くにあった下着を取ると、結朱に手渡す。


「え……な、なんでここで下着?」


 困惑を見せる結朱。悪いが、説明している時間が惜しい。


 俺は彼女をスルーすると、まだ近くにいた先程の店員さんに声を掛ける。


「店員さん、試着いいですか?」


「あ、はい。構いませんよ。奥の試着室へどうぞ」


 男の俺が声を掛けたことに少し意外そうな顔をしつつも、店員さんは試着室を手で示してくれた。


 それを見て、結朱もはっとする。


「すみません、あと二、三着試したいので、何かおすすめあれば持ってきてくれませんか?」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 店員さんは一礼すると、おすすめの下着を取りにいった。


「今のうちに……!」


 俺と結朱は、店員さんの姿が見えなくなった途端に試着室に転がり込む。


「大和君、靴! 靴!」


「おっと!」


 俺は無意識に脱いだまま外に置いていた靴を試着室内に持ち込む。


 そこでようやく、俺たちは一息吐いた。


「ふぅ……なんとかなったね」


「ああ。しかし、気は抜けないぞ」


 耳を澄ませば、小谷と友人の声が聞こえてくる。


 万が一、下着売り場の試着室に二人で入っていることがバレたりなんかしたら、さっき以上にやばい誤解を受けかねない。ていうかこのデパートから出禁を食らいかねない。


「お客様、下着をいくつかお持ちしましたが」


 と、その時、さっき追い払った店員さんの声が聞こえてきた。


 一気に緊張感が高まる。


「ど、どうも」


 俺が息を殺す中、結朱が手だけを外に出して下着を受け取る。


 が、試着しての感想を待つつもりなのか、店員さんの気配が試着室の前から消えない。


「そういえば……お連れ様の姿が見えませんね」


 カーテンの布越しに、不思議そうな店員さんの声が聞こえる。


「ト、トイレに行くって言ってましたよ」


「そうでしたか。失礼しました」


 そんなやりとりが終わっても、店員さんが離れる気配はない。


 どうしたものか……と思っていると、事態は勝手に動き出した。


「あ、これあたし試着してみるわ」


 不意に、外にいた小谷がそう言うのが聞こえてきた。


「そう? じゃあ私、もうちょっと洋服見てきていい?」


「おっけー。試着終わったら呼ぶ。すみません、こっちの試着室空いてます?」


 小谷の足音が近づいてくる。


「大丈夫ですよ。ごゆっくりどうぞ」


 店員さんが愛想よく答えると、隣のカーテンが開いて、小谷が中に入るのが分かった。


 次の瞬間、しゅるりと衣擦れの音が聞こえてくる。


 うわ……隣で小谷が脱いでるのか。


 なんか音だけ聞こえるというのも、妙に想像力を刺激するというか……。


「……大和君。なんかすごくいやらしい顔になってるけど?」


 気付けば、結朱がじとっとした目でこっちを見ていた。


「き、気のせいだ」


 俺は外に聞こえないよう小声で答える。


 そうして結朱のプレッシャーから目をそらしている間にも、小谷の声は耳に入ってきた。


「ん……ちょっと小さい? すみません。サイズ違うのが欲しいんですが」


「かしこまりました。お持ちしますので、少々お待ちください」


 サイズが変わったのか……いや、だからどうということはないけども。


「……大和くーん?」


 と、またも俺の邪念を感じたのか、結朱の冷え冷えとしたプレッシャーが更に強まった。



 というか、よく考えたら店員が下着を取りに行った今はチャンスじゃね?


「今のうちに、俺は脱出する。またあとで合流しよう」


 そう言い残し、俺は試着室から飛び出すのだった。


「……逃げたね、色んな意味で」


 結朱の冷たい声が、呪詛のように刺さった。






「いやー……慣れないところに行くもんじゃないな」


 帰り道。

 とんでもないアウェーの洗礼を受けたことで一気に疲労が押し寄せた俺は、思わずそう呟いた。


「むぅ……最後は随分と楽しんでたみたいだけど?」


 まだご立腹なのか、結朱が拗ねたように俺を睨んでくる。


「さて、なんのことやら」


 俺としては、目を逸らしてとぼけ続けるしかない案件である。


「はあ……割と散々な一日だったよ。とんでもないピンチもあったし、彼氏が他の子に下心を見せるし、散財もしちゃったし」


 結朱が溜め息を吐きながら愚痴る。


「散財って……リップくらいだろ」


 最後の一つに引っかかった俺が言うと、何故か結朱は顔を赤くして目を逸らした。


「それがその……結構試着室に長く居座ったから、店員さんに勧められるがまま試着をしなきゃいけない流れになりまして」


「なりまして?」


「そのまま、大和君が選んだブラを試着して……買いました」


「お、おう」


 赤くなりながらそんなことを報告されてしまえば、俺としても気恥ずかしさに黙るしかない。


「しかも、今着けてます」


「今!?」


 俺が掴んだブラのデザインを思い出す。


 あれを、結朱が今……。


「い、今想像してるでしょ! 大和君のえっち!」


「いやこの状況ならするだろ!」


 赤くなりながらも、もうこれに関しては否定できないので全面的に認めた。


「この思春期! むっつりすけべ!」


「どう見てもお前が誘導しただろ! 想像されたくなければそこまで詳細に言わなきゃよかっただろ!」


「そ、それは……」


 痛いところを突かれたのか、結朱は一瞬口ごもったものの、小声で呟く。


「……だって、なんか大和君が亜妃で頭いっぱいになってそうだったから、気に入らなくて。私で上書きしてやろうかと」


「そ、そのためにわざわざ……?」


 俺の言葉に、結朱は首元まで赤くしながらこくんと頷いた。


「でもなんかこれ、思ってたより圧倒的に恥ずかしいんだけど! 大和君がえっちなせいで、私がこんな恥ずかしい目に!」


「一応言っとくけど街中だからね、ここ! そんな語弊招くことを大声で言わないでください!」



 夕日と羞恥で赤く染まった俺たちは、目を合わせられないまま帰宅するのだった。

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