第2話 入試

 この世界には『フォール』と呼ばれる怪物が確かに存在している。

 そいつらは御伽噺や、小説、漫画、アニメに出てくる怪物さながらの力で、人を殺している。

 その実態を知るものは少ないし、知っていたとしても年末にはやる陰謀論の一種としてしか認識されていない。

 しかし、紛れもなくこの怪物どもは世界中に存在している。

 様々な姿かたちで現れ理不尽に人を殺す。全ての人間が死ぬまでその殺戮をやめることはないだろう。

 彼らは常に現在時刻を告げている。

 霊長世界終末までの時間を人類に告げているのだ。

 フォールとは未来だ。人類滅亡の未来が明確な怪物の形を以て、人類を絶滅させんと襲ってきているのである。

 だが、悲観することはない。

 フォールを倒し世界を護ろうとする者たちがいる。

 三瀬学園特別科とは、そんな者たちの後人を育成するための場所だった。

 事実を知る者を彼らは『過去使い』と呼んだ。


 ●


「……さて」

 三瀬学園特別科入学試験会場。

 特別科の生徒のみが入場を許可される特別講堂は、大学の講義室のように大きいもので、中学生である健仁は少しばかりの興奮を感じていた。

 あの夜から半年、健仁が待ち望んだ三瀬学園特別科の入学試験。復讐という目的を果たすための第一歩を刻める。

 そう思うだけで今にも走り出したくなる衝動を健仁は抑える。

「大丈夫だ、きっと」

 三瀬学園特別科の入学試験についてわかっていることは少ない。フォールと呼ばれる化け物と戦う者の育成を本分としている特別科の入学試験には学力試験など行われない。

 行われることはひとつだけ。そして、それが最も重要で多くの者が特別科に入学できずに去っていくのだという。

 自分がそうならないという保証はどこにもない。あの夜以降、健仁はあの少女にも会っていないし、フォールに関わる何かについて情報をもらったということもない。

 ただ保護観察という名の新しい保護者の家で暮らしていただけだ。

 それでも目標があったから辛いということはなかった。復讐。それとあの日助けてくれた少女へまた会って、告白するという思春期真っ盛りの欲望も少々。

 身体も鍛え、半年の間にがっしりとしてはいるが、それがどれほど役に立つのかも未知数だ。

「ふぅ……」

 そのため緊張で何度も溜息に近しいものを吐き出してしまう。

「ちょっと、やめてくれる?」

 不意に隣の席から鋭い声が投げかけられる。

 健仁がそちらに視線を向けると、燃えるような赤い髪をツインテールに結んだ少女が目に入る。

 いかにも性格のキツさが現れているかのように吊り上がった目が健仁を睨んでいた。

「ええと、俺、何かした?」

 その瞳に睨まれているだけで、悪いことした気分になってくる。もちろんそんなことは一切ないだろうが、やめてといわれるからには彼女を何か深いな気分にさせてしまったのは確実だった。

「溜息よ。気分悪いから、やめてもらえるかしら」

 なるほど、健仁は納得する。

 確かに自分は先ほどから溜息をついていた。回数は数えていないし、無意識にも溜息が出ていた可能性はある。

 想像よりも多い回数溜息をつかれてしまっては確かに、隣にいる彼女にはさぞ鬱陶しかったことだろう。

「ごめん。緊張しちゃって」

「ふん、この程度で緊張するなんて、これから過去使いとしてやっていけるの?」

 健仁の返答にすげなく赤髪の少女は言った。

 温和な健仁であるが、流石にあからさまに見下された発言にはむっとするところであるが、彼女の言葉の中の一言が耳朶に引っかかった。

「過去使い?」

 そう思わずオウム返ししてしまったことを即座に後悔する。

「ばっかじゃないの? あんたそんなことも知らないで三瀬の特別科を受験してるわけ? まさか、フォールを知らないとか言わないわよね」

「それは知ってるよ。ただ、過去使いは聞いたことがないだけだ。そこまで言う必要ないじゃないか」

 知らないことは別に悪いことではないだろう。過去使いが何かはわからないが、それは別に健仁に限った話ではない。

 この試験会場にいる全員が知っているとは限らない。

 その証拠に、彼女の話に耳を傾けている者たちが何人かいる。注意深く耳をそばだてれば、過去使い? と健仁と同じように首をひねっている者もいた。

「自分がなるものくらい把握してなさいよ。って、ああ、一般からね」

「それなら教えてくれよ」

「良いわ。特別に教えてあげる。過去使いっていうのは――」

 そう得意げにドヤ顔で赤髪の少女が解説をしてやろうと口を開いたところで、講堂のドアが開け放たれる。

 当然、大きな音が鳴り全員の注目がそちらに向いた。

「やっほー! みんなのアイドル小槻だよ~」

 オーバーリアクションで飛び込むように行動に入ってきて、ばっと両手を広げてその男は言った。

 茶髪で背が高く、茶色のスーツに青色のネクタイをしたスニーカーを履いた男である。

 顔つきはイケメンな方であろうが、軽薄が服をきている感じがどういうわけか否めない。

 誰も彼の言葉に反応できなかった。あまりのテンションの違いに絶句というか呆然としていたと言っていい。

 そんな状況で、一番最初に我に返ったのはもちろん入ってきた男だ。

「おっと? おかしいな、外したかな? それとも緊張のせい? ねえ、上杉先生はどう思う?」

 何が悪かったのかと、一人反省会をぶつぶつと始めて、次に入ってきた巨漢に黒衣の男に問う。

「小槻先生のノリがおかしすぎる結果だ。それよりも説明したまえ。今回の説明は君の番だろう」

「おお、そうだった。やあ、受験生諸君。僕は小槻。特別科クラスの担任だよ。こっちの大きいのが上杉先生。こっちも担任ね。二人でやってんの」

 そう外国人じみた身振り手振りを交えながら小槻は説明し、講堂に存在する舞台へとスキップ混じりに歩いていく。

 その様子に上杉が呆れているのは日の目を見るよりも明らかだった。

「さて」

 ぱんと柏手一つ叩いた小槻が、講壇の上から受験生たちを見渡す。

「おやぁ、今年は例年よりも受験生が少ないねぇ。いつもだったらもっといるんだけど。ああ、そうだった。今年は結構、世界終末時計の針が進んじゃったからね。その影響かぁ」

「小槻先生。余計な話はなしで進めてくれたまえ」

「おっと。上杉先生がお怒りだ。いいかい、受験生諸君。彼は短気だ。そして、怒ると非常に面倒臭いから、あまり怒らせないように!」

 そんな物言いが明らかに上杉の怒らせゲージを溜めているのだが、小槻は気がついていないのか、気がついていて無視しているのか、とにかく気にせずにしゃべり続けている。

 口から生まれてきたと言われても信じられるくらいに饒舌な小槻の話は受験関係ないので、誰もが右から左へと聞き流すことを覚えるほどだった。

「良し。それじゃあ、場も温まったところで」

 別に温まってなどいない。

「試験を始めよう」

 その一言に、受験生は身構える。これから行われる試験について、一部を除いてほとんどの受験生は何をするのか知らされていない。

 難しい試験なのか、合格できるのか。ごくりと誰もが生唾を飲み込んで小槻の言葉を待つ。

「ああ、そんなに身構えなくていいよ。やることは本当に簡単なんだ。この……ああ、あったあった」

 小槻がポケットから鎖付きの懐中時計を取り出す。

 普通の懐中時計より二倍か三倍ほど大きいもので、掌サイズはある大きいものだった。

 ただし、そこに針はなく、時計としては甚だ出来損ないに思われた。

 その空気を察してか、小槻は説明を続ける。

「この時計は、時間を測るものじゃない。君たちの過去を測るものだ。積層過去表出時計っていうんだけど、僕は短く過去時計って呼んでる。試験内容はこれを君たちに起動してもらうだけ。簡単でしょ?」

 過去を測るとか、積層過去表出時計とかいう馴染みのない単語が中々頭の中に入ってくれないが、要はその時計を起動することが試験だという。

 もっと何か大変な、それこそフォールといきなり戦わされるとかいうスパルタ試験を想像していた健仁は拍子抜けする。

「ふん、やっぱり馬鹿ね」

 そんな雰囲気を見抜いたのか赤髪の少女がそう小ばかにしたように言った。

「なんでだよ。起動するだけだろ?」

「起動するだけで、特別科に入れるなら、そもそも試験なんて必要ないでしょ。もっと考えなさいよ、あの時計を起動することの意味を」

「起動することの意味?」

 もちろん何かしら意味があるのはわかる。簡単に起動できない? いいや、そういうことじゃないだろう。

 ありえるとするならば、選ばれた者以外に起動できない。これが一番ありそうだった。

 健仁の想像が正しいのかは小槻が教えてくれた。

「起動して資格があれば、ここに数字が表示される。大体一とか二とかだね。それが現れれば合格。現れなければ不合格で、さようならだ」

「マジか……」

「大丈夫大丈夫、毎年半分以下くらいになるけど。ちゃーんといくらかは残るから。一番少ないときで一人だったかな。今年の三年なんだけど」

 小槻の言葉に受験生たちがどよめく。

「過去使いは才能が七割か八割よ。出来ないやつは最初から候補に入れない方がいい。そういうことよ」

 対して隣の赤髪の少女は知っていたのか先ほどと変わらぬ様子を維持している。

「なんで、そんなに落ち着いていられるんだ。もしかしたら落ちるかもしれないのに」

「教えてあげるわ。あの時計、作ったのうちの会社だから。とっくの昔に体験済みなのよ」

「え……会社?」

「ええ、熱田って言えばわかるかしら。もちろんあの熱田よ。そして、あたしはそこの一人娘の熱田萌絵よ」

「えぇ!?」

 熱田と言えば流石の健仁も知っていた。それなりに有名な総合企業でやってないことを探す方が簡単というくらいには色々なことをやっている巨大企業だ。

 つまり目の前の萌絵という少女はまぎれもない御令嬢ということだ。

「見えないな」

「なんですって!」

 思わずつぶやいてしまったのを誰が責められよう。お嬢様というものはもっとこうふんわりとしているものと思っていた。

 いや、昨今のヒロイン事情を鑑みればお嬢様とくれば高飛車が基本か。そうなれば割とありがちなものかもしれない。

 そんな誰に向けたのかわからないような健仁の思考は置いておくとして、二人が漫才じみたやり取りをしている間にも、試験は着々と進んで行っていた。

 静かに時計を起動するだけ。何人かはその場に残り、何人かは去っていく。去っていく方が多い。

「さあ、君たちの番だ。おっと、これはこれは熱田のお嬢様じゃないか。ご機嫌麗しゅう!」

「ええ、小槻先生も相変わらず……ご機嫌でなによりね」

「はは、僕はいつだってご機嫌だよ。おっと、君は初めましてだね。僕は小槻、君は、ああ、なるほど、矢田健仁君。君がそうか」

「あ、ええと、どうも」

 一体何がそうなのか聞きたいところであるが、後ろの上杉の視線が怖すぎていうのはやめておく。

「小槻先生」

「おっと、上杉先生がお怒りだ。彼本当に怒ったら面倒臭いんだよ。ああ、でも嫌わないであげてくれよ。彼、あれでも甘党でストレスを感じるといっつも学食のプリンを山盛りで食べるんだ。かわいいだろ?」

 健仁は下手したらヤクザにも見える目の前の巨漢が学食に座ってプリンを山盛り食べている光景を想像しようとしたが、どうにもできない。

 できたとして、刑務所の食事時間のイメージだ、絶対に口にはしないが。

「小槻先生!」

 怒りを多分に含んだ上杉の声もそれを後押しした。

「わかったわかった。それじゃあ、熱田萌絵、君からだ」

 小槻は過去時計を萌絵に手渡す。

 萌絵はそれを受け取ると手慣れた動作で懐中時計の竜頭を押し込む。

 カチリと音が鳴ると同時に、文字盤に針が現れ、それが動いていく。針が動くと同時に文字盤に数字が現れる。

 針は一の数字のところで止まった。

「うん、過去一つ確認っと。合格だよ」

「当然よ」

「じゃあ、次は君だ。見ていた通り、ここを押し込めばいい。大丈夫、緊張しないで。緊張したところでどうにもならないことってあるから!」

 思わずツッコミを入れそうになるが、これが入学試験であるということを辛うじて思い出した健仁は何とか言葉を飲み込んだ。

 深く息を吸って吐いて、意を決して渡された過去時計の竜頭を押し込む。

 カチリ、と音が鳴る。

 チクタク・チクタクと駆動する。

 そして、世界が逆廻しを始める。

「な!?」

 まるでユーチューブの動画やブルーレイを逆戻ししているかのように世界が高速で過去へと戻っていく。

「なに、が……」

 それは健仁を中心に起きている。いいや、この時計が起こしているようであった。時計をもった手は石になったかのように動かない。

 いや、それどころか健仁はこの事象をただ見ているしかできない。

 ようやく動きが現実に戻り視界が明瞭になった時、そこは受験会場ではなくなっていた。

 そこはどこかの城の大広間のような空間、そこには白く美しい女王がいた。

 にこり、と健仁に微笑みかけたかというと再び世界が駆動を始める。再び場所が変わり、今度は巫女を連れた侍が逃げている場面を見た。

 その侍を視線が交差した瞬間、また場面が変わる。今度は暗い小さな部屋で、鋼を叩く音が響いている。

 それが鍛冶場だと理解した瞬間、また世界が収束し、目の前に小槻の顔が戻ってきていた。

「すごい! これはすごい」

「え? え?」

 何が起きたのかまったくわからない。凄い長い時間夢を見ていたような気もするが、どうやらそれほど時間は経っていないようだ。

 それよりも小槻の喜びようはどういうことなのか。残っている受験生たちのざわめきの理由が関係あるのか。

 答えは時計にある。

「ほら、過去時計を見て」

 わけがわからず言われるままに視線をそちらに向けると、文字盤には三までの数字が現れていて、針はそこを刺していた。

「君は、三つの過去生を使える史上初の過去使いだ」

「ええと、すごいんですか……?」

 そのすごさがいまいち健仁にはわからず、小槻の反応に付いていけない。

「すごいよ。とーーーーーーーーーーーーってもすごい。過去を三つも使える子なんて歴史上誰もいなかったんだ。君が初めて。いやぁ、これは楽しくなりそうだ」

「は、はあ」

「小槻先生。説明はあとにしてくれるかね。受験生は彼だけではない」

「おっと、上杉先生がお怒りだ。それじゃあまたあとで」

 試験官である二人はすぐに次の受験生の試験に向かう。

 健仁は何が何だかわからないが、とにかく自分が合格したことに安堵する。どうやら才能もあるらしい。

 これなら復讐もいつかできるかもしれない。試験が終わったことに合わせて二重に安堵していると、隣の視線に気がつく。

「…………」

 萌絵が健仁を視線で射殺さん勢いで睨みつけている。健仁は思わず悲鳴を上げなかった自分のことを褒めてやりたいくらいの気分だった。

 最初から居心地は良くなかったが、今、最高に最悪に転じた。なるべく萌絵の方を見ないように壁の方を向いて気がつかない振りをする。 

 しばらくして受験がおわり、不合格者が出ていけば、残ったのは十人程度であった。

「いやぁ、少ない! まあ、一人よりはマシだね。あとはどれだけ残るかだけど。ともかく残ったみんなは合格おめでとう!」

 パーン、と小槻がポケットから取り出したクラッカーをかき鳴らす。中身は全て上杉にかかっている。

 講堂はもちろん静まり返った。この人、わざとやってんじゃないのか? というのが合格者たちの共通認識となった瞬間だった。

 そして、上杉という火山が噴火しないように祈った。如何にも怒ったら大変なことになりそうな容貌の上杉という嵐が起こらないことだけを願う。

「……小槻先生。進めてくれたまえ」

 上杉の鋼の理性に感謝だった。結果として暴風は起こらず、というか怒らず、小槻はそれぞれのテーブルに入学に際しての書類を置いて行く。

「じゃ、あとはそれ読んで。はーい、かいさーん!」

 今から説明があるのかと期待した受験生たちの期待は裏切られた。

「小槻先生……」

 上杉が呆れた顔になる。

「入学式の時に説明あるし、一応、冊子もあるから大丈夫大丈夫。だから、怒らないでよ上杉先生。一から十まで説明されることなんてないんだからね。何事も自分でやらなきゃ。んじゃ、そういうわけで、入学式をお楽しみにー!」

 そして、本当に小槻はそれだけ言って帰っていった。上杉のため息が印象深く受験生の耳に残った。

「彼の言う通りだ。あとは冊子を参照するように。質問があればこの後、特別科職員室までくるように。以上だ」

 上杉も補足するようにそれだけ言って講堂を後にする。残された合格者たちは、これ帰っていいのかと互いを見渡してから、一人また一人と講堂を出て行った。

「認めないから」

 健仁も帰ろうと席を立った時、萌絵はそう言って不機嫌そうな足音を残しながら去っていった。

「えぇ……」

 自分が何をしたのやら、理解していないので理不尽な怒りに辟易しながらも他の受験生を見習って健仁も自宅に戻る。

 それからもらった書類に目を通す。

 入っていたのは小冊子と一枚の同意書だけだった。

「…………」

 それは命を失うことへの同意書。

 生命は保証されず、高確率で死ぬ。そう書いてあった。

「これにサインしたら、もう戻れない……」

 覚悟ならとっくの昔に出来ていた。あの日、家族が殺されたその日に。

 健仁は名前を書いた。

「必ず復讐する」

 すべてはそこから。

 そして、波乱の入学式の時が訪れる。

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