第8話 借金踏み倒しの魔術士
屋敷の調査は魔術の探知が出来るユヴァを肩に乗せたネフェシュを先頭に、アーリが続く陣形となった。
二人の装備が共に屋敷の中で振り回しても邪魔にならない間合いのものなのは、幸いであった。事前に屋敷の内部に足を踏み入れる準備を整えられたネフェシュはともかく、アーリに関しては完全に偶然による。
アンシャナがドキドキと心配のあまり心臓を大きく脈打たせているとは知らず、アーリは適役とはいえ女の子を盾にする後ろめたさで胸がいっぱいだった。
一階と二階には来客用の部屋に書斎、晩餐室と控えの間、大広間の他、何も置かれていない未使用の部屋があった。
思わず拍子抜けしてしまいそうなくらいなにも起こらないが、適度に緊張を保つ為にアーリはゼゼルムについて、さらに詳細な情報を得るべくネフェシュに尋ねる。
「ここの主人だったゼゼルムさんは、なにを得意にしていた魔術士なの?」
「先ほど私達が戦ったゴーレムや魔獣の様に、生命の有無を問わず人間の代わりに動く存在の作成を得意としていた方のようです。大きく分類すると創造魔術と呼ばれる流派に属する方ですね」
「王都にある“賢者の円卓”で学んだようだが、大した成果を上げられず陽の目を浴びることもない輩だ。小僧、賢者の円卓は分かるか?」
「たしかこの王国の魔術士の卵が集まる研究機関ですよね? その下に魔術学院があって、そこで魔術を学ぶのが一般的だって、両親の遺した手記に書いてありました」
「そうだ。市井の魔術士の私塾で学ぶという手もあるが、魔術学院の卒業生か賢者の円卓の関係者というのが箔になる。もっとも、ゼゼルムはその箔が剥がれて、借金取りに追われるまでに落ちぶれたのだがな」
「ユヴァ博士も賢者の円卓で学ばれたんですか?」
「昔な。今はあそこを離れてルゾンに身を寄せている。小僧、よく覚えておけ。私を含め純粋な魔術士というのは、世俗の人間とは感性や思考形態、価値観が根っからズレている。
私はまだマシな方だが、もし今後、賢者の円卓の教職かそれに近いような連中と会ったなら、付き合い方はよく考えるようにしろ」
「それは、かなり困った人達ということですか?」
「人命や倫理より自分の魔術の研究が第一という連中だ。魔術とはこの世の理に魔力と術式を持って干渉し、望む事象を起こす手段の事だ。
魔術に耽溺し、その深奥に迫れば迫るほど、この世がどうのようにして成り立っているのか。どうすればこの世を形作る真理を操れるのかを知ろうと足掻くのが、魔術士だ。
魔術以外に世俗と関わりを持つ者ならまだしも、魔術のみに没頭するものは目的のために手段を選ばない傾向が強い。気付いたら首から下を解体されて、頭だけ薬液漬けにされていた、などと笑い話にもならん羽目になっても私は知らんぞ」
「そんなに怖い真似をする人達なんですか!? 肝に銘じます……」
「博士、アーリさんを脅かし過ぎです。そこまで突き抜けた方はそう多くはありませんよ。
冒険者をしている方や市井に混じって私塾を開いている方などは世間を知っていらっしゃいますから、博士が口にされた凶行に走る方はそうそう居ませんし、必要以上に怯えてしまうのはかえってよくありません」
(居ないわけじゃないんだな。気を付けよう)
ネフェシュとしてはユヴァの言葉に補足を入れたつもりなのだろうが、それを聞いたアーリからすると“居ない”と断言されなかった為に、ユヴァの忠告をより真面目に聞く心構えが出来ていた。
ユヴァとしては本当に忠告のつもりだったのかもしれないが、アーリを脅かすだけ脅かした後は押し黙って屋敷内部の分析に集中し、ネフェシュもユヴァが特に注意をしない限りは注意しながら部屋の扉を開けて、一室ずつ調査を続けていった。
「それで魔術士が危険な人種と言うのは分かったけれど、肝心のゼゼルムの実力とか詳しい情報は、ギルドから伝えられていないのかな?」
ふとアーリは魔術士についての講習が始まり、結局のところ、ゼゼルムがそう大した実力の魔術士ではない、という事しか分からなかった、と思い至った。肝心なところを聞けていないのである。
魔術士として大成しなかったからといって、戦闘において脅威ではないとは限らない。アーリはネフェシュの答えを待つ。
「ゼゼルムさん自身は戦闘を専門とする方ではありません。あくまで研究者ですね。全ての情報を明らかにしているとは考え難いですが、経歴を考えれば戦闘には本人ではなくゴーレムを用いてくる可能性が高いと考えられます。
このお屋敷の中にまだゴーレムや魔獣が残されていたとして、屋内ですから大きくても私達と大差のないものかと。むしろ虫のような小型のものの方が厄介かもしれません」
「たしかに。小さいと的を絞るのも難しいし、毒なんかを持っていたら対処にも困るね。後は人形とか小さなものでも、刃物を持っていれば鎧の隙間から差し込めるし、危険だ」
アーリの父母が遺した手記にも毒を持った危険な蜂や肉食で凶暴な蟻の群れの危険性が記されており、大型の魔物はもちろん危険だが小型の魔物もまた決して侮るべきではないと固く戒められていた。
「私は解毒薬を携帯していますが、アーリさんに備えはありますか?」
「村で調合した傷薬と解毒薬なら、たくさん持っているよ。村の近くに出る毒虫や毒蛇の毒には有効だった」
「ただ、本当に何もありませんね……」
「うん。家具はそのままだし、慌てて逃げ出したって感じがするよ」
一階、二階と見て回り、これまで手掛かりらしい手掛かりはない。ゼゼルムが屋敷に居た折には、使用人代わりのゴーレムを作り出して家事を行わせていたというが、その使用人ゴーレムの姿は見当たらず、机やベッド、窓には埃が積もっている。
そうしてついには主人の、つまりはゼゼルムの部屋へと辿り着いたのだが、カーテンの開け放たれた窓からは月光が差し込み、主人の居なくなった部屋を照らし出している。
「とりあえず書置きでもよいので、なにか手掛かりがないか探しましょう。依頼主の方は借金を回収する為に、出来ればゼゼルムさんの居所も突き止めたいそうですから」
「居場所が分からないと依頼は失敗になるの?」
「いえ、あくまで屋敷を利用する為に残されているゴーレムや魔獣の排除が主目的です。ゼゼルムさんの行方については、可能であればというお話です。それでも行方が掴めれば追加の報酬が出ますから、しばらくお食事を豪華にする為にも、ぜひ達成したいところです」
「なるほど。それじゃあ、この部屋は特に注意して見て回らないとね」
「はい。博士もよろしくお願いしますね」
「ふん、甘く見積もっても中の中程度の魔術士など、どう絞っても金の成る知恵を出すとは思い難いが、これも世俗と関わるが故の雑事か」
「文句は結構です。その鋭敏な目と、鼻と、耳を使ってください」
ピシャリと言い放つネフェシュを見るに、どうやらただネフェシュがユヴァに従順に従っているというだけではない関係のようだ。
(親子じゃないのは確かだろうけど、先生と弟子というか博士と助手なのかな? 単に雇用主と雇われた側っていう関係でもないだろうし、不思議な二人だな。それにユヴァ博士って本当はどんな顔をしているんだろう? 三十代か四十代の男性っぽいけれど?)
アーリは出会ったばかりの不思議な一人と一匹に対する考えを頭の中で巡らせながら、女神の祝福を受けて鋭敏となった五感を研ぎ澄ませて、部屋の大きな壺や鎧兜、絵画の裏に至るまで探して回る。
屋敷の中にある調度品も借金の担保であるから、丁重に扱わないと後でネフェシュの評価が悪くなってしまう。その為に片っ端からひっくり返すような乱暴な真似は出来ないし、冒険の成果物として持ち去る事も出来ない。
「ん? これは……」
アーリの目は書棚に納められた書物の列で止まった。アーリには分からない魔術に関する書籍や鉱物、植物、動物などの図鑑の他、様々な作者の詩集や画集などもある。
それらが歯抜けになっている。書籍の抜けている部分を見て、その周囲をよくよく観察してみると埃が堆積しておらず、いかにも怪しい。
「罠かな? ネフェシュ、ユヴァさん、ここの書棚の本が不自然に抜けている。それに埃が積もっていない。なにかおかしいよ」
部屋に隣接していた寝室を調べていたネフェシュに声を掛けると、彼女からも答えがあった。
「アーリさん、こちらもです。ベッドの周りが不自然に綺麗で、最近使用した形跡が見られます」
足元をちょこちょこ歩くユヴァを伴ったネフェシュが姿を見せて、アーリとお互いに顔を見合わせる。
「これは、ひょっとしたらゼゼルムさんは、まだお屋敷を去っていないのかもしれません」
「それか一度は去ったふりをして、借金取りから逃げる為にこっそりとこの屋敷に戻ってきて、行方を晦ませたふりをしているってところかな?」
「ふん、もしそうならばなんとも小物臭い真似をする男だ。ゴーレムや魔獣をそのまま残して、借金取りが近づけないようにしておいて自分はそのまま研究を続けるというわけか。
金に窮した魔術士なら誰でも思いつきそうでしかも下らない。そして恥を知らぬ行いに他ならん。さっさと己の才能に見切りをつけて、細々と私塾でも開けばよかろうに」
ユヴァの舌鋒は鋭く、声色は厳しいものだ。どうにもこの使い魔越しに行動を共にしている魔術士は、同業の者に対して厳しい態度を取るのが常であるらしい。
「仮にゼゼルムさんがこのお屋敷に戻っているとして、姿を隠すのならやはり地下でしょうか? 一階や二階で生活をしていては、ふとした拍子に生活の灯りを目撃されたりする可能性もありますし……」
「ユヴァ博士、相手の居場所を探し当てる魔術とか追跡する魔術は使えませんか?」
アーリがこのように単純明快な解決手段を尋ねるのに対して、ユヴァはチラッとオッドアイを向けて小さな口を開く。尋ねれば答えてくれるのだから、態度は傲慢でも律義な性分と言えるかもしれない。
「私ならばどちらも扱える。事前の情報とこの屋敷を調査して確認したゼゼルムの力量ならば、私の魔術を阻害する事も出来ないだろう。だが、わざわざ魔術を使ってまで居場所を求めるほど危急の事態でもあるまい。
まずは地下へ行け。そこでネフェシュとお前とで見つけられなかったら、魔術を使ってやろう。何事も経験だ。ネフェシュとお前にとって今回はちょうどよい機会だ」
そう言われるとそのような気もしてくるのだから、アーリは基本的に単純に出来ている。
はるかな暗黒の世界でこの状況を観測しているアンシャナも、なるほど~、とユヴァの言に頷いており、似た者主従であった。
「そうですね、私も博士の言う通りかと思います。幸い、ゴーレムの戦闘能力からしてそう危険度は高くありませんし、ゼゼルムさんがこのお屋敷に隠れているのなら、借りたお金を返さない上に、依頼主さんを騙そうとしているわけですから、なおさら悪い事をなさっています。
そういうのは道徳的によくないと、私、ネフェシュは思うのです。それにこのような事件を起こされては、世の魔術士の評判が悪くなってしまいます。関係のない方に風評被害が及ぶのは、よくない事です」
「ああ、そっか。魔術士っていうくくりだと、ユヴァ博士も含まれるもんね。ゼゼルムさんの行動でユヴァ博士まで悪く言われるのは、ネフェシュには許せないんだ」
「はい! そういうことなのです!」
面頬の奥で力強く答えるネフェシュに、アーリはいい子だな、と感心したが、彼女の足元のユヴァはふっくらとした尻尾を左右に小さく動かしただけで、感謝の言葉を口にしたりはしなかった。
その代わりに踵を返して部屋の扉へと向かって歩き始め、さっさと来いと二人を呼び寄せる。
「さっさと来い。こんな借金を抱えて逃げ出すようなつまらん相手だ。どうせ大した魔術士ではあるまいが、だからといって油断して怪我の一つでも負ったなら、そちらの方がよほどつまらん」
「はい、博士。では残る地下へと参りましょう。油断せず、警戒は厳に、です。ね、アーリさん」
「うん。まだ居ると決まったわけではないけれど、もし荒っぽい事になったら、僕達の場合は同士討ちをしないようにまずは気を付けないとね」
「連携の“れ”の字もありませんからね。それでもアーリさんはとても頼もしい方ですよ」
「ありがとう、僕もネフェシュの事はとても頼りにしているよ」
「私の場合は、博士のお陰ですから」
どこまでも自己評価の低いネフェシュだったが、アーリがそれでも彼女を励まそうと口を開いた時、先を行くユヴァが苛立たし気に言った。
「友好を深めるのは構わんが、お前達の場合は先程口にしたように、同士討ちをしなければ上等だ。お互いの間合いにだけ気を付けろ」
「は、はい!」
「まったく。近い年頃の相手と一緒になって、ネフェシュが浮かれるのも分からんではないが」
「そんな、博士、私は浮かれてなんて。……いえ、その、恥ずかしながら確かにいつもの精神状態よりも多少高揚しているものと自己分析いたします」
「自覚できているのならそれで構わん。行動に支障が出る程ではないからな。小僧、お前もネフェシュが居るからと余計な気合を入れるなよ。
自分に出来る事を、出来る範囲で、出来る限り行え。それがしなくていい失敗を可能な限り犯さないコツだ。お前は同じ年頃の者共と比べれば、比較的自制の利いている方だが、それでも要らん見栄を張る危険性があるからな」
「ユヴァ博士は本当に遠慮がないですね」
要するにユヴァは、ネフェシュという美少女の前だからといって、良いところを見せようと余計な事をして失敗するなよ、と釘を刺しているわけだ。一応、遠回しにアーリの身を案じていると、言えなくもない。
アーリはネフェシュの心配と自分への心配が、九十九対一くらいかな、と判断している。これでも前向きな解釈だろう。
ユヴァによる緊張感の引き締めもあり、一行は油断を排して地下へと下る。
暗視能力を備えた一行だったが、地下へと足を踏み入れた途端、地下の廊下の壁に設置された魔法のランプが灯り、青白い光が周囲を照らし出す。
これ自体は動く物体の接近を感知すると、自動で点灯するありふれた魔術具なので、ゼゼルムが屋敷に隠れている証拠にはならない。
しん、と静けさに満ちた廊下に、アダマストラの立てる金属音がカチャカチャと反響する。
夜更けと言うのもあるが、いかにも雰囲気のある状況に否応なしにアーリとネフェシュもチリチリとした緊張感を抱き始める。
廊下の左右にある鉄製の扉を開けて、順番に中を確認していければ穀物の袋を積み上げた部屋や庭を整備する為の道具、ワインの瓶が無数に並べられた酒蔵、屋敷の補修に必要な大工道具や資材を保管した倉庫が続く。
最近開閉した形跡の無い扉が続いて、ついに最後となった一番奥の扉を、ごくりと生唾を飲みながらネフェシュが開いた。
物理的な防御力のみならず、ユヴァによって高い魔法防御力を与えられたアダマストラなら、扉を開いた途端に攻撃魔術を撃ち込まれても十分に耐えられる。
アーリが屋敷の玄関の扉を開いた時よりも、格段に危険性が増した状況となって、先頭が交代となったわけだ。
わずかに軋む蝶番の音と共に鉄扉が開いて、最後の部屋へと一行は足を踏み入れた。
「なにもありませんね。誰も居ませんし」
ネフェシュが率直に部屋に足を踏み入れた感想を告げる。
「うん。木箱一つ置いていないな。さらに地下へと繋がる隠し階段とかかな?」
冒険談にはありがちだが、実のところ、現実にもよくある展開を口にし、アーリは目を皿のようにして部屋の中を見回す。アンシャナの祝福を受けた自分の目なら、なにか見つけられないかと少し期待したのだ。
ネフェシュも壁や床に触れて、なにか異常はないかと丹念に見て回り始める。するとユヴァがふん、と何度目になるのか、またつまらなそうに鼻を鳴らして、二人にこう告げた。
「この部屋で最後となるが、ここまでに当たりはあった。そこにゼゼルムが居るかどうかはまた話が別だが、いわゆる隠し部屋や隠し通路と呼ばれるものだ。
ここにそれがあるかもしれないし、これまでの部屋にあったかもしれん。小僧はついでだが、ネフェシュとアダマストラのちょっとした試験だ。隠された場所を探し出して見せろ」
「はい、博士!」
ネフェシュは唐突なユヴァからの試験宣言に慣れているのか、戸惑わず即座に返事をしたが、アーリはそうも行かない。
「え、じゃあ、ユヴァ博士はもう隠し部屋かなにかを見つけたんですか?」
「そうだ。私は答えを知らずに質問を出す類の阿呆ではないぞ。後はお前達が気付けるかどうかだ。小僧、お前に関しては先ほども言ったがついでだ。無駄に張り切る必要も焦る必要もないとだけ言っておこう」
「いえ、答えがあると教えてもらっただけでも大きな助言なんですから、僕にも探させてください」
「物好きな奴だ。お前が見つけたとしてもなにも景品は出ないぞ。それでも良ければ好きにするがいい」
「はい!」
アーリの元気の良い返事を尻目に、ユヴァは入り口の扉近くで腰を下ろし、二人の作業を見守るつもりらしい。そこに腰を下ろしたこと自体が、答えがこの部屋の中にあるという暗に告げる助言であると、さて少年少女は気付いたかどうか。
「アーリさん、頑張りましょう!」
「うん。ネフェシュも頑張って」
そう言ってお互いを励まし合うアーリとネフェシュを見るに、どうも期待は薄そうであった。
「それにしても、ゼゼルムさんが本当にここに隠れているとして、何時まで隠れ続けるつもりなのでしょうか?」
「意外と考えていなかったりしてね。食べ物とか研究に必要な物を補充しないとだろうから、ずっと引き籠ってはいられないはずだよ。魔術で遠くのものを取り寄せられるなら、そうでもないだろうけど……」
「小僧の言う転送魔術は個人で行うには難易度が高い。設置型の装置や儀式で行使する事も出来るが、そんな真似が出来る力量の魔術士ならば借金取りに追われるような真似には陥らん。屋敷の中から外部へ繋がる隠し通路があると考える方が現実的だ」
ネフェシュとアーリの穴の多い会話をユヴァが補うのも、今日だけでもう何度目になるやら。
「博士の言われるとおりでしたら、ゼゼルムさんはこっそり姿を隠したままここで研究を続けられますね。ただお金をどう工面しているのか、気にはなります。なにか悪い事をしていないと良いのですけれど」
「どうだかな。既に借金から逃げて、相手を騙す真似をしているのだ。つまらん罪の一つや二つ、さらに重ねたところで良心の呵責もなければ、恥を覚えもしないだろう。
魔術士に限らず、人間がどんどんと落ちぶれてゆく典型だぞ、これは。ネフェシュも小僧も、見習ってはならない例として覚えておけ。今回の件に価値があるとしたなら、精々がそれくらいだ」
この会話を聞いていたら、ゼゼルムさんはカンカンに怒っているだろうな、とアーリが思わずにはいられない、ユヴァの辛辣な評価であった。
話をしている間も手は休めず、しゃがみ込んで壁や床に触れ、どこかに触感の異なる継ぎ目のような場所はないか。あるいは軽く叩いてみて、音の異なる個所はないかと探して回る。
ユヴァがどう酷評しようとも相手は魔術士であるから、単純な物理的手段では見つけられないかもしれない。それでもアーリは、自分にはこれしかできないからと懸命だった。
『我が敬虔にして忠実なる信徒アーリよ。アンシャナである』
(神様?)
『アーンーシャーナーでーあーるー!』
(ああ、すみません。アンシャナ様。どうかされたんですか?)
アーリは前触れもなく脳裏に響く、聞き慣れてきたアンシャナの声に思わず立ち上がりそうになりながら、表面上は落ち着いた顔で問いかけた。
ユヴァが反応している様子はなく、流石の彼も女神と信徒との交信を察知する術は持たないようであった。
『不貞腐れるでもなくひたむきに床を這い、壁に触れ、隠されし真実を見つけ出さんとする汝に女神より神託を与えよう』
(え? ああ、助言をくださるのですか?)
『そうとも言うが。こほん、汝の今屈み込んでいる場所より左に二歩、前に三歩進み、水筒の水を垂らすが良い。卑小なる魔術の徒が施したるまやかしは虚ろなる幻のみ。確たる
アンシャナが頭をひねって語彙力を絞り出し、女神っぽさを意識して告げる神託を、アーリは一期一句聞き漏らさずに、言われたとおりに行動して行く。
アーリの行動の変化にネフェシュとユヴァも気付いていたが、少年に声を掛ける事はしなかった。彼女らは彼女らなりの方法で調査をしているので、余計な口を挟む必要はないと考えたからである。
『そう、そう、そこそこ、そこ!』
(はい。ここですね。では、水を垂らします)
アンシャナはネフェシュ達に聞こえていないのをいい事に……というか、すっかり失念してアーリの一挙手一投足に夢中になり、意識を繋げたまま彼を誘導している。
なんともはや他の神々が知ったらあの闇の女神が、と驚きを通り越して呆れる他ない過保護ぶりだ。いくら初めての信徒が相手とはいえ、度を越した干渉ぶりなのである。
通常、より高次の存在である神々と人間が魂で接する事は、人間側に掛かる負担が極めて大きく、落命はおろか魂が砕ける恐れすらある。
その為に神々が信徒へ語り掛ける場合や稀な例として精神を介して邂逅するにしても、交信の体感時間はごく短いものに限られる。
それなのに、こうしてアンシャナとアーリが女神と人との会話とは信じがたい気安さで交信し続けているのは、ひとえにアンシャナが慎重に慎重を期してアーリへ掛かる負担を軽減しているからに他ならない。
他の神の声を聞く者達からしたら、目を剥いて驚くほど女神に親しまれているアーリだが、彼がそれを自覚していないのはおそらく幸運なことだったかもしれない。
他の誰も知らないような暗黒の女神に深い寵愛を与えられていると知ったら、流石のアーリも“僕にそこまでの価値があるのだろうか”と困った表情を浮かべただろうから。
一日中見られ続ける代わりに過保護で甘々なアンシャナの指示の通りの場所で足を止めて、アーリは右手の小剣を床に置いて鞄から水筒を取り出してゆっくりと垂らしてゆく。
すると目には見えない程度の傾斜に沿って水が流れ始めて、壁に当たると少し溜まった後でゆるゆるとその向こう側へと流れてゆく。
「これってこの壁の向こうに隠し部屋がある?」
アーリは水筒を仕舞って床に置いた小剣を手に取り、そっと切っ先で目の前の壁を突いてみる。するとコツコツ、という音と感触が手に返ってきた。
(あれ? ゼゼルムさんの施した魔術は幻ってアンシャナ様が言っていたけれど、感触があるのはいったい?)
てっきり壁は幻で出来ていて、そのまま小剣の切っ先が突き抜けるかと思ったアーリは、手応えがあったことに首を傾げる。
すると大事な信徒からの評価が下がってしまう、と慌てたアンシャナが態度を取り繕いながらアーリに語り掛けてきた。
『んん゛っ、信徒よ、早合点はよくない。浅慮というものである。それは実体に被せたる幻である。良く触れて確かめてみるべし。さすれば女神たる我の言葉に誤りがないと理解できよう』
(はい。アンシャナ様がそう言うのでしたら、まだなにかあるのでしょう)
素直なアーリはアンシャナの言い分を聞き入れて、両手を壁に這わせてなにかおかしな点はないかと探し始める。アーリが手掛かりを見つけたと判断したネフェシュは、調査を一旦打ち切って彼のすぐそばまで来ていた。
ユヴァはその場から動かず、視線だけをアーリに向けている。新たな苛立ちや不満が積み重なった様子は見られないから、アーリはどうやら“いい線”を行っているようだ。
「ん? これは?」
アーリは小剣を握りながら壁を這わせていた右手が、壁としか見えないのに明らかに扉の取っ手らしき起物に触れるのを感じた。そうしてようやくアンシャナの告げた助言を理解する。
「これは扉の上に壁の幻を被せているのか」
『しかり! 壁に見せかけたる幻なれば実は無かろう? アーリよ、我が信徒よ。汝に祝福を授けし女神を信じよ。汝が我を信じる限り我は汝を導くゆえに』
(はい、ありがとうございます、アンシャナ様)
『うむ、素直でよろしい。末永くそうあれ、我がアーリ』
満足げなアンシャナの声を最後に、アーリの魂からアンシャナの気配は遠ざかり、再び観察に戻ったようだ。
まさかひと時も目を離さずに見られているとは知らぬアーリは、助け船を出してくれた女神に偽りのない感謝を抱きながら、それにしてもちょくちょく声が掛かるなとも思っていた。
(アンシャナ様は頻繁にお声を掛けてくださっているけれど、これって普通なのかな? それとも結構珍しい方だったりして。
今さっき神託を下さったのは僕を導く為と、案外、ネフェシュやユヴァ博士と話すのに混ざりたかったからだったりして。なんて、不敬が過ぎるかな?)
実のところ、このアーリが万が一にもあり得ないと自分でも思う考えは、ほぼ正解だった。
出会って一日も経過していないのに、親しげかつ気安い調子で会話を重ねる二人と一匹の様子に、誕生から孤独の中で過ごしてきたアンシャナは強い羨望とアーリに対する独占欲の鎌首をもたげさせて、ついついアーリに声を掛けてしまったのだ。
アーリの生命が危うい緊急事態でもないし、別に神託を下す必要性のある場面でもないにもかかわらずアンシャナが声を掛けたのは、話をしているアーリ達が羨ましく、嫉妬に駆られたからなのである。
「アーリさん、隠し部屋が見つかったのですか?」
ひょこっとアーリの背後から顔を覗かせるネフェシュに、アーリは振り返って首肯する。随分と距離が近かったが、お互いに兜をつけている状態だったので、美少女と近距離で接する事態にアーリが慌てる羽目には陥らなかった。
見ればいつのまにかユヴァもネフェシュの足元に歩いてきており、大きな尻尾をゆらゆらと動かしている。
「うん。ここが扉になっているみたいだ。上辺だけ壁に偽装してあるんだね」
アーリは一旦、取っ手を離した。鍵がかかっているかどうかも試していないが、そこで魔術的な罠が発動したら、目も当てられない。あるいは毒針などの仕掛けがあってもおかしくはないと、父母の手記に記されていたのを思い出したからだ。
隠し扉から離れるアーリと入れ替わりにネフェシュが近づき、アダマストラの籠手と面頬越しに隠し扉のある位置を子細に観察し始める。
「幻惑系の低級魔術ですね。陽炎や蜃気楼のように特定の光景を映し出すだけの魔術です。一応、幻術を使用しているのを隠す隠蔽の魔術も併用されてはいますが、こうして触れれば幻に過ぎないと分かる。その程度のものです」
ネフェシュの評価に、アーリはやっぱりゼゼルムさんって大したことない魔術士なのかあ、となんだか可哀そうになってしまう。
魔術の初歩も学んでいないアーリよりは余程優れてはいるのだろうが、こうもユヴァやネフェシュの口から大したことない、低級、簡単などなどと何度も出て来ては、評価が高くなるはずもない。
さらにユヴァが追撃までしてくるものだから、アーリはゼゼルムが少なからず憐れに思えてならなかった。
「この程度の幻術と隠蔽の合わせ掛けならば、小僧が見つけずともネフェシュがこの壁を調べれば看破できた。アダマストラに搭載した観測機はこの程度では誤魔化されないし、ネフェシュもそこまでお粗末な魔術士として育てた覚えはないからな」
「それなら僕が見つけなくても、ユヴァ博士の試験にはネフェシュだけできちんと合格できたわけなんですね」
ユヴァの発言を耳にして、アンシャナはなんだい、なんだい、アーリに文句でもあるのか! とプンスカ怒っていたが、幸いユヴァに神罰を下すほど怒ってはいなかった。
「だからこそ自力で見つけたお前のことは評価しているぞ。私達に罠の有無について確認をせずに、先走って扉を開くような迂闊な真似も控えた点を含めてな」
「こういうところには罠があると思ってかかれって、両親の手記にありましたから」
「なら正しい事がその手記に書いてあったのだ。これからもよく読み、信じるといい。それも親孝行の内だろう」
思いがけず両親を褒められて、アーリは心からの笑みを浮かべた。このユヴァという魔術士は基本的に出てくる言葉は辛辣だが、その分、誰かを褒める時には虚飾なく本気で口にしていると分かるので、憎み切れないところがある。
「ありがとうございます。これからも頼りにします!」
「ふん、まあ、お前が好きにすればいい事だ。さて目障りな幻術だ。拙い隠蔽共々消しておかねば、次の住人が使い辛かろう。どれ」
この部屋に入った時から隠し扉を看破していたユヴァは、アーリとネフェシュが探している間に幻術と隠蔽の魔術を解除する準備を進めていたようで、小さな前脚を伸ばして肉球で隠し扉に触れる。
「この先にゼゼルムが居れば、流石に待ち伏せの一つや二つをしていると考えるべきだ。気を抜いて間抜けな目に遭うなよ」
アーリの目には何が起きたのか分からなかったが、ユヴァの肉球が離れるのと同時に壁が歪み始めて見る間に剥がれ落ちながら消えて行き、その下に隠されていた木製の扉が暴かれた。
扉の表面にはなにやら魔術の基部であろう魔法陣や文字が刻まれているが、今やユヴァによって解除された為に用を成していない。
「先頭は変わらずネフェシュが務めるといい。アダマストラの対魔術機構は問題なく稼働しているな?」
「はい。各機構稼働率八割以上。戦闘出力に支障はありません。物理的な鍵は……かかっていないようですね。では行きます!」
そっと音を立てないように静かに隠し扉が向こう側へと押し開かれて、その先には二人分の横幅のある石造りの廊下が伸びていた。手の届く位置に魔術のランプが設置されて、月光を思わせる輝きが廊下に満ちている。
「お屋敷の間取り図にはない廊下ですね」
ネフェシュは両手を胸の前まで持ち上げて、構えている。不釣り合いに大きなアダマストラの甲冑を盾代わりにする構えだ。隠し扉を開いた途端に攻撃を受ける、という事態は避けられたが緊張を緩める事は出来ない。
「金を握らせて地図から消したか、後になって増築しただけの話だ」
殿を歩くユヴァである。こうして話をしている間にも使い魔越しに危険物を察知する魔術を行使していると考えれば、これは尋常な使い手ではない。魔術には疎いアーリも、この人は凄い魔術士なのだ、と既に認めている。
建材が組み変わってゴーレムになって襲ってくる、あるいはランプの光が光線となって発射される、もっと単純に落とし穴や吊り天井なども警戒したアーリとネフェシュだが、それらに遭遇せずに廊下を一度左に曲がったところにある扉へと辿り着いた。
おそらくそういった罠が無かったのは、予算と人手と時間がなかったからだろう。
鋲を打ち、鉄で補強した扉は隠し扉よりもよほど頑丈そうで、鍵もかかっていた。
「ユヴァ博士、また解錠を」
とアーリが足元の猫だか狐だか分からない生き物を見下ろしながら言うと、ユヴァはそれを無視してネフェシュへこう命じた。
「今更恐れる罠も何もない。この先はドーム状の広間になっている。作りかけのゴーレムや護衛は居るが、そんなものは織り込み済みだ。然したる問題ではない。それよりも小僧、お前の方こそ体調は万全か? またあの御業の使用は可能か?」
「いえ……それは、普通に戦う分には問題ありません。でも、もう一度【黒ノ一閃】を使うとなると、速度が途中までしか持たせられないと思います。そもそも一日の間に、二回使ったことがないのではっきりとしたことは言えないんですが……」
「ぶっつけ本番で試すわけにはゆかんな。なら、お前達は上での戦いと同様に同士討ちにだけ気を付けて、無理に連携など組もうとせんでよろしい。
ネフェシュ、礼儀など気にせずに扉をぶち破れ。借金から逃げた不出来な魔術士の顔を、見たくはないが見てやらねばなるまい」
「はい、ネフェシュ、ぶち破ります!」
アーリがぎょっとしている間にネフェシュは右腕を大きく振り上げて腰を捻り、アダマストラの鉄拳を全力で分厚い木製の扉に叩きつける!
まさに巨大な鉄の鎚を叩きつけるような轟音が発生し、ネフェシュの一撃で扉は呆気なく砕けると向こう側の部屋へと吹き飛んでゆく。もし自分がネフェシュに殴られたらと想像すると、背筋の震える思いのアーリであった。
「うわ、普段からこんな感じなの?」
「必要な時には!」
扉の向こうは廊下以上に明るく、ネフェシュに続いてアーリも広間へと走り込む。先にユヴァが伝えたようにそこは半球形のドーム場となっていて、最奥には壁に埋め込む形で巨大な炉と大鍋が設置されていた。
壁際には多くの実験器具や材料を収めた棚が並んでいて、天井からは作りかけのゴーレムやその部品が鎖で吊り下げられている。これもユヴァの報告通りだ。離れた場所を見る遠視や物体を透過する透視の魔術を習得しているのだろう。
走り込む二人と一匹を迎えたのは、炉を背にして立つ三十代後半らしき男だった。赤いシャツにつる草模様の刺繍が施された濃緑のケープを重ね着て、両手には黒い革の手袋をはめている。
こってりと髪油で固められた赤い髪と侵入者への警戒心を山ほど抱いている茶色い瞳を持っていて、アーリより頭一つ背が大きい。引きこもりがちな魔術士にしては珍しく日焼けしていて、体格もがっしりとしている。
「突然失礼いたします。私はルゾン冒険者ギルドから依頼を受けてやってきた者です。このお屋敷に残されたゴーレムと魔獣の排除と内部の調査、そして以前の所有者であったゼゼルム氏の行方を追ってやって参りました。
失礼ですが、あなたが借金をした挙句に行方を晦ませて、担保のお屋敷から去ったふりをして舞い戻り、いけしゃあしゃあと研究を続けているゼゼルム氏でしょうか? それとも火事場泥棒をなさっている別の魔術士の方でしょうか?」
わざとなのか天然なのか、遠慮のない発言をするネフェシュに対して、男は盛大に顔を引き攣らせた。アーリがチラッとユヴァを見れば、ユヴァはよく言ったと言わんばかりに、小動物の胸を張っている。
(ネフェシュの発言はユヴァ博士の仕込みか……)
アーリが半ば呆れる中、魔術士は精一杯の見栄なのか余裕を演出しようと引き攣った笑みを浮かべた。
「無作法な強盗諸君、よくも俺の工房にまで押し入ってきたな。そうだ、この俺がゼゼルム、魔術士ゼゼルムだとも。あの業突く張りな金貸しに雇われてやってきたか、卑しい冒険者風情が。この俺の貴重な時間を邪魔し……」
「標的を発見。確保します!」
目の前の男がゼゼルムと判明した瞬間、ネフェシュは駆け出していた。彼女の受けた依頼にゼゼルムのご高説に耳を傾ける、というものは含まれていない。
借金を返す為の借金を続けて雪だるま式に負債を重ねて逃げた魔術士が、恥知らずにも屋敷に隠れ戻っていたなら、言い分など聞かずに捕まえて依頼主に引き渡すのが彼女のお仕事なのである。
「ええい、冒険者とはかくも野蛮か!?」
慌てふためくゼゼルムの姿は、なるほど魔術士らしい知性や余裕は感じられず、ユヴァに酷評されるのも当然かな、とネフェシュに続くアーリは思うのだった。
<続>
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