第3話 入学式

 『過去使い』について説明するためにはまず、『過去生』というものについて説明しなければならない。

 結論から言うと、過去生とは前世である。厳密にいえば、それは違うかもしれないが、大まかな認識は前世のようなものと思っていて構わない。

 重要あのは魂を持つ生物は死ぬと別の存在へと生まれ変わるということだ。生命体は時代を超えて様々なものに生まれ変わる。

 生まれ、成長し、死ぬ。また生まれ、また成長し、また死ぬ。

 生命はその連鎖を永遠に繰り返す。

 生命活動の連鎖堆積、輪廻転生、生命の循環とも言い換えて良いだろう。この世界の根幹に根差した構造、あるいは神様が作りあげたシステム。

 つまり、現代を生きる生命は、その生を受ける前に、別の人生を生きているということ。

 虫や魚にも生まれ変わることがあるから、一概にも人生とは言えないが、ここでは人生と言っておく。

 その人生こそが俗に過去生と呼ばれるものだ。

 過去使いとは、その過去生に適合し、超常の異能として使用することが出来る者のことである。

 過去使いはその異能を装甲へと変え身を護り、異能を武器として破滅の未来『フォール』と戦うのである。

 破滅の未来を覆すのは、いつだって自らが積み上げてきた過去だけだからだ――。


 ●


 入学試験から三か月後、健仁は荷物を持って三瀬学園へ続く坂道を上がっていた。一緒に歩く友人はいない。

 それは別に健仁がぼっちだからというわけではない。復讐を目的にしていたって、日常生活を営むのだ。それなりに友人はいたし、付き合いは良い方で、かなりの数の友人がいた。

 しかし、今はいない。

 三瀬学園特別科の入学式は、一般科とは別に行われるということもあるが、最も大きな理由は、フォールと戦う過去使いになるからだ。

 中学のクラスメートは別の高校に行ったか、一般科に入学することになっている。命の危険すらある特別科に行く者はマイノリティーだ。

 だから、今、健仁と一緒人歩く者はいない。

 記念に受験したいと思う者はいただろうが、特別科に入学するには三瀬学園からの推薦が必要となっており、推薦がなければ入学試験すら受けられないのだ。

 健仁と同じように推薦をもらって特別科を受験したクラスメートはいないのは幸運なことだろう。

 推薦条件は、フォールの被害関係者としてフォールのことを目撃した者あるいは、フォールと出会い生き残ったかのどちらかだ。

 大抵が健仁と同じように家族が殺され、自分も殺されそうになった時にギリギリ過去使いが間に合い助けられた者たちである。

 そんなものに友人たちが巻き込まれないで良かったと健仁は思ったが、それで特別科の学友たちと一緒にいながら一人ぼっちで坂道を歩く寂しさがまぎれるわけではない。

 三つの過去を持つという史上初の過去使いと言われてしまった挙句、さらに様々な噂飛び交う熱田の令嬢萌絵に睨まれた健仁に近づくような剛の者はいなかった。

 別に健仁は一人が嫌いというわけではない。他人に煩わされることないのはストレスがなくていいものの、こういう晴れの日に一人というのは寂しさが募る。

 思いがけず俯きかける。

「いやいや、これから始まるんだ。俯いてちゃ始まらないだろ」

 健仁はそれを頭を振って阻止。ここで俯いたらせっかくの入学式が暗くなるというものだ。

 そう思って視線をあげたところ、

「きゃあああ、どいてえええええええええ!?」

 おっぱいが視界一杯に広がった。

「は……?」

 本当に、は? である。そして、悲鳴と着弾は同時だった。

 健仁は上から降ってきた何かと衝突し、地面と激突、後頭部を強打した。

 瞼の裏を舞う星と身体にかかる重さと柔らかさを感じながら、徐々に白んでいく意識。

 そして、最後に健仁は意識を手放すのであった。


 ●


「いっつぅ……」

 後頭部に感じるほのかな痛みに呻きながら、黒一色に沈んだ意識は知らない天井を見上げる中に帰還を果たす。

「知らない天井だ……」

 まさか現実にこのセリフを言うことになろうとは……などと健仁が奇妙な感慨と不思議な気分に浸っていると、

「ああ、目が覚めた、時間通り。よかったですぅ」

 となりから実にゆるんでかわいらい声が隣から降ってくる。

 そちらに視線を向けると奇妙な人物が目に入る。

 性別は女性だ。三瀬学園特別科の黒を基調として差し色に赤が入った制服の上からでもわかるほどに大きな胸の存在感はどうあがいても消せるようなものではない。

 ただ女性としてはどうやら落第な部類の人物であるらしい。

 末広がりになったぼさぼさの茶髪は伸ばしっぱなしで、きちんと手入れがされているのかと言えば非常に怪しい。元々の毛の癖のせいか寝ぐせのせいかどうか判断がつかない。

 身を飾る装飾品の類は、校則があるからさりげないものになりがちなのは当然としても、今時の女子なら忌避しそうな大きめの眼鏡をつけているのはファッションとしては微妙なところだ。

 辛うじて眼鏡のフレームが細いのだけが、まだ現代っ子かと思えるところだった。

 全体として身長が小さく、制服がだぼだぼである。そのおかげかシルエットは一見すれば髪のせいでミノムシに見えなくもない。

 そんな少女は健仁が目覚めたことに安堵したように息をはいていた。

「え、えと……ここは……?」

「えと……ここは特別科の保健室です。その、ごめんなさいです。視えていたのに避けれなくて、ぶつかっちゃったのです……あぅ……。これはもう死んでお詫びするしかないですよね……!」

「いや、そこまでじゃないので! 大丈夫ですから、ほら」

 本当に死にそうな雰囲気を出たので、健仁は慌てて起き上がる。

「ほ、本当ですか? わたし、死ななくてだいじょうぶですか?」

「はい、本当です。こんなことに嘘は吐きませんって」

「良かったぁ。えへへ、わたしのせいで怪我させちゃったら、申し訳ないですから」

「ええと、それであなたは? 俺は矢田健仁です」

「あ、申し遅れました。わたしは、草薙鏡花と言います。本当は三年なのですが、留年しちゃって二年生二回目です、えへへ」

「え、留年なんてあるんですか、特別科」

 どことなく留年する前に死ぬか退学になるイメージがあったので驚いた。

「実は、あるのです。とっても例外らしいですけど。あ、でも普通は死ぬか退学なので、あまり期待しない方がいいですよ、えへへ」

「ああ、うん、そうですよね……」

 暗澹たる気分に陥りそうになる事実であるが、自分で選んだ道だ。今更、後悔するもない。

 ただ後悔はしないが、事実を知っているからと言って、改めて他人の口からきいてしまうと急に現実感が伴いうへぇと思ってしまうのは人間の心理というものだ。

「あ、そろそろ戻った方がいいですね」

 ふと、壁の時計を見た鏡花がそう言う。健仁も確認するがまだ式には時間がある。気絶していた時間を加味してもまだ余裕だ。

 健仁はこういう日には絶対に遅刻したくないから早めに家を出るのが癖になっているからである。

 それに鏡花は先輩だ。特別科の授業風景など実体験の話を聞いてみたいし、フォールと戦ったことがあるなど気になることはたくさんある。

 この機会にの健仁が一目惚れしているあの美少女剣士の話を聞いてみたい。というか、これが一番の目的とも言えた。

「んー、もっとお話ししたいですけど、あまり遅いと小槻先生に捕まってしまいます。あと一分で来るので、すぐに出て講堂に向かってください。右の通路をまっすぐ行って突き当りを左です」

 しかし、妙に具体的な指示を出されて、思ったよりも強い力でぐいぐい押されて保健室を出されてしまう。

「いいですね、右の通路をまっすぐいって、突き当りを左です。途中にトイレがありますから、個室に三十秒入ってください。あ、間違えた二十五秒です。右から三番目の個室トイレです。で、トイレを出てから突き当りを左へ。あとは道なりに」

「え、ちょ、なに、え?」

「それじゃあ、良い入学式を。たぶんこれで大丈夫なはずですから」

「いや、え、どういうこと?」

 行けばわかりますよ。と鏡花に言われて、保健室の扉が閉じる。戻ろうとしても鍵が閉められたようで戻れない。

「……仕方ない。言われた通りにしてみよう」

 ああも具体的に指示を出されてしまうと、これに従ったらどうなるのか興味の方が先に来る。

 何か悪戯が仕掛けられていた時は、好奇心に負けた健仁自身が悪い。それにもし何かいいことがあるなら、それはそれでよしだ。

「ええと、確か……」

 健仁は必死に言われたことを思い出しながら、言われた通りのルートで講堂へと向かう。

 途中にトイレがあったので、そこに二十五秒右から三番目の個室に入る。そこででようとすると扉が開かない。

「え、ちょ、硬っ!?」

 妙に硬い扉を必死に押して開ける。

「ああもう、何なんだろうな、これ」

 おかげで十分ほど無駄に時間をロスしてしまった。早めに来ておいて正解だった。そう思いながら、講堂へ向けて歩いていく。

 校舎内は真新しく綺麗で良い学校であることがわかる。古臭かった中学とは大きい違いだった。

 こちらは特別科専用の後者で、フォールとの訓練施設になっているとのことだった。

 そう言う施設の設備に思わず気をとられていたおかげで、曲がり角で大きな人影にぶつかりかけた。

「おっと、あ、すみません」

「む、矢田健仁か。早いな」

 それは入学試験の時にも見た上杉だった。相変わらずの黒衣に巨漢は威圧感がある。

 身長が低い方ではない健仁をして見上げるほどの巨体は、そこにいるだけで場の空気そのものを重たくしているようですらあった。

 感情を感じさせない瞳に見つめられているだけで、睨まれ怒りを向けられる気分にされるのは教員に備わった技能であるが彼のそれはそのさらに上位互換のようですらある。

「あ、は、はい」

 辛うじて言葉を返せたのは、ぶつかりかけて気がたっているせいだ。

「そうか……君は三重過去の持ち主だったな」

「……えっとそうみたいです。よくわからないんですけど」

「しばし付き合い給え」

 健仁の返答も聞かず、上杉は歩き出した。

「え、あ、はい」

 健仁もその後を慌てて追う。どこをどう進んだのか定かではないが、気がつけば修練場のような場所にでた。近しいといえば弓道場とかだろうか。

「丁度、精神統一をしている頃だ。見ておくと良い」

 そっと開けられた扉から覗くように言われ、健仁は訝しく思いながらもそこから中を除く。

 中にいたのは一人の少女だった。忘れるはずもない。家族が殺された夜に健仁を救った救世主。復讐と言う道を示してくれた少女。一目惚れした女の子だ。

 ただ、そんな思いはそこで見たものが全て吹き飛ばしてしまった。

「ふっ――」

 呼気一つ。刃が振るわれる。型と型が繋がってよどみなく流れていく。川を流れる水のように流麗な剣術接続。

 鋼の刃は透明で、振るわれれば、もはやそこにないかのよう。

 彼女が動くたびに艶やかにわずかな光にもみずみずしさが現れる濡れ羽色の髪の毛が舞う。

 髪に隠されていない真紅の片目が軌跡を描き、赤の軌道は複雑な絵画となっていく。

 月並みな言葉であるが、それはとても美しかった。

「彼女は学園最強の名をほしいがままにする二重過去使い。二年総代、伊瀬司だ」

「伊瀬……司……」

 あの時の少女の名を健仁はようやく知ることが出来た。これ以上、素晴らしいことがないだろうか。

 まず間違いなく最高に素晴らしいことだった。

「あれが、お前が目指すものだ、矢田健仁」

「俺が……」

「そうだ。さて、そろそろ講堂へ戻るぞ」

 本当はもう少し見ていたいが、教師に言われてしまっては我儘もいうことはできない。

 断腸の思いでその場を離れ、講堂の入口で上杉と別れる。

「ではな。十分に気を付けるが良い」

「ええと、はい。ありがとうございました」

 何に気をつければよいのやらだが、ともかく良いものを見せてもらったお礼を言って受付を済ませ講堂に入る。

 席に向かうまでに健仁は鏡花に感謝を内心で告げていた。あの指示に従わなければ健仁はすぐに講堂についてしまい、上杉に会うこともなかっただろう。

 そうなれば司の名前を知ることも、あの剣舞を見ることもなかったはずだ。

 そうなれば、入学式の日にどこからか振ってきた女の子にぶつかって後頭部を強打するという運の悪さも幸運へと逆転する。

 鏡花はもしかしたら幸運の女神なのではとすら思うほどだった。

 そう思いながら、座る席を見る。席順は受付順。ただ妙なことに、講堂は入学試験の時にあった座席が全て撤去されており、パイプ椅子が並べられていた。

 これが普通の学校ならば何も問題ないだろう。普通のことだ。

 だが、ここは三瀬学園であり、しかもフォールと戦う特別科だ。入学試験の時に入った講堂と同じ場所だから、座席がもっと良いものであったことを健仁は知っている。

 だから、妙に引っかかる。

「うーん……」

 しかし、考えてもわからない。何かあるのだろう。気に留めておくことにして、席に座る。

「げ……」

「何が、げ、よ。失礼ね」

 思わず、げ、と言ってしまった健仁を誰が責められよう。

 そこにいたのは入試の時、健仁を射殺さんばかりに睨んできた熱田萌絵その人であったからだ。

 パイプ椅子にツンと上品な所作で座っている。というかパイプ椅子を上品に座りこなすとはどういうことなのか。

 パイプ椅子なのに妙にキマって見えるのは彼女の存在感がなせる業なのか。

 そんな益もないことが健仁の頭の中を横切っていった。

 最高の気分が一転最悪の気分になる。

「…………」

 良しとりあえず無視をしておこう。何事も触らぬ神に祟りなしだ。

 そう決めてパイプ椅子に座る。安っぽいように見えるが、かなり頑丈なようで、座ったとしても音が鳴るようなことはなかった。

 互いに話すことなどなく、ただ漫然と時間だけが過ぎていく。無言の応酬の果てに、ようやく時間となり健仁がほっと一息ついたところで舞台の上に学長らしき人物が現れた。

 パンフレットでも見た立派な髭を蓄えた老人だ。しかし、瞳は鋭く猛禽類もかくやというほど。

 そんな正装の男性は、壇上にあがるとマイクを手にとる。司会に合わせた進行などはないらしい。

「新入生諸君、入学おめでとう。特別科は、フォールと戦う過去使いを育てる場だ。この業界は常に人手が足りていない。学生だからと言って甘やかされることはない。すぐにでも戦ってもらう。そうすぐにでも」

 簡素な祝辞とどこか不穏さを感じる言葉が述べられた次の瞬間。

 轟音と共に舞台が爆裂する。

「な、何だ!?」

 新入生たちに混乱が伝播する。その混乱は終息するどころか、さらに加速度的に悪化の一途をたどることになる。

『GRAAAAAAA――!』

 咆哮が講堂をびりびりと揺らす。

 あの夜感じたのと同種の気配が健仁の身を貫く。

「まさか――」

 ――フォール。

 誰かが言った言葉を皮切りに、爆煙の中からその怪物は現れた。

 人類の敵。

 健仁たち新入生がこれから戦うことになる相手。

 それが今まさしく目の前に現れたのだ。


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