第6話 チーム草薙

 健仁の主観にして二年ぶり。鏡花の主観にしては一時間ぶりの再会であった。

 記憶にある通り、ぼさぼさの髪は末広がりになったままで、大きすぎる眼鏡もそのままだ。

 あの恰好は、一時的なものではなく、彼女の標準らしかった。

 そんな人がどうして土下座をしているのか。

 健仁としては、憧れの女性を見て、聞くことができるきっかけを作ってくれた恩人である。

 そんな人に土下座させてしまうようなことがあっただろうか。

 いや、目を背けるのはやめよう。どう考えても目の前の小屋に関することであろう。

「ええと、あの時の先輩、ですよね……なぜに土下座を」

「えっと、はい。隠すのは駄目ですね。なので言います。わたしのせいだからです」

「わたしのせい?」

「はい」

 まず、前提として三瀬学園特別科のチームは同じ寮に住む。チームの内訳は概ね、二年生一人か二人と一年生三人。

 その寮は、チームリーダーである二年生の過去の戦績によって決定する。

 簡単に言うと、チームリーダーが過去討伐したフォールの数が多ければ、それだけ良い待遇になっていくのである。

 逆に戦績が悪ければ、健仁の目の前にあるボロ小屋のような寮になってしまう。

 それは訓練や実践を乗り越えるためのモチベーションを高める為にやっている。

 設備が良くなると思えば、率先して自らを鍛え戦果を挙げようとする。それが、世界を護ることにもつながる。

「なるほど……」

「わたしが去年、色々あって討伐ゼロで。司ちゃんにまかせっきりにしちゃったせいなんですぅ……ごめんなさい」

「いえ、大丈夫です」

 まだ混乱していて大丈夫ではないが、いつまでも女性を土下座させるというのは、男としての沽券にかかわる。

 あとおそらくそれが留年の原因でもあるのかもしれない。

「とりあえず土下座はやめて中で話しましょう」

 そんなことを考えつつ提案して中に入ると、これまた酷い。

 小屋は見た目通りの広さだ。中が外より広いなんてとはない。ベッドと机だけがある小さな部屋。

 壁は薄そうで、ところどころ隙間風が吹いているようだった。他にあるのはトイレと洗面所だけ。それらがあるのは救いだろうか。

「…………」

「ごめんね……」

「いえ」

 とりあえず大きな問題は、ベッドが一つしかないことだろうか。

 この設備をどうにかできるのかも健仁にはわからないが、下手したらこのまま一年とか長い時を過ごすことになるのかと思うと大変よろしくない。

 何がというと健全な男子と女子が一つの部屋にいるというのがマズイ。それでベッドが一つ。

 色々とピンク色の妄想があふれ出してしまう。さらに言えば健仁は二年も訓練漬けで禁欲していたので、溜まっている。

 何か間違いが起きないという保証はどこにもない。

 それらをひっくるめた不安が顔に出ていたのだろう。鏡花は慌てた様子で――。

「だ、大丈夫です! ちゃんと討伐に参加すればこの設備も良いようにできます! それに聞いてますよ。健仁くんは、過去を三つも持ってるって」

「ええと、そうらしいです」

「それならちゃんと使いこなせるようになれば、誰にも負けないくらいに強くなりますよ」

「よかった。ちゃんとどうにかできるんですね」

「ええ、先輩の言うことです。信じて大丈夫ですよ?」

 最後に疑問形になったのが不安ではあるが、彼女の言う通りにしたらいいことがあったのも事実である。

「わかりました。一緒に頑張りましょう」

「はい、よろしくお願いします」

「それで、他のメンバーは?」

「あれ? 聞いてませんか? うちのチーム、今年は健仁くんだけなんです」

「え……?」

 今、何と言ったのか。

 健仁は己の耳を疑いたくなった。

 一人? 自分のみ? いやいやまさかまさか。

 しかし、そういえば誰一人として自分についてくる新入生はいなかった。他の友人たちは、同じチームで固まって移動していたのを思い出す。

「え、っと……本当に?」

「はい」

 数は力であるというのは、健仁が修行の間に学んだことのひとつである。何度挑んでも勝てない上杉ではあったが、良いところまで押し込むことができたのは友人たちと力を合わせたからだ。

「かなり厳しい状況ですね」

「すみません……」

「いえ、先輩が謝らなくていいですよ。事情があるんでしょうし」

 となると、急務は健仁が強くなることだ。

 何を置いてもまず必要なのは強さだ。フォールを討伐することで寮の待遇などが良くなっていくというのであれば、フォールを討伐できるようにならなければならない。

 結局、目的は変わっていない。最終目標は復讐であるが、そのためには力が必要なのは変わらない。

 多少待遇が悪かろうが、むしろそれが何だというのだ。

 こういう時は味方を変えるのだと、健仁は昔父親に言われたことを思い出す。確かに最悪の状況だろう。

 ただ最悪と最高は同時に来るものだ。

 設備がおんぼろ? 寮がボロ小屋、足りないものも多い。

 最悪な面である。

 しかし、考えてみよう。この狭い小屋に女子と二人っきりである。歩いてくるまでの時間からして校舎からも離れていて人も来ないような森の中である。何をしてもバレない。

 着替えとかも盗み見放題。それを咎める者はいない。そう考えると、良い環境かもしれないと思えてくるではないか。

 何事も考え方次第だ。

「それで、これから何をするんですか?」

「あ、そうですね。今日はこれ以上は何もないので、まずは、狩りですね」

「はい? 狩り?」

「はい。待遇最悪なもので、ご飯も自給自足なのです」

「oh……」

 それは予想外にも過ぎた。

「あ、でも大丈夫ですよ。わたしの言う通りにすれば、美味しいご飯にありつけます」

 凄い自信だった。運動とか苦手そうな見た目であるが、彼女も過去使いの先輩だ。あの上杉の過酷な訓練を乗り越えた人材であることに違いはない。

 ならば何か秘策なり何なりがあるのだろう。特に彼女は本来ならば三年だ。少なくとも彼女以上にこの学園の歩き方を熟知しているリーダーはいないだろう。

「わかりました。じゃあ、どうすれば?」

「そうですねぇ、まずは外に出て右手に全力ダッシュ。目の前に一本だけ特徴的な木が見えるはずなのでそこを左に行って、二十五歩目でこのナイフを大きく全力でふるってください」

「わかりました」

「疑わないんです?」

「疑わなかった結果、良いことがあったので」

 健仁は言われた通りに右手に全力ダッシュ。

 すると本当に目の前に一本だけ特徴的な木が見えてきた。まるで人の形をした木とでも言わんばかりで、ランタンのようなものを下げているように見えた。

 それを左へ二十五歩数えたところで渡されたナイフ――本当にナイフかと疑いたくなるような大きさの、どちらかと言えば鉈に見える――を振るう。

 そこには確かな手ごたえがあった。

「マジか……」

 大きくふるったところ、突然飛び出してきた鹿の頭部にナイフが綺麗に命中。驚異的な切れ味で頭を中ごろから両断してしまった。

 もちろん、そんな状態で生きていられるような鹿がいるはずもなく、倒れ伏した。

「いや、そもそも何で鹿がいるんだ……?」

 もしやサバイバルの為とかだろうか。色々とわからないことはあるが、とりあえず、その鹿を抱えて戻る。

 小屋の前には、既に解体準備を済ませていたらしい鏡花がにこにこ笑顔で待っていた。

「良かった、ちゃんと獲れたんですね」

「あの、聞いて良いですか?」

「わたしの能力のことですよね」

 質問を先読みしていたかのように返された。

「ええ……」

「良いですよ。わたしの過去は、未来を視ることができた託宣の巫女。能力名は掌の巫女プリエール・ビジョン、能力はご想像の通り、未来視です。基点となる時間から一時間後までの完璧な未来を視ることができます」

 その後、ぼそりと、実は年単位で見えるんですけど、あまりにも不確定で役に立たないため実用にたる一時間から一日後の未来視が主だといたずらっ子のように鹿を解体しながらいった。

 それを聞いて健仁は納得する。未来視ならば、狩りや司に会えるように、どう動けばよいかを教えることができるわけだ。

「でも、未来って変えられるんですか?」

「らくしょーですよ? えへへ」

 らくしょーらしい。そこらへんの詳しい原理はまーったくと言っていいほど健仁には理解できないが、有用な能力であることは確かであった。

 そうなると色々と聞いてみたいことがでてくる。

「まあまあ、色々聞きたいとは思いますけど、そうするとちょっと悪い方に行きそうなので、聞かないでください」

「あ、そうなんですか?」

「はい、なので今は、裏の川で水浴びしてきていいですよ」

「わかりました」

 食事の準備を鏡花に任せ、健仁は教えられた川へ向かう。そこには滝があり、清流が流れていた。

「どうなってるんだろう、これ……」

 本当に学園の敷地内かと思うものばかりだ。

 ともあれ、誰もいないことだけ確認して服を脱いで水へと浸かる。これ冬はどうするのだろうという疑問があったが、すぐに川の流れに流されて行った。

 清流が心地よく、疲れと汚れを流してくれる。

 こういうのも悪くないと思うのは、二年も上杉から修行させられたからだろう。一応、サバイバルの訓練もあった。

 おかげでこういうのも順応できている。

「何に使うかわからないと思ったけど、上杉先生ありがとう」

 無駄なことなんてないのだろう。きっと上杉は役に立つ全てを教えてくれているのだ。

「……待てよ?」

 そこでふと健全な男子高校生は気がついてしまった。ここ以外に水浴びが出来そうな場所を探してみるが、なさそうである。

 おそらく鏡花もここを使うのだろう。

「いやいやいや」

 無意識に覗けそうな場所とルートを探している自分がいることに健仁は気がついて、やめる。

 流石にまだ会ったばかりなのだ。それに相手は未来視持ちである。入念に計画を立てなければ、バレてしまうだろう。

 そう、バレてしまえば、最悪の生活になるのだ。まずは外堀から埋めるべきであろう。

 だから、今回は下見だけにして、不審がられないようにさっさと戻る。

「あ、おかりなさい。どうでしたか?」

「はい、汗は流せました」

「それは良かったです。それじゃあ、わたしもいってきますね」

 とっとっとと走っていった鏡花を見送る。

「さて……」

「行くでしょ、覗き」

 とりあえず、小屋の中に引きこもってでないようにしようと思った時、心の声の代弁が聞こえた。

 いや違う、決して、代弁ではない。健仁とて男子、行きたいと思ったものの、行かないだけの理性があった。

 しかも、自分の声ではない。より軽薄そうな声は覚えがある。

 横を見ると小槻がいた。いったいどこから出てきたのか。いつもの軽薄そうな調子でにこにことしている。

「何してるんですか、小槻先生」

「いやいや、健全な悩める青少年の為に、覗きのレクチャーをしようと思ってね」

「行きませんよ!」

「えー、行かないのかい?  行くでしょ、覗き。誰もいない山の中。君と僕二人っきり。だったら、行かない方がおかしい! あ、それとも鏡花の見どころの心配かい? だったら大丈夫、アレで結構いいものを」

「ストーップ! 教師が何を言っているんですか! というか詳しいなおい!」

「はっはー! 当然だよ。僕は鏡花の担当だったんだ。なにせ、僕と彼女の力はフォール討伐に有用だからね。それで繋がりがあるんだよ」

 あの一時間を二年に変えた空間は小槻の力である。確かに訓練を行うにあたって必要な時間を短縮できるのは大きいだろう。

 おかげでまだ入学してすぐであるが健仁たちはかなり鍛えられた。肉体的には必要十分で、あとは過去という異能を使えるようになるための訓練が始まる。

 それと未来視は確かにどこに現れるかもわからない敵を前にして有用すぎる。

 ならこの二つをセットにしておこうということもわかるというものだ。

 ただそれで、覗きに行っていいことにはならない。

「行きません!」

「えぇ~、本当に君、男子高校生かい? もしかして男が良かったり? きゃー、襲われるゥ!」

「そんなわけないでしょう! 俺だって女の子が好きです! 覗きにいかないのは好きな人がいるからですよ!」

 とそこまで言って健仁は自分が口を滑らせたことを悟った。小槻の顔が、良いおもちゃを見つけたと言わんばかりににんまりと三日月を浮かべたからだ。

「へぇ、イイネェ。好きな子。うーん、青春だ。実にグレイト! 素晴らしい! さあ、恋バナをしよう。先生、これでもかなりモテる。だから、経験豊富だよ」

 ――ああ、やっぱりこうなる。

 予想通りの小槻の反応に健仁は辟易する。相手は教師であるが、この人は敬わなくていいのではないか? と思えてきた。

 そんなことをつゆ知らず小槻はぺらぺらと自分の恋愛経験を語っている。

 意識を落として馬耳東風することにした。そうすれば辛うじて環境音として聞き流すことができなくもない。

「健仁くん、好きな子いるんですね!」

 だが、女の子特有の高い声は流石に聞き流すことができなかった。

 濡れた髪を乾かしながら戻ってきた鏡花が素晴らしい話を聞いたとばかりに瞳を大きく見開いて輝かせていた。

「そーなの、良いよね、青春だよね! アオハルだよアオハル」

「はい、とってもせーしゅんです!」

「でもね、鏡花ちゃん、彼、奥手なのか教えてくれないんだよ」

「むむむ、それは行けません。先輩として後輩の相談には乗らないとですね」

「そう! というわけで、さあ、聞き出すんだ!」

「か、勘弁してくれー!」

 健仁の叫びが森の中に木霊した。


 ●


「――で、なんで小槻先生がここにいるんです?」

「先生がここにいるのがおかしいかい? 教師なんだから生徒のことくらい見回るさ」

「先生がそんなことするとは思えませんので」

 鏡花の中でも小槻の評価はこんなものらしい。

 酷い! とハンカチを咥えて泣く小槻であるが、あからさまに胸ポケットから目薬が見えているので嘘だとわかる。

「まあ、うん、色々とあったからね。見に来たんだよ。君たち人数少ないし」

「あ、それどうにかならないんですか? 先輩と俺だけって、厳しい気がするんですけど」

 人数は力だ。

 二人だけのチームでは色々と厳しい面もあるだろう。いくら健仁が三つの過去を持っているとは言っても、それを使いこなすには時間がかかる。

「ん? 鏡花はまだ話してないの?」

「食事中に話そうかと思ったのです」

「じゃあ、僕から話ちゃおう。安心していいよ。人数不足を解消する手段がある」

「本当ですか!?」

「ああ、教師は嘘吐かない」

 嘘つけ、嘘しかなさそうだぞ、とは飲み込んだ。

「それで?」

「そう、人数不足を解消する手段。それは――チーム対抗戦さ!」

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