第4話 イニシエーション

 爆煙を突き抜け、フォールが講堂へと現れるという異常事態。

 ここは三瀬学園。それも特別科の入学式が執り行われている行動だ。フォールと戦う過去使いを育てる場所にフォールが出現する。

 それは新入生の誰も想像だにしていないことであった。

『GRAAAAAAAA――!』

 咆哮が講堂を揺らす。

 そのフォールは概ね人くらいのサイズであった。しかし、その姿は人からは大いに遠いものであった。

 例えるならばトカゲだ。頭部はワニのように縦長で、大きく顔を二分する口の中にはとにかく詰め込みましたと言わんばかりに牙がその存在が感を主張していた。おかげでフォールは口が閉じられないようであった。

 人間の身体のようにも見える胴体に足は四本ついていて、鋭い棘が生えている。指は六本あり、その全てで漆黒の鋭い爪が輝いていた。

 四足で動くさまはまさしく獣化何かのようだが、その瞳には生命力というものが一切感じられない。

 生き物として必要なものがそれには備わっていないのだと一目でわかる。

「きゃああああああああ!?」

 そんな存在が現れた。ならばまずどうするかのお手本のように新入生の誰かが悲鳴を上げた。

 いかにこれからフォールと戦うことになる過去使いの卵と言えど、新入生だ。ほとんどの新入生はこのような事態に初遭遇であり、逃げ惑う一般人とほとんど変わらない。

 だから反応もそれに準ずる。悲鳴を上げて逃げ惑う。

 そちらの反応の方を出来たやつらは幸運だった。

「いや、これはもしかして」

 多少知識があり、ある程度頭が回った新入生の一人は、これはもしかしたら幻覚なのかもしれないと考えた。

 逃避ではあるが、ここは三瀬学園だ。フォールと戦う日本の最前線。そう考えれば、ここにフォールが現れることはあり得ないのだ。

 ならばこれは何か。そうきっと新入生を脅かすイベント。そうやって危機感を持たせたりするのかもしれない。

 あるいはふるい落とし。

「だからこれは幻覚だ」

 そう思った新入生の末路とまでは行かないが、結果は酷いものだった。

『GRAAAAAAAAA!』

 咆哮と同時に動いたフォール。瞳に入った一の数字が煌めきを上げたと同時、衝撃が奔る。

「え……?」

 それだけでなんの防御もない新入生の肉体は千切れとんだ。

「え……あ、ああああああああ!? 腕、俺の腕!?」

 腕どころでなく、四肢の全てが吹き飛んでいたが、そんなものを気にする余裕などはない。

 もう幻術だと思う者はいなかった。フォールは現実にここに存在している。そして講堂には自分たちしかいないことにも気がついた。

「ま、待ってくれ、俺が誰だか知らないのか!?」

 親が有名な新入生の一人はフォールに命乞いをしたが、そんなものが怪物に通じるはずもなく、吹き飛ばされ壁に叩きつけられていた。

 絶対絶命。

 濃密な死が充満していた。

 そんな中で健仁は、フォールを見ていた。

「なんで、こんなところに出て来るのよ! ああもう! そこのやつら落ち着きなさい! とにかく離れるの!」

 隣の萌絵を筆頭として、フォールに家族を殺された者たちの反応は早かった。

 声を張り上げ、逃げ惑うフォール初見の新入生たちをまとめて遠ざけようと動いている。

 幸い、フォールの動きは鈍く、舞台周辺から動く様子はなかった。にたにたと笑ったように口角をあげている。

 明らかに新入生たちを舐め腐り、いつでも殺せると思っている。

 それを見てどくんと、健仁の心臓が跳ねていた。あまりの勢いにそのまま飛び出していきそうほどの脈動の中でフォールだけが瞳に焼け付いている。

 家族の死の瞬間がフラッシュバックする。脳裏に広がる濃密な死。死。死。励起される死の記憶。

 あの夜がここに舞い戻ってくる。

 ならばどうする?

「逃げるわよ! 気に食わないけど、あたしの前では助かる命は死なせないわ!」

「いや、違う」

「はぁ!? 何を言ってるのよ!」

 いいや、否だ。

 健仁は否定する。

 あの時とは違う。逃げるのは違う。

 ここまで来たのだ。ならば逃げてどうする。

「良い、フォールと戦うには過去が必要なのよ! あたしたちはまだ時計をもらってない。時計がないと過去は使えない。破滅の未来そのものであるフォールには過去がなければ一切攻撃が通らない、今、戦いに行っても無駄死にするだけよ!」

 そう強く萌絵が言う。

 熱田は過去時計などの開発などを行っている企業だ。当然のようにフォールのことは幼少期から知っている。

 それと戦うことがどういうことかも、それと戦うにはどうすればいいのかも。その生態もある程度は知っている。

 だからこそ断言できる。この場にいる何者もフォールには勝てない。フォールと戦うには過去がいる。

 その過去を使うための武器を新入生は何一つ持っていないのだ。立ち向かったところで死ぬ。

 だが、健仁は否と言うのだ。

「でも、ここで逃げたら、あの時と何も変わらないんだ」

 そうだ、逃げるためにここに来たのか。

 違う。

 健仁は否と叫ぶ。

 例え敵わないとしても、ここで逃げるわけにはいかない。

 背もたれに穴があり、誂えたように持ち手になるパイプ椅子を折りたたんで持って健仁はフォールを見据える。

 武器がパイプ椅子とは笑えて来るが、ないよりはマシだ。パイプ椅子は想像していたよりもはるかに軽く、振り回しやすかった。

「ばっかじゃないの! 確実に死ぬわよ!」

「死なない!」

 足ががくがくと震えるなかで己を鼓舞するように健仁は萌絵に叫び返した。

「そんな震えながら言われても説得力ないわよ!」

「それでも、俺は逃げたくないんだ!」

 逃げて、自分だけ助かるなどもう御免だ。

 司の姿を幻視する。彼女に言われただろう。

 ――逃げずに、一歩、前に踏み込めば倒せる。

「なら、行くなら今だろ! うぉおおおおお!」

「ああもう、馬鹿ね。知らないわよ!」

 健仁はパイプ椅子を手に駆けだす。舞台付近で暴れるままになっていたフォールに向かって一直線に。

 作戦などない。とにかくまっすぐ行ってパイプ椅子でぶっ叩く。それだけしか考えていない。

 それでどうにもならない時は、その時に考える。

 そう今は、躊躇わず、ただ前に踏み込むことだ。

「喰らえええええええ!」

 ただ振りかぶってパイプ椅子を振るった。

 無論、そんな素人の突撃などフォールからすれば避けるのはたやすい。フォールは生命活動を行ってはいないが、思考はしている。

 向かってくる相手はほぼ丸腰。武装ともいえないパイプ椅子を手に突撃してくるだけ。

 脅威ではない。むしろ、力の差をわからせてやろうなどという傲慢すら生まれる余地があった。

『GRAAAAA!?』

 故にその衝撃は想定の埒外。己に届かぬはずの衝撃が届いたのだ。

「効いた!?」

 それに驚愕したのはフォールだけではない。事情をしる新入生。特に萌絵はその事実に衝撃を受ける。

「なんで、過去以外にフォールを傷つけることはできない。例外は……過去により作られた……まさか」

 フォールは現実の物理的武器で傷つけることが出来ない。それはフォールが破滅の未来の擬人化ともいえる怪物であるからだ。

 未来を普通の剣や銃で傷つけることはできない。未来に影響を与えることができるのは過去から連なる時だけだ。

 故にフォールは過去使いによる過去に由来を持つ異能や武装でしか倒せない。

「けど、効いてる。なら、あのパイプ椅子は過去由来の武装!」

 つまり、過去使いの異能により作られたパイプ椅子だとしたら、フォールに攻撃が通る。

「あんたたち! 逃げ惑うのはやめよ! パイプ椅子を持ちなさい。それなら、レベル1のフォールなら倒せるわ!」

 号令をかけるや否や、萌絵もまたパイプ椅子を手にフォールへと駆けだす。

「熱田であるあたしが、あんなやつに負けてたまるもんですか!」

 腰を入れた大振りをフォールの鼻っ面に叩き込む。

 ごしゃりと嫌な音が響き渡った。

「おお、こわ……」

 先に死地に身を置いていた健仁ですらひくような感じだった。怒らせるのはやめようと思う程度には。

「うっさい! さっさと追撃! 急いで!」

「お、おう」

 だが、大きくフォールが姿勢を崩したのは確かだ。健仁も続いて打撃。他の新入生たちも二人の熱に浮かされるように追撃に加わる。

 十人以上で囲んで殴り続ければ、フォールは次第に動かなくなっていく。反撃があるもののそれ以上に萌絵の動きは機敏だった。

 反撃の兆候を感じ取るや否や萌絵は即座にその鼻っ面に容赦なくパイプ椅子を叩き込むのだ。

 機先を制すとはこのことでフォールは全くと言っていいほど動けない。

 そして、フォールは動かなくなる。数時間にも感じるが五分しか経っていない。

 フォールが散りとなって消滅した時、新入生たちは息も絶え絶えで全員が座り込んだ。

「はは、やった……」

「ああやったぞ……」

「倒したんだ。フォールを!」

 誰かが言った。それは新入生たちの心に波及し、全員が歓声をあげた。

 怪物を倒した。その達成感は大きなものだった。

「おめでとう諸君」

 そこに上杉が現れるまでは。

 拍手と共に舞台上に現れた男により、一気に講堂は静まり返る。事ここに至って新入生たちは学んだ。

 この学園は普通じゃない。そもそも普通ではない怪物と戦うのだ。普通の思考をしていてはいけない。

 二十人程度だった新入生が、今、立っているのは十四人に減っていた。

 そんな中に登場した教師の存在。助けるでもなく、終わった後に現れるということは完全に仕込みだ。

 次は何が起きる? 彼が襲ってくるかもしれない。

 油断をしたらどうなるかは先ほど見せられたばかりだ。最大の警戒をして上杉の一挙手一投足を観察していた。

「ふむ、随分と今年は残ったな。重畳だ」

 どうやらこの催しは毎年の事らしい。

「ふ、ふざけるなよ! 人が死んでるんだぞ!」

 上杉の物言いに勇気を振り絞り反発した新入生がいた。他にも内心同じことを思っていた者たちが同調する。

 ここは法治国家の日本だ、このような所業が赦されていいはずがない。

 そんな意見を上杉へとぶつけている。

「死んではいない。手足がちぎれているだけだ。例え死んでいたとしても、私の言うことは変わらないがね。で、それで?」

「それで、って。何かないのかよ!」

「怪我をしたものは医務室へ運ぶ。数分で戻ってこれるだろうが、出ていく者もいるだろう。死者にかける言葉は、あとは任せろと安心させる言葉以外に持ち合わせがない。我々には時間が残されてない。こうしている間にも滅びの未来はすぐそこまで来ているのだ」

 上杉は一歩、反発した新入生たちへと近づく。

「見ろ、この数字を」

 上杉が左手につけた腕時計の文字盤を見せる。デジタル表示されたそこには、一とゼロとゼロ。つまり百が表示されている。

「世界終末時計の数字だ。この数字がゼロになった時、人類の滅びは確定する。残り、百秒分だ。わかるか?」

 それが具体的にどのようなことを示しているのか健仁にはわからなかったが、上杉の言いたいことはわかった。

 時間がない、だ。

 百時間でも百日でもなく、百秒。一分と四十秒しかないと言われたら時間がなさすぎるにもほどがある。

「遊んでいる時間も、悠長に育てる時間もありはしない。まさか、手取り足取り教えてもらえると思ったか? 軍隊のように訓練をきちんとできると? それならば、今すぐ出ていくがいい。特別科にはそのような教え方は存在しない。君たちをたった三年で戦士にしなければならないのだからな」

 上杉はフォールがいた場所を指し示す。

「フォールは今こうして話している間にも、どこかに現れ、人を殺している。敵は待ってくれない。一年生だからと言って、甘やかしたりしない」

 にらみつけるように上杉は新入生たちを一瞥しながら続ける。

「敵が目の前に現れた時、まだ授業を完了していませんからというのか? 例え入学式だろうと敵が来たら戦うだけの気概を持て」

 無情に過ぎる言葉に、反発していた男子は言葉を失ったようだった。

 しかし、これが現実だ。フォールと戦うということ、この世界が如何に詰んでいるか。

 その事実を認識して、新入生たちは黙りこくるしかなかった。

「一年生だろうが、この道にあしを踏み入れたからにはすぐにでも戦場に立ってもらう。それが嫌ならやめるが良い。強制はしない」

「ああもう、上杉先生はいつも厳しいことばかり言うんだから。新入生たちが委縮しちゃってるじゃんか」

 そんな重苦しい空気を一考だにせずぶち壊すのがいきなり現れた小槻という男であった。

 入学試験時のスーツにスニーカーではなく、ラフなシャツにスラックスを着ている。これがこの先生のいつもの格好なのだろう。

「おお、今年は結構無事なのが多いね。えーっと、四肢切断が数名に、全身複雑骨折が数名と。死者はゼロね。優秀優秀。大丈夫大丈夫、みんな現場復帰可能だよ」

 軽薄に過ぎる言葉であるが、新入生たちは安堵した。

 まだほとんどが会ったばかりであるが、こんなことで学友を失うなんていう重荷を背負わずに済んだことにただただ安堵の色が広がっていく。

「だが、事実を知らしめるにはこうするのが手っ取り早い。フォールがどのような存在か、実際に体験している者たちはいいが、初めての者には早々に教えてやった方がいい。これが戦場だ、これが死だ。覚えておくが良い。お前たちが身を置くのはこういう場所だ」

「まーた、そんなこと言って―、嫌われても知らないよ~。既に手遅れかもだけど」

「それより準備はできているのかね、小槻先生」

「もちろん」

「では、始めよう」

 けが人が運び出され、今度は何が始まるのかと健仁を含めた新入生たちは戦々恐々とする。

「安心していいよ。今度はさっきみたいにいきなりフォールと戦わせたりしないからね。まあ、キツイことに変わりはないけど」

「さて、諸君。心変わりして家に帰るというなら止めはしない。これより先はもう後戻りできない。それでもやるかね?」

「当然だ!」

「当然に決まってるでしょう!」

 健仁の言葉が思わず萌絵とハモった。

「ちょっと、真似しないで!」

「いや、知らないよ」

 何人か、ついていけないと出ていったが、他は残った。

 結局、怪我を治療されたやつらで戻ってきたのは一人のみで、今年の新入生は総勢十三名となった。

「では、諸君。早速始めようか。小槻先生」

「はいはいっと。んじゃ、二年後にまた会おう」

 新入生たちのえ? という疑問が口に出る前に、彼らの視界は白い輝きに覆われた。

 その光が消え失せた時、広大な空間の中に放り込まれていた。そこには、小屋が一棟あり、それ以外には様々なトレーニング器具のようなものが見える。

「これは……?」

「では諸君、基礎訓練の時間だ。期間は二年間。なに、安心するといい。時間はないといったが、ここは小槻先生が作った空間だ。これにより、外での一時間はこの中での二年に相当するのだ。基礎を固めるだけの時間はある。さあ、まずは走ってこい!」

 説明もなしに放り込むのはやめてほしかったが、上杉の剣幕に負けて健仁たちは走り始めた。

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