第5話 一時間の二年
健仁たち三瀬学園特別科の新入生たちは、小槻が作ったという空間に放り込まれ、時間も定かではない中、延々と走らされ続けていた。
この空間、一応、校庭のトラックのようなものが引いてあり、そこを永遠と走るのだ。
「何を置いてもまず基礎体力だ。体力がなければ始まらない。ただ走れ」
そう上杉に言われて走らされ続ける。
ただ走るのもつまらないということで、新入生たちは自己紹介をすることにした。
「よっし、ただ走るだけってのもツマンネエだろ? 自己紹介しようぜ。これから一緒に戦ってくんだしな」
そう言ったのは髪を茶髪に染めた男だった。高校デビューでのつもりなのか、軽薄そうな笑みを浮かべてぱしんと手を叩いてそういった。
「言い出しっぺからな。オレは出雲重吾ね。あとはどうして特別科に来たかというと、親も過去使いだった。そんだけ。んじゃ、次はあんた。三つ過去持ちのすっげーって言われてたあんた」
同意も待たずそう言って健仁に話題を振る。へへっと悪気なく笑う。
「俺? 矢田健仁。ここに来た理由は復讐って、これでいいのか?」
「おおう、いきなりおめーな!」
「家族が殺されてさ」
「おうおう、あるある」
重吾は茶化してきてはいるが、まったく悪気を感じない辺り、人が良いのだろう。
「んじゃ、そこのメカクレのかわいこちゃん!」
「え、え、わ、わたしですか!?」
次に重吾が目を付けたのは、近くを走っていた目が隠れるほど前髪を伸ばしている少女だった。
見た目通りの気弱そうな感じだ。
「そーそー!」
「え、あ、ええと、ふ、藤島あかりで、です!」
「おお、あかりちゃんね。かっわいー名前!」
「そ、そんなことないですよぅ……」
かぁっと恥ずかしそうにする辺り、恥ずかしがり屋でもあるらしい。男としては結構ポイントが高い。
「じゃあ、特別科に来た理由は?」
良い機会だし、友達はほしいということで健仁も話の輪に加わる。
「え、あええと。なりゆきで……」
「え、なりゆき?」
「は、はい……」
「なっるほどー。ま、誰もが健仁みたいにおもっ苦しい理由で受験するわけないよな! オレなんて母ちゃんに行けやって怒られたから来ただけだし」
「いや、それはそれでどうよ」
「ふ、ふふ。面白いですね」
あまり振れない方がいいと察したのか、重吾が話題を変えて、それから次の目標を探す。
軟派そうな見た目に反して、結構気遣いができるらしい。
「さて、お次はー」
自己紹介に関わりたくないと思ったやつはスピードを上げて先へ行っている。当然、萌絵もそちら側。
流石の重吾も追いかけてまで自己紹介をしようとは思っていないのか、近くを走っているやつを勝手に選択する。
「じゃあ、おまえは。クールそうなあんた」
声をかけたのは、長身の男子。如何にもなクール系でこんなやり取りには混ざりそうにない。
だが、自分のペースを崩したくないのか先へ行かず残っていたのを重吾が捉えたようだ。
「…………」
一度は無視しようとして、重吾が引きそうにないのを感じて溜息一つ。
「はぁ……。鶴見伊織。スカウトされてきた」
「スカウトなんてあるのか?」
「おう、そりゃあるぜ。というか、健仁もスカウト枠ではあるだろ」
「そうなのか?」
初耳だった。
「そりゃそうさ。なにせ、フォール退治なんて、今まで聞いたことあったか?」
「ないな」
「だろ?」
重吾は水を得た魚の如く得意げな顔になる。
「でも、実際にはいるから、襲われる。健仁も襲われたんだろ。で、そういうやつは過去を持ってる可能性が高い。そうでなくてもフォールと関わったならこちらの事情を説明しやすい。そういうのを三瀬学園に入学させるのをスカウトって呼んでんだよ」
「そうなのか……」
「た、たしか、学園最強の伊瀬先輩も、スカウト組、でしたよ、ね」
「そーそ!」
あかりがさらに話題を提供してくれたおかげで、意外にも場は盛り上がる。伊織は好都合とばかりにだんまりに入るが、一応は義理で聞いてくれているようだった。
「へぇ、そうなのか」
「お、なになに健仁くん、気になる感じィ?」
健仁としてもこの話題は良かった。一目惚れした伊瀬司についての話が聞けるというのならば率先してこの話題を広げていきたい。
しかし、あくまでも興味という風にしてだ。がっつくのは良くないだろう。あと単純に重吾の聞き方がうざい。
「学園最強とか気になるよ、普通」
「ま、そりゃそうだ! んじゃ、まずはあれだなレベル六を一人で倒したって話からだ」
そういう健仁の邪寄りの想いなど気がついた様子もなく重吾はあっけらかんと笑い、知ってる限りの武勇伝を得意げに語り始めた。
フォールにはレベルが存在している。一から十二まで、時計の文字盤に準えてつけられており、それが終末までのカウントダウンでもある。
レベル一から三が下級、レベル四から六が中級、レベル七から九までが上級、レベル十以上が特級とされている。
フォールの目にそれが刻印されており、目を見ればわかる。かつて健仁の家族を殺したフォールは六。下級と上級を隔てる最後のレベルだ。
あれから一年もたっていることを考えるとさらに上がっている可能性がある。もちろん討伐されていないならという注釈が付くが。
とかく、重吾によれば司は、一年生の身でありながら、そのレベル六のフォールをチームではなく個人で討伐しただとか。
「いまいち、レベルって感覚がわからないんだけど、レベル六。どれくらい強いんだ?」
「色々ブレとかあるんだが、そうだな……とりあえず、戦車とかミサイル積んだ戦闘機と正面から戦うみたいな感じだな。一年生に倒せるのは下級までだし、伊瀬パイセンマジパネェよ」
「えっとえっと、中級フォールになるとチームで戦うのが普通で、一人でレベル六を倒せる過去使いは、ほとんどいないんだよ」
そう重吾の言葉をあかりが補足する。
下級フォールは、武器を持った人間程度の戦闘力。特殊能力も持っていることはなく、先の講堂での戦いの通り、過去による武器があれば生身の人間でも概ね倒せるレベル。
中級になると特殊能力を持ち出してくる者もいる。弱い能力だが多少厄介なことが多い。戦車や戦闘機並みの戦力を持つとされている。
上級。学生が出会ったら逃げろ。運が良ければ生き残れるかもしれない。核兵器といった人類最高の攻撃力と同じだけの戦闘能力を持つ。
特級。考えたくもない。出会ったら死。そんなものが生まれる前に何とかするしかない。そういうレベル。
「なるほど、よくわかった」
あかりは言葉に詰まりやすいが、説明自体はわかりやすかった。
「えっと、ありがとう」
「……しかし、特級が出てきたらどうするんだ」
説明を聞いて、今まで黙っていた伊織がそう言った。
「お、鶴見くぅーんも、ようやく素直になったか」
「……気になっただけだ。良いから教えろ。暇つぶしになるだろ」
「おーけーおーけー。あかりちゃん可愛いからな。ムッツリにはすぐに行けないこともわかるぜ」
「え、ええ!?」
「それは俺も気になってたんだ。教えてくれないか?」
「健仁くんもか、ま、フォールの発生原理なんて詳しい奴じゃないとわからないか。特級はそう簡単にでてこないんだよ。その理由は――」
「――フォールは必ずレベル一で発生し、人を殺すことでレベルをあげていくからよ。弱いうちに倒してしまえば特級は出てこない。それだけのことよ」
ふと背後から重吾を遮って答えが降ってくる。
振り返ると、そこには萌絵がいた。
「あっれぇ~? なぜに、後ろから?」
「人に講義しながらランニングなんて余裕ね。一周遅れになったら、どうなるか聞いてみる?」
くいと、萌絵が顎で上杉を示す。
地獄と繋がっているとでも言われても信じるくらい虚無の瞳がじっと健仁たちを見ていた。
ぬかされたら、どうなるか。嫌な想像がわきあがってくる。
「オレ、さっさと行くー!」
重吾が一番に駆けだした。
「あ、ずるい!?」
健仁たちも慌ててそれに続く。
幸いなことに萌絵はぬかしては来なかった。
その後、一日――といっても、この空間は基本的に明るくて、時間がどう流れているのかはわからなかったが――走らされたのであった。
●
その後も、訓練は過酷を極めた。
精神と肉体の極限を要求される訓練が延々と続く。朝から体力、筋力、瞬発力、その他あらゆる肉体的な要素をフォールとの戦闘を見据えたものへと鍛えられる。
十分な睡眠と食事。
必要十分な栄養が与えられ、成長期の肉体は理論上最高の成長をするように調整されていった。
一年もの時間が経過した時、健仁らは見違えるほどであった。
しかし、まだ終わりではない。小槻は二年と言ったのだ。
次の二年で行われたのは、戦闘訓練。つまりは身体の動かし方だ。鍛えた肉体をどう動かせばいいのか。
どのように動かせば、素早く動き、高い壁を飛び越えられるのか。小槻が作り出した空間の中に存在した山や海などの様々な環境で健仁たち新入生は身体を動かし、戦闘術を上杉に叩き込まれた。
「はあッ!」
健仁の突きだした拳が空を切る。
そんなものはこの二年間でよく見た光景だ。上杉にこちらの攻撃は当たらない。彼は教師となってからずっと小槻の空間に新入生と入り、訓練をしてきたのだ。
彼の経験値は膨大。そんなものにたった二年の付け焼刃が通用するはずがない。
だが、それでも一本を取るべく健仁は頭をひねっていた。
「良い突きだが、実直に過ぎ――」
「わかってますよ!」
そんなことは言われずとも、もちろんわかっている。
だから、空を切ったと認識するよりも前に背後へと蹴りを放っていた。がしっと受け止められる気配。
「ほう、背後に回ることを予期していたか。だが、まだ甘い」
そうそれすらも受け止められ一本には届かない。
「…………!」
そこに無言で伊織が走りこむ。地を這うかのように姿勢を低くした鋭い疾走。
そのまま身体を跳ね上げるエネルギーを乗せてアッパーカット。
「おっと」
首をそらして避けられると同時に、健仁の高速も解ける。足を引き戻す動作を円運動で行い、そのまま蹴りへと変換。
バックステップで下がることで間合いを外すが、やってくるのを見越していたかのようにあかりが棒を突き出す。
「えい!」
振り向きざまに右掌へと棒の先端が収まり、一瞬の静止。
そこにどこからか吹っ飛んできた重吾が飛び蹴りを放つ。
「おりゃっ!」
「良い作戦だが、甘い」
「え、わ、きゃああ!?」
掴んでいた棒ごと上杉はあかりを振り回す、重吾にぶつける。
同時に突っ込んでいた健仁と伊織の攻撃を跳躍で躱し、空中で蹴りを顔面に叩き込み吹き飛ばす。
「そこまで」
「ああ、くそ、また、勝てなかった!」
「中々良い動きになった。皆も集合せよ」
新入生たちが集められる。
「今日で二年の基礎訓練を終了とする。私から一本も取れなかったことは恥じる必要はない。私はこの訓練をもう何年も続けている。これは私の訓練にもなる。諸君らが弱いのではなく私が強いのだ」
ある種、傲慢にも聞こえる上杉の言葉であるが、彼は事実以外を口にしない。隠し事はあるかもしれないが、それはまだ健仁たちに教えるべきことではないことばかりだ。
彼はとてつもなく強い。それでいて、それを正しく認識している。
また、ぶっきらぼうに見えて面倒見がよく、この二年間の食事を用意していたのは彼で、そこらの料亭に負けないくらいに美味しい。
それがこの一年前の基礎訓練でわかったことだった。
次の一年でわかったことは、寝込みを襲っても無駄。風呂時を狙っても対応される隙のない男だということ。
肉体錬成が終わった後の一年間は戦闘術の叩き込みと実践で何度も襲撃して良いと言われて、一発喰らわせてやると皆が挑んだが全員返り討ちにされたものだ。
「次に諸君らが学ぶべきことは過去の使い方だ」
健仁は様々な思い出を振り返りながら、上杉の話を聞いていた。
「この後、過去時計が支給され、過去を使うための訓練が始まる」
「それはこの空間ではやらないんですか?」
誰かがそう質問した。
「ああ、この空間では過去は使えないからだ」
なるほど、だからずっと基礎訓練や肉体訓練ばかりやっていたのか。そう新入生たちは納得した。
「この空間から出ると向こうは一時間しか経過していないが、諸君らがやることを指示しておく。まずは寮に行き、チームのリーダーの指示を仰ぐのだ。以上、解散」
そう彼がいった瞬間に、空間が砕け散り、講堂に戻ってくる。
「おっ帰り―、一時間ぶりだねぇー」
小槻の軽薄な声と講堂の時計の針が一時間しか経っていないことを告げている。
「さあさあ、はいはい。まずはみんなのチームと寮が書いてあるからこれ確認していってね」
そう言って渡されたのは生徒手帳だった。
といってもスマホくらいのサイズでスマホと同じ機能を持っている。というか、スマホだった。
「特別丈夫で、特別便利な特別科専用の学生証さ。これで任務とか来るからちゃんと確認してね。じゃあ、はい。早く行った行ったー、先輩たちは待ってるよー」
ぱんぱんと手を叩いて小槻は健仁らを追い出す。上杉はいつの間にか消えていた。
健仁たちはとりあえず行く場所を確認する。
「どこだった?」
重吾がまず聞いてくる。
「……あっちだ」
「ええと、わたしは、あっちの方らしくて」
「俺は、こっちだな」
全員が別々の方向を指し示していた。
「どうやらチームは全員違うみたいだな」
「……どういう基準でわけたんだ、これ」
「過去でしょうか?」
「わからないけど、違うチームになっても一緒に戦う仲間なんだし、もう二度と会えないわけじゃないだろ?」
「だな! さっすが優等生の健仁くん、良いことイゥー」
「茶化すなよ重吾。んじゃ、またあとでな」
そう言って別れて、健仁は一人地図に示された寮へと向かう。
この学園が見た目と同じ大きさをしていないことは、学生証の地図アプリを起動して歩き始めてからようやく気がついた。
あまりにも広く、様々なものが詰め込まれているようであった。学校など敷地のほんの一部で、ほとんどは山を隔てた向こう側にフォールとの戦いの主要施設がまとまっているようであった。
あとは地下にも様々な施設があるようだ。
健仁の目的地は深い森の中にあった。
「ここ、か……?」
そこにあったのはボロ小屋と。
「ごめんなさい」
土下座した草薙鏡花の姿であった。
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