第13話 メカクレとケモノ

 食事を終えた二人と一匹は迅速に行動し、アミラに現在のアーリの懐事情にあった宿と信頼できる武具屋の紹介を依頼した。

 アミラは久しぶりに将来を期待できる冒険者と見込むアーリに、それくらいの投資は安いもの、と心の中で呟きながらにこやかな笑みと共に伝えた。

 アーリはどことなく高い貸しを作ってしまった気がしないでもなかったが、純朴な少年は歴戦の受付嬢の浮かべる笑みを疑わなかった。

 目的を果たした二人は、そのままギルドの外に出る。短いが濃い付き合いをした彼らに、別れの時が来たのである。


「アーリさん、お疲れさまでした。私達はこのまま研究所に戻りますね」


「うん。なにからなにまで助けてくれてありがとう。昨日、会ったばかりとは思えないくらいたくさんの事があって、なんだかもっと長い時間を一緒に過ごしたみたいだ」


「ふふ、私もこれまでにない大変貴重な経験が出来ました。こちら、私達の研究所の地図です。もしお時間が出来た時や近くに寄られたら、お顔を見せてください。アーリさんでしたらいつでも歓迎です」


 そういってネフェシュが地図を描いた紙をアーリに差し出すのを、ユヴァは面白くなさそうに見ている。

 それでも止めないのは、あくまでネフェシュの意思を尊重しているからだろう。親子や兄妹ではないようだが、なんとも不思議な二人の関係である。


「機会があったら必ず寄らせてもらうよ。それにネフェシュと博士に恥ずかしくないよう、冒険者としても頑張るさ。まずはネフェシュに追いつく為に、二つ星冒険者になるところから目指すよ」


「いつか夢幻領域に辿り着く為の第一歩ですね」


「うん。遠い遠い場所だけれど、まずは一歩踏み出さなきゃ。ネフェシュも、それに博士も、何を目指して頑張っているのかは分からないけれど、二人の目的がいつか叶うと良いと願っているよ」


「魔術士の大願など、大抵はろくでもないがな」


「そうかもしれませんけど、博士なら大丈夫ですよ。それに、ほら、ネフェシュも一緒ですから」


「だそうですよ、博士」


「ふん」


 そう言って顔を背けるユヴァを、アーリとネフェシュは揃って笑いながら見ていた。そうしてどこかしんみりとし始めた雰囲気に後押しされて、アーリからネフェシュへと右手を差し出す。


「本当にありがとう、ネフェシュ、博士。同じルゾンの街で活動するから、またひょっこりと顔を合わせるかもしれないけれど、ひとまずはこれでお別れだから」


 アーリの差し出した右手を、ネフェシュは優しく握り返した。


「はい。大変に名残惜しいですが、これでアーリさんとの縁が途切れるわけではありません。またいつかお会いできる日を楽しみにしています。……それでは、アーリさん」


「うん。さようなら、ネフェシュ、博士」


「さようなら、アーリさん」


 そうして束の間、交わったアーリとネフェシュとユヴァの道は当然の帰結として、分かれるのだった。



 アーリがルゾンに到着し、念願の冒険者となってからしばらく経ったある日のこと。アーリはギルドより北の通りにある宿に腰を落ち着けていた。元冒険者の夫婦が営む、新人冒険者向けの信頼できる宿で、以前、アミラから紹介された『豊穣の大鍋』亭だ。

 大神の一柱が所有するという無限に食物の出る大鍋を名前とする宿屋は、流石に看板通りとはいかぬまでも、食べ盛りの少年少女が多い新人冒険者の腹を満たす料理が格安で提供される穴場だった。


「おはようございます!」


 二階から一階へと降りてきたアーリは食堂に入りながら、宿屋の主人夫婦に朝の挨拶をした。

 食堂にはアーリの他に布を目に巻いた盲目の獣人と目が隠れるくらい前髪を長く伸ばし、帽子を目深にかぶった少女の二人組、くたびれた軽鎧を着こんで頭にすり切れたバンダナを巻いた中年と錫杖を手にするリザードマンといったご同業がアーリより先に朝食にありついている。

 厨房と食堂を行き来して給仕をしているのは、小山のような筋肉の圧力を持った壮年の男性で、白いものの混じる髪を短く刈り、大鍋の刺繍がされた前掛け姿だ。豊穣の大鍋亭の主人ザヌア。


「おお、おはようさん、アーリ。今日もたくさん食べて張り切って“冒険”してきな」


「はい。でも、まだまだ冒険らしい冒険は出来ていませんよ」


 屈託なく笑うアーリだが、彼がそう言うのも当然で、今日に至るまでアーリがこなしてきた依頼は下水掃除に草むしりの手伝い、単純な荷運び等々で冒険者でなくとも人足で事足りるようなものばかり。

 いかにも一つ星の駆け出し冒険者らしい内容だが、それに不貞腐れずに屈託なく笑うアーリは比較的珍しい部類だった。だからか、しょぼくれた顔に変わるかこんなはずじゃないと苛立つ新人を数多く見てきたザヌアがアーリを見る目は、少しだけ柔らかい。


「なあにお前さんみたいに腐らずにコツコツやってりゃ、機会は巡ってくるもんさ。さ、そこにでも座って、朝の活力を補充していきな」


「はい!」


 空いている椅子に腰かけたアーリに、ほどなくしてザヌアの奥方であり唯一の料理人であるマヴァッハの調理した朝食が運ばれてくる。この宿で世話になっている者で、寡黙な元冒険者の女料理長の料理に文句をつける者はいない。

 新人冒険者の懐に優しく、それでいて値段よりもはるかに上等な味で、アーリは紹介してくれたアミラとザヌアとマヴァッハ夫妻に毎日感謝している。

 毎日毎食欠かさずに行っているアンシャナへの感謝の祈りを捧げて、アーリは目の前で湯気を立てる目玉焼きとキャベツと茸、燻製肉の炒め物、キツネ色に焼かれたパンを胃袋におさめるべく取り掛かった。


「いただきます!」


 そしてそんなアーリをアンシャナがつぶさに見守っているのは、言うまでもないだろう。

 神々の住まう天上の世界、至高の頂きに存在する時空の底、人類の概念の通じぬ場所の、奈落の底としか表現しえぬ場所。

 暗黒の只中に浮かぶわずかな土地にある白い玉座の上で、アンシャナは一向に飽きの来ない様子で目の前の大鏡に映したアーリの瞬き一つ、呼吸一つにいたるまで見つめている。


「うんうん、今日のアーリも元気で良い事だ。顔色も良いしアミラとやらは良い宿を紹介したようだ。アーリも主人夫婦に心を許している様子。我が眷属への善き行い、このアンシャナは忘れぬぞ。

 さてアーリは今日は何をするのか。夢幻領域へと続く虹の架け橋の在処、その情報を求めて図書館へ行くか、それとも魔物への知識を深めるべくギルドの書棚を漁るのか。

 また下水掃除をするのも悪くない。どうやら臭いが酷いようだが、古びた武具や冒険者の誰かが落とした認識票、錆びた銅貨と思わぬ拾い物があって面白い」


 先日、アーリが口元を布で覆い、掃除用具を手に下水の一つで朝から夕暮れ近くまで奮闘していた様子を思い出し、アンシャナは喉の奥でくくっと小さく笑う。

 堆積した泥を掬い、まとめたそれを荷車に乗せて所定の場所まで捨てに行く仕事だが、冒険者の多いルゾンならではというべきか、アンシャナが口にしたような落し物が泥まみれになりながら出てくる事がある。

 そうした場合、ガラクタ同然のそれらはギルドで引き取られるが、冒険者の認識票などはそれなりの額が出されて、アーリの思わぬ臨時収入となったのだ。


「年老いた夫婦の手伝いで草むしりをしたのも、草花について知識の教授を受けてアーリは知を増やす事が叶った。荷運びも季節によって運び込まれる荷物、運び出す荷物の違い、ルゾン周辺の物流と諸事情を世間話のついでに教わった。

 我が愛らしき眷属、無二なる信徒アーリ。お前はまだ歩み始めたばかり。だからこそお前の周囲には無数の気付きと学び、そして師がいる。貪欲に学んでゆくのだ。

 夢幻領域について、虹の架け橋についてお前に教える事は神たるこの身には容易いが、それではお前の真の望みが叶わない。だから、アーリ、小さな歩みを重ね続けなさい。例え辿り着く先の見えない道であっても、歩まぬ者は足跡すら残せない」


 アーリには届かない声でアンシャナは優しく呟き、女神の限りない慈悲を感じさせる雰囲気を自ら壊すように、昨夜、アーリから捧げられた干した果物を小さな口で齧り始める。

 白き玉座の上で膝を抱えながら干し林檎を齧るアンシャナの姿は、小動物めいた愛らしさがあったが、それを目にする者はこの場に誰も居なかった。


「でもなあ、そろそろアーリに新しい御業か奇跡を授けてあげたいのだけれど、今のアーリの冒険の内容でそんな事になったら周囲から不審がられてしまうわ。

 これまでアーリは私の名前を口にしないで来られたけれど、疑いの目を向けられては純真なアーリにとって沈黙する事でさえ心労となってしまう。ああ、どうしよう?

 アーリにもっと構いたいのだけれど、かえってその所為でアーリを悪い立場に追いやってしまったらと考えると、何も出来やしないのだわ。

 他の神々は適度に試練を与えたりもするようだけれど、私がアーリ以外に地上のなにかや誰かに干渉したら、流石に神々に目を付けられるかしら? 別にそれは構わないけれど、アーリに迷惑が掛かるのだけは許せないし……」


 ガジガジと齧りながらブツブツと呟くアンシャナだが、彼女に相談できる誰かが居れば何かしらの妙案が思い浮かぶこともあったろう。

 だがそんな相手が居なかったからこそ、アンシャナはアーリを信徒として選び、そしてこうも悩んでいるわけだ。加えて今の彼女は誰かに相談するという発想が、欠片ほども思考の中に存在していない。

 ここまで外部へと考えの及ばない思考回路の持ち主なのに、アーリに声を掛けたのはアンシャナにしては奇跡と言っていい行動力の発露だった。

 アンシャナは原型を留めないくらい干し林檎を齧り続け、名残惜しさと共にそれを飲み下してから、ひょいっと玉座から飛び降りる。


「考えてもいい答えが出てきそうにないし、楽しい事を考えようっと。次にアーリに授ける御業と奇跡はなんだったら一番喜んでくれるだろう?」


 アンシャナは外の世界を観察して覚えた、指を鳴らす仕草をした。すると彼女の周囲に半透明の黒い光の膜が生じる。


「アーリは一人で冒険者をしているのだし、咄嗟の時にこういう風に身を守る手段があるのは大事よね。あ、それとも盾の形をしている方が使いかも」


 更にパチン! と小気味よい音がすると、アンシャナの目の前の六角形の黒い光の盾が出来上がる。魔術による防御は多岐にわたり、アンシャナが行使している光の盾のような形状を取るものは、決して珍しくはない。

 アンシャナは自分の周りでぐるぐると動かしていた盾を消して、なにやらまた思案顔になり、次は左手を上に持ち上げてから軽く振り下ろした。

 すると彼女の左手の軌跡をなぞるようにして三日月の形をした黒い光の斬撃が放たれて、そのまま周囲の暗黒を切り裂きながら彼方まで飛んでゆく。


「こういう飛ぶ斬撃っていうのは男の子の心をくすぐる鉄板らしいけれど、まだアーリには早いかな? でも今のアーリには離れた場所にいる敵への攻撃手段がないし……投石とか物を投げる練習はしているみたいだから、全くないわけじゃないけれど」


 アンシャナが軽く行った飛ぶ斬撃は、アーリの暮らす世界では神々により授けられれば御業、独力で開眼したならば所謂“必殺技”、“奥義”と呼ばれる類のものだ。

 自身の魔力や生命力である“気”、あるいは世界に存在しているそれらを利用する事で生じるその現象は、習得すれば一級の達人である事の証明とされるほど高度な技術である。


 一撃で万軍を蹴散らす戦略兵器のようなものから、自身や味方を劇的に強化する補助系統、神の奇跡に依らず一瞬で重傷を癒す強力な治癒、あるいは万軍は蹴散らせないがその代わりに一対一において絶対の威力を発揮する攻撃、と必殺技、奥義と呼ばれるものの内容はそれこそ人の数ほどある。

 アンシャナが授ける以上は御業の分類に括られるが、アーリが今のような攻撃を行えると分かれば、周囲からの評価は劇的に変わるだろう。


「でも今のアーリにはやっぱり早いよね。アーリが実力で身につけるには、あまりにも過ぎた代物だ。授けるにしてもアーリがもっと成長してからかしら。

 う~ん、やっぱりアーリの痒いところに手が届くような奇跡の方がいいかな? 今のアーリには、治癒に解毒とか回復手段が乏しいし。

 いずれアーリが成長していったら、石化や魅了、睡眠とかを仕掛けてくる魔物や魔術士とも戦うだろうし、今の内から効果は小さなものでいいから与えておけば、将来的により効果の高いものに変えておけるはず。

 うふふ、悩ましいけれど、ああ、アーリの為を思って悩むのはなんて楽しいの! なんて胸が躍り、心が弾むのかしら!」


 アンシャナはアーリの喜ぶ顔が少しでも見たくて、彼から向けられる信頼と崇敬の念があまりに心地よくて、今やアーリのことを考えない時間はないと言ってもいい。

 最古の神々の一柱、真なる暗黒の神と呼ぶべき大いなる女神からひたすらに寵愛を受ける事がアーリにとって幸いとなるか災いとなるか。

 それはまだアーリにもアンシャナにも分からない。確かなことはアンシャナが順調にアーリへの依存を深めているという一点だった。



 豊穣の大鍋亭でたっぷりと朝食を摂ったアーリは、意気揚々と弾むような足取りで冒険者ギルドを目指した。

 彼のように冒険者となった初日は威勢が良くとも、数日が経過するうちに現実に打ちのめされて影を帯びる者が多い中で、変わらず溌剌としているアーリは珍しい例であった。

 それにしたって仲間を持たない単独ソロとはいえ、大神アンシャナの祝福を受けた事で高い身体能力と特技を持ち、ネフェシュとゼゼルムの捕縛を行ったことで新人としては潤沢な資金を得て懐の温かいアーリは、一般的な新人冒険者とは随分と異なる事情持ちであるのは否めないけれど。


 早朝の冒険者ギルドはその日の新しい依頼が掲示板に貼り付けられる為、新たな依頼を求めた冒険者達が飢えた獣のように群がる喧騒で一時満たされるものだ。

 その一方でアーリは新人向けの様々な依頼をこなす事に興味を惹かれており、我先にと依頼を取る行為を行っていた。そもそも一つ星である彼にそこまで熱意を抱かせる依頼など、あるわけもないという現実がある。


「おはようございます、アミラさん」


 朝の一番忙しい時間をこなし、内心ではやれやれと溜息を零していたアミラは、もっか注目株の一人である少年の挨拶に、本物の笑顔で応じた。

 まだまだ田舎の子供らしい純朴さを残し、それでいて変に見栄を張るでもないアーリは見ていて小動物のような癒し効果がある、と受付嬢達の間でちょっとした人気がある。


「おはようございます、アーリ君。もう新しい依頼は貼り出してありますよ」


 五つ星冒険者の推薦と神からの祝福持ちとあって、早々の活躍かあるいは増長しての失敗――最悪の場合は死亡すら懸念されていたアーリだが、今のところは拍子抜けするくらい落ち着いた調子で簡単な依頼を毎日楽しそうにこなしている。


「はい、これから見てくるところです」


 今、ギルドの中に残っているのは依頼を受けていないか、受け終わった後の冒険者達だ。前者の中にはあくせくと依頼を求めて働かなくても、当面は生活に問題のない余裕のある者が少なくない。

 アーリは掲示板に向かっていた足をアミラへと向けて、近寄ってゆく。幸い、新たに受付へ向かってくる冒険者や依頼人の気配はない。飼い主に声を掛けられて嬉しそうに近寄ってゆく子犬みたい、と他の受付嬢達が思ったのはアーリには内緒だ。


「アーリ君は新人の子でも受けたがらない依頼を率先して受けてくれますからね。ギルドとしても助かっていますよ。掲載期限ぎりぎりまで残っている依頼は塩漬けとか乾物とか言われてしまうんですけど、アーリ君はそれを優先して受けてくれているでしょう?」


「はは、バレてました?」


「そりゃあ受け付けているのは私達なんですから当然です。冒険者の皆さんがどんな依頼を受けるかは、条件付きにものでない限りは自由ですし、ギルドの側で強制できるものではありません。

 だからどうしても条件の合わない依頼が残り、そのまま破棄されてしまうのは、残念ですがある事です。

 それでも依頼を持ってきた方々に対して、その依頼が達成されなかったとなれば、やはりギルドの信用を損なうものですから。それを自主的に防いでくれているアーリ君には、感謝しているんですよ。ここだけの内緒話ですけれどね」


 そう言って茶目っ気を交えて片目を瞑って見せる受付嬢に、アーリは照れた笑顔を浮かべた。


「依頼を出した人達にはそれなりの事情があるでしょうから、それが期限が過ぎるまで放置されて却下されるっていうのは、なんていうか悲しいっていうか、後味が悪い感じがして、それでつい。

 それになんでも受けて行ったらキリがありませんし、僕は一人ですからあくまで出来る範囲ですよ。そう大したことは出来ていません」


「その大したことではない依頼を受けてくれる人が少ないから、アーリ君のありがたさが浮き彫りになるわけです」


 これまでアーリが達成してきた依頼の積み重ねは、河原の石を積み上げるような地道なものだが、それでもアーリの誠実な姿勢を計る試金石にはなっている。

 そうして夢に浮かれて冒険者になる類の若者とは異なるアーリの姿勢と、ルーディンやネフェシュから伝えられた戦闘能力を鑑みて、ギルドとしては彼を早めに昇格させた方が益になると考えている。

 昇格を決定付ける為の結果が欲しい、とギルドは考えて今日はそれをアーリに伝えるべくアミラ達受付の職員は手ぐすねを引いて待っていた。


「ところでアーリ君。ちょっと内密なお話があるのですが」


「僕にですか? まさか指名依頼……そんなわけないですよね。僕はまだ一つ星で特別な活躍をしたわけでもないですし」


 はははっと笑うアーリが目の前に座るのを待って、アミラは真面目な表情に変わってあらかじめ用意していた書類を封筒から取り出し、アーリに見えやすいように置いた。

 何度か依頼をこなしてきた成果で、アーリは素早く書類に目を通してすぐに困惑と喜びの二つの感情を抱く。


「これは一つ星や二つ星を中心に、三ツ星以上の冒険者が率いる調査依頼ですか。かなり規模が大きいですね」


「はい。ルゾンの南西の草原で不審な人影が散見されています。それを不安視した近隣の村人から連絡が入り、私達ギルドに依頼が舞い込んだわけです。

 アーリ君は冒険者登録をしてから、強さについて示す機会はありませんでしたが、闘い向きの祝福を持っている点を鑑み、今回の依頼への参加を呼び掛ける事となりました。

 まだ調査の段階ですので危険性は低いと考えられていますが、万が一の事態を想定して三つ星の冒険者にも依頼を出しています。

 もちろんこれは強制ではありません。アーリ君の意志で依頼を受けるかどうかを決めてください。ただ、申し訳ありませんがあまり時間は取れません。早急に調査する事が求められています」


 これに対するアーリの返答は早かった。降って湧いたような好機に手を伸ばすのは、アーリのような新人でも、ベテランでも変わりはないだろう。少なくとも提示された書類に書いてある情報通りならば、調査期間中は拘束されるがそれに見合った報酬は得られるし、他の冒険者達との繋ぎを作るのにも良い機会だ。

 特に“本物”と認められるようになる三つ星冒険者との縁は繋いでおくに越した事はない。


「分かりました。この依頼を受けます」


 ギルドの望んでいた答えを期待通りに返してくれたアーリに、アミラはほっと安堵する。


「ありがとうございます。それでは一つ星冒険者アーリ君の依頼受託を確認いたしました。それでは内容について説明させていただきます。

 今回、アーリ君には二つ星冒険者一名と一つ星冒険者二名と臨時パーティーを組み、依頼にあたっていただきます。

 また、同じかそれに近い構成のパーティーを複数組んで、三つ星冒険者の指揮の下で調査にあたります。総勢、三十名前後になる予定ですね」


 アミラが手元の書類を見て、更にこう付け加える。


「既にアーリさん以外の冒険者達は依頼を受注済みで、後日、こちらで顔合わせを行う旨を伝えてあります。アーリさんが依頼を受けてくださいましたから、今日の夕方には皆さんで顔合わせが出来ますね」


 仮にアーリが受けなかった場合には、その二つ星冒険者と一つ星冒険者の三名で依頼にあたってもらう予定だった。


「それまでアーリさんには自由にしていただいて構いませんが、他の依頼は受けられません。その点は予めご了承ください」


「はい。それじゃあ、事前に準備しておくべきものについて改めて教えてもらってもいいですか。報酬はこの書類に書いてある通りとして、食料や調査に必要そうな装備、不審な人影についても」


 少なくとも依頼を受けてそのまま時が流れるのを待つほど、アーリは無謀ではなかった。事前の情報収集と備えを忘れないアーリの姿に、アミラはどうかこのまま成長して欲しいと切に願った。

 そうしてアーリが自前で用意しなければならない装備を調達し、ギルドにある書庫を巡ってルゾン近郊の草原に関する歴史を漁り、過去に似たような事例がなかったか調べている間に世界は夕暮れに染まり始めた。


 約束の時刻となりギルドの二階にある個室に案内されたアーリは、そこで新たなる冒険で共に時間を過ごす三名の冒険者と顔を合わせた。正確に言うのならば三名と一匹になる。

 アミラに告げられた二つ星の冒険者、それがユヴァを連れたネフェシュだったのだ。

 ギルド内ということもあってか、アダマストラを装備していない非武装姿のネフェシュは、今度の依頼を共同で受ける冒険者の中にアーリの姿が混じっていることに驚いて、その菫色の可憐な瞳を丸くする。


「アーリさん、アーリさんも今回の依頼を受けていらしたのですね。これは思わぬ再会です!」


 と蕾が開くように笑うネフェシュの右肩の上で、ユヴァはいつものように短く鼻を鳴らして、アーリの再会に喜ぶ顔を見ている。


「そうか、二つ星冒険者はネフェシュなんだ。それなら心強いや。それに博士も一緒に行ってくれるんでしょう?」


「答えるまでもなかろう」


 猫なのか兎なのか良く分からない生き物から、成人男性の声が聞こえてきた事に、部屋にいた二人の一つ星冒険者の内、小柄な方が驚いた気配がした。

 この場にはアーリ、ネフェシュ、ユヴァ、アミラ、そして驚きを見せた小柄な少女と正反対に巨躯といってよい老いた獣人の男性とが居た。


 少女は目が隠れるほど長く前髪を伸ばし、更に太陽をモチーフとした刺繍の施された帽子を目深に被り、金属製の錫杖を手に持ち、肌の露出がほとんどない白地の神官服に袖を通している。

 全身から緊張していますという雰囲気を発していて、人見知りなのであろうと一目で察せられる。


 反対に少女の傍らに立つ老獣人にはいわゆる風格というものがあった。盲目なのか目に赤い布を巻き、老齢に達しても衰えを感じさせない屈強な体は白い毛並みに墨衣を重ね着ている。

 手足には何も見に付けておらず、武器は腰の帯に挟んだ二本の短い金棒だ。盲目に老齢と冒険者として活動するには不利な条件を抱えているが、それでも一つ星の冒険者という身分は何かの間違いとしか思えない。

 これまではなにか別の職に就いており、老齢に達した事でこれまでの職を離れて一念発起して冒険者になったばかり、といったところか。高齢に達した傭兵や司祭が、そのようにして駆け出し冒険者になったという前例がないわけではない。

 頃合いを見計らって、アミラがどことなく圧のある笑みを浮かべて話を進め始める。


「アーリ君は既にネフェシュさんと顔見知りですから、紹介は必要ないでしょう。先にネフェシュさんとこちらのお二人の紹介は済んでいますので、まずはアーリ君から自己紹介をお願いできますか?」


「はい。初めまして、一つ星冒険者のアーリです。戦士をしています。一応、ある女神から祝福を受けています。ただ制約で女神の名前を口に出来ないので、その点は許してください」


 申し訳なさそうに告げるアーリに答えたのは、ユヴァに驚いていた小柄な少女だ。見た目の雰囲気を全く裏切らないおっかなびっくりとした調子で、あわあわとアーリに答える。


「わ、私はアシャともも、申します。輝ける太陽神ソルゼを信仰しております。ど、どう、ぞ、アシャと気軽にお呼びくだひゃい」


 前髪に隠れがちな視線をあちこちにさ迷わせているのが、よくわかる調子であった。

 それでもこれが彼女の精一杯なのだと分かるから、アーリからアシャという少女への心証が悪くなりはしなかった。


「アシャ殿が無事に自己紹介が出来たようでなにより、善哉善財。アーリ殿、拙僧はウパウと申す老いた狼でござる。月女神ツクヨラを信仰しております。

 アシャ殿とは共に行動しておりましてな。この度の依頼も二人そろってお受けした次第。アーリ殿とネフェシュ殿、ユヴァ殿におかれましてはどうぞお手柔らかに」


 そう告げてウパウは握った拳の手の甲をこちらに向ける形で、胸の前でこつんと合わせる。彼の宗派における挨拶だろう。


「アシャとウパウさんですね。これだけの人数で依頼を受けるのは初めてですし、まだまだ駆け出しの身なのでご迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします」


「まだお若いのに謙虚であるようだ。これならアシャ殿もそう気後れせずに依頼をこなせそうですな?」


「えと、えと、は、はい!」


「そう言えばお二人とも豊穣の大鍋亭に泊まっていますよね。何度か、見かけた覚えがあります」


「あの、わ、私もアーリさんの事は見覚えがあったので、これも太陽神のお導きかと、はい」


 もにょもにょと口を動かして告げるアシャに、アーリは人の好さの滲む笑顔で答えた。


「アーリでいいよ。年もそう変わらないだろうし、同じ一つ星の冒険者で、これから一緒に行動するんだしね」


「では、あ、あ、アーリさ……アーリ、と」


 うん、よろしくね、と答えるアーリにアシャが恥ずかし気に顔を伏せ、それを見ているウパウが善哉善財と呟いて笑う。

 アミラは幸い顔合わせが上手く行きそうな雰囲気に、にっこりと本物の笑顔だ。ネフェシュもこれまで他の冒険者と組んで依頼を受けた経験が乏しかったので不安視していたところもあるが、アーリが良い具合に潤滑油となってくれる可能性が高い。


(ネフェシュさん、アーリ君、アシャちゃんは新人ですがユヴァ博士は経験豊富な魔術士と見込まれていますし、ウパウさんも長く僧兵を務めていられた方ですからね。三人の不足しているところを上手く補ってくれるでしょう。

 この四人、五人? でパーティーを組んでくれればこれからの活躍に期待できますね!)

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