未来殲滅の過去使い

梶倉テイク

第1話 最悪の始まり

 ――最高と最悪は同時にやってくる。


 その日は、矢田健仁にとって最高の日だった。

 受験の憂鬱を一掃すべく、真夜中のコンビニに買い物に行った帰りのことだ。彼は気まぐれに、自分が受験するかもしれない三瀬学園の方に足を向けた。

 三瀬学園は街を一望できる山の上に建てられており、これまた風変わりな時計塔まで備えている。

 夜に見ると少しばかり神秘的で気晴らしになる光景を見られるかもしれないという理由で彼は、いつもなら直進する道を右折した。

 階段と坂道を上っては三瀬学園へと近づいていく。夜も深まる丑三つ時というやつで、寝静まった民家の隣を蛇のようにうねる階段を上り切る頃にはすっかりと息も上がっていた。

「ふぅ……少し鍛えた方がいいかな」

 そう息を吐きながら、健仁は上ってきた階段を見下ろす。

 遠く駅前の繁華街の光があるだけで、住宅街はすっかりと寝静まっているようであった。

 出歩いてるような人間は自分だけのようで、少しだけすっきりとした気分になる。世界に自分ひとりだけがいて町を見下ろしているのは良い気分だった。

 少し視線を上に向ければ満月の月明かりが明るく、星々を隠しているのが見える。大きすぎるように思える満月の光は昼間のような明るさがあった。

 それから振り返り時計塔を見ようとした時だった。

「ん?」

 何か衝撃のようなものを感じた。

 見えない何かが連続でぶつかり合うかのような、そんな衝撃。

「気のせいか」

 しかし、確固たるものではなく、健仁の中には残らなかった。意識は既に夜の時計塔の方に向いている。

 ライトアップもされていない時計塔は、普通なら見れたものではないが、月明かりに照らされているおかげでよく見えた。

 珍しい石造りの大きな時計塔は、イギリスのビッグベン、あるいは物語の中にあるような異国の雰囲気を醸し出している。

 ローマ数字の文字盤にはきっちりと一から十二までの数字が並んでおり、今は午後六時を示していた。

「あれ? おかしいな。今は二時くらいのはずだけど」

 もちろん深夜の二時のはずだ。スマホの時計を確認したところ、健仁の感覚の方があっていることを示している。

 もう一度時計塔を確認するが、やはり午後六時を示していた。瞬きを何度かして確認してみたが時計塔の文字盤が示している時間は変わらない。午後六時だ。今の時間ではない。

「壊れてるのかな?」

 三瀬学園の生徒ではない健仁には事の真偽を確認しようがなかった。だから、そういうものであるかと納得するしかない。まあ、そういうこともあるだろう。

 明日、母か父にでもそういうことを聞いてみるか。自分で確認しにくればいい。

 上手く行けばオカルト好きな妹が喜ぶような話があるかもしれない。

 そう思って、ちょっと良いことあったとうきうきした気分で、そろそろ帰ろうと踵を返そうとした時だった。

 何かが視界の端で煌めいた。

「うん?」

 金属の反射のようなものが、三瀬学園の敷地内からぴかりと目に入った気がした。それは、上の方から。

 少し視線をあげた健仁は、完全に意識が一時停止した。

「あ……」

 視界に飛び込んできたものは、一人の少女だった。

 月光に照らされた神秘的な空間をまるでうさぎのように天高く跳躍した瞬間だった。

 濡れ羽色の綺麗な髪が翼のように広がり、輝く白の肌色が何よりも目に付いて離れない。

 一言で言えば、美しかった。一瞬であったが、確かにみた。

 しかし、見上げるほどに高く人は飛べるだろうか。

 いや、そんなことはどうでもいい。

「あの人はいったい誰だろう」

 健仁の頭の中にあったのはそれだけだった。おかしな点や疑問はいったん棚上げにする。

 いつか棚卸する機会もあるだろう。

 それよりも、女の子だ。

 歳はわからないが、三瀬学園にいるということは高校生だろうか。

 その考えはすぐに確信に変わった。彼女が着ていた制服に見覚えがあったからだ。特徴的な三瀬学園の特別科の制服は、町内でも有名だ。スカーフも紅で一年生のものと健仁は記憶していた。

 つまり来年、健仁が入学すれば、後輩になれるかもしれない。お近づきになれる機会があるかも。

「いやいや、何を考えてるんだ俺は」

 そう頭を振りながらも健仁の頭の中では、先ほどの少女の姿がリフレインしていた。

 何をしたって振り払えそうもない。

 誰彼、所かまわず憚ることなく言ってしまえば、健仁はその少女に一目惚れをしてしまった。

 まさか、自分がこのような感情に身を焦がすことになろうとは思ってもみなかった。

「そうだ、少し待っていたら出て来るかも」

 何をしていたのかはわからないが、しばらく待っていれば校門からでてくるかもしれない。

 そう健仁は思ったが、校門の前に座り込む寸前で思い直す。

「いやいや、流石に気持ち悪くないか?」

 初対面の相手が校門の前で待っているという状況はどうあがいても不審な行為だ。普通に考えて変質者だと思われるのは間違いない。

「良し、やめよう」

 しかし、この胸を焦がす思いをどうするべきか健仁にはわからない。流石に不法侵入しようとするには壁が高すぎる。

 その上、塀の上からちらりと見える監視カメラが、突拍子もない行動をするやる気を萎えさせていった。

 ともかく、時間も良い頃合いだ。如何に夏休みとは言えど、受験が控えている。三瀬学園はそれなりに偏差値が高いことも考えればここで不法侵入を画策するより勉強した方がよほどあの少女に近づけるというものだ。

 そう自分を納得させ、もう一度、あの少女が見えないかと一瞥だけして、何も変わりない夜空であることを確認してから帰路へ着いた。

 その足取りは軽い。心が弾むそのままに、階段を駆け下り、坂道を下る。

 いつもの道もなんだか輝いているように思えた。不安を感じる十字路は、今やスポットライトに照らされた舞台の上のようですらあった。

 そんなうきうき気分の足取りのおかげか、健仁は思った以上に早く家へと帰り着いた。

 家族は眠っているからそっと扉を開けようとして違和感を感じた。

「鍵が開いてる?」

 家を出るとき、鍵は閉めた。その証拠に、ポケットの中には鍵が入っている。妹の趣味に合わせて可愛らしいとはお世辞にも思えない何をモチーフにしたのかわからないアクセサリーのついた鍵は、早々落とすこともなければ失くすことも稀だ。

 その鍵はまぎれもなく健仁のポケットの中に入っていて、丁度鍵を開けようと取り出したところだった。

 それなのに家の扉が少しだけ開いていている。

「確かに閉めたはずだけど……」

 一応、年頃の娘がいるということで健仁の両親は戸締りに厳しい。健仁もそれに習ってきちんと戸締りの確認はしっかりとする。

 コンビニに出かける時だって五回、開けようとして開かないことを確認した。その記憶は確かにある。

「泥棒? いやいや、まさかそんな」

 ――最高と最悪は同時に来る。

 いやな予感が脳裏を掠めていく。うきうきと膨らんでいた気分がみるみるうちにしぼんでいくのを感じていた。

 意を決し玄関に足を踏み入れる。

 家を出た時と変わらない暗い廊下があるだけだ。何かが入り込んだというような気配はなかった。

「ふぅ……」

 何を怯えているのだろう。きっと閉め忘れていたのだ。

 あるいは、いないことに気がついた両親が心配して探そうとしたからかもしれない。

 リビングには明かりがついていた。両親は少し過保護なところがあるから、きっとそう。

 そう思いながら、靴を並べてリビングへ向かう。

「ただいま、今帰って……え?」

 そして、最悪を見た。

 ――最高と最悪は同時に来る。

「え……?」

 まず視界に入ってきたのは赤だった。

 赤。普段見る赤色よりも明るいようで、どす黒くもある赤だ。それが床一面、壁一面にペンキのように塗りたくられていた。

 それがペンキでないことは一目瞭然だ。鼻をもぎ取りたくなるほどの鉄臭さが健仁の鼻孔を貫く。

「うぐっ……」

 喉奥から這い上がってきた吐き気を辛うじてこらえる。

 それはまぎれもなく血の匂いだ。リビングの壁と床に広がっているのは血だ。そして、それは健仁が良く知る者たちの血であった。

「父さん……? 母さん……? 茉奈マナ……!」

 リビングの中央、家族団らんの為に置かれたテーブルや椅子の上に、健仁の家族はいた。

 いや、もはやあったというべきだろう。それはもう人間として数えられる状態ではなかった。

 鋭利な刃物で全身をずたずたに切り裂かれた死体が三つ、そこにあった。

 体中の起伏と言う起伏が憎いとでも言わんばかりに削ぎ落され、まるで直方体でも人体で作ったといわんばかりのオブジェは悪趣味にもほどがあった。

 一目見ただけで、健仁の家族が死んでいることはわかった。

「ああ、そんな、なんで、どうして……!?」

 わけがわからない。自分が出かけていたほんの少しの時間で、一体何が起きたのか理解ができない。

 目の前の光景は酷く現実感を喪失している。これは夢だと思う方がよほど現実味がある。

「そうだ、夢だ。これは夢……。はは、受験のストレスでおかしくなってるんだ……」

 そう言い聞かせるようにつぶやいたところで、そいつの存在にようやく気がついた。

「な、に……?」

 にんまりと大きな口が特徴的だった。見た目は、猿のようでもあり、頭だけはカバとかそういう感じの異形だ。

 いや、それはもう怪物だった。健仁が知る現実の中には、存在しない、空想上の生き物が目の前にいる。

 その瞳の中でローマ数字の六が煌々と輝いていた。カバ頭の口はにんまりと開いたままで正確無比な四角形が並んでいる。

 その手は鋭利すぎる刃物になっていて、新鮮な血がしたたり落ちていた。

 この怪物が家族を殺したのだと察するのに時間はいらなかった。

「おまえが!」

 わずかにわきあがった怒りが恐怖に勝る。必ず仇を討つと、憤怒が燃える。

「おまえがあ!」

 そう拳を握り、殴りかかろうとした。瞬間、ぎょろりと真円を描いている瞳が健仁を捉えた。

 感情を感じさせない真っ暗闇。唯一、ローマ数字の六だけが輝いている。その暗闇と光に見つめられた時、健仁は己の死を感じた。

「あ、え……?」

 首が明確に斬り落とされた感覚。流れる血、噴き上がる血潮の感覚が明確に健仁の精神に刻まれた。

 それだけで健仁は動けなくなる。生物としての本能がそれ以上の進行を阻止したのだ。

 だが、同時にそれはこの目の前の怪物が存在するという状況にあっては悪手以外の何者でもなかった。

 健仁を視認しながらも、動きを止めていた怪物は待ちの時間を終えてしまったのだ。

 もう健仁を見逃しておく理由は何もない。

 にんまりとした口角をさらにあげて、四角い歯を打ち鳴らしながら健仁へととびかかる。

「うわああああああ!?」

 慌てて逃げようとした健仁は血に足をとられて尻もちをつく。

 ヤバイ、逃げられない。

(ごめん、茉奈……俺、仇とれなかった。痛かったよなごめん、ごめんな。すぐそっちに行くから――)

 諦めが抵抗の意思を奪う。

 もはや命運は尽きた。そう思い、健仁はせめてもの抵抗として目を閉じた。

「…………!」

 すぐにでも食われるか両親や妹と同じように加工されてしまう。

 できれば痛みはない方がいいな、すぐに即死させてくれなどと思っていたが、いつまで経っても想像した痛みはやってこない。

「…………あ、れ?」

 恐る恐る目を開ける。

 自分に降りかかる二つの影があった。

 逆光で見えないが、誰かがいた。

「……大丈夫?」

「あっ……」

 そこにいたのは、つい先ほど三瀬学園で見た少女だった。

 その少女は手足に鎧をつけ、口元をガスマスクで覆ってはいたが、健仁の直感は、あの時の少女であると告げていた。

 美しく音と幻想の粒子を奏でる髪の毛と三瀬学園の制服がその証拠。

 あの時の少女は、学生が持つには剣呑すぎる刀を抜刀していて、なおかつ怪物の一撃を受け止めていた。

 まるで漫画や小説、アニメの中の光景そのままのように。

「君、は……」

「…………」

 少女は無言のまま怪物を見て、脇に転がる死体を見た。

 きりっとした表情にひりつくような怒気が混じる。彼女はこの惨状に憤っていた。両の手に力がこもり、足腰へ伝播する。

「ハァッ!」

 そのまま少女は力任せに怪物を弾き飛ばし、健仁の前にたったまま、守るように構えをとる。

 彼女が深く息を吐けばその刃に禍々しい紫色の煙がまとわりつく。

 何だかわからない健仁をして、アレに触れたならば自分の命すらないだろうことを本能的に察した。

 もちろん怪物もだ。怪物はそれを見て、逃走を選択した。リビングの窓を突き破り庭に出て、そのまま夜空へと飛び上がる。

 少女が追いかけて庭に出るが、既に怪物は遠い影となっている。

「……はい。逃がしました。生存者がいたので」

 少女は冷静にスマホでどこかに連絡を取る。

 その水晶のように綺麗な声を聞きながら健仁は呆然とこのリビングに広がった惨状を眺めるしかできなかった。

 酷く現実感が喪失した空間は、されど否定しようもない現実なのだと顔面を削ぎ取られた死体が物語る。

「……はい、おそらくは。わかりました、一応、追います」

 少女は通話を終了し刀を腰の鞘に納め、マスクをとりながら健仁の下へとやってくる。

「あ、あれは、何なんだ! 俺の家族は!」

「あれはフォールというもの。あなたの家族は……死んでる」

「……何で……どうして……」

「わからない。あれは本能で人を襲う。ただ運が悪かった。……あなた、中学生?」

「……中三だけど……」

「そう。気になるなら三瀬学園の特別科を受験してみて。詳しいことはあとに来る人たちに聞いて。私は、出来る限り、あいつを追う」

「あ、ま」

 健仁が待ってという前に、少女は窓から出て跳躍した。すぐに姿は見えなくなる。

 それと入れ替わりに武装した警官隊のような者たちが入ってきて健仁は保護された。

「あれは、何なんです……」

 毛布をかぶせられた暖かなコーヒーを渡されて。

 精神の均衡が戻りつつある中で、健仁は無精ひげの男から話を聞いた。

「あれは、フォール。世界を滅ぼす未来だ」

 ――最高と最悪は同時に来る。

 端的にそれだけ言われた。他の言葉はほとんど聞き逃していた。

 これからどうするのか、これからどうなるのかも今はどうでもよく。ただあの怪物について考えていた。

 あのニタニタ笑ったような怪物の顔。

「……」

 気がつくと男もいなくなっていて、代わりにあの少女がいた。

「うわ!?」

 気がつかないうちに顔を覗き込まれていて健仁は思わずのけ反る。

「ええと……」

「……逃げたわ」

「え……?」

「あなたの家族を殺した怪物は逃げた。おそらくしばらくは出てこないと思う。七レベルに進化するには時間がかかるから」

「そう、ですか……」

「……憎い?」

「……よくわかりません。頭の中ぐちゃぐちゃで、父さんや母さん、茉奈が死んだのが現実だなんて……全然思えなくて……これからどうすればいいのかも……」

「……これからやることは一つだけ」

「一つ……?」

「復讐」

 どくんと、彼女が言った言葉で心臓がはねたのを健仁は感じた。いや、まるで止まっていた心臓が今、再び動いだしたかのような熱量すら感じた。

 家族が死んだ時から、灰色に染まったかのような世界に色が戻っていく。

 俯いていた頭を上げれば、真紅に澄んだ彼女の瞳が静かに健仁を見下ろしていた。別の意味でも心臓がどきりと跳ねた。

「必ずしなさい。自分の手で、誰かに倒される前に」

「どう、して……」

「すっきりするから。後悔を背負わなくて済むから」

「……復讐」

 そう呟くとすとんと心の中にその言葉は入ってきた。まるでその言葉を求めていたかのようとすら思った。

 ジグソーパズルの最後の一ピースがようやく見つかって、絵が完成したかのような爽快感すら感じるような納得があった。

 中学三年生の子供にとってはその言葉は蠱惑的に過ぎた。あまりにも甘美だった。他者の死を利用し、己の快楽へと繋がる誘惑に敵う者などいやしない。

 悲しみを燃料として燃え上がる復讐の炎。

 ここに一人の復讐者が生まれたというわけだ。

「あれ、俺でも倒せ、ますか」

「……倒せるわ。逃げずに、一歩、前に踏み込めば」

「わかりました、やります」

 そして、時は過ぎ、矢田健仁は三瀬学園の門をくぐる。

 家族の仇を見つけ、自分で倒すためにフォールと戦う者たちを育てる三瀬学園特別科の入学試験を受けるためにやってきた。

「――行くぞ」


 ――これは滅亡の未来との戦いの物語。

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